ものがたりの小部屋 -4ページ目

ものがたりの小部屋

昭和8年生まれのおばあちゃんが、小学生の頃を思い出して書いたものがたりです。こんな時代があったことを、残せたらいいなと思っています。
ときどき童話も書いていきます。

教室へ戻るとまだドアは開いていました。

誰もいないへやはきみ悪くて月子さんは小走りに自分の席へいってそろばんの袋をつかみました。


そのとき目のはしのほうで白くてまるいものが動きました。月子さんが板敷きの床をふみしめたはずみにゴムボ―ルがひとつだれかの机の中からころがって出たのです。


だれもがほしくてたまらないボールをわすれてかえるひとがいるのでしょうか。


(春子さんだわ) と月子さんは気がつきました。

(このまりいらないんだ)  月子さんは思わずボールをひろいあげました。


(春子さんは何でも持っているんだもの)


「あんたがた どこさ せんばさ せんば山には たぬきのおつてさ」


口をついて出た手まり唄をひくく歌いながらそのボールをつきました。

誰もいないところで弾力のあるゴムまりで遊ぶのはなんともたのしいことでした。



(このまりどうしてもほしいわ。春子さんはたくさんもつているのだもの。ひとつぐらいなくなつても気にしないと思うわ)


まりをあやつっていた月子さんの手がハタと止まりました。このボールを自分のものにするためには、春子さんに「ちようだい」とたのまなければなりません。一人っ子で甘やかされてそだった月子さんは、これまでお父さんとお母さんと学校の先生以外だれにも頭をさげてたのみごとをしたことがありません。

仲のよい友達の春子さんに対してももそれは言い出せないことでした。月子さんは困ってしまいましたが、そのときある考えが頭のなかをよぎりました。


(そんならこのままボールをもってかえったらいいじゃない。だれも見てなかったんだし。わたしがもってかえったとは、だれにも知れはしないのだもの)


この思いつきが浮かんだとたん月子さんは、まわりにだれもいないのにまっ赤になりました。だれにも知れないからといってこんなズルをしたらどろぼうと同じだということに気がついたのです。


それまでだいじに抱いていたボールを春子さんの机の中へもどそうとしてまたためらいました。ゴムボールが自分の手からはなれて行くのががまんできなかったのでした。どんなにきびしい罰を受けてもいいもつてかえろうと、月子さんが決心したときでした。


「青井さん」

という声がしたのです。はっとしてみるとろうかに「じんべさん」が立っていました。

「手まりなんかどうでもいいの。それより月子。やっと靴が手にはいったのよ。あなたの靴よ」


とお母さんは自分のことのようにいそいそしてお仏壇の前にかざってあった牛乳函ぐらいの包みをとってきたのです。


「見せて見せて。ちゃんと足が入るかしら」


月子さんは箱をつつんであった新聞紙をはがして中の品物をひざの上に出してみました。それは赤い色の子ども靴でした。月子さんはがっかりした声をだしました。

「なんだ、運動靴じゃないの」


「今どきズックの靴なんてなかなか手にはいらないのよ。とにかくはいてごらん」


月子さんはしぶしぶ新しい靴をはいてみました。寸法は少し大き目でしたが今はいているきちきちの運動靴よりはずっとらくでした。でもこんな革靴をふだん学校へはいて行くわけにはいきません。


