日本は日本人の国
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140212/k10015196711000.html
村山元首相は、韓国に何をしに行ったのだろう。
韓国に利用されているだけ。
こういう人が首相だったということが信じられない。
まるで、首相が工作員のようなことをしていた日本というのは、ほんとに、日本人の国なのか。
日本人が日本人であることを自覚して、日本に誇りを持つ発言をしたり、正しい歴史認識に基づいた発言をすると、マスメディアは徹底的に叩く。
我々が日本人でないとしたら、何人なのだろうか。
だいたい、反日的思想を持った日本人が首相になっていいわけがない。
日本とは、日本人の国である。
韓国と、中国にひたすら援助をするために我々は法令を順守して働いているわけではない。
中国へのODAは止めるべき。
災害は他人事ではない
首都直下型地震は、確実に起こる。
近い将来に起こる。
起こることは分かっているのにもかかわらず、首都圏の人々はあまり、現実の事とは考えていないようだ、
都知事選では、直下型地震の防災は関心事の第一ではなかった。
東日本大震災を経験しているにもかかわらず、首都では直下型地震は起こらない。あるいは、起こっても、大した被害はないと考えているようだ。
直下型地震を他人事のように思っている。
自分は被害に遭わないと思っている。
そういう人こそ、直下型地震が起こると、なぜ、対策をしていなかったのだと、声を大きくして非難する。
自分は選ばれた特別な人間だから災害に遭わないと思っているようだが、みんながそのように思っている。
つまり、特別な人間はいない。
非文化的な暮らし
戦時中は、物がなかった。食べる物がなかった。我慢した。テレビもなかったから、家では娯楽といものはなかった。
戦時中はほんとに、貧しかったのだろうか。
戦時中は暗くて、日本人は非文化的な暮らしをしていたのだろうか。
まわりに、その当時の事を語ることもいないし、ほとんのところはどうだったのか。
戦時中は物がなくて、貧しい暮らしだった。
それが戦時中を語る、定型句になっている。
米が配給になっていたのは分かるが、だからといって、多くの人が餓死したわけでもないと思う。
戦争を否定するためには、その時代は暗く、非文化的生活と言うイメージでなければならないのだろう。
戦争を否定すると、その国民、民族、暮らし、文化、教育、伝統まで否定しなければならないというのは、これも洗脳であると思う。
民主主義は数の力
民主主義は数が多い方が力を持つ。正しいとか、正しくないとか、そういう事ではなくて、単純に数の論理。
東京都知事選は、私には直接何の関係もないのだが、当然の結果が出たともいえる。
組織票を持っている候補が当選した。
選挙前から結果は分かっていた。
組織票が選挙結果を左右する。
外国人に選挙権が与えられると、それは一つの組織票になる。
外国人が特定候補に票を入れて、当選したとすると、その候補は組織票を持っている外国人を無視する事はできない。というか、外国人が望む政策をとる羽目になる。
たとえば、アメリカで、教科書に日本海と東海を併記する法案が可決されたのは、韓国系の住民が組織票を持っているから、その人たちの意見を無視できなくなって、法案が可決される結果になった。
外国人に投票権が与えられると、アメリカで起こっている事が日本でも起こる。
民社主義は、聞こえはいいが、ようするに、数の力で政治が動くという事。
それにしても、東京都知事の投票率が低すぎる。
国民は、選挙の一票でしか自分の意見を表明する事ができない。
投票しない人は、為政者の言う事は何でも聞きますという事なのだろう。
スポーツは政治
オリンピックは、公正に審査してほしい。
スポーツと政治は別物のはず。
しかし、公正であるべきオリンピックでも、工作はあるだろうと思う。
審査をするのは人間だから、買収もありえる。
オリンピックだけは公正であるべきだけど、オリンピックだからこそ、公正はないと思うべき。
オリンピックはヨーロッパの白人のもの。
アジア人、ことに、日本人がある種目で勝つようになると、ヨーロッパの白人に有利になるように規定が変る。
ノルディック複合やジャンプで日本人が勝つようになると、ルールが変更になった。
スポーツと政治は別物であるというのは理想だが、実は、スポーツは政治そのもの。