教室へ戻るとまだドアは開いていました。
誰もいないへやはきみ悪くて月子さんは小走りに自分の席へいってそろばんの袋をつかみました。
そのとき目のはしのほうで白くてまるいものが動きました。月子さんが板敷きの床をふみしめたはずみにゴムボ―ルがひとつだれかの机の中からころがって出たのです。
だれもがほしくてたまらないボールをわすれてかえるひとがいるのでしょうか。
(春子さんだわ) と月子さんは気がつきました。
(このまりいらないんだ) 月子さんは思わずボールをひろいあげました。
(春子さんは何でも持っているんだもの)
「あんたがた どこさ せんばさ せんば山には たぬきのおつてさ」
口をついて出た手まり唄をひくく歌いながらそのボールをつきました。
誰もいないところで弾力のあるゴムまりで遊ぶのはなんともたのしいことでした。
(このまりどうしてもほしいわ。春子さんはたくさんもつているのだもの。ひとつぐらいなくなつても気にしないと思うわ)
まりをあやつっていた月子さんの手がハタと止まりました。このボールを自分のものにするためには、春子さんに「ちようだい」とたのまなければなりません。一人っ子で甘やかされてそだった月子さんは、これまでお父さんとお母さんと学校の先生以外だれにも頭をさげてたのみごとをしたことがありません。
仲のよい友達の春子さんに対してももそれは言い出せないことでした。月子さんは困ってしまいましたが、そのときある考えが頭のなかをよぎりました。
(そんならこのままボールをもってかえったらいいじゃない。だれも見てなかったんだし。わたしがもってかえったとは、だれにも知れはしないのだもの)
この思いつきが浮かんだとたん月子さんは、まわりにだれもいないのにまっ赤になりました。だれにも知れないからといってこんなズルをしたらどろぼうと同じだということに気がついたのです。
それまでだいじに抱いていたボールを春子さんの机の中へもどそうとしてまたためらいました。ゴムボールが自分の手からはなれて行くのががまんできなかったのでした。どんなにきびしい罰を受けてもいいもつてかえろうと、月子さんが決心したときでした。
「青井さん」
という声がしたのです。はっとしてみるとろうかに「じんべさん」が立っていました。