イの国探検隊ファンの皆様こんにちは
 
 
 
静御前繋がりで、源義経が屋島の壇ノ浦へ向かう道中の田面峠(たづらとうげ)を探検します。

 

空海が善通寺から都へ行くのに通った道でもあるようです。

 

 

静御前と磯禅師が、都から磯の故郷丹生小磯地区に帰り、たぶん幼い磯さんを引き取った釋王寺に身を寄せたのだと思います。



しかし、磯禅師は、幼少期に両親が亡くなり一人ぼっちの不安と寂しかった思い出の地であり、東と違い西は平家色が濃いので、いづらかったのだと。
そこで、たぶん寺の勧めで、長尾寺に移動することを決めたのだと思います。
 

移動には、義経も通った田面峠を越え、長尾街道(南海道)を西にほぼ直線的に進むと長尾寺に着きます。
 
長尾寺は、志度寺と同じ「補陀落山」
補陀落渡海の一つの目的地と妄想します。グラサン
 
 
親子は長尾寺で得度して、静薬師庵を建てて移ります。
たまに長尾寺へも通ったことでしょう。
 
 
義経さんは、阿波から大坂峠を越え、讃岐へ入ります。そして、一目散に、イ探妄想では、後ろの正面を孝霊天皇としている主祭神モモソヒメを祭る水主神社で祈願し、次いで田面峠を越え、長尾寺前、そして白山南麓の(推定)南海道を西に駆け抜けたのだと妄想します。真顔


 
もしかしたら、、、いや、たぶん磯禅師の故郷の丹生地域で、地理や平家の状況などの地元情報を得て、田面峠を越えたのではないでしょうか。
 
 

田面峠の入り口から、義経さんの駆け抜けた道をみて見ましょう。

水主神社方面から来たとすれば、この道を進み、峠手前は、こんな感じ。

直進で田面峠の道になります。

ここも、坂を下った場所。

磯禅師さんの生まれ故郷方面から来たとすれば、右手の道から来たんだと思います。

 

 

峠の入口

 

緩い勾配の峠道

 

 

義経桜🌸があるはずですが、無い。ゲッソリ

地域の方に聞くと、いつぞやの台風で、池の土手にあったのが、池側に折れて、今は無いそう。

残念。ぼけー

 

 

ガードレール右手に池があり、かつて桜があった。

反対側に地元の高校生が桜を植えたそうです。ウインク🌸🌸🌸🌸🌸

 

 

その近くには、

飛渡り不動明王

由来は分かりません。

飛不動明王さんと同じ?

 
 

さらに少し進むと、

立割地蔵

 

「立割地蔵和讃」なるものが掲げられています。

 

地蔵和讃(じぞうわさん)とは何だ?

親よりも先に亡くなり、「親を悲しませる」という罪を背負った子供達は、三途の川を渡ることが出来ず、残された父母や兄弟達のしあわせを願い石を積み供養をします。 しかし、鬼が現れ、積んだ石をくずしてしまいます。また次の日も同様に石を積みますが、鬼にくずされます。その日々が続いているところへお地蔵様が現れてその子供達を鬼から護り、あの世に導いてくださるという物語とのことだそうです。

 

掲げられているものをみてみます。

 

立割地蔵和讃

帰命頂礼地蔵尊 大悲摂取の御姿ゆ

如意の宝珠をささげ持 錫丈つきて笑みたまう

今は寂たる峠にも昔を偲ぶ人のある

義経桜と名を残し二世も三世もうすずみに

屋島に向かう武将等を守り給いし不動尊

静御前も杖おきて地蔵の茶屋に足やすむ

歴史は語る宝ものにぎわう峠の地蔵尊

 

 ありがたや幾代経るらんよりどころ

 地蔵の堂に 萌ゆる恵みを

 

慈悲の子さずかるかずかずのかたりべ伝う如智力

あまた幼子にぎわいて地蔵の袖に遊びいる

崇めてやまぬ讃沸にわれらご詠歌たてまつる

 

 寂光無意の地蔵尊

 大慈大悲の地蔵尊

 

平成十七年五月

           大和講正講師 木村ハナエ

 

帰命頂礼地蔵尊とは?

仏・菩薩に対する特別に深い礼拝、帰依ということを意味している地蔵のことのようです。

 

大悲摂取とは?

大悲とは?

衆生(しゅじょう)の苦を救う、仏・菩薩(ぼさつ)の大きな慈悲。

摂取とは?

仏の慈悲の光が、迷い苦しんでいる人々を救いとること。

つまり、大悲摂取とは「苦しんでいる人々を仏の光が救う」ことのようです。

 

大和講とは?

日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律(曲)に乗せて唱えるご詠歌の一九二一年、山崎千久松によって創始された大和流の伝承団体を「大和講」という。

 

屋島に向かう義経と静御前も通った峠だと伝えています。

 

寂光とは?

安らかで、静かな光。真理の寂静とその智慧の働きとしての光照。理・智の二徳を表す。 2 「寂光土」の略。

無意とは?

仏教の「無為」だと思われます。

特定の原因や条件(因縁)によって作りだされたものではない、不生不滅の存在のことだと思われます。

つまり、寂光無意とは、

「不生不滅の存在の放つ真理の安らかな光」のことだと思います。

 

 

大慈大悲とは?

 「大慈」は、衆生に楽を与えること。「大悲」は、衆生の苦をとり除くことの意味だそうです。特に、観世音菩薩の大きな慈悲をたたえて、観世音菩薩そのものをさすことがあるとのこと。

「大悲」と掲げられていたのは、長町家菩提寺の「大悲殿」

 

 

イ探では、観世音菩薩=7代・孝霊天皇の皇后(8代・孝元天皇の生母)と妄想しました。

 

如知力とは?

はっきりしませんが、真理をよく理解して自分のものとし、迷界に下って衆生を救済する仏陀である「如来の知恵の働きの力」の意味のようです。

地蔵とは、サンスクリット語の意訳では「大地」、「胎内」「子宮」の意味からなるところの、「地蔵」のようです。

四国88結願の大窪寺は女体山の麓にあり、本尊は薬師如来。その奥の院・胎蔵峯寺は空海が薬師如来を祀っていた。

 

 

イ探では、如来は、薬師如来=大日如来=天照大神と妄想しました。




 

 

静香御前の母・磯禅師さんの長町家の菩提寺・釋王寺

本尊は国の重要文化財(秘仏)聖観世音菩薩

8代・孝元天皇の生母か!?

 

 

以上の立割地蔵和讃から妄想すると、

この立割地蔵尊は、仏・菩薩に対する特別に深い礼拝、帰依ということを意味している地蔵であり、不生不滅の存在の放つ真理の安らかな光を放ちその光が苦しんでいる人々を救う地蔵だと。

屋島に向かう義経と静御前も通った峠だと伝え、義経などの武将や静香御前と生まれてすぐ殺された静御前の子を弔う地蔵だと。

「大悲」と掲げられていたのは、長町家菩提寺の「大悲殿」(その見つめる先はモモソヒメを祭りながら秘めるは孝元天皇の水主神社)

本尊は聖観音菩薩

 

つまり、

妄想の7代・孝霊天皇の皇后(8代・孝元天皇の生母が放つ光が、義経などの武将や静香御前と生まれてすぐ殺された静御前の子、さらに苦しんでいる人々を救うのだと云っている!

 

 

 

と妄想しました。笑い泣き

 

まだ道は続きます。

 

ではまた。にやり