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海と山、時々きもの

ダイビング記録+きもの試行錯誤の覚書。…だったはずなのに最近は山歩きの記録簿と化しつつある。
23年秋から山のない国に滞在中のため山歩き頻度は低下中。

この山旅記録で一番書きたくないパートに差し掛かった。

この山旅記録を1年も書く気になれなかったのは何と言ってもこの部分とその次の部分を思い出したくないからだ。

でも記録なのであまり面白くないと思うけどさくっと書こうと思う。 

 

2日目。登頂予定日。

この日は前日の自分の遅さを考えて出発を早めにお願いしていた。

4時頃そっと起きて他の人と起こさないように荷物を全部抱えて下に降りて身支度は全部下でした。

トイレや洗面所が客室と一体になっているというのはいい面もあるけど悪い面もある。 

 

たぶん出発したのは4時半頃。真っ暗なのでしばらく写真はない。 

 

早い時間の出発にしてもらったものの、正直、登頂は無理だろうなという気もしていた。

本来4時間で来られるオルデサ渓谷からゴリッツ小屋までの道を6時間かかってる。

そして今日は登頂して小屋に帰ってきた後さらにそこからオルデサ渓谷の駐車場まで帰らなきゃいけない。

今日はサビニャニゴ宿泊予定なのでバスや電車の時間を気にする必要はないけど、問題は体力。。。 

 

小屋の横手の斜面を上がっていってしばらく進んでいたらようやく夜が明けてきた。 

雪は少しは締まってくれているといいなと思ったけど、結構ずぼずぼで足を取られてしんどい。

 

出発当初はせっかく来たんだから登頂したい、とそれでも少しは思っていたけど、あまりにずぼずぼで進めず無理かも、という気持ちがどんどん大きくなってきた。 

 

昨日も何人かは登頂しているはずなんだけど、トレースらしきトレースが見当たらなかった。 

 

 結局、ガイドと「この時間までに基部についていなかったら引き返す」と約束した時間までに基部には辿り着けず。

「登頂はあきらめる。適当な所で引き返す」と伝える。 

それがここ。 

 

 

たぶんあの向こうが山頂。ほんとはあそこまで行きたかったけど。。。 

 

タイムアップだ。残念。 標高3,355mのうち2898mがこの旅のわたしの限界。

 

モンテペルディドは遠かった。

 

 しばらく休憩した後に引き返す。

昨日のバテっぷりで、まぁ無理だろうなという気持ちが結構あったので、そんなに残念ではなかった。

スロバキアの時と違って天気も良いし景色は最高だし。

これが楽しめただけでもこの旅の価値はあった。

 

さよならモンテペルディド。 

またいつか来たい。今度は一人で。 

 

 渓谷の向かいの山。トレースみたいなのがついていたけどあっちも登れるんだろうか。

 

宿泊していた人達のうちスキーヤーっぽい人達はペルディド山のルートとは反対側に行っていたので、もしかするとスキー用のルートがあったりするのかもしれない。 

 

行きはあんなに苦労した気がするのに帰りはあっという間だった。

 

 

ゴリッツ小屋に到着してしばらく休憩してから犬に別れを告げて下山開始。 

そういえばこの通常ルートは怖い所難しい所は全くなかった。

私が行けなかった先、山頂方面に1カ所怖い所があるとガイドさんが言ってたけど。

 

行ってもいない身でこんなことを言うのもあれだけど、Youtubeなどで通常ルートの登頂動画を見る限りそんな難しいところはなさそう。 

唯一ちょっとスリリングかなぁと思うのは観光ルートから登山ルートに入った直後にあるこの岩場。

この時ちょうど例の家族連れが下りようとしていて、後から来た小屋番さんと犬に道を譲ってた。 

 

さて。ここまでは良かった。

 

 問題はこの後に発生した。 

 

予め強調しておくけど、この滝の所からオルデサ渓谷駐車場までは一般観光ルートになっていて、山用装備がない普通の観光客でもこの滝の所までは来られる。

迷うようなところはたぶんない。 

 

その滝の所を過ぎたあたりから、なんか、ガイドが急いでいるのかな、という気がし始めた。

 

