イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。

イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。セキセイインコ青
 
長尾は何のしっぽ?①のつづきです。
 
 
香川県高松市庵治にある皇子神社
 
映画「世界の中心で愛をさけぶ」のブランコ
 
 
 
 
探検してると、〇〇尾とか、尾がよくでてくるように思います。
例えば、石清八幡宮、長寺、張など
 
菅原道真さんの友、明印さんの長尾寺
屋島の戦いへ向かう源義経が前を通ったであろう長尾寺
村上天皇の血筋と妄想の静御前、その母、磯禅師得度の長尾寺
 
 
 
長尾寺流れ星御詠歌「あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ」
山鳥の尾。なぜ山鳥の尾?うーん
 
 
「ながお」をしらべ中
 
 
前回、
福岡県行橋市を流れる長狭川、長狭は、「ながお」とも読む。ニコ源流の名が、京都郡みやこ町「京都」「みやこ」がでてくる。
 
大阪~奈良の長尾街道(ながおかいどう)は、大仙陵古墳(伝、仁徳天皇陵)、ミサンザイ古墳など、墳丘長200m以上の大型の前方後円墳4基を含む百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)がある堺から奈良県葛城市の長尾神社付近に至る街道である。
仁徳天皇陵から奈良葛城の長尾グラサン
 
似たようなのが・・・
讃岐の富田茶臼山古墳から阿波の那羅そして葛城

 

仁徳天皇陵から奈良葛城の長尾神社までの長尾街道と香川県の富田茶臼山古墳(四国最大の前方後円墳)から徳島県をつなぐ伝・那羅街道、そして那羅から磐之媛の家のある葛城へ

重なるぜグラサン
妄想が暴走、そして失踪!
仁徳天皇の別名は、難波天皇
さぬき市は平安時代は難破
その難破にある
「富田茶臼山古墳」はやはり
「仁徳天皇陵」だ!
なんじゃないかの?
 
が前回でした。ニヤニヤ
 
 
マホロさんから教えてもらったリンク
うなずくことばかりです。
確かに四国は、日本の重要な歴史を秘め、
倭王讃=仁徳天皇=大雀(オホサキ)=阿波讃岐(オホサヌキ)=倭讃岐
が、納得いく。
 
今回の探検の長尾寺の紋は「雀」。
大雀に繋がります。
具体的には、3羽の雀の紋です。
 
妄想
3羽=三輪の仁徳天皇
 

 

長尾寺前の通りを西に見た

この先を少し行き、辻を右に入ると重源僧上さんが唐から持ち帰り、平家、義経、静御前へと渡った鼓を静御前が投げ捨てた淵があります。

水場は無くなって面影は皆無ですが。

 

義経さんが駆け抜けた田面峠

先で、推定南海道に合流します。

 
 

妄想の7代・孝霊天皇の皇后(8代・孝元天皇の生母が放つ光が、義経などの武将や静香御前と生まれてすぐ殺された静御前の子、さらに苦しんでいる人々を救うのだと云っている!

 

 

 

推定南海道を田面峠方面に見た様子

四国最大の前方後円墳「富田茶臼山古墳」

富田といえば、徳島県の眉山はもとは富田山

 

 
三羽=三輪で雀。
 
以前からの疑問が解けた気分です。
デレデレ
 
 
 
補足
四国最大の前方後円墳「富田茶臼山古墳」は、推定5世紀前半、古墳時代中期前半頃の築造。
 
仁徳天皇は4世紀末から5世紀前半に実在したと見られる天皇で、しっくりくる。ちゅー
誉田天皇(応神天皇)の第四皇子。
 
その富田茶臼山古墳から東へ行き東かがわ市には、
四国八十八箇所奥の院
真言宗善通寺派別格本山 與田寺(よだじ)がある。
長尾寺と同様に別格本山というとります。
山号は醫王山、院号は虚空蔵院。
ご詠歌:祈るより 仏に ちかい あらたなる よだのお寺へ参るうれしさ
 
仏に近いとは、三輪の地だからか?昇天
 
寺伝によれば、奈良時代の天平11年(739年)に行基開山
醫王山薬王寺薬師院として法相宗の寺院として創建
後に空海により真言宗、寺号を神宮寺に改められた。
嵯峨天皇の勅願寺。
応長元年(1311年)には国内談議所の―つに定められ、13世紀後期から増吽による中興
(落胤と伝わる禅僧一休宗純の父)後小松天皇より虚空蔵院の院号を下賜され、1,000を越す末寺を有する讃岐国屈指の大寺院となっている。
豊臣秀吉の長宗我部氏の兵火で堂塔伽藍の大半を焼失
だが、江戸時代初頭に高松藩初代藩主松平頼重の帰依により復興
明治時代に所在が與田郡であることから神宮寺から與田寺に改。
 
 
仁徳天皇は、誉田天皇の崩御後、最も有力だった皇太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに皇位を譲り合ったが、太子の薨去により即位という。
 
菟道稚郎子を祭るといえば、セカチュウ探検時の庵治(妄想:始まりの天下春命=阿春=庵治)の皇子神社(セカチュウのブランコのシーン)
 
世界の中心で「阿イ」をさけぶ
 
 
皇子神社は同じ庵治にある桜八幡神社の摂社
桜八幡神社は、元は花は桜のコノハナサクヤヒメを祭ると伝わる。
(悪い意味ではない)片田舎の庵治の神社に、わざわざ太閤秀吉はツツジの太鼓を寄進している。 
 

セカチュウの庵治 佐久良尾八幡神=木華咲耶比賣=許乃波奈佐久夜比売命=木花咲耶姫

櫻之宮と称え佐久良尾神として木華咲耶比賣を祭り庵治一郷の総氏神とした。840年一郷一八幡とされた古社。「現在の櫻八幡神社の社務所の敷地は旧満願寺の遺蹟なり」「豊臣秀吉朝鮮を征し凱旋に際し吉野山のシンボルであり修験道の総本山、吉野金峰山寺蔵王堂の躑躅の柱の一端を以て宮太鼓を造り報賽の為め是を當社に納む。」「初め眞済僧正山城の國高尾山神護寺に居り、嘗て行基造る所の十一面大悲像を得て珍しく思ひ、恒にこれを奏して暫くも身を離さず。霊場を求めてこれを安置せんとして年あり。」「庚申歳八幡宮勧請仁明天皇の勅命にて東丘に造営す。これ櫻八幡神社の由来にして古記録に瞭なる所なり。」936年より1433年の間に八回の修築遷宮の記録があり、後、戦国の兵乱に焼けた。634年宥仙法師によって再興。明治元年別当満願寺は廃された。御祭神:譽田天皇、足仲彦天皇、息長足姫命、武内宿禰大臣

 

 
気になる「誉」
[音よみ]ヨ
[訓よみ]ほまれ ほめる
ほめ‐ら【誉】徳島県地方で、正月に祝い言を唱えながら家々を回る物乞い人。春駒(はるごま)。
 
 
 
今日はおなか一杯になりもうした。酔っ払い
 
 
進まんな
前回の補足で終わっとるやないかい
 
ではまた。よだれ