歩いて出かけることが珍しい最近です。

母の誘いで急遽出かけることになりました。

ちゃんとした歩いてのお出かけは3年ぶり

くらいで、

母と2人だけでは、思い出せない程昔のことです。

九州国立博物館はちょっと遠出の散歩といった

距離にあります。

たまたま、法然と極楽浄土展の最終日でした。

展示に心動かされることはあまり無かったの

ですが、母と出かけてこれたことが嬉しかったです。

外に出て、食事をしようということになり、

太宰府天満宮境内の裏手にある茶店に入りました。

松花堂をゆっくりいただきました。

帰りは坂道を2人して、えっちらおっちら

帰ってきました。

母と良い一日を過ごせて嬉しかったです。

 まだ大阪に通っていた頃、不思議なことを

経験しました。

知ってる人には当たり前のことです。

でも、大阪という土地を、ただ大阪と呼ばれる

土地という漠然とした認識でとらえていた私でした。

2003年頃に3DCADの研修で大阪に泊りがけで

滞在しました。

京橋というところはもちろん初めて。

そこの超高層ビルの高ーい階で技術研修を受けました。

 

2019年になって、また大阪に頻繁に行くことに

なりました。

その最後の回だったと思います。

用事を終え、なぜかJRの駅に向かわず、歩いて

ぶらぶら大阪の街を歩きました。

そのうち暗くなってきて、いよいよ本格的に

夜になりました。

新大阪からJRのローカル線で着いた田舎駅の町から

ずいぶん長い時間歩きました。

高架下のような半地下を歩いて視界が開けると、

なんか見たことある高層ビルが真正面にドーンと

建っていました。

あーなつかしや、という気持ちになり、前へ前へと

進んでいきました。あのビルに違いありません。

2003年頃に、僕は勝手にパナソニックタウンと

呼んでいました。

松下関連の施設がたくさんあるとこでしたから。

さすがに疲れて、泊まるところを探さなきゃと思い

にぎやかな方向に歩いていくと、京橋駅に着きました。

意図してここに着いたのではないけど、2019年にまた

偶然にも来たなあと、感慨深いものがあります。

 

歩くということを普段しない僕です。

それに、大阪のことは漠然と大阪としか捉えていないのは

今でもあまり変わらず、でも、1,2歳のころ住んでいたので

なんとなく懐かしい街です。

もう行くことないかも知れないなあ。

そんな気持ちです。

今日も一日多量の作業に追われていました。

あさイチには、職場に入る前、僕の習慣としては

朝目覚めて結構早い段階で自分の意識に断りをいれます。

とにかく多くの作業量で重量物も多く大変です。

そういうわけで、今日Casperさんの本が届くことを

すっかり忘れていました。

 

家族には、何の本と聞かれて、家族は常識人ですから、

上手い説明ができず、何かの専門書のようなものとして

理解された模様でした。

 

Casperさんのアメブロは初期から拝見していたので、

書籍も欲しかったのですが、クレジットカードを

使うのを封印していたのと、Amazonを退会していて

欲しくても買えない状態がずっと続いていました。

 

クレジットカード封印の解除は家族にも納得してもらい、

ようやくCasperさんの本を購入することができました。

 

まだ読み始めですが、なつかしい文面が嬉しく、少しずつ

読み始めました。まだたったのパート6です。

 

今はCasperさんのカウンセリングセッションが大盛況で

申し込みできないくらいスケジュールが詰まっています。

Casperさんの今回の本や、これまで教えて頂いたことの

実践にじっくりと取り組むことができると考えて過ごしています。

もし必要があったら、スケジュールのどこかにするりと

予約できるだろうと楽観的に考えたりもしています。

 