何故ならガイドと私の距離がどんどん開いていく。 

私は、登頂は無理だったとはいえせっかく来たのだから景色を楽しみたいし、あれは何とか色々ガイドに聞きたいこともあった(何故なら行きはその余裕がなかった)。

でもガイドが気づいたらはるか先にいるのでそれができない。 

 

最初距離が開いた時は、少し先に行くとガイドは待っていた。

「トイレに行きたかったんだよね」と言われてそうか、と思った。

 

 でもまたすぐにガイドの距離が開き始める。

 

一生懸命歩いて追いついてようやくちょっと先に再び道端に座ってるガイドの姿が見えた、と思ったらガイドは私を認識したとたん立ってまたすたこらさっさと歩き始めてしまった。 

 

正直、は?と思った。

 

 でもまぁ私が遅いのは事実だしガイドは昨日からちょっと私の遅さに苛立ってる部分はあってそれは申し訳ないと思ってるし、なんか今日も早めに帰りたいみたいなことを言ってたから待たせるのはな、と思って必死に歩いてたんだけど、しばらく経ってガイドの待っている姿が見えてまたガイドが私を認識した途端さっさと歩き始めて去っていったのを見て、 もうええわ、 となった。

 

 そりゃ別に観光ルートだから迷うようなところも危ないところもないよ。

でも私は登頂できなかったとはいえ、景色を楽しみたいし色々この辺りについて聞きたかったよ。

いやまあ、ガイドさんの仕事というものは顧客が安全に登山できるようサポートする登山ガイドであって、ツアーガイドじゃない、というのはわかってるけどさ。

でもちょっとお金にさもしい本音を言わせてもらえば、私は本来400ユーロしないツアーに700ユーロ以上払ってるんだよ? 

 

なんで本来払わなくていい700ユーロも払ってこんなガイドの機嫌を伺い必死に追いつこうと頑張ってるんだ? 

 

と思ったら、もう、追いつくのやーめよ、と思った。

 

 もう急ぐのはやめた。 

 

写真だって好きなだけ撮っちゃうもんね。

 

 これたぶんスペインの登山道の標識。

ガイドが待ってる?知らんわ

 

 朝4時半からの行動でかなり疲れていたので、終盤は我ながら歩くペースが落ちた。

でももう急がない。

 

ゆっくりゆっくり、3回くらい休憩をはさみつつ、何とかオルデサ渓谷駐車場到着。

 

疲れてたけどガイドのいない最後の数時間は超快適だった。 

 

ガイドは既に待っていないんじゃないか、という気も若干してたんだけど、さすがにそれはなく、一応車の中にガイドはいた。

ガイドは無言。私も無言。

 

 装備を外して車に乗り込んでしばらくして、ガイドがぽつんと「ああいう平坦な道って僕疲れちゃうんだよね」と。 

 

え?それが客を置いていった言い訳? 

 

ガイドの機嫌を損ねるとサビニャニゴまで送ってもらえないかも(一応送迎代払ってるけど)、というチキン心が働き「そうだよね。わたしもだよ」と言ってみたものの、心中は「は?は?は?」だった。 

 

サビニャニゴに近づくにつれてガイドの機嫌も回復していき、「今年の夏はシャモニーにいるからツアーとか興味あったら連絡して」と言われて「うん、またね(誰がするかよ)」とガイドとお別れ。 

 

終わったことだからもう忘れよう、と思ったものの、ホテルについた後も、もやもやは残った。 

 

このガイドさんは、コロナ前は日本から定期的に来る日本人の固定客がいてヨルダンに一緒に登山ツアーにも行った、というくらいなので、きっと良い人なのだろう。 

 

でも私は今回の登山ツアー、全く満足していない。

主に最後の数時間の置き去り事件によって。

道中色々小さな不満はあったけど、そんなの最後のこれと比べたらふっとぶ。 

 

正直言わせてもらえれば、いくら一般観光ルート上であったとはいえ、ツアーの最中に残り数時間あるのにガイドが客を置いていく、というのは私には信じられない。

登山ガイドはツアーガイドではない、というのはわかってるけど、例え99.9%安全だとわかっているルートでも契約したならツアーの最後まで客を視界の端にいれて安否を気にかける義務はあるのでは???

