室生・悠久の音羽三山と龍門岳(下居〜音羽山〜熊ヶ岳) | 単独行者の山行録

単独行者の山行録

歩いた山々の記憶を詳らかに。
山行中心の備忘録。

西日本の山へは中々行く機会がない私。

有休消化月の12月下旬、折しもまたまたクリスマスイヴからの三連休。

せっかく青春18切符も買ってみたことだし、遠方の山々を巡ってみよう。

今回の計画はこうだ。先ずは夜行バスで奈良県の桜井市へ。(初日に登る山だけは音羽山と龍門岳と決めていた)

後は2日間かけて18切符で各地の山を巡りながら神奈川県へ戻ろうという算段だ。


12月24日遠征初日は夜行バスで奈良県は桜井駅に到着。

初めての二階建てバスはそこそこ高い料金の3列シートの割りに居心地は良いと言えるものではなかったから、はっきり言って寝不足気味だ。

音羽山のアクセスは良好で、夜行バスとの相性も良く、現地に到着してから1時間程で登山口行きのバスに乗れるのが好都合。(曜日によっては待ち時間無し!)

その1時間程の待ち時間も朝食やコンビニでの物資調達に充てられるのだから、これ程山登りに都合の良いことは無い。

朝早いので駅の周辺のお店は開いていないものの、西へ少し歩けば国道沿いに24H営業の牛丼屋が2件ある。

私は時間を消化するため敢えて少し離れた桜井市役所の先にあるすき家で朝食へ。

その後コンビニに寄って駅前のバス停に向かうものの、バスの時間まで余裕は十分だった。

桜井駅南口から談山神社行きに乗車することたった10分少々、下居バス停に8:27到着。
その気になれば駅から歩いてもそう苦労せずにアクセス可能だ。
先ずは山号にもなっている音羽山を目指すため、道標に従って観音寺へ。
地元からも大切にされているのが伝わってくるお手製の看板。
西丹沢の不老山 を想起させる、制作者の拘りや温かみが伝わってくるハンドメイド。
お地蔵様のお供えの花もお召し物も新しそう。
西日本はかつての政治経済の中心だけあって長い歴史や信仰、伝統を今に伝えるものが多く、そういったものを地域ぐるみで大切に護っていこうとする気概が感じられる。
2022年の秋 に登った後山での修験者による伝統行事もそうだったなぁと思ったり。
この「もうすぐ」が中々しんどかった。
しかも徐ろに積雪が出てくるし···
観音寺までの舗装された道は足先がずっと上を向くような超がつく程の急坂続き。
これが原因で暫く両足を痛めることに···(1月現在)
やっと着いたかな?
9:09観音寺に到着。
後日調べたところによれば建立749年のとんでもない歴史ある古刹。
私のような煩悩だらけの人間が参拝したりするのは憚られるので、外観や雰囲気をちょっと観察するだけで境内を通過。
奈良県指定天然記念物の樹齢約600年の大イチョウ。
今回は縦走の都合上寄らなかった談山神社といい、周辺は歴史的建造物や天然記念物の宝庫。
流石は古都奈良やわぁ。
パノラマコースを登っていくと、背後には大阪との境に横たわる金剛山地の山並み。
右端には美しい双耳峰が特徴的な二上山。
左奥には和泉や和歌山の山々を遠望。
初めて見るこれらの山々だけでも遥々訪れた甲斐があったというもの。
でも、ここのパノラマが今回の山行のピークだったなぁ(笑)
万葉展望台からの眺め
展望台から先はいよいよ本格的な登山道。
しかも低山に関わらずまさかの雪山。
図らずもこの山行が今シーズン初めての雪山となるのだった。
因みにこの先もずーっと私が忌み嫌う植林帯の道が続き、タイトルの「悠久」は今回登った山々が持つ長い歴史とのダブルミーニングなのでした(笑)
9:43本日一座目にして音羽三山の一座、音羽山(851m)到達。
ここからは急なアップダウンがあり、すかさず軽アイゼンを装着。(翌日滋賀県北部の山を登る選択肢があったので念のため持ってきていた)
植林の変化のない退屈な登山道を辿っていき、2座目の経ヶ塚山(889m)。
樹間から僅かに倶留尊山らしき山が見えたものの、2年前 に付近をちょっと訪れただけであまりに馴染がないものだから詳細は判らない。
そして三山最後にして最も標高が高い熊ヶ岳(904m)には10:35到達。