もしかしてこれが変化?と思うこともありますが

確かな実感を得るまで、教えられた3つを地味に地道に

続けていきたいと思います。

 前回の記事で、教えて頂いたことを出来てるか

自信がないようなことを書いた、そして、書いたことを

後悔していた。

否定的なことを自ら肯定してしまっている点で。

セッションでメモった三つのことに少し自信がなくて

実践が気もそぞろになっていた。

先週末、気になったブログ記事のみFirefoxにブックマーク

しているのを見つけて、ブックマーク記事を読んでみて

ビックリした。

メモしたことを裏付ける内容のアメンバー記事があって、

セッションでメモしたことと同内容のことが書いてあった。

過去記事をブックマークしておいて良かった。

これから安心して実践できる。

ひとり言でした。

ずっと興味は無かったんです。

父が一度観たいということで再生したことはありました。

 

表現力が衰えているように感じられるこの頃です。

アメブロ記事を書きたいと思うことも無くなりました。

 

アメブロを、アカウントを残しているのは、ほぼ

キャスパーさんと、その教えを忠実に実行されている方々の

ブログを読むためです。

 

どうして自分にはまだ正確に実行できないのか、いえ、

どこが実行できてないのかわからなくて、少し情けない。

 

どこのどなたか知ろうとせず、ただ、教えて下さることに

感謝しながら、恐らく不完全であろう手順を実行する日々でした。

だけど、永遠の0というワードは知っていましたので、

これを書いているたった今再生しています。

もうすぐ主人公のゼロ戦が空母の真上から飛び込もうとし、

映画のエンドロールとなりました。

どこに手がかりがあるのかわからずじまいでした。

 

手がかり探しを初めてしたけれど、やはり、もういい

必要ないだろうという気持ちが弱弱しくわいてきます。

 

昨日、今日と2台の愛車の点検をしてもらいました。

今は少ない収入だけど、もうしばらく、いやできればずっと

維持できればと思います。

特にS660は完全な整備とサスペンションのリコールを受け、

見事な走りに久しぶりに驚くばかりです。

 

今日の日記ではないけど、久しぶりに書いても同じようなこと

書いてるんだな自分は、という気持ちです。

フォークリフトのお仕事で再就職したんじゃなかったけれど、

今日は突然の「リフトできる?」の同僚女子の言葉。

「できますよ。」

こう言えたことがうれしかった。

辛いことも多かったけど、前職場で

取らせてもらったフォークリフト免許+実務経験あり。

ひたすら感謝。

我ながら2年半以上ぶりのリフトだったけど

操作できて、たぶん、、、役に立った。

よかった。

ほっとした。

望んでいたことではなかったけれど、

思わぬ良い仕事が家から何分という距離で見つかりました。

ありがたいことに、ご縁を頂いて2週間目の今週には

初出勤しました。

よい会社に良い人たち。つくづくそう思います。

ありがたいことです。

 

就職しないで生きていくのが僕の理想ですので、

ちょっと路線が違うような気もするのですが、

ふってわいたような好条件で、あっという間に

採用になってうれしい出来事です。

 

働かないで生きていく自分も遠くないことだと思います。

そうなるまで、まずは目の前の生活基盤が見つかって

ホッとしています。

 

秋空とさわやかなストライプ

 

うちは子供の頃から苦しかったです。

両親が。

なんだろうね、食べるものだけは節約せずに

良い素材の料理を、最高の腕前で調理していた母。

 

きっと両親と、附設中学に落ちた僕の間に

大きすぎる「認識の違い」ができたんだと思う。

 

小学5年生で父は天体望遠鏡を買ってくれた。

この出来事は大きくて、世の中を見る目が根本的に

変わってしまった。

 

高校の登校拒否の時には、心療内科医に、

「もっと、俗っぽく生きてみませんか。」

と、大事な場面で言われた。

 

悪かった。

そんな気持ちになる。

 

子供の欲のためにメタルテープを買ってくれた。

今思うと、両親はどんな気持ちだったんだろうと

思ったりする。

カセットテープの最高峰「MA-R60」を買って

くれたんだけど、まだイオンになってない

はるか昔のダイエー(ダイエーホークスの「ダイエー」)の

レジの人が¥1,350の値札を見て、これ間違いでしょうと

問い合わせてくれたぐらい異例の高価格カセットテープ。

インターネットもバーコードも無い時代。

47年も前の話です。

 

