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アマチュア無線の裏側で

1970から1980年代の忘れがたい記憶から

井上電機の6M AM/FM機のIC-71、私はまだ初期型のうちに購入したのですが、中を見ればプリント基板には大きく「IC-70」とエッチングされています。明らかに生産態勢が整ってから発売までの間の急な改名ですが、恐らく理由は「IC-70」という東芝のAM/FMラジオの存在に気付いたからです。1970の大阪万博の熱気は今年(2025)の比ではなく日本中が沸き立ちましたし、当時は「来る1970年代」、かつ「ICと言っておけば先進的」な印象だったので似た考えに至ったのでしょう。

 

ハムの活動にも多大な影響を与えた過去のBCLブームですが、その直前の1960年代から1970年代初期にかけては「AM深夜放送ブーム」というものが先導的に存在し、中高生どころか小学生にまで寝不足顔で登校するのがいくらでもいました。むしろ、深夜放送でAMラジオ市場が拡大していた事が素地となり、その後のBCLブームが起こったのではないかとさえ思います。当時私も深夜放送目的で自分専用のラジオを購入しており、「IC-70」はその候補の1つだったので即座に推定はついたのです。

 

そのラジオ選びですが、結局は奮発してソニーのICF-110を選んだのは失敗でした。何個も入っている2SC710は「2SC710と2SC460」の投稿でも書いた通り時限爆弾的な故障原因なのに、このラジオは修理が大変に面倒で、まずはチューニング機構を解体しないことには電子回路に手が届きません。「ラジオ工房」などネット情報でみても当時のソニー製のラジオは概して修理しにくい構造なのだそうで、中でもICF-110は札付きなのは私もその通りと証言します。

なお、嫌なことに2SC710はIC-71にも一杯使われています。


さて、以上は何年も前に書きかけていたものですが、その後たまたま見た「月刊FBニュース」2014年10月号所載のアイコム50年史の中にIC-71の命名の顛末が出ており、完全に私の推定通りでした。なお、この記事の中には”I.E.W.”から”I.C.E.”、さらには”ICOM”への改定のことも出て来ますが、"EQUIPMENTS"のことは書かれていません。それは具合が悪いからでしょうね。(過去記事「井上電機とかアイコムとか」参照)

JARLのロゴを入れた会員向けコールサインの門標板は大層昔からあったようで、駆け出し時代に雑誌で見た各局のシャックの写真には大体飾られていました。私の開局時に手にしたのもその体裁の物で、現在とは全く違います。

まずサイズが大変大きく玄関の表札と同等かそれ以上で、幅20cmくらいだったでしょうか。それとコールサインの部分は頭の「J」だけが印刷されていて、残りはテンプレートを使った手書きで送られて来たのです。現在の形に変更されてから半世紀以上も経ており検索では中々見つからないかも知れませんが、「日本アマチュア無線連盟会員」とコールサインに併記あるものがそれです。コールは手書きといっても良くできていて、写真で見たくらいでは印刷された「J」との違いは絶対に分かりません。

 

ただ、旧様式の末期にはその手書きサービスも廃止されてブランク板の販売のみになった時期がありました。「写真で見たくらいで簡単にわかる」不揃いな文字なら、そのパターンの自作です。私の場合、別のコールサインはそれで作りましたが、デザイン案を何度も紙に書き出してから最終案を決めました。「自作パネルのレタリング」の投稿でも書いたように、自作機のパネルなど長らく形の残るデザイン物は準備に時間を惜しんでは後悔します。

 

資格の区別は大型の旧様式にはなかったのですが。1970年代中頃に大体現在の体裁になって資格別色別けが導入され、1アマの黄色と2アマの緑は今と同じですが、電話級と電信級は操作範囲で上下関係にはないので共通のオレンジ色でした。当時は3アマ資格は存在しないので青色はありません。途中で委託先が変わったのか少しだけ寸法が小さくなった後、全資格共通で白色だけが発行された長い時期を迎えます。白に統一された理由は、あまり資格に触れられたくはないが声の大きな人がコストダウン策にかこつけた、というところでしょうか。一人で何枚も購入するものではないので、普通なら色分類の維持のため少々の値上げは許容範囲、と判断するのが妥当なように思いますが。

もう一つ、上級用は免許のコピー提出必須、という注意書きを読まない会員への督促の手間も嫌われたのでしょう。ただ、そのまま通したところで、仮面10ワット局の申請を書類審査だけで通してきた「JARL認定」よりはずっと影響は少なかっただろうと思いますけどね。

