もう、このブログを書くこともないと思っていました。

今は音楽を聞きながら無心になっています。

音楽を”聴く”という表現の方が高級に見える

この頃ですが、僕は聴いていません。

ただ聞いています。

それかと言って聞き流してもいません。

 

2019年に買ったCDを聞き流しています(意識的に)。

愛犬だったポコニャンが不意に思い出され、正確には、

あの頃好きだったポコニャンが話しかけてきたように思われ、

ひとしきり感慨にふけっていました。

僕が蜂窩織炎で入院している時に亡くなったポコニャン。

彼女と話しているような気持ちになってとっても嬉しかったです。

ペットショップの檻の中ですっごくおっきくなってしまった

ポコニャンを飼いたいと訴えたのは僕でした。

実はそんな風に訴えたのは覚えてないんですがね。

不思議なものですね。檻の中で大きくなってしまったので、

家に迎え入れても、言い方は悪いですが、知恵がゼロに

見えました。でも家族にはよくなついて。

犬の彼氏まで出来て、よく回復してくれました。

家に来た子は代々不妊治療はしません。

人間のおもちゃではないから。

 

久しぶりに書いたら長くなりました。

さようなら

このブログの始まりは日記でした。

日記というよりはサバイバル日記というか、

そういう感じのものでした。

 

このブログをフェードアウトしている今、

書き続けるなら、日常を描く日記形式がいいなと思います。

攻めた日記じゃ身が持たないのです。

というのは、このブログを2007年から始めた時、

内容は日記であり、感じていることを素直に書いていました。

2009年からしかブログは残っていません。

当時、病気入院から立ち上がり、仕事の前線に復帰する奮闘記というか、

そんなものが、このブログの始まりでした。

 

その後闘病数が多過ぎてまともなブログになっていません。

自分では本当に残念なことです。

 

元に戻せばいいじゃないか。

そう思うこともあります。

2007年に始めた時は日々の出来事をつづっており、

きっかけがあって少しずつスピ系が混ざることがありました。

実際、大御所の方にお会いすることも2015年ころに

ありました。

でも今ではスピ系にはあまり頼っていないと思います。

 

このブログの始まりは孤独な闘病生活から現場復帰への

奮闘の過程でした。

職場での孤軍奮闘の日々の「日記」です。

結果として仕事上の新分野を開拓したりもありました。

今思っても、よくプレッシャーに負けずにやり通した。

そう思います。

一方、あの世界にはもうからっきし興味がないのも事実です。

 

今後、どういう方向へ進んでいくか、明確な展望は持っていません。

展望を持って振り回されるのに「飽きた」のです。

退職前に、自分でも思ってもみない力を発揮して、

願わない対抗心を向けられ、自分の力を発揮したいだけの僕は

戸惑いと違和感だらけでした。

 

いままで読んでくれた読者ももう居ない。

これは望んだことですからいいのです。

登録してくれた読者を僕自身で削除してしまったのですから。

 

望んでいるのは、幼少の4~6歳で感じた自由な世界の

延長線上の「今」に戻ること。

そのためにはどんな自分でいればいいのか。

そういうことを力を入れずにもとめたい。

まだ定まってないなと、これを書いてる自分自身で思います。

終わりに近い記事を書いてなんだけど、、、

 

両親が、特に母が、ここ4年程につぶやいたことは、

好きな人と結婚して幸せになって欲しいと、

見たこともない泣き顔で訴えたこと。

 

そうなんだよね。

そうなんだろうと僕もつくづく思います。

 

中学3年生で両思いの女性に間接的に告げられたこと。

それを、嬉しかったはずなのに、自分の中に湧き上がる恐怖で

受け容れなかったこと。

彼女の方が大ショックだったはず。

「丘に入れんよ」という言葉を担任にもらったのもあるけど、

それは、違うタイミングで言われたこと。

何より中学受験を失敗して、絶対失敗しちゃいけないという思いに

押し潰されたこと。

この思いは僕個人が思っていただけで、他の人には

そこまで思い詰めること無いじゃないと言うほどのもの。

勉強し過ぎて眼のカーブが変わってコンタクトが滑り落ちて角膜を

傷付けるほどうつむいていた。

そんなプレッシャーの中でも100%実力を出す。

そんな人間離れを両親も求めていなかったんだと、

そのことに早く気付くべきだった。

 

