自己責任で自分の身は守る
5月の連休に韓国に行く日本人は、有事が起こった場合にどういう行動をするべきかシミレーションをしておくべき。
今の時期に韓国に行くのを選んだのは、自分自身だから、まさに、自己責任で、自分の身の安全を守るべきだということを肝にめいじておくべき。
韓国では当然、韓国人ファースト、日本人は敵性国民であるから虐殺される可能性もある。
北朝鮮の核実験は、数日以内に行われない場合は、しばらくは核実験はないかもしれない。
北朝鮮はすでに核実験の準備はしている。
プルトニウムを使った核爆弾の実験の準備をしていた場合は、プルトニウムが劣化しないうちに核爆発させる必要があるらしい。
北朝鮮の核開発、ミサイル開発を止めさせるのは、今しかない。
今のチャンスのを逃すと、取り返しのつかないことになる。
北朝鮮は絶対に核兵器とICBMの開発は止めない。
朝鮮半島有事で韓国は主体者ではない
朝鮮半島は、北朝鮮と韓国に分断されている。
この原因は、朝鮮戦争ではあるが、この戦争は、北朝鮮と、韓国が戦争したものだと思いがちだが、戦争の当事者は北朝鮮と、米国を中心とする国連軍である。
韓国は戦場にはなったが、当事者ではない。
北朝鮮と韓国は休戦状態であるが、休戦をしているのは、北朝鮮と米国を中心とした国連軍である。
自国が戦場になるのに、韓国は戦争の主役ではない。
韓国は国家としての主体性がない。
日本も、実は、たいして、韓国と変わらない。
朝鮮半島有事では日本も戦場にはなるが、当事者意識がない。
日本は朝鮮半島有事に主体的にかかわらずに、他人事のように考えている。
北朝鮮のミサイルは日本を狙っている。
米国は、米国に届くミサイルを開発すれば、北朝鮮を攻撃すると言っている。
北朝鮮には日本に届くミサイルがあるのに、日本は北朝鮮を攻撃するどころか、そのミサイルを完全に撃ち落とすこともできない。
核武装も敵基地攻撃能力保持の議論は国会では行われない。
国会議員は国民の生命財産より、自分の地位の保持ばかり考えている。
誰が日本と日本人を守るのか。
本日は無事に過ぎた
本日が、Xデーになるかもしれないと思っていたが、北朝鮮では、砲弾を撃つ演習があっただけだった。
トランプ大統領は、レッドラインはすでに決定しているものと思われる。
同盟国である日本と、韓国にはいつがレッドラインなのかは知らせている。
そのレッドラインを北朝鮮が超えるまでは、在韓邦人の引き揚げはない。
在韓邦人が引き揚げを開始しすると、北朝鮮に米軍の攻撃を知らせることになるから、事前に邦人が韓国から引き揚げることはないと思う。
韓国にも、日本にも、北朝鮮のスパイは数多くいるから、スパイに気付かれないように、米軍は攻撃の日取りを決める。
米軍は、短期間で北朝鮮の核実験施設、ミサイル基地、長距離砲の設置場所を効率よく巡航ミサイルで破壊する。
北朝鮮に反撃の余裕を与えないように、短期間で北朝鮮軍を完全に無力化する。
米軍が北朝鮮を空爆しないとしたら、米軍が負けたことになる。
北朝鮮の核兵器に怖気づいて、米軍が撤退すると、北朝鮮は米軍に勝ったと、全世界に喧伝する。
そういう事態になることをトランプ大統領がは望むはずもない。
米軍は必ず軍事行動をする。
明日がレッドラインになるのか
明日が、米国の言う、レッドラインになる可能性が高い。
もし、明日、北朝鮮が、核実験をしなくても、明後日、あるいは、数日後には核実験をするかもしれない。
北朝鮮が核実験を諦めることは決してない。
北朝鮮を叩くチャンスが、今、まさに、訪れている。
ICBMが造られてしまうと、米国は北朝鮮には手が出せなくなる。
日本にとっては、最後の、拉致被害者奪還のチャンスでもある。
北朝鮮には、言葉は通じない。
力で抑えるしかない。
日本と、米国が歴史を作る。
日本が、自国を守ることのできる普通の国になるためにも、戦後世代が戦争を目の当たりにするべきである。
日本が戦争をしなくても、諸外国が戦争を仕掛けてくる。
エミリーブロンテの、『嵐が丘』やさしい英語で聞き直した
エミリーブロンテの、『嵐が丘』を読んだというか、やさしい英語で聞き直した。
You Tubeで無料で、オーディオブックが聞ける。
なんとも、ありがたい時代になった。
翻訳で読もうとしたが、物語りが長くて、同じ名前の登場人物が出てきたり、幽霊が登場したり、二度ほど挑戦してあきらめて、ずいぶん月日を経て、三度目にやっと、最後まで読み切った。
ブロンテは三人姉妹だが、エミリーの、『嵐が丘』がもっとも世界的に読まれていると思う。
日本語訳の『嵐が丘』は、場所の名前のように思えるが、原題は、『Wuthering Heights』とい館の名前である。
『嵐が丘』というのは、その館のある場所の自然環境を象徴的に表している。
日本で言えば、明治時代に書かれた物語だが、風が強くて、雑草が生えているだけの荒地の、閉ざされた環境で、精神的には抑圧された状況でエミリーは物語を書いていたのだと思う。
エミリーの置かれた環境では精神が荒んでいくはずで、登場人物の精神状態も狂気に満ちている。
呪い、妬み、悪意がこの物語を支配している。
それが人間の本質ではある。
この物語を読んだ時から、この物語の舞台となった英国のヨークシャーのハワースに行ってみたいと思い続けていたが、もう行く機会はないと思う。