とにかく近年、色分類がまた復活したのは上級資格が取得しやすくなり、比例してニーズが大きくなった結果であるには違いありません。

先日YouTubeを見ていたら、鉛筆を代用半田鏝にするという投稿がありました。その元ネタは海外との事でしたが、それこそ私の駆け出し時代にもCQ誌の読者アイデアで紹介されたことがありますから、発祥は海外なのかも知れませんが、半世紀以上も前から知られていた方法なのは確かです。私が読んだのは、鉛筆の芯を抵抗体にして12ボルトのバッテリに繋げば移動先でも有用、という内容でした。

ただ両者で違っていたのは、YouTube版は芯の先に金属棒まで括りつけたハンダ鏝らしき物の実証が目的なのに対し、CQ誌版は芯そのものを対象に押し当てるところで、その部分はハンダが融ける程の高温になる、という非常用目的だったところです。「移動運用にバッテリや鉛筆を忘れる人はあまりいないと思いますが・・」みたいな一言もついていたと思います。

 

ハンダについて同じ頃もう一つ見たのは、同軸ケーブルの編線にフラックスを塗ってハンダを吸い取る、というノウハウです。つまり今で言う「はんだ吸い取り線」そのものですね。ただ、フラックスと言えば薬局で松脂とアルコールを購入して自作できる、というアマチュア向けの教えもあったような時代ですし、現代的な「吸い取り線」を商品として見た記憶はないのですが、私が知らなかっただけで既に市販品もあったのではないでしょうか。

 

ところで、「ハンダ吸い取り機」にもダイヤフラムポンプを内蔵した電動工具があります。単にハンダの吸い取り機能という事ならば、上記の吸い取り線も手動のポンプも市販品が一応あるわけです。その上で2万円かそれ以上、という電動ポンプの価格はアマチュアには踏み切りにくい微妙な線でしょうし、私もそうでした。しかしいざ購入してみれば「なぜもっと早く買わなかったのだ」、と過去の自分を責めたくなる体験があったことを記しておきます。

 

 

私の入門の頃のJARLの会費は月額100円で、JARL NEWSはタブロイドの新聞形式でしたが、月に3回(!)、かつQSLビューローも満足に機能していました。これは郵便料金が格安(葉書が7円から10円になる頃)だったからできたことで、しかも翌月か翌々月くらいには受領できていたのは今では信じ難いことです。

よく言われる鉄道初乗りとか、ラーメン一杯とか限られた価格例だけで時代差は語れません。色々な価格指標を見れば1970年と現在の比は2倍も無いものから3倍以内が多く、実感としてもその程度です。定価138,000円だった八重洲FT-101が現在なら、倍の276,000円はしても3倍の414,000円はあるまいと言えば納得です。

驚くべきは非会員宛の発送も行っており、その用途に切手状の青い「ステッカー」が販売され、一枚1円というのも破格でした(海外向けはすべて有償で茶色の2円ステッカー)。私も会員だったのに青ステッカー付のカードを何枚も貰いましたが、それは1円と安いので相手の会費切れの予防線で全カードに貼る人もいたからです。しかしJARLとしては1円稼げる事よりも、紛らわしさが増すだけで迷惑だったかも知れません。

ただし、さすがにJARLから非会員宛て転送は毎月ではなくある程度まとめて行われましたし、郵送するしかない非会員側とは費用も時間も釣り合いません。そこでダイレクト(直接郵送)にはダイレクトで返すマナーの人が割に多く、非会員宛は「ステッカー貼付でJARL送り」が当然という程でもなかったのです。逆にお空ではダイレクトと言いながらJARL送りにする人も稀にいましたが、それはかなり掟破りなことでした。なお、そのJARLステッカーを貼って郵便ポストに投函するものと勘違いした初心者が後をたたず、これは後に「切手に紛らわしい外観のもの」という法的な規制の対象になっています。

 

しかし非会員宛ての転送事業はさすがに費用に引き合わず、1972年には廃止されました。参考までに、当時はまだ日本よりハム局の多かったアメリカでしたが、ARRLは既に国内ビューロー機能を廃止していましたから、それを継続してきたJARLは偉かったとも言えますが、経営の根幹を揺るがす問題に残してしまったのも事実です。

 

 

 

国産アマチュア機においてGe TrからSi Trへの転換が充分に進んでいた1970年頃でも、まだ電力用途についてはGe Trもよく見掛けました。例えば井上電機のIC-71では変調器終段、および専用の電源ユニットではTO-3型Ge Trの2SB426が使われています。それらの用途にはSiで何も問題ないのですが、当時はパワー用ではまだSi とGeは価格で良い勝負でどちらも選択肢にあったのです。実際、「井上IC-71とトリオTR-5200」で書いたように井上が「模倣」と嚙みついたトリオTR-5200は同世代ですが、変調器は2SD234とSi Tr化済でした。

