イの国探検隊ファンの皆様こんにちは
また煩悩の参拝です。
空海の痕跡を求めて、またしつこく現場を探検
さぬき市多和兼割にある寺院。
医王山遍照光院
大窪寺
後ろの女体山がかっこいい
本堂前の不動明王さん
比較的、真新しい石像かな。
でも右側には、
石碑「摩利支天 不動明王 役行者」
とある。
これは、やや趣があります。
何気に摩利支天と冠するのが気になった。
私的には摩利支天不動明王は意味深な感じ。
なぜ「摩利支天」が付く?
そして、ここにも役行者が登場。
摩利支天(まりしてん)
みずからの姿を隠し、障害を除いて利益を施す天部で、梵天の子。古代インドの民間信仰、後に仏教に取り入れられた。
密教では護身・隠身などのための修法である摩利支天法の本尊となり、二臂(にひ)像、三面六臂像、三面八臂像などで月と猪に乗る姿などもある。
元来二臂の女神像であるが、男神像としても造られるようになった。
利益は、
「隠形」(おんぎょう)を第一とし、摩利支天を念ずれば、その人は他人から見られ知られることなく、捉え害されることなく、だまし罰せられることもありません。だから自らの希求するところをすみやかに成就できるのです。
禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。
日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。
“三面六臂(さんめんろっぴ)”といえば、
前回ブログに登場の興福寺の国宝・阿修羅像。
戦いの神なのに、少年、少女のような姿。
三面六臂=阿修羅=摩利支天では?
なら、阿修羅=女性を表して、他人から見られなくして、希求するところをすみやかに成就する為の阿修羅像では?
応天門の変の勝者、藤原北家の寺とも言える興福寺。
少女、美少年のような姿。“三面 ”とは顔が3つあること。「臂」とは、ひじのことで、“六臂”とは、腕が6本ある意。
この偶像には隠された意味を感じます。
何かを隠す呪術とともに、隠した誰かの姿を表しているのでは?
北家の特別とも言える南円堂には、不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置。
仏像とは、
仏教の信仰対象である仏の姿を表現した像。 仏の原義は「目覚めた者」で、「真理に目覚めた者」「悟りを開いた者」の意。
初期仏教において「仏」とは仏教の開祖ガウタマ・シッダールタを指したが、大乗仏教の発達とともに、弥勒仏、阿弥陀如来などの様々な「仏」の像が造られるようになった。
「阿修羅」は「天部」に属し、上司である「如来」「菩薩」「明王」を守ることが仕事で、階級は最も低いが、人々の願いを気軽に聞いてくれる身近な存在。
結願で杖を納める場所
大窪寺から旧多和小学校前にある東谷庚申塔
良く見たいが、シキミでカードされています シキミにしっかりガードされている信仰が厚いかんじだ
シキミガード脇からのショット
ええい!シキミ一旦のけさせていただきパチリ!
小ぶりではありますが、なかなか立派な青面金剛さんです。
姿の詳細を調べると、
邪鬼を踏みつけ、左手に法輪・弓・剣、右手に戟・矢・ショケラ。
3猿と日月も表示され、道祖神、道標などの要素もあるとのこと。
戟とは、「三国志」の時代に一般的な武器で、戈(か)や矛(ぼう)の機能を備えたもの。
ショケラは、先のブログで探検したが、妄想では「女性の権威を掴んでいる。」だったかな。
隣の石像
ん?
顔が多いぞ
3面だ
腕は6本か
三面六臂だな たぶん
三面六臂といえば、興福寺の国宝・阿修羅像を思い出す。
そして、摩利支天を表しているのでは?
ならば、隠すための呪術か。
「七九番」と書いてある
四国88霊場の79番なら
金華山 高照院 天皇寺
真言宗御室派
その歴史・由来は四国巡錫の為に当地を訪れた行基は、鉱石が多く産出されるこの山が、カナヤマビメとカナヤマヒコの御座す山であるとし、金山と名付ける。
そしてこの金山中腹に薬師如来を御本尊とした金山摩尼珠院を建立し、この地が神仏習合の地であることを現した。
カナヤマビメとカナヤマヒコとは?
