統計の話をしよう。
学術的な話ではなく、個人的な感覚、考えの話であるから、これは随筆に近い。
ここでは正規分布の話をする。統計としての話はこれ以上は踏み込まない。これを理解していればこの記事は読める。はず。
では、まずこの画像を見てほしい。
人間が「殺人」という行為についてどのような価値観でいるかの統計をとると、おおよそこのような形になるはずである。
実際には横軸を数値的に定義することが不可能なので実証することはできないが、おそらくこんなもんだろう、という話として。
そしてさらに仮の話として、2σまでを「一般的な思考」と呼べる範囲であるとしてみよう。
そうすると「一般的な思考」をした人の割合は、
(34.1+13.6)×2=95.4
より、95.4%の人が「一般的な思考」の持ち主だと言える。
この人たちは、普段の生活において特に何も考えずに生活していても「殺人」を題材に悩むということは訪れないはずである。
しかし、残りの4.6%の人はどうだろうか。
「殺人なんてどうとも思ってないから殺しまくり」なんて人は、少なくとも日本ではほぼ存在しない(はずである)。
つまり、この4.6%の人は自分の思考を「一般的な思考」の範疇に押し留め、一切の殺人を犯さないように努力をすることが必要な人種であると言えるのではないだろうか。
端的に言うと、自分を押し殺す必要がある、ということである。
その4.6%の中に入ってしまう理由としては、生まれつきの感性、幼いころの環境、経験などが影響として色濃いと予想できる。
つまり、4.6%の人種は自分からすすんでその4.6%に入った訳ではないはずなのだ。
ただそういう風に生まれてしまったから、そういう風になってしまったから、「一般人」であれば課されることがない余計な努力をしなければならない。それがこの4.6%の人間である。
上記の話は「殺人」という極論的なテーマを用いたが、これはあらゆるテーマについても言えるだろう。頭のよさについて、運動神経のよさについて、なんでも当てはめることができる。
このようにテーマは何でもよいのだが、私が言いたいのは、「正規分布の端っこに分布している人間は、その他大勢の人間と同様にこの地球上に住み、感情を持って生きている」ということである。
正規分布の端っこが切り取られずに存在しているということは、つまり価値観が「一般的」とは違う人も存在しているということであり、それを認めないというのは正規分布のグラフを切断することに等しい。
では仮に、正規分布の端が本当に切り捨てられたとして、切り取られた端の人間、例えば4.6%の人間はどのような感情になるだろうか。
これは想像に容易い。統計データをとらず、自分の感覚に従って言語化してしまって構わないだろう。
例えば私であれば、憎悪を抱くだろう。
ただそういう風に生まれただけで、そういう風に育ってしまっただけで、その上「一般的」であろうと努力もしたつもりで、それでいて切り捨てられたとしたら、それは殺意か憎悪の源になると想像できる。
無辜の民が振るう正義の剣に抗うためには、この殺意や憎悪を用いるしか手段がない。
この言葉の具体例が何かと言われれば、「無辜の民」が放った正義の言葉に抗うために、自らの体に殺意を向けた2020年5月23日が挙げられるだろう。
これはわかりやすく話題をシフトしただけだが、これは多くの事象に言えると考えられる。
例えば、殺意や憎悪の先が秋葉原の歩行者天国に向けられたり、小学生の列に向けられたり、「一般的」ではない犯人が犯してきた犯罪は概ねこのパターンであると言える自信が私にはある。
だがしかし、人間様もそんなに暇ではないというのが真理でもある。
正規分布の端に分布する人間を1人残らず助けるというのは、非常に労力がかかる。正確な言い回しをすると、「助けたくても助けきれない」。だから切り捨てられる人間が生まれる。
そうすると、ある1つの極論が見えてはこないだろうか。
「生まれてはいけなかった人間というものは存在するのではないか」
といった類いの思考だ。
自分は苦しみ、周囲の人間は自分によって迷惑をかけられる。
そんな人生、死んだ方が双方にとって得であるとしか思えない。
だが、早まってはいけない。死んではいけないとは言わないが、死ぬには早い。
なぜなら人間は未来を見ることができないからだ。
もし、今の自分が生きているだけで他人が許容できないレベルの迷惑をかけてしまう存在であったとしても、その迷惑という負債を将来返すことができる自分になっている可能性は絶対に否定できないのだ。
なぜなら「その可能性はない」という証明は悪魔の証明であり、可能性がないと断言することが不可能だからだ。
ゆえに人は「自殺はいけない」と言う。
そして一部の人間はその言葉に生かされ、テロリズムを享受するだけの時間を得てしまう。
これが私の「人間」というものの見方である。