『名画で読み解く イギリス王家12の物語』 中野京子 著 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

 

 

怖い絵』シリーズが大ヒットの中野京子さん。こちらはブロ友なおちんさんのブログで発見。いつもブロ友の皆さまに色々お世話になっております♪

 

世界史を選択しなかったので(それ以前に元々歴史の学科はあまり興味なかった・・・当時は)、映画や音楽、美術品、小説などを通して部分的な知識を繰り返しインプットして全体地図を完成させたい今日この頃です。そんな私の趣味とニーズにバッチリ答えてくれる中野京子さん、強い味方♪

 

 

《目 次》

序章
第1部 テューダー家
 第1章 ハンス・ホルバイン『大使たち』
 第2章 アントニス・モル『メアリ一世像』
 第3章 アイザック・オリヴァー『エリザベス一世の虹の肖像画』
第2部 ステュアート家
 第4章 ジョン・ギルバート『ジェイムズ王の前のガイ・フォークス』
 第5章 ポール・ドラローシュ『チャールズ一世の遺体を見るクロムウェル』
 第6章 ジョン・マイケル・ライト『チャールズ二世』
第3部 ハノーヴァー家
 第7章 ウィリアム・ホガース『南海泡沫事件』
 第8章 ウィリアム・ビーチ-『ジョージ三世』
 第9章 ウィリアム・ターナー『奴隷船』
 第10章 フランツ・ヴィンターハルター『ヴィクトリアの家族』
 第11章 フランツ・ヴィンターハルター『エドワード王子』
 第12章 ジョン・ラヴェリ『バッキンガム宮殿のロイヤルファミリー』

 

 

各章のタイトルになっている代表的な絵を扉絵として、その他にも沢山の関連絵画を紹介しつつで、名画の背景と歴史も一緒に楽しめるし、フルカラーなので目にも楽しいです。

 

ジョン・エバレット・ミレイ 《ロンドン塔の王子たち》 1878年 油彩/カンヴァス ロイヤル・ホロウェイ蔵

 

序章の扉絵の《ロンドン塔の王子たち》。このタイトルだけではっはぁ、これはリチャード三世が戴冠式の準備のためと騙してロンドン塔に幽閉した兄王エドワード四世の嫡男で幼くして王位を継いだ少年王エドワード五世とその弟君のことでしょう!とピンとくるのは、去年劇場版「リチャード三世」を含む「嘆きの王冠~ホロウ・クラウン~」などシェイクスピア祭りを満喫したお陰♪( *´艸`)

 

シェイクスピアの歴史劇の影響もあってか、ロンドン塔といえば、その門をくぐったものは二度と出ることのない恐ろしい鉄壁の牢獄、ブラッディー・タワーの異名のイメージが強いのですが、元々は普通の城塞であり王家の居住であり。それが牢獄、処刑場として使われ出したのはやはり15世紀、ランカスターとヨークの薔薇戦争以降のことだったようです。夏目漱石もロンドン留学時にアン・ブーリンやヘンリー6世、上述の2人の王子らの幽霊に遭遇したかもしれない?ロンドン塔での処刑はスチュアート朝チャールズ2世の時代で終わったそうです。ちなみにロンドン塔の正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」というのは今回初めて覚えました。

 

ちなみに薔薇戦争を終結させてチューダー王朝の始祖となったヘンリー7世、シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』でも上述の劇場版「リチャード三世」でも、若々しい美男子で聡明かつ勇敢な英雄としてキラキラに描かれていましたが、この本で紹介されている肖像画はそのイメージとはまるで別人!(笑)

 

伝ミケル・シトウ画 《イングランド王ヘンリー7世》 1505年頃


誰、このオッサン!の衝撃(笑)。シェイクスピア劇では見目麗しい英雄ですが、王家の血筋の正当性の薄さを政治力で必死にカバーしまくった抜け目のない狡猾なオッサンのヘンリー7世像もあるのです^^;。

そもそもが勝てば官軍、自分を正当化するために敵対するものを徹底的に悪者化するのが政治の常套手段。リチャード三世の悪口もヘンリー7世ら対立勢力が吹聴したものであって、実際のリチャード三世は賢王だったという説の研究もあるわけで。要するにシェイクスピアも、アンチ・リチャード三世の立場だったのだなぁということが伺えます。

そんな感じで、ロンドン塔にまつわるエトセトラを交えながら薔薇戦争の終わりまでをサラっと解説しているのが「序章」。ここまでだけでも、

シェイクスピア祭りの記憶がまだ新しい私には楽しい復習となり読み応えアリ( *´艸`)。そして本編は、この後、つまりヘンリー7世のチューダー朝からスチュアート朝、ハノーヴァー朝、そして現在まで続くウィンザー朝の歴代王家についての解説が展開されるのです。おぉ、シェイクスピア祭りの続きがここに!(笑) 頭の中の時系列も整理できて、読み応えありました^^。

 

