創作ラボ2 -130ページ目

韓国での晩餐会は、反日をアピールする場になった

韓国での晩餐会は、反日をアピールする場になった。

 

晩餐会に慰安婦が出席し、トランプ氏とほぼ無理やりに、抱擁した。

 

韓国側は、トランプ氏には慰安婦をどのように紹介したのか。

 

戦時中の日本軍の売春婦だと紹介したのか、それとも、性奴隷として紹介したのか。

 

韓国の礼儀知らずは今に始まったことではないが、トランプ氏は韓国民の民族性がどういうものか分かっただろう。

 

慰安婦が被害者だという立場だとしたら、広島の原爆被爆者と同じ立場であり、オバマ大統領と被爆者が抱擁した場面を韓国で再現したかったのだろうか。

 

韓国の反日の象徴は晩さん会のメニューにも現れていた。

 

竹島の近海で獲ったエビがメニューの中にあった。

 

竹島は日本の領土であるから、その近海で獲ったエビは密漁ということになる。

 

日本と米国と韓国は北朝鮮に対して協調して対応するべきはずである。

 

しかしながら、韓国は米国と強調しても日本とは協調しないとアピールした。

 

トランプ氏は益々、韓国に対しては不信感を持ったはず。

韓国は、トランプ大統領との夕食会に元慰安婦を招待した

韓国は、トランプ大統領との夕食会に元慰安婦を招待した。

 

いったい、どういうつもりで招待したのか。

 

日米韓が協調して北朝鮮に対峙するべきなのに、韓国は日本とは協調できないという象徴として慰安を招待したのだろうか。

 

トランプ氏はいったい、どう思っただろうか。

 

日韓合意は何だったのか。

 

日本から10億円を奪い取り日本の名誉を貶めただけだった。

 

韓国は、日本など眼中になく、トランプ大統領に韓国を優遇してほしいと媚びているようにしか思えない。

 

日米同盟はあっても、日韓同盟はない。

 

韓国は日本にとっては仮想敵国である。

 

 

 

 

 

 

 

 

トランプ大統領が天皇陛下に会った時、全く頭は下げなかった

トランプ大統領が天皇陛下に会った時、全く頭は下げなかった。

 

オバマ大統領は深々と頭を下げた。

 

テレビでは放送されなかったが、習近平氏も陛下に会った時には深々と頭を下げていた。

 

有色人種であるオバマ氏も、習近平氏も天皇陛下がどういう存在なのかを分かっていた。

 

オバマ大統領は、日本が白人と戦ってアジアの植民地を解放したから、有色人種が大統領になれたことを理解していた。

 

そのオバマ氏が天皇陛下に敬意を払うのは当然だったわけである。

 

白人であるトランプ大統領は、米国内の反応を考えて、全く頭を下げなかった。

 

日本人の目から見れば、トランプ大統領は不敬である。

 

人間の身分としては、天皇陛下は世界で最上位の身分であり、天皇陛下と同等の身分の者は世界にはいない。

 

しいていえば、ローマ法王陛下の身分には近いが陛下とは雲泥の差がある。

 

ローマ法王は万世一系ではなく、選挙によって選ばれる。

 

 

 

トランプ大統領が来日

トランプ大統領が来日した。

 

来日したその日に、いきなりトランプ大統領と安倍総理はゴルフをした。

 

朝鮮半島有事が起ころうとしている時に、ゴルフというのはいかがなものなのかと思うかもしれないが、実は、ただ漫然とゴルフをしているのではない。

 

ゴルフをしている間は、メディアが周りにいないから、通訳を介してだが、トランプ大統領と、安倍総理の二人だけの親密な話ができる。

 

当然、北朝鮮の攻撃の日程と、その時、日本の自衛隊がどういう役割を果たすべきか、韓国在留の邦人と米国人を韓国から撤退させる時に両国がどのように協力するのか話し合っているはず。

 

メディアがいないゴルフ場だからこそ、真の重要な話ができる。

 

北朝鮮の攻撃の日程は決まっていて、戦後、北朝鮮をどのようにするのかが、日米首脳会談の中心議題になっているはず。

 

しかし、真に需要な話題はメディアに情報は流れない。

 

カズオ・イシグロ氏の、『私を離さないで』を読み始めた

カズオ・イシグロ氏の、『私を離さないで』を読み始めた。

 

全く、この小説の前知識がないまま読み始めると、いったい、どういう場面から始まっているのか全く理解できない。

 

主人公らしき人物が語っているのだが、男なのか、女なのか分からない。

 

年齢も定かではない。

 

日本語は、男言葉、女言葉があって、男が話しているのか、女が話しているかが分かるし、言葉の選び方によって年齢も分かる。

 

最初から、主人公の境遇と物語の場面を説明していない。

 

読み進んでいくに徐々に分かってくるのだろうと思う。

 

原書は英語であるから、当然、翻訳者によって物語の雰囲気は違ってくる。

 

英語の一人称は、"I"しかないが日本語の一人称は多くある。

 

どの一人称を使うかによって、物語の雰囲気はすっかり変わるし、女性が主人公の場合は、どういう程度の女性らしい言葉遣いにするかは、翻訳者の原作の解釈の仕方による。

 

なんとなく、『私を離さないで』の語り口は、サリンジャーの『フラニーとズーイ』の語り口に似ている。

 

ノーベル文学賞に値する作品とはどういうものなのかじっくりと味わいながら読もうと思う。

 

日本語で読み終えたら、原作の英語で読んでみようと思う。