カナヤマヒメ神はカナヤマヒコ神(金山彦神)と共にイザナミがカグツチを生んだ苦しみからゲロを吐いて産まれた。
カナヤコ神(金屋子神)は二柱の子供とされ、これら三柱をまとめて金山大明神と呼ぶ。
後の弘仁年間に空海が訪れ、朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の79番札所の場に移動させ、金華山妙成就寺摩尼珠院として中興する。
金山神社1の鳥居
行基が開いた金山摩尼珠院のあった場所と思われる金山神社
空海が中興するきっかけは、御神体金山を鎮護する金山権現との出会いと金山中腹より湧き出る御神水との感応。
ありとあらゆるすべての蘇生が可能であると確信を得た空海は、この耶蘇(やそ)の地にて十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を刻み堂宇に安置する。
金山神社前にある瑠璃光寺
瑠璃光寺横の瓦
ここには、かつて大師堂があったとのこと。
そこには瓦が、金山摩尼珠院のものか?
また、本堂があった位置には石積みと4本の柱があるのみ。
廃寺寸前な感じ。
麓の天皇寺、白峯宮が人気になり、本来詣るべき札所が忘れられようとしてます。
気づいた方は、元宮・寺のこちらにお参りしていただきたい思いであります!
今回は、八十場のところてん屋さん西から歩いて登りましたが、車だと、金山北西部から登るのだと思います。
これが、金山中腹の御神水と思われる。
金山神社そばにあった。
金山神社と瑠璃光寺のある場所と金山が行基、空海の言うところの耶蘇の地と思われる。山全体に石器に使われたサヌカイトがある。参道を歩いていると、カン、キン鳴る石がある。参道は神社の敷地なので、拾って帰れない。
摩尼(まに)とは?
珠・宝・如意 (にょい)
珠玉の総称。摩尼珠。
竜王の脳中から出て、望みをすべてかなえるという珠玉。如意宝珠。
耶蘇(やそ)とは?
イエス‐キリストの通称。日本では、昭和初期の頃まで用いられた。
空海さんちょっとまてい!
色々と質問したい内容だ。
ありとあらゆるすべての蘇生が可能であると確信を得た?
なにをもって?
そして、なぜ「キリストの地」?
しかも、だから十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を安置したって
?????
後の保元の乱により讃岐へと配流された崇徳天皇と空海御手彫阿弥陀如来の出会いは、空海中興金華山妙成就寺摩尼珠院を崇徳天皇永代別等職へと至らせることとなる。
崇徳天皇御崩御の後、寺院境内に崇徳天皇社が造営され、後嵯峨天皇による永代別等職の詔を賜り、崇徳天皇供養の寺、崇徳天皇寺と呼ばれるようになった。
明治の廃仏毀釈による廃寺という現象は、筆頭末寺であった奇香山仏乗寺高照院院主らの尽力による、今日の金華山天皇寺高照院を生み出すこととなった。
境内の朱色の鳥居は、両部神道を源とする三輪神道で境内が荘厳されていることを表した鳥居。奈良県大神神社と同系の三輪鳥居。
神仏分離で、天皇寺と隣り合わせになった様子。
天皇寺には、十一面観音を祀っている。
阿弥陀様と愛染明王は何処?
いらっしゃった!
日本最古の仏像と伝承される善光寺式阿弥陀三尊だ!
ポックリ地蔵様の後ろで背景のように「おるで〜」ってな感じで佇んでおられる。
崇徳上皇さん、まてい!
疑問いっぱいだ。
崇徳上皇はなぜ空海の彫った阿弥陀如来と出会うだけで永代別等職になるのか?
なぜ、三輪神道?
大神神社
御祭神は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
医薬の神様や酒造りの神様。三輪山に鎮まる。
三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でも形の整った円錐形の山。古来、大物主大神が鎮まる神の山として信仰される。「古事記」、「日本書紀」には、御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されている。
古来本殿は設けず拝殿奥の三ツ鳥居を通して三輪山を拝する原初の神祀りの様を伝える
我が国最古の神社。
特に杉は「万葉集」など多くの歌集に詠われ「三輪の神杉」として神聖視されている。
中腹の磐座には大己貴神、麓の磐座には少彦名神が鎮まると記されている。
分かれて出てくるので、大物主と大己貴(大国主)は違う神なんだね。 医薬の神で杉といえば、スサノオノミコトでは?