平均的って何なのか悟ったような小中学校時代でした。

天体望遠鏡で彼方の星をみて、学校ではよその家見るんやろと

からかわれ。

その繰り返し。

家では特殊相対性理論と素粒子物理学の専門書とSF(笑)。

 

ようやく過去が思い出になり始めたのかな、どうかな・・・

そんな気持ちになっています。

きっかけは、閉鎖病棟に備え付けてあった「四月は君の嘘」を

読んだことを今日たまたま思い出して、U-NEXTで検索したら

アニメになってるじゃない!

それを見てると、久しぶりに何か書いてみようと思って書きました。

 

もうはるかかなた、彼方のこと。

55年くらい前、いや、もっと前かな、

僕が4才くらい頃からのこと。

 

世の中難しいことばかりしないといけないと、

あっぷあっぷしていました。

もちろん、10年ほど前の50歳の頃に覚えた

「いっぱいいっぱい」という単語を覚えるまで、

自分の限界を周りにアピールして助けを求めるなんて

方法を知りませんでしたから、両親に当たるばかりでした。

それは、当たる方向が違うので両親が気の毒ですよね。

だから今は滅多にないです。

 

元に戻らないと話しがわからないですね。

「ぼく」という意識を持った時、それは4歳の時だったと

思います。器械体操を器用に演技していました。

幼稚園の放課後に河合体育教室に通っていたからです。

器械体操は非常に得意でした。

ただ、「水泳」が苦手でした。

鼻の穴に水が入ってきて苦しいのに助けてくれません。

「生きてるだけでたいへん!」

それが、「ぼく」という意識を持った最初の頃の記憶。

それ以降も基本的には「ぼくの気持ち」は変わりません。

なんて苦しいんだ。

その気持ちが僕の記憶の最初の頃の思いだったと思います。

 

なにかを覚えるのが誰より苦手でした。
誰もそんなことを信じてくれませんでした。
中学では学年600人中常に10番以内でした。
他人は「頭いい」と簡単に切って捨てます。
僕が勉強の中で編み出した記憶法は、同じことを
10回繰り返して覚えなおすやり方でした。
自宅の電話番号は、何も見なくても言える人が多いと思います。
あのやり方です。
掛け算の九九と言ったらいいでしょうか。
記憶している領域に一種の傷のように刻む方法です。
歴史の年号なども一度覚えて、教科書の3ページ後に
また訪れて覚え直し、また5ページ先で戻って覚え直し。
これを繰り返しました。
とてつもない時間がかかりましたが、忘れません。
これは、一夜漬けの定期試験前日に作った記憶を
永続的な記憶として入学試験まで永らえらせる方法なのを
みずから確認しています。
忘れる間際にもう一度覚えなおす。
たいていの試験では十分ですが、10回やると忘れません。
10回という回数は実際はどうでもいいです。
覚えたという確信が持てれば分かることが多いです。
 
この記事は、自分の過去のことを久しぶりに思い出して、
嫌な思いがあまりしなかったのでVol.1として書きました。
 
過去の僕自身のことに関しては、今となっては、おおむね
よく頑張った、人間離れしてるほど頑張った、という思い、
よく今まで生きていた、生き残ったと思います。
 
Vol.1(その1)としたのは、今となっては、浮かぶ記憶を
いっぺんに処理して書き下ろせないからです。
だから、このあたりで一度区切ります。
 
この記事の「書き足し、書き直し」で対処するかも知れません。
 
今書き足すとすれば、有名な漫画「四月は君の噓」に似ている。
そんな思いです。閉鎖病棟で読んだこの漫画が、小学生版の
入試でこけた小学生の自分を見ているよう、そう思えてきます。
思いっきりこけた中学入試だったのに、4年生の弟に算数を
教えていました。
彼はすんなり附設に合格して、僕の頭は?マークでしたし、
意味不明でした。