「終業式にはいていけばいいじゃないの」

「ふうん」


月子さんは生返事をして自分の机のほうへ行きました。宿題があつたのです。ランドセルを開けてみてぎくっとしました。そろばんを教室へ忘れてきたのに気がついたのです。

そろばんはお母さんが作ってくれた袋へいれてランドセルの耳のようにさしこんであるはずでした。下校する時目につかなかったのがふしぎでした。

月子さんはよほどゴムボールのことが気になっていたと見えます。そろばんの授業のあと机の中へ入れっぱなしだったのです。


「お母さん、そろばんを学校に忘れてきたわ。とってくる」


月子さんはおおいそぎでかけだしました。


「月子、あわてて行ってころんだりするんじゃないのよ」


とさけんだお母さんの声もとどきませんでした。


「ゴムボールは男の子がキャッチボールをして遊ぶものさ」


すると春子さんがまたいいました。

「あーら、キャッチボールだなんて敵の国の言葉使ってる。せんせ、あんなこと言ってますよ」


男の子たちは青くなりました。春子さんの言うとおりキャッチボールは英語で敵の国イギリスとアメリカの言葉でした。このころは敵の言葉を使ってはいけなかったのです。


「それじゃまり投げだ」 としぶしぶ男の子たちはいい


「甲子園へ行ってまり投げするなんてばかばかしくて言えゃしないよ」


などとさわぎながらやっとそれぞれの席へもどりました。その時、先生が箱の中をのぞきこんで


「あら、まだひとつボールがのこっているわ。みんな自分のくじを見てごらん」といいました。


「先生、ぼくです」

という小さな声がしました。みると大山くんというやせっぽちの生徒がくじをにぎりしめておずおずと先生の机のほうへちかずいてくるところでした。


「おい」

「じんべさんだ」

「じんべいだ」


とくすくす笑う声が聞こえてきました。家がまずしかった大山くんは、いつかの冬にオーバーコートのかわりにおじいさんのお古のじんべさんを着せられていたことがあってクラスのみんなに笑われたのでした。

「あら大山くん当たったの。よかったわね」

先生はじぶんのことのようによろこんで大山君の頭をややらんぼうになでました。大山くんがもらったボールをさも大切そうにつかんでいるのを見て月子さんもうれしくなりました。


その日家にかえった月子さんはゴムボールのおくりもののことをお母さんに話して

「私はやっぱりはずれたわ」 とちょっと舌をだしました。


先生がくじの入った箱を取り出していいました。


「さあ出席簿の順に一人ずつくじをお引きなさい。ズルはいけませんよ。ひとり一本ですよ。」

月子さんの胸はどきどきとゆれてきました。なぜなら月子さんの名前は青井月子。出席簿の一番目なのです。


「早くひけよ」

いつのまにかクラスのみんなが立ちあがって月子さんをとりまいていました。「早く、早く」


先生も

「青井さん。もう引いてもいいんですよ」

といいました。


みんなに見つめられて赤くなりながら月子さんは思いきって箱の中の一本をとりました。


「はしに赤い二重丸のついているのがアタリです。」

先生の説明がおわらないまにクラス一番ののっぽの子の手がのびて月子さんのくじの紙をひったくりました。


「やーい、ハズレだ、ハズレだ」

というひやかしの声をせにして月子さんは自分の席へにげてかえりました。


教室のゆかにほうり出された月子さんの分のくじは何もしるしのないさびしい白でした。和田という姓の春子さんは順番がだいぶん後でしたが、やがていがいなほどおちついた春子さんの声が聞こえてきました。


「当たったわ。でも私はお姉さんのお古のゴムまりがあるし」

「何だ、お前の姉さんのお古って手まりのボールじゃないか。でもいらないんならよこせよ」

「いいえ、やっぱりもらうわ。みんなでまりつきをするんだもの」

「やあい、せっかく当たったボールも手まりにしちゃうんだろ」

「あんたがた どこサ 

せんばサ

せんば山には

たぬきのおつてサ」

と男の子たちはひやかしの合唱をはじめました。


「手まりをつくのがどうして悪いの」



と春子さん。春子さんは成績も良く気も強いのです。

「さあさあ、みんな席について。ひさしぶりにたのしいお話ですよ」


もうおばあさんの先生はしらが頭をふりふりみんなを席につかせました。

「みんなも知っていますね。アジアの中の南の国々はわが国のおともだちだということを」

と先生は話しはじめました。


「私たちはこれらの国のひとびとと仲良くしなければなりません。わが国がせんとうに立って敵国と戦わなければなりません。南の国のひとびとはそうしたわが国に感謝しているのですよ。それでこのたび南の国から日本の少国民のみなさんにと贈り物がとどいたのですよ」


そこへ学校の用務員さんが大きな箱をもつてきて先生の机の上におきました。


「南の国はとても暑い。日本の国とは気候がまったくちがうからいろんなめずらしい植物がそだっているのですが、なかでも役に立つのはゴムの木です。戦争遂行のために生産されているのですが、こんどはそのゴムでボールをつくって日本の少国民に送ってくれたのですよ」


先生はほらといいながら机の上の箱のふたを開けてゴムボールを取り出して見せました。生徒たちはわっといいながらたちあがって新品のボールをのぞきこみました。ゴムボールはかなり前から町の商店にも百貨店にもすがたを見せなくなっていたのです。みんなはゴムボールのぶわぶわした手ざわりを思ってにこにこして顔を見合わせました。


「ざんねんなことにこのゴムボールはみんなにいきわたるほどたくさんはありません。だからくじ引きをしなければなりません。さあそれでは今からくじ引きをしましょう」


 月子さんはがっかりしました。くじには弱かったからです。おみくじを引いても小吉か凶しか出なかつたし、ジャンケンをすれば負けてばかりだったのです。