 

登山でパーティ客の遭難の結構な理由に、途中ではぐれたとか置いてったとかそういうのあるじゃん。

パーティを組んだからには最後まで一緒に行動、は登山では基本なのでは? 

 

いや、ていうか登山の基本云々に、ツアーの途中で仕事を放棄するのはどうなんって話よ? 

 

ともやもやが止まらなかったけど、ホテルで暖かいシャワーを浴びてベッドに横になったら、まぁいいか、という気もしてきた。なんかもやもやするけど。。。700ユーロも払ったのに。。。とお金に汚いこと考えてしまうけど。。。でももう終わったんだ。雪のモンテペルディドは綺麗だったしゴリッツ小屋は最高だったじゃないか。

嫌なことは忘れよう。

 

 と思ってたんだけど、この次の日、この旅最大の嫌なことが待っていた。 

今日、お昼休みにオフィスが入っているビルの受付に用事があったのでエレベーターに乗ったら、同じフロアで時々見かけるおっちゃんが一緒に乗り込んできた。

 

なんとなく、なんというか親しげな視線を感じるなぁと思っていたらおっちゃんが口を開いた。

 

「うちの娘、中国語を勉強してるんだよね」

 

。。。

 

おっちゃん、ごめんやで。。。

 

中国人ではないんだよな。

一応フロア案内に会社名とか書いてるんだけどな。

まぁぱっと見わかりにくいし仕方ないか。。。

 

しかしそこで「そうなんですね。でも私は中国人じゃないんです」とはなんとなく言いづらかった(だって絶対微妙な空気になる)。

 

さらにチキンハートな私は「へーそうなんですね」だけで会話終了するのもどうかと思ったので、「何年くらい勉強されてるんですか?」という質問をなんとか拙いフランス語でひねり出し、おっちゃんの「娘は5~6年勉強していて、中国語の正教員の資格も取ろうとしてて~」みたいな話を微妙な笑顔を浮かべつつ聞いていた。

 

エレベーターよ、さっさと地上階に到着してくれ、と祈っていたらエレベーターが到着しドアが開いた。

ほっとして「んじゃ、良い午後を」と言おうとしたらおっちゃんが突然思い出したかのように言った。

 

「あなたは中国人だよね?」

 

おっちゃん、その質問をまず最初にするべき

 

その確認、とても大事。

 

私が「いえ、日本人です」と答えると案の定その場に流れる微妙な空気。

 

き、気まずい、、、と思いながら「良い午後を」と言ってそそくさと受付に向かった。

 

そして受付で用を済ませて帰ってきたらあろうことから、帰りのエレベーターでもそのおっちゃんと一緒になった。

 

おっちゃんは無言。

 

私も無言。

 

き、きまずーい

 

あまりの気まずさに耐えかねたチキンハート、「中国語ってフランス語話者にとって一番難しい言語なんですよね?」と何とかフランス語の会話の糸口をひねり出した。

 

*私の記憶では、フランス人にとって中国語が難しすぎてフランスには「訳わかめ」を意味する「それは中国語だよ(C'est du chinois)」という表現があった…ような気がするんだけど自信は全くない。

後、この国でもその表現があるのかは知らない。

 

とっても難しいよ。でも日本語もとても難しいよね

 

と謎の配慮(?)を見せるおっちゃん。

 

その後は

「娘も昔日本語をやったんだけど難しすぎて~」

「あー文字が3種類ありますからね~」

「日本人って中国語は読めるの?」

「漢字を見れば意味がわかるものもあればわからないものもあります~」

 

みたいな当たり障りのない会話をお互い必死でひねり出し、エレベーター到着後今度こそ「良い午後を」と別れた。

 

おっちゃん気まずかったやろな。

でも私も気まずかったよ。

 

まぁ仕方がないんだけど。

 

欧州でアジア人といえばもう中国人みたいになってるし。

それは10年前のパリでも既にそうだったし他の国でもそうだった。

 

今はもっとそういう意識になっている気がする。

去年の夏妹と姪っこが遊びにきた時、妹の希望で中心地のプラダで買い物をしたんだけど、帰り際出口でドアを開けてくれたドアマンに「謝謝」って言われたしな。

ー わざわざ「日本人です」と訂正するのもあれだったのでスルーした。

 

