自分の感覚を信じる
過去の自分の行いが現在の自分の状況を創り出している。
確かにその通りかも知れない。
しかし、考えてみよう。
10年前自分が何をしていたのか。
その時の自分の行動がどういう意味を持っていたのかは、その時には分かっていなかったはず。
10年、20年の時を経て、その時の自分の行動の意味を理解する。
では、その時、あるいは、今現在、どのようにして、自分の行動の意味を知るのか。
誰も教えてはくれない。
自分の感覚を信じるしかない。
あるいは、上から降りてくる感覚を信じるしかない。
夏服を着た依頼人
すっかり秋めいてきた午後だった。一人の女性がオフィスにやってきた。
彼女は、ノースリーブの鮮やかなオレンジ色のワンピースを着ていた。彼女は季節を間違えているようだった。年齢は30歳の前半のように思えた。面長のきりっとした印象の顔立ちをしていた。
夫が1週間前から姿を消してしまっているので探してほしいという依頼だった。大人の男が1週間家に戻らないということは世間ではめずらしいことではない。
「もう少し待てばご主人は戻ってくるかもしれない。もし、事件性があると思うのなら、警察に捜索願いを出したほうがいい。家出人を探すのは簡単なことではない。私のような個人営業の捜査員には手に余る」
と、私は彼女の、やや切れ長の目を見ながら言った。
私が、依頼を断っても彼女はがっかりした様子を見せなかった。
それにしても、なぜ、彼女は季節はずれの派手な夏服を着ていたのだろう。どうも、奇妙だった。
それから1ヶ月後に、私は彼女をテレビ画面で見ることになった。
夫殺害の容疑者としてニュース番組で報道されていた。彼女の夫には多額の生命保険金が掛けられていた。
テレビのニュースによると、彼女の夫が殺害されたのは彼女が私のオフィスを訪ねてきた頃だった。
どういうことだろうと私は考えてみた。
彼女が私のオフィスにやって来た時にはすでに夫は殺害されていた。あるいは、まだ、夫は生きていて、その後に殺害された。
いずれにしても、何のために、彼女は季節はずれの夏服を着て私のオフィスを訪ねてきたのだろう。
私が彼女の依頼を引き受けていたら、彼女は夫を殺害しなかったのだろうか。
ただの、アリバイ工作だったのか。わざと、記憶に残る季節はずれの夏服を着ていたのは、そのためだったのか。
彼のオートバイ彼女の島 片岡義男
オートバイ乗りなら、片岡ワールドに共感したはず。オートバイ乗りでなくても、女性でも、片岡ワールドの女性に憧れたはず。
現実にこういう世界はないかもしれないけれど。
安全なはずだった
車より、飛行機より、鉄道よりも、船は安全なはずだった。
船の衝突事故というニュースはほとんど聞いたことがなかった。
船は、確かに安全だった。しかし、彼自身が安全ではなかった。
夜のフェリーのデッキを散歩してみようと彼は考えた。
夜風は微妙に潮の匂いを含んでいた。
潮の匂いは決して不快なものではなかった。あまり大きなフェリーではなかった。ほんの数分でデッキを一周することができた。
デッキは二段になっていた。一段めのデッキを一周した彼は、二階のデッキに上った。そこは、一段目のデッキよりもさらに狭かった。
昼間なら、乗客が何人もいるのだが、今は彼以外にいなかった。
この二段目のデッキからは、昼間なら海がよく見えるばずだ。
彼は、デッキの周辺の鉄製のフェンスの一番下の部分に脚をかけて、海を見ようとした。
夜の海はあまりに暗くて、海面のうねりがかすかに、フェリーの客室の窓から漏れる光によって見える程度だった。
そのかすかな光の中に何か見えたように思えた。
大きな魚の影のようだった。
彼もっとよく見ようと思って、フェンスの上から見を乗り出し、上半身を前方に傾けた。その次の瞬間、彼のシャツの胸のポケットから携帯電話がするりと抜け落ちた。
反射的に、フェンスの最上部をつかんていた両手を離して、空に浮いた携帯電話を追いかけた。
彼の身体もあっさりと宙に浮いて、一段めのデッキの舷側の通路の上に頭から落ちた。そして、動かなくなった。
船の衝突事故は少ないが、船の上での事故は衝突ほど少なくはないのである。