ならば、大窪寺の御本尊薬師如来と同じ。 そして、杉尾神社につながる?
徳島に近い香川県まんのう町には杉王神社があり、樹齢800年超えの杉の樹がある。ご祭神が出てこない。杉の話ばかり。
「ラウンジ・ゴンザレス」さんの記事にやっと出てきました。
神社の鳥居の額には「杦王神社」(すぎおうじんじゃ)と記されている。
香川県神社誌には、杉王神社の名前は無く、杉尾神社はある。
この杉王神社は杉尾神社に関連する神社だとのこと。
祭神は、天大主命。
だが、天大主命はしらべてもヒットしない不明な神だ。
杉尾神社の御祭神は
大己貴命 (香川県東かがわ市南野604)
天太玉命 (香川県仲多度郡まんのう町川東2748)
杉尾大明神(大山積命) (愛媛県西条市洲之内甲954番地)
天水沼比古神 天水塞比賣神 (徳島県吉野川市鴨島町大字牛島字杉尾200)
大己貴命、大鷦鷯命、経津主命 (徳島県 海部郡海陽町櫛川宮ノ前35)
大山祇神、誉田別命 (和歌山県海南市阪井1858番地)
など
気になったのが、徳島県吉野川市の杉尾神社について記事を見つけた。
「神社と古事記」さんの記事から
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「秘羽目神足浜目門比売神社二座」に比定される式内社(小社)の論社。天水沼比古神 天水塞比賣神は現在、敷島神社に合祀されているというのが通説。
(徳島)県内には、杉尾と称する神社が多数、ある調査によれば22社存在する。その半分以上が御祭神を大己貴命とする。
大己貴命=大国主命 大国主神と大物主神「古事記」大国主神とともに国造りを行っていた少名毘古那神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、我を倭の青垣の東の山の上に奉れば国造りはうまく行くと言い、大国主神はこの神を祀ることで国造りを終えた。
この山が三輪山とされる。
脇へそれるが、三輪山で気になったのが、
香川県東かがわ市(旧、引田町)の名前を考えるにあたってのことの記事。
猪熊信男の恩頼(おんらい)堂一家言説
猪熊氏によると
「諸国にいろいろ引田という地がある。その中にもここ引田は、和名抄に出ているところの引田郷で全国的に最も大きい有力な引田部族のいた所である。「新撰姓氏録」から考えてみると、大国主神の後に、大神(オオミワ)ノ引田朝臣、三輪ノ引田君がある。それで引田ノ朝臣、引田ノ君の部族の祖先は、一応は祖神大国主神に落ちつくのである。それゆえに、佐渡国引田部ノ神社の祭神は、大巳貴神(大国主神)であるとせられる。
ところが、この引田部ノ神社は、引田明神ともいわれ異説として、その祭神は、孝元天皇の皇子大彦命であるというのが吉田東伍博士の「大日本地名辞書」に見えている。それは、このあたりに阿部氏の子孫が多い。それで、阿倍氏等が祖先の大彦命を祭ったのだろうというのである。」
ふぇ?讃岐の地に大神(オオミワ)、三輪あるんじゃないの?
さらに、東かがわ市内には、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)を祭る「水主神社」がありますが。
すみません。脇にそれました。
「日本書紀」の異伝では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として三諸山に祀ったとある。
天太玉命=「古事記」布刀玉命、「日本書紀」太玉命、「新撰姓氏録」では天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。忌部氏の祖の一柱。
大山積命=「古事記」大山津見神、「日本書紀」大山祇神、他に大山積神、大山罪神。 別名 和多志大神、酒解神。1972年8月調査では、神社本庁傘下の神社1万318社のうち、85%が「大山祇神」。古事記では、伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた。草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。
大山祇神も気になるところだが、大国主命が有力な感じ。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子、または6世の孫とされるので、スサノオさんにつながる。
「永○法師」とある。形からも、僧侶の墓だ
左隣にも石像が並ぶ
左端はお約束の地神さん
こちらは曼荼羅みたいに周りに小さな仏様が並んでいる。
なんという仏様かな
こちらもシキミガード強い仏様
詳細不明です。意味があるんだろうけど。
近くの山の説明版
流紋岩の護摩山、角礫凝灰岩の矢倉山があり、護摩山には、四国八十八箇所霊場の石仏がある、頂上では空海が、護摩を焚いて祈願し、矢倉山では西国三十三箇所霊場の移し霊場がある。
角礫凝灰岩はさざれ石だよね。
気になる事だらけだが、矢倉=八倉か?