それらと型番が一つ違いで規格も大体同じ2SB425と2SD235とともに自作の定番、しかも一番人気の東芝製。当時はそのあたりのトランジスタが量産品だった事がうかがい知れます。

ところがDC-DCコンバータでは少々特有の事情があり、Si TrよりもGe Trの方が効率の良い物が簡単・確実に作れます。出力100ワット級ともなれば、その真空管の終段を動かすためのDC-DCコンバータは12V で30A近くを扱いますからこれは重要なことで、トランジスタに要求される耐力も10ワットAM機の変調器の比ではありません。FT-101が発表された際、その宣伝資料で目についたのは存在感あるヒートシンクに付いたDC-DC用のGe Trと、それに表示されたDELCOというアメリカの見知らぬブランドでした。

 

Ge Trではもう新製品が開発される時代ではなかったというのに、どうやら国産品はハイパワー品では無駄に高価、あるいは今ひとつ信頼されていなかったようなのです。FT-101より後の発売、かつロングセラーだったトリオTS-520でもDC-DC用はモトローラ製のGe Trでしたし、大学にあった日立のミニコンピューターでも電源部だけはアメリカ製のパワートランジスタが並んでいるのを見て、そのような感想を持ったのでした。

 

 

 

 

 

PNP Ge Tr用の回路を見つけたとして、それをNPN Si Tr化するには? Ge Trの退潮に伴う疑問ですが、ラジオ雑誌の教えでは「電解コンと電源の極性を逆にする」、だけでした。それで済むことも結構ありますし、初心者にはそれ以上は急に説明しにくくなるのを避けたのかとも思いますが、バイアス不足くらいは合わせないと音が歪む等の影響は程度問題で必ずあります。もう少し難解な話としては、例えばラジオに多いグリッドリーク・バイアスは真空管独特でFETでは不可能なのと似たような話で、Ge Trでは漏れ電流が大きいのを利用しバイアス回路を省いた例がありますが、これはSi Trでは真似できません。しかしバイアス問題を解決しても、まだ「逆にする」だけでは済まない事があります。

 

Ge TrはほぼPNPなので今とは極性の感覚が逆ですから、昔のラジオなどGe Tr時代のアースはプラスの方が普通で、トリオTR-1000もその一例です。また昔の自動車がプラスアースだったのは元は電蝕対策だったようで、1960年代まで残っていたようです。従って1970年頃の車載機は既にSi Tr採用でマイナスアースでしたが、説明書には「プラスアースの車の場合」の記載がありましたし、CQ誌でも両アース兼用とする工夫の読者投稿を見た事があります。

 

さて私の初心者時代のこと、Ge Trのプラスアースで作った基板と、後にSi Trで作ったマイナスアースの回路を一緒にケースに収めようとしたのですが、これを単一電源で済ませようとすると、段間のデカップリングでアースの辻褄が合わなくなることに最後に気付いて困ってしまったのです。これは「電解コンと電源の極性を逆にする」というニワカ対応では済まず、2電源化しか逃げ道は考えつきませんでした。交流的には電源ラインはアースと同等とか、電源インピーダンスがどうとか、なぜ等価回路図には電源が書かれていないのか・・等をまだ知らなかった頃の一コマです。

 

次回「その3」に続く

 

前回、海中のタイタン号との通信は超音波をキャリアにした通信(独EvoLogics社の機器のようです)で、テキストデータの交換だけだったという話を書きました。実は事故の直後に母船との交信記録と称するものがネットに流れましたが、それは頻繁なリアルタイムの音声通話という点からしてオーシャンゲート社の公開情報と矛盾しており、(恐らくは愉快犯の流した)偽作でした。それを情報源にしてしまった日本人YouTuberの事故解説もありますので、間違えないよう一応ご忠告まで。

 

ところで私も子供時代のこと、

「マイクロ波通信は多重化できるので中継局を置いても結局安あがり」

という説明を読んだのですが、なぜ周波数が高いと多重化できるのか見当もつきません。後に、周波数を道路幅に喩えた説明を読みましたが、周波数と道路幅のどこが一体似ているのか、そこからして疑問なのです。つまり「たとえ話」だから簡単とは限らず、それで理解させるのは場合によっては大変に難しいのです。完全に対応できる人なら立派な教育者になれるでしょう。

 

さて、周波数が髙いといえばマイクロ波を超えて光です。今や各地のマイクロ波中継局だった鉄塔は次々とパラボラを下ろして後には