昔は今より更に心が狭かったので、間違えられるたびに正直いらっとしたんだけど、今はしゃあないかなと思っている。

 

なぜなら、自分だって欧米人の見分けが全部つくかと言われるとそうじゃない。

 

アメリカ人はわかる。

イギリス人もわかる。

欧州の中でいえばフランス人とイタリア人はわかる。

 

でもそれも、顔立ちと肌色と体格と服装で何となくそうかな、と思うだけであって、間違えることもある。

 

以前Youtubeで「仏英露伊の中からイギリス人を一瞬で判別するセインカミュを見て爆笑するイギリス人」みたいなショート動画を見た。

(タイトル「彼を見た瞬間にイギリス人であることがわかった」という動画)

 

私は、動画を見てイギリス人とイタリア人は一瞬でわかったけど、フランス人とロシア人は迷い、結果的に間違えてた。

一応フランスに何年か住んでいた癖に。

 

動画に出てるフランス人男性が無精ひげはやして謎のひもみたいなマフラーを巻いてたらたぶんすぐにフランス人と判別できたんだけどな…というのは言い訳であって、私自身もそれだけ欧米の国に対する理解が浅い。

 

フランス人とベルギー人を見分けろと言われたらたぶんひもマフラーがない限りは見分けられないし、スロバキア人とスロヴェニア人とハンガリー人の区別がつくかと言われたら申し訳ないけど全然わからない。

 

なので他人にいらっとする資格などないのだ。。。

 

みたいなことを久しぶりに思い出し、会話を「●●人ですか?」からスタートすることの重要性を噛みしめた午後だった。

 

このスペインの山旅では、ぜひゴリッツ小屋の事を書いておきたいと思っていた。
 
ゴリッツ小屋は標高2160mの所にある山小屋で、たぶん1963年頃建てられた小屋。
たぶん、というのは小屋の外には1963年築みたいな標識があったんだけど、ウェブサイトを見ると1961年に建設が始まったとあったので。
どっちなんだろう。
 
小屋の外の標識。
 
ウェブサイト。

 

夏のフランスからスペインのピレネー縦走などでよく日本人の登山客にも使われている模様。
この日は日本人はたぶん私一人。
少しだけフランス語も聞こえたけどほぼスペイン語だったので、たぶんこの日のお客さんは殆どスペイン人。
スペイン語ではないけどこれは何語だろうな、みたいな言葉も聞こえたのでもしかしたらバスク語だったかもしれない。
この日の小屋番の人達はみんなバスク地方出身、私のガイドさんもバスク地方出身、ということでガイドさんと小屋番さんの会話は恐らくバスク語だった。
バスクはスペインの一地方だけど、バスク語はスペイン語から派生した訳ではなく世界のどれとも似てない言語らしい。
 
バスク語とスペイン語がどれくらい違うかというと、「有難う」は
 
スペイン語:グラシアス (Gracias)
バスク語: エスケリクアスコ(Eskerrik asko)
 
1単語だけ取っていうのもあれだけど、スペイン語とイタリア語(Grazie)のほうがまだ似てる。
 
構成はツアー客や複数人パーティもいたけど、ソロの若者も1人いた。
後、家族連れで恐らく小学校低学年では、と思う子ども2人連れた家族連れもいた(この家族はペルディド山には登らずゴリッツ小屋往復っぽかった)。
なのでオルデサ渓谷からゴリッツ小屋まではそれくらいの難易度。
ただしこの家族連れはチェンスパしか持っておらず、私のガイドさんは「あれはよくない。あんな小さな子ども連れでろくな装備もないなんて」と渋い顔をしていた。
 
スキー板を背負ってきている人達も結構いたので、周りでスキーもできる様子。
 
たぶん1年中開いていると聞いたような気がするんだけど、自信がないので冬に行く人は確認したほうが良いと思う。
小屋のウェブサイトを見ると夏はテント泊も出来そうな雰囲気はあったが自信がないので(以下略)。
 