徳島県徳島市国府町矢野にある阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」
1741年 ~1743年には杉尾大明神と称し、御祭神は大日靈女命(おおひるめのみこと) 、 天照大神の別名であるとし、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されているとのこと。
繋がっているのか?
妄想全開すると
大窪寺には「摩利支天 不動明王 役行者」と書かれた石塔があり、密教では護身・隠身の修法である摩利支天法の本尊。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視。
利益は、「隠形」。
念ずれば、その人は他人から見られ知られることなく、捉え害されることなく、だまし罰せられることもなく自らの希求するところをすみやかに成就できる。
二臂、三面六臂、三面八臂などで月と猪に乗る姿などもあり、元来二臂の女神。
つまり、人間同様の二本の腕の女性だよね。 三面六臂=阿修羅=摩利支天で、つまるところ人間同様の姿の女性を表していることになる。「阿修羅」は「天部」に属し、階級は最も低いが人々の願いを聞いてくれる身近な存在。天部=高天原か?天孫族?
なら、興福寺の国宝・阿修羅像は、「高天原に居た女性に関係し、他人から何かを見られなくして、望みをすみやかに成就する為の像」ととれる。
大窪時の本来の御神体は裏山「女体山」。そこにある奥の院・胎蔵峯寺。「子が、母の体内にやどる」との寺名。そこには元薬師如来を祭ってあった=スサノオノミコト。
すんなり考えると、その母はイザナミ。
「古事記」によれば、伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする。 これだと、イザナミは黄泉にいるので、イザナキは別の女性とねんごろになった。その女性が女体山かな。 |
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庚申塔の隣に興福寺の国宝・阿修羅像を思わす三面六臂の石像。
石像には「七九番」と刻まれ、四国88霊場の79番なら金華山高照院真言宗御室派・天皇寺につながり、この寺の元は、カナヤマビメとカナヤマヒコの御座す金山に行基が建立。薬師如来を御本尊とした金山摩尼珠院を建立し、この地が神仏習合の地であることを現したことからおこる。
空海は、朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の79番札所の場に移動させ、金華山妙成就寺摩尼珠院として中興している。
空海が中興するきっかけは金山権現と出会い湧き水との感応し、すべての蘇生が可能であると確信を得た。そして、そこはキリストをあらわす耶蘇の地であるので、十一面観音菩薩・阿弥陀如来・愛染明王を刻み堂宇に安置するとのこと。
なんじゃそりゃ! 保元の乱に破れ讃岐へ配流の崇徳天皇に至っては、空海が彫った阿弥陀如来と出会うことで、金華山妙成就寺摩尼珠院の永代別等職になる。 そしてこの寺は、三輪神道で境内が荘厳されていることを表した鳥居。つまり、奈良県大神神社と同系の三輪鳥居である。
三面六臂=阿修羅=摩利支天=スサノオの母=イザナミ?
79番札所の元あった場所は、耶蘇の地=キリストの地=三輪神道の地
十一面観音菩薩、阿弥陀如来、愛染明王はキリストの地と濃く関係している。
大窪時とその周辺の探検はもやもやだらけ
近くの山は四国八十八箇所霊場、西国三十三箇所霊場ともに空海さんからみ
護摩まで焚いて
矢倉=八倉なら
徳島県の天石門別八倉比売神社につながりそう。
なんだか、意味深な
まだ、妄想しきれない消化不良。
今日はここまで
ではまた。
熊野=祖谷なら、阿修羅→「始まりの阿波は修羅場と化した」意か?(偶像崇拝・大和vs自然崇拝・倭?)
妄想でした。