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ものがたりの小部屋

昭和8年生まれのおばあちゃんが、小学生の頃を思い出して書いたものがたりです。こんな時代があったことを、残せたらいいなと思っています。
ときどき童話も書いていきます。

もちろんこんな考えは親にだつて言えやしないんだけれど。


でもほんとのところ均はともかくおれと健太は大学どころか、目の前にせまっている中学校への進学も叶うかどうかあやしいものだった。お祖父さんが町会長でお父さんが軍需工場の社長をしている均とは違って、おれと健太はどちらもお父さんが兵隊に取られていた。その上母さんと離れているとこまで同じだった。


健太の母さんは健太が赤ん坊の時に死んでいた。おれの母さんは結核という重い病気で遠い山の高原にある療養所にはいっていてもう何年も会っていなかった。健太は今伯父さんの家に引き取られて肩身のせまい思いをしているし、おれはばあちゃんと二人っきりで心細い暮らしをしている。一人っ子というところまでが似ていておれ達はよく話が合った。

メガホンを手に大声で何やら叫んでいる体育の先生の合図で生徒が分団ごとに動きだした時だった。よりテンポの早いサイレンが鳴りだした。空襲警報だ。少なくともこの辺りの上空を敵機が通過するという合図だった。生徒の顔がさっと緊張した。


「駆け足っ。早く家に帰れっ」


いつもなら順にしゅくしゅくと校門を出るはずが浮き足だって走りだしたものだから下級生の中にはたちまち転んで泣きだすものが出た。


「勝男、敵サン、爆弾落とすかな」

息をはずませながら均が聞く。勝男というのはおれの名だ。


「なあに、いつものように偵察するだけだよ」

健太がいう。たしかに健太のいうように空襲警報が発令されてもせいぜい一、二機のB29が飛んでくるだけだったのだ。


「そうだよ。来るとしても軍需工場や鉄道だ。ふつうの町や村には来やしないよ」

均が自分に言い聞かせるように言った。ほんとにその言葉どおり敵機の影は見えないままやがて警報解除のサイレンが鳴った。


「退避、たいひーっ」

とようやく先生は笛をピッと鳴らし、手振りで解散するように示した。おれ達はわれ先にと教室へ向かった。他の組の生徒はもう校庭に降りて行っていた。


「おれ体操服のまま帰るわ」

均が並んで走りながら言った。おれもそうするという意味でうなずいた。ランドセルをつかむと又校庭へと走らなければならなかった。全員集合しないと下校出来ないので一クラスでもおくれると、そのクラスの皆が先生からタコを釣られるおそれがあったのだ。なぜそういうのか分からないが、タコを釣るというのは制裁をするということで、要するにおれ達がビンタを食らうということなんだ。


「おい」

「早く行こうぜ」


おれと均は猛烈な勢いで階段をかけおりた。校庭には分団ごとに分かれた全校生徒が並んでいる。おれたちは第九分団の列へすべりこんだ。偶然だけれどおれも均も校区としては外れに近い北町の隣組だったからだ。


「おそかったじゃないか」

クラスは違うが同じ第九分団の河内健太が前を向いたまま言った。健太も六年生で家がごく近かったのだ。均とおれと健太、この三人は成績も似たりよったりで内心では猛烈にせり合っていた。三人とも誰にもいわなかつたが理科系の大学まで進むつもりだつたからである。理科系だと徴兵猶予があるという噂を聞いていたからだ。


お国のために死ぬのが嫌なんじゃない。軍隊がいやなんだ。いつか父さんに面会に行った時、何でもないことでバンバンぶんなぐられている兵隊さんを見てぞっとしたんだ。それは学校の先生が生徒のほほを打つ時のような生やさしいものじゃなかった。おれは敵と戦って死ぬのは怖くないけど徴兵検査をうけて軍隊に入れられるのだけはかんべんしてほしかつたんだ。徴兵猶予になると大学で勉強している間は軍隊に入らずに済むということらしいのだ。

コの字のシェルター(防空壕) 

文館輝子(ふみだて てるこ)



警戒警報のサイレンが鳴り出したのは、体操の授業が始まってしばらくしてからのことだった。軍事教練だといってほふく前進をさせられていたおれ達はいっせいに期待をこめた目つきで先生を見上げた。地面にうつぶせになって両ひじでジリジリと進んでいたので、不意にあげたあごがグランドの砂利にすれて痛かった。


去年、学童疎開が始まってから三クラスあった六年も残留組の一クラスだけになってしまっていた。体操の授業だけは別になる女子がナギナタをかついで体育館へかけこんで行くのが見えた。警報が出れば家へ帰れることになっているのだけれど、担任が指示しないのでおれ達はまだ地面にはいつくばったままだった。


この頃おれは警報が出て家へ帰っても防空壕には入らないで本ばっかり読んでいた。 ゆうべも宿題を後まわしにして山中峯太郎の「敵中横断三百里」に読みふけっていたおれは、いっこくも早く帰って続きを読みたかった。だが先生はなかなか「止めっ」とは言い出さなかった。わざとのようにほふく前進を続けさせた。


校舎の中は下級生たちが下校の支度をする音や話し声などでまるでゆれているようだった。おれたちは体操服もぬがなければならないのに。級長(学級委員)の須賀均がたまりかねてがばと半身を起こして

「せんせ。もう全員集合です」   と言った。


あっという間にGW。


この1ヶ月、いろいろと忙しくなってしまって、てる子さんの筆も止まっていました。

もうすく新作を投稿予定。

タイトルは「コの字シェルター」です。

男の子3人のものがたりで、前作とはちょっとテイストが違います。

どうぞご期待ください!





「手まりの罪」は、てる子さんの小さな思い出をもとに創られたものがたりで、小学4年生のことだったそうです。


「じんべえさん」と呼ばれた大山君にはモデルがいます。よほど家庭の事情があったのか、先生はほとんど叱ることがありませんでした。


てる子さんは、大阪の「船場」というところで育ちました。商売をする家が多く、比較的裕福な家庭が多い中で、大山君の家は貧しい環境だったそうです。


しかし、じんべえさんこと大山君は卑屈な印象が少しもなかったそうで、てる子さんの心にはその姿が刻まれたそうです。


じんべえさんは、今どこにいるでしょう。

1945年3月の大阪大空襲を無事生き延びていてくれているでしょうか。


今でも、ときどきじんべえさんを思い出すてる子さんです。