ここからの景色は本当に素晴らしい。

 
景色も素晴らしいのは勿論だったけど、中も素晴らしかった。
 
入り口は二重ドアになってて入るとまず荷物置き場がある。
これは日本の山小屋と同じ。
靴はここで脱いでクロックスに履き替え、装備も全部ここで外しておく。
ザックにも×印があるんだけど、これはたぶん下に注意書きが小さくある通り中のレセプション(この荷物置き場を抜けて階段を下ったところにある)に持って入るな、ということだと思われる。宿泊棟には普通に持ってあがった。
 
鍵のかけ方がわからなかったので私はかけなかった。ほんとはかけたほうが良いんだと思う。
この日はまだ宿泊客もそこまでじゃなかったと思うけど、夏とか混んでいるときは荷物の取り違えが起きるかもしれないし。
 
荷物置き場を抜けたところにある部屋にザックを置いておいて階段を下りて食堂兼レセプションに向かう。
チェックインするときにガイドさんにシャワーを浴びるか、と聞かれたのでうんと答えたら、コインを渡された。
これは温水シャワー用のコインで受付で購入できる。部屋の浴室&トイレについてる装置に投入すると数分間お湯が出るコイン。これ、最高だった。
 
チェックイン終了後に階段を上がって左手のドアを開けて宿泊棟に向かう。
この階段脇に置いてある毛布、取っていいのかわからなかったので私は特に取らなかった。
でも、必要ないくらい暖かかった。
 
これが部屋。場所はチェックイン時に番号で指定されるので、好きなベッドにダイブしたりしないように気を付けないといけない。
 
一部屋毎にこうやって、浴室&トイレがついている。
 
これは良い面もあり悪い面もあり、という感じ(後述)。
 
出発前にガイドさんから「山小屋は一応寝袋を持ってくるように指定している。でも僕は持っていかないけど」と言われていて私は馬鹿正直に寝袋を持ってきてしまっていた(重かった)。
が、寝袋を持ってきている人は誰もいなかったし、一人1枚薄っぺらい毛布がついていてそれで充分過ぎるくらいあったかかった。
 
そう、ゴリッツ小屋の一番いいところは、
 
暖かかった。
 
本当に、大文字で強調したいくらいあったかかった。
 
この日は3月にしてはめちゃめちゃ気温高くて、というのもあったと思うのでもしかしたら1月とかに来たらまた別なのかもしれないけど、建物の中では半袖で行けるんじゃないかと思うくらいあったかかった。
 
私の記憶にある冬の山小屋は、例え建物内でも寒くて寒くて、ダウンまでMax着込んで象足を吐き震えながらストーブの周りににじり寄って暖を取り、就寝時にストーブが消えたら震えながらカイロをこすりこすり部屋で眠る、みたいな記憶しかなかったので、この半袖で過ごせちゃう暖かさは衝撃だった。
 
後、素晴らしかったのは
 
水とお湯が普通に出ること
 
トイレは勿論水洗だし冬なのに洗面台の蛇口をひねれば普通に水が出てくるし、コインを買えば数分間の制限付きとはいえ温水シャワーを浴びられてしまうのも衝撃だった。
 
まぁ、水に不自由がないからこそ一部屋毎に浴室とトイレをつけられるんだろうけど(臭いがない)。
 
ただ、このトイレが部屋についているのは一長一短で、翌日私達はかなり早朝に出発したので、他の人達を起こさないように部屋のトイレは使うのは控え、今は誰も使ってないという4階の物置みたいなところにあるトイレを使わせてもらった。
 
この暖かさと水に不自由しない、という点は私にとってはそれまでの冬の山小屋の常識を覆す衝撃的な点だった。
 
どうしてそんなことが可能なんだろう?暖かさは、たぶん石造りである点が大きいのかなと思ったりするけど、水道は冬に凍結したりしないんだろうか?
謎だ。
 
後、個人的に良かったのは、犬がいること。
 
私がチェックインしたときには既に1匹いた(大層吠えられた。人相悪くてごめん)けど、外のベンチでぬくぬくうとうととしてたら下から犬連れの人が上がってきた。これが、小屋番さんともう1匹の犬だと後から知った。
 