チューダー朝:ヘンリー8世と女性スターたちの時代

 

ヘンリー7世に始まるチューダー朝。その次男で2代目の王ヘンリー8世はかのトラブルメーカー王!そうか、リチャード三世からヘンリー8世ってこんなに近かったのか、と再確認。脂ぎった男性ホルモンと欲望の塊、ヘンリー8世。中々王位継承の男子が生まれず(もしくは幼逝し)、カトリック王の癖に次々と奥さんを離婚したり処刑したりして生涯6人の妻を娶った王です。そして最初の妻(しかも若くして死んだ兄の妻だった)キャサリン・オブ・アラゴンとの間に後のメアリ1世、アン・ブーリンとの間にエリザベス1世、ジェーン・シーモアとの間にやっと世継ぎのエドワード6世を儲けた、と考えると益々中々すごい存在Σ(・ω・ノ)ノ!ある意味超スター・ファミリー!ゴシップ盛りだくさん!(笑)

 

王位についた順番は、エドワード6世、メアリ1世、エリザベス1世ですが、幼いうちに王位を継ぎ幼いうちに死んでしまうエドワード6世がマーク・トウェインの児童文学『王子と乞食』の王子のモデルだったとは!エドワード6世の後、正当な順位はメアリでしたが反カトリック派のノーサンバランドが自分の権勢を保つためにヘンリー7世のひ孫にあたるジェーン・グレイを即位させようとして企み、その為に犠牲になった若き悲劇の「9日間だけの女王」が処刑される場面をドラローシュが描いたのが、「怖い絵」展の目玉で来日した、この本の表紙にもなっている《ジェーン・グレイの処刑》ですね。

 

結局歴史的に正当に「イングランド最初の女王」になったメアリ1世は徹底的にカトリック回帰を目指し、ブラッディ・メアリーと呼ばれる程に異端者を大量処刑し、民衆にも嫌われ、熱烈な片想いだった夫のフェリペ2世には捨てられ、自分の子孫は残せずに、自分がロンドン塔に幽閉したエリザベスに王冠を引継ぐことになり。”生きては帰れぬ反逆者の門”をくぐりながら奇跡的に生還したエリザベス1世はその後も強運のまま、処女王として君臨し、公認海賊の上前をハネては国庫を豊かにして国を反映させました。

 

そんなエリザベス1世の目の上のタンコブで、常に比較の対象にされてきた因縁の相手がスコットランド女王のメアリ・スチュアート。美貌、才知、血筋、何から何まで常に比較されて実際に王位を巡ってのライバルにもなったエリザベスとメアリ。プロテスタントのエリザベスとカトリックのメアリは、宗教争いにも引っ張り出される格好の広告塔。若い頃は美貌も人気も圧倒的にメアリ・スチュアートにあって、フランス王太子フランソワと結婚してフランス王妃として栄華も極めたメアリでしたが子供が生まれないままフランソワが死んでスコットランドに帰ってからは何かと不人気だった前半キラキラ、後半ドンヨリ人生だったメアリ。そんなメアリを主人公にしたアメリカ製ドラマ「クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮」がBSプレミアムで現在第2シーズンまで放送されております、蛇足まで(*´з`)。

 

結局メアリはスコットランドを追われ、宿命のライバルであるエリザベス1世の元へ逃げ込み、長年遠く離れた城で幽閉生活を送った後についにエリザス暗殺の決定的な証拠を掴まれて処刑されます。が、バージン・クイーンとして貫いた為後継者がいなかったエリザベス(愛人に隠し子はいた、という噂はありそれが ローランド・エメリッヒ監督の映画「もうひとりのシェイクスピア」の元になっていますが、当時のヨーロッパは王族の子供でない庶子は王位につけなかったので)で、チューダー王朝は断絶します。

 

スチュアート朝:ピューリタン革命と魔女狩りの時代

 

チューダー王朝断絶の後、新しい王朝をスタートさせたのは皮肉にもエリザベス1世の生涯のライバルだったメアリ・スチュアートの一人息子、ジェイムズ1世。スチュアート朝の始まり。

 

ジェイムズ1世は文人気質でしたがオカルト好きでもあったようで、悪魔学の研究にも熱心で自ら関連書籍も執筆していたようです。魔女や悪魔による魔法が実際に行われ、かつ効力があると信じていました。その影響でこの次代に魔女狩りが広く行われたとのこと。また、シェイクスピアの『マクベス』に3人の魔女が登場するのもこの時代の状況を反映しているからだそうです。なるほど~。

ジェイムズ1世の子のチャールズ1世の時代にピューリタン革命が起こって一旦王政が廃止されますがチャールズ2世が間もなく王政復古し、ジェームズ2世が娘のメアリー2世に倒される名誉革命などがあったりして、メアリー2世、その夫のウィリアム3世の死後を引継いだメアリー2世の絶縁した妹アンが王位を継ぎ、そこでスチュアート朝が終わります。