恩師も、中学3年生の彼女と同じ学校に行けば良かったと

言っていました。

両親も、僕が思っている程の期待があった訳じゃないし。

僕は親類の中にはびこる階級意識が受け容れられなかった。

だけど、なんだろ、、、だったら進学のための勉強に

身を入れなきゃいいのにと今では思います。

 

今素直に思うことは、「これからの未来は好きなように生きよう。」

それだけです。

これから?

「はい、これからです。」

非常に答えは単純でした。

 

中学3年生に戻れないけど、高校の時、体育の授業で

2階の渡り廊下から名前を呼んで大声援が起こることも

ありました。

あり得ないでしょ?

自分でも笑っちゃう。

高校では体育会系なんですよ。

生まれた時からどっちかと言えば体育会系なんです。

幼稚園の時すでに器械体操習ってたし、河合体育教室でね。

 

だからね、本当は勉強は苦手なんです。

ほんまもんの情報機関員を見てると、「なんでそんな難しいこと考えられるん???」

って、そんな状態です。

 

さて、長くなったので。

 

もう、これまでの礎の上に人生を歩もうなんて気は0(ゼロ)です。

 

ほとんど校正して書いていないというのか、書いた文章を振り返ってないので、後で修正入れると思います。

珍しく修正は入れませんでした。いい文章だったとは思いませんが。

 

読んでくれてありがとうございました。

 

のあ

取り乱して中断というのはいつものことで笑えません。

だけど、今回の終わり方もそのような流れの様です。

 

前ブログで「ようちゃん」が心の支えだった時期が

ありました。

それ以降、ブログの知り合いで心の支えというのは

思い当たりません。

ようちゃんの2009年時点での、僕を鼓舞できる人

というのが、どうも相当な女性のように思えて

しまうのです。今となっては。

激務だった僕、だから猛烈にひねた僕を素直にさせる、

そんな人が居るとはね。

もしかして吉○ようさん?

だったのではと思うこともあります。

彼女が僕の読者申請と、もしかしたらアメンバー申請も

受けてくれたのは、また僕の妄想ですが、フリー?の時は

「ようちゃん」だったのかと思ったりします。

ちょっとキツいとこあったけど、今でも気になります。

 

もう、今回みたいにネタをわざわざ作らないと

書けなくなりました。

きっとそれでいいのでしょうね。

 

このブログの結びに近い記事です。

もう多くを語るのはかっこわるい。

恩師にも言われたことがあった。

 

読者も減ったし、自らも誰かの読者でいることを

止めました。

 

普通に日記のように書いていた2009年頃が

僕も懐かしいなあ。

もし戻れる機会があっても決して戻らないけどね。

 

HONDA NSX に乗りたいと思っていたあのころと

ちょっとスケールは違うけどS660αフルドレスアップに

乗っているし、もう、地上を走る乗り物はいいや。

 

これまでの世界の延長が想像つかないここの所。

 

今までと同じことの延長でブログを書いている自分が

想像できない。

そんな近況です。

 

 

 

 

僕は、地球のタイムラインを元に戻す決心を最初にしてくれて実行してくれたのはライブ主の彼本人だと思う。

 

 

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アポロ11号月面着陸記念日

アメリカでも1日過ぎてしまいましたが

人類の記念碑です

改めて紹介します

銀色のプレートに浮かぶ3D の月が美しいです

月は銀色のインゴット

失礼

純銀プレートに包まれると美しいです

月まで届け

Silver bullishon

 

 

 

https://truthsocial.com/@MelaniaTrump/posts/110748650793958723