このもう一匹の方の犬はかなり人なつっこく、翌日チェックアウトの際に私が食堂でぼうっとしていたら足もとに寄ってきてくれてなでくりまわさせてくれた。
 
 
この日は天気も良くて暖かくて、ひたすら外でぼうっとしたり、犬と遊んだり(棒を投げたら犬が取ってきてくれる)して過ごした。
 
 
そういえばもう一つプチ衝撃があった。
 
外でぼうっと座って、上で書いた小さな子連れの夫婦が到着後装備を外しているのをぼんやり眺めていたら、お父さんの方がいきなり上半身をばばっと抜いて上半身裸になった。
 
えええ…Where is your 羞恥心
 
そりゃ私ですらあったかいから、西洋人には暑いんだろうけどさ。。。
 
ていうか私は昨日宿でガイドが下パンイチになったことに衝撃を受けてたけど、ガイドさんが露出狂なわけじゃなかったのか。
スペインではこうやって他人の前で下パンイチになったり上ゼンラになったりするのは普通なのかもしれない。
異文化勉強。
 
と思いながら夕食を取って(大皿でテーブル毎にサーブされ好きなだけ取るスタイル)温水シャワーを浴びて就寝。
 
 
さすがに1年経つ前には記録を終えておこうと思うので、重い腰を上げてスペイン山旅の続き。
 
前日にガイドさんに「1日目に登頂を目指すのであれば私のペースでは7時ではなく6時には駐車場を出る必要がある」とお願いしたのでこの日は5時過ぎに起床。
隣にパンイチの知らないおっさんがいるという緊張&そのおっさんのイビキ&初日に登頂は無理ではという不安、でほとんど寝られなかった。
 
宿からスタート地点のオルデサ渓谷駐車場まではガイドさんの車で30分程。
最近の降雪で駐車できるスペースが少ない、という話だったはずが、着いてみたら普通に除雪されていて拍子抜けした。
 
ガイドさんと私の他にも既に駐車場には数パーティが到着していて出発していくのが見える。
ほぼ全員がスノーシューを背負っていて、私もガイドさんにスノーシュー(レンタル)をザック脇にくっつけられた。
 
大した重さではないはずだけど、寝不足も相まってか体が重く、初日登頂はやっぱり無理では、と不安がさらに膨らみながら6時過ぎ、駐車場スタート。
 
最初の方は真っ暗な中進む。
 
少し経ってようやく周りの景色がわかるようになってきた。

 
なんか勝手な印象だけどこの辺りは八が岳的な印象を持った。
2月にいったシャモニーとは全然違う。
八が岳やスロバキアのタトラ山麓を歩いていたときに似た印象。
途中の林の中に小さな小屋があった。
ガイドさんに聞くと避難小屋、とのこと。
 
これは帰りに撮ったものだけど中はこんな感じだしドアもないので、ほんとにテントもない人のための緊急のビバーク用スペース、という感じ。
 
林の中は結構新雪が足にまとわりついて、この辺りからガイドさんの指示でスノーシューを装着する。
足が重い。斜度は大してなく、美濃戸口から赤岳鉱泉に行くくらいの緩やかな上り坂なんだけど早くも息切れし始めた。
 
先行き不安だけど景色は美しい。
 
なんかこの両側に山を見ながら谷を進む感じが赤岳鉱泉に行く途中の道を思い出す。
 
でもこういう風に思うのはちょっと良くないよなあとも思う。
「~に似てる」とか「~を思い出す」みたいなのはその土地に敬意がない気がする。
 
謎のスペイン語標識。
「グリニッジ」だけわかったので、標準時と関係があるのかな、と思ってたけど、帰ってきて調べたらMeridianoは子午線という意味らしいので、Meridiano 0は経度0度って事なのかもしれない。地図で見るとそれっぽい。
 