ハノーヴァー朝:ヴィクトリア女王の繁栄と影の二面性の時代

アン女王の後を継いだのはドイツ系のハノーヴァー朝。開祖はスチュアート朝を始めたジェイムズ1世の娘エリザベスの孫のジョージ1世。ジョージ1世、2世、3世、4世とジョージ王時代が続き、ウィリアム4世を挟んで6代目で数年前まではイングランド史上最長在位だったヴィクトリア女王の治世となります。私、エミリー・ブラントが主演した映画「ヴィクトリア女王 世紀の愛」が大好きだし、彼女の時代のファッションや装飾も大好きなので一気にテンション上がります(笑)。

 

イギリス製ドラマ「ヴィクトリア女王 愛に生きる」でも彼女のお祖父さんのジョージ3世は晩年気が狂った、とされていましたがやはりジョージ3世は「農民ジョージ」と呼ばれるほど朴訥として地味で温厚である意味では良き王だったけれど恐らく遺伝子的な持病で精神が錯乱することがあったようですね。真面目と狂気を行ったり来たり。

 

ヴィクトリア女王の時代にイングランドは最も世界に植民地を広げ、「パックス・ブリタニカ」なんていう言葉まで生まれて太陽の沈まぬ国と呼ばれるほどの繁栄を極めた華やかできらびやかな時代ですが、光があれば影がある、という訳で王侯貴族の栄華の反面、庶民の貧困や治安不安など隠れた二面性があった時代でもあったらしいです。そういった世情を反映して、切り裂きジャックの事件も発生し、またスティーブンソンが『ジキルとハイド』を執筆したのも時代が抱える二面性と無関係ではないようです。

 

そして、この頃の王家が舞台の映画やドラマでは特に血縁者同士でしょっちゅういがみ合っているんですが、常に親と子が憎悪しあい、男性はどんなに美しく優しい妻を娶ってもDVやら妻いびりが激しく、女遊びが異常なまでに激しいのもこの一族の伝統だったというのも中々の衝撃でした。親子の憎しみ合いは主に父親と息子の関係においてがメインですが、ヴィクトリアは幼い頃に父親を亡くしたのがある意味良かったのかもしれません。過度のファザコンで依存体質になりましたけれども、まぁアルバート存命中はバランスを保って平和で幸せだったし子だくさんでヨーロッパ中の王宮に子孫繁栄させましたからねー。

 

ウィンザー朝:そして最長在位年数を更新中のエリザベス2世へ

 

厳密には途中でサウス・コバーグ・ゴーダ王朝も存在するのですがここでは割愛で。ヴィクトリア女王の孫のジョージ5世は、王家の家名をハノーヴァーからウィンザーへ改名します。これまでの例のように血筋が変わったわけではなく、そのまま直径の血筋で連続しているのですが、第一次大戦などの影響でイギリス国内のドイツ嫌いを考慮して、王室から一切のドイツの痕跡を一掃してイギリス王室であることを強くアピールするための戦略だったそうです。ヨーロッパの多くの王室が消滅していった中でイギリス王室は現在も盤石なのは、臨機応変で柔軟な政治判断に優れていたからなのかもしれません。

 

ウィンザー朝の政治対応力のすばらしさは、自ら戦争に参加し、現地へ赴き激励し、父や息子を兵役に送り出した家族への配慮も怠らなかったことにもあらわれていて、エリザベス2世の王女時代を描いた「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」でもエリザベス自身も軍に所属し(多分に名誉職とはいえ)役職についていたり、普段から軍服を着用していたり、チャリティーに参加したりという姿からもうかがえます。

ふぅー、薔薇戦争後から一気に原題までのイギリス王室を駆け抜けました!時系列も整理できて大分スッキリ♪ちょっと気になった時に確認する字引的一冊として、本棚の手に届きやすい場所に格納しておきたい1冊。杉全美帆子さんの『イラストで読むギリシア神話の神々』と同じエリアに仲間入りです( *´艸`)。

今回、何も考えずにたまたまこのイギリス王家から読みましたが、実はこれはシリーズ最新刊。イギリスの前に、ハプスブルグ、ブルボン、ロマノフの王家の物語も既刊されているようなので、それらも折を見て集めて行きたいです。最後に、巻末の中野京子さんによる「あとがき」で各王家の特徴をそれぞれ一文にまとめられていたので、備忘のためにここに引用しておきます。

オーストリア・ハプスブルク家は「婚姻外交によるアメーバ的領土拡大」、スペイン・ハプスブルク家は「陽の沈まぬ国を打ち立てながら血族結婚繰り返しの果てに断絶」、ブルボン家は「華麗なる宮廷文化とそれが招いたフランス革命」、ロマノフ家は「徹底した秘密主義と農奴制の反動によるロシア革命」、そしてイギリス王家は「歴代女王時代がもたらした繁栄と君臨すれども統治せずの成功」。なるほどね!