初めてパラダイムの用語を聞いたのは
教養課程の社会学の授業。
1988年のことでした。
その先生も社会学とはなんぞやということを
結構話してくれました。
初めて聞く人にはなんの学問なのか分からないことを
きちんと分かっている人で、よく分かっている先生でした。
何らかの学問をしているようなカタイ風貌の先生ではなくて
芸術家風の印象があって、特定の分野の実利を追求するとかではなくて、
でも、何かしらの本質を追求している先生だと感じていました。
だから、何かしらの大きな価値を生む土台の学問なんだなと
思っていました。
結局、社会学の定義は覚えて無くて、その先生の話題や
雰囲気で、社会学はこういうものなんだなという確固たる
イメージが残っており、これはこれで凄いことだと
今でも思います。
そういう先生ってやはり凄いです。
社会学の定義を、それは確かに話してもらったけど、
その先生の存在そのものが、その学問の定義に
なってたのは凄いことだと思います。
社会学のその先生を思い出したのもここ30年で
2~3回目で、そんなに思い出さないけど、
インパクトありました。
今となっては、環境問題とは何かという本質を
たった一冊の本を紹介することで理解させてくれた先生です。
レイチェル・カーソンの沈黙の春
これを読むのは課題でもなんでも無かったのに、
本を読むのが大嫌いだった、そして今でも読むのが
嫌いな自分が本屋に文庫本を買いに行って読破した程です。
親も読んで感激してくれ、それは快挙だったと思います。
この先生の教えてくれたパラダイムという言葉。
社会学では当たり前の言葉だったのでしょうが、
今の時代にいちばん大事な用語の1つだと思います。
科学なのか哲学なのか心理学なのかよく分からない社会学
です。
すべてをいっぺんに学問してみようという時パラダイム
という言葉がすっきりと全部をまとめてくれる。
色んなことを総合的にやってみたい人に社会学が
合うのかも知れません。
人間の世界のすべての要素の関わりを、その時代に
どういう方向性でまとめ上げるかは変化するもので、
今の時代の全体像が1つのパラダイムという風に
その先生の考え方から自分の中にイメージが湧いた
記憶があります。
人間が生まれてごはん食べて寝て起きての繰り返しが
変わらなくても根本のフレームというのが変わることが
あるということは30年前は思っていませんでした。
でも、その社会学の先生は、もしかしたら
そういうことをあの時代にもう意識していたのかも知れません。