この後もだけど景色がずっと素晴らしかった。山&川はいい。
ほぼひたすらずっと川を右に見ながら川沿いを歩く。
 
山&川は好きだけどさすがにちょっと同じ景色に飽きてきたかも。。。という頃前方に山っぽいものが見え始める。
 
 
たぶんあの左が目指すモンテペルディドなんだろうなぁ。
 
ちなみにこの辺りまでは帰りにハイキング客とすれ違ったくらい一般の観光ルートになっている(スノーシューを持ってない人もいた)。
 
これまでずっと川沿いを歩いてきた、その川の終点(たぶん)に滝があって、これが一般観光ルートの終点。
 
 
ここで少し休憩してから、いよいよ山登りらしい道に入る。
 
これは川を超えて鎖場の取りつきに向かっている所。左下に滝が見える。
 
上の写真の道を少し登った所に鎖場があって、ここはアイゼンをつけたようなつけなかったような。。。記録をつけるのが遅くなりすぎてちょっと記憶がない。でも凍ってて少し怖いなと思ったのと、チェーンスパイクがあれば一番良いな、と思った記憶はある。
 
鎖場の途中で登ってきた道を振り返ったところ。すんばらしい。
 
鎖場はこんな感じ。
足場はしっかりしているし鎖はきちんとついているので、鎖場好きにはたまらない場所だった。
 
鎖場を登ってもまだまだ進む。
 
右手の崖をふと見上げたらなんかカモシカと鹿の中間みたいな生き物を発見した。
 
一頭だけかと思いきや群れの様子。
写真には写ってないけど他に2頭くらいいた。この生き物はなんだろう。ガイドさんに名前を聞いたけど忘れてしまった。。。
 
崖を登ったら割とすぐ山小屋かと思ったけどそんなことはなく一向に山小屋が見えない。
正直、かなりへばってきた。
 
山小屋は影も形も見えない。
 
写真を撮るふりして休みまくりながら進む。
 
この辺りからもうへばりまくり、ガイドさんとの距離がどんどん開いていった。
 
追いつこうと思うもののもう新雪に足をとられたりしてもう足が思うように動かない。
ガイドさんは最初は待っててくれたり戻ってきてくれたりしたけど、私があまりにも遅いせいかちょっと苛立った様子。
最後はこの丘を越えたら山小屋、という所ですたすたと先に行ってしまった。
 
まぁ足跡はあるし自分のペースで行こう、と休憩していたらしばらく経ってガイドさんが手ぶらで戻ってきて、座り込んでる私に荷物を渡して、という。
それはさすがに情けなさ過ぎるので、いいよ自分で持つ、と言ったけど「いいから」といらいらした様子だったので諦めて渡した。
 
最後の気力を振り絞り山小屋を目指す。
 
たぶん12時過ぎだったと思うけど、ようやくゴリッツ小屋到着。
犬がいてびっくりした。
 
時間的にも、自分の体力的にも、絶対にもうこの日のうちの登頂は無理だと私もガイドさんもわかっていたので、この日の行程はこれで終了。
本来4時間で来なきゃいけないところを6時間かかっているので、だいぶまずい。
これは明日の登頂も厳しいかもしれない、と思いつつ山小屋、ゴリッツ小屋にチェックインした。
 
 
年末は一時帰国していた。
日本で色々用事ややりたいことがあったんだけど、一番やりたかったのはこれといっても過言ではない。
 
ふらっと日帰り登山。
 
こっちみたいに山に行くためにまず目的地までの交通を調べガイドに依頼し飛行機と電車とバスを乗り継いで云々、する面倒くさい登山ではなく、ふらっと思い立って都心から電車でぱっと2時間くらいで行けるようなお気楽ハイキングがしたかった。
 
そのためにFerrinoの小さいほうのザックから登山靴、服、救急キットまで日帰り装備一式をこっちから持って帰った(帰国の荷物の3分の1はこれだった)。
 
日本での晴天と暖かさに感動しながら選んだ目的地はマイホーム山、と勝手に思っている塔ノ岳。
久しぶりのヤビツ峠からのルート。

 
前日準備をしながらどきどきだった。
なんせ本格的なハイキングは3月のピレネー山脈以来になる。
この前リスボン行ったときにちょっとハイキングもどきはしたけど。
 
もし無理そうなら三の塔までとかにしようと思いながら登り始めたけど、ストック1本の補助つきとはいえ意外に登れる。
初めてヤビツ峠からのルートを登った時は、途中林道と交差するところまで出るのに息切れしてちょっと休憩したし、そこから視界が開ける所に出るまでにも2,3回休憩した。
でも今回は牛歩とはいえ休まず行けている。
 
久しぶりに三の塔(二の塔だったかも)からこれが見えたときは感動した。

 
やっぱりヤビツ峠からのルート好きだなぁ。上り下りあるのがちょっと苦しいけど、景色が最高。

 
お地蔵様久しぶり。

 
ヤビツ峠からのルートの好きな所:①景色、②鎖場

 
 

 
尊仏山荘がすぐそこに見えるけど、最後の登りが結構きついんだよなぁ、と思いながら登る

 
12時過ぎ、山頂着。8時過ぎにヤビツ峠を出たので、久しぶりにしては良いペースでは、と自画自賛。
20人くらいに抜かされたけど。

 

 

 

この日は結構風が強く、温かいものが欲しくなり尊仏山荘に入り甘酒を頼んだ。
染みた。

 
やっぱり、塔ノ岳からの景色は最高だ。

 
富士山を前にあんぱんを齧りながら、
 
やっぱ日本最高や
 
としみじみ思った。
 
何せ都心からの山へのアクセスが良い。
公共交通機関が発達している。
公共交通機関がなくても、ハイシーズンにはあるぺん号みたいな登山バスだってある。
 
そして一人登山に優しい。
一人登山・ハイキングが盛んだから一人で登ってても誰も気にしない。
あと、治安が良い。今更だけど。
登山口まで女一人で行って大丈夫だろうか、みたいな治安を気にする必要もない。
 
今いる国みたいに山へ行くとなったらアクセス調査から始まり決行すると最低10ユキチ(エイイチ?)飛ぶような事もない。
お気軽・お手軽に山に触れられる。
 
やっぱり日本が良い。

 
大倉尾根を降りるころにはさすがに足ががくがくになって、途中堀山の小屋で休憩がてらお汁粉を頼んだりだいぶ休憩したけど、一応コースタイム以内で降りることはできてほっとした。
 
年始、帰国前日にも再びヤビツ峠から登った。
あまりに疲れすぎて翌日寝過ごしたりするいけないので、この日は三の塔までの往復だったけど。

 
正直に懺悔すると、去年1月のスロバキアでの経験に続き3月のピレネーでのあれこれでちょっとヨーロッパで山に登ることへのモチベーションが落ちていたんだけど、今回の塔ノ岳でやっぱり山が好きだと思った。
(思い出すと頭痛がするのでピレネーの記録をさぼっているけど早めにつけたいと思っている)
 
よっこらしょ、と気張っていく冬山も縦走登山も好きだけど、こういう、週末ふらっと気分転換に登れるような山も好きだ。
 
日本での仕事というか会社が嫌い過ぎてヨーロッパに3年はいたいと思っていたし、去年年末の人事との面談でも延長したいと言ってしまったけど、山のことを考えたらやっぱり後半年で帰りたいかもしれない。
日本のあの本社に帰るかと思うとげっそりするけど。。。
 
でも仕事は楽しいけど山に気軽にいけないような環境(そして1年の大部分暗くて寒くて治安悪い)か、仕事はゴミだけど山に気軽に行ける環境のどちらがいいか、と問われたら、、、私は後者が良い。
山>>>>>>>>>>>>>仕事。
 
今結構日本に帰りたい方向に気持ちがぐいぐい傾いているけど、人事に「後1年いたいです」と言ってしまったのは自分だし、あんまり考えないようにしよう。。。
 
パリの時、2年で帰れると思ってたら「後1年」と言われて激落ち込みした経験があるので、あんまり帰りたいと思わないようにしないといけない。
 
去年の夏はピレネー以降の山モチベ落ち込み時期に日本からの来客が重なってしまったこともあって山には行けなかったけど、もし赴任が延長になったらなったで、今年の夏こそはメンヒにいってみたいし、ピレネーをスペインからフランスに縦走してみたい。
モンブランも今そこまで興味はないけど、機会があれば挑戦してみたいかもしれない。
 
というわけで延長になったらなったできっと楽しいことはあるはずなので、あんまりどちらにも気持ちを傾けないようにして残りの赴任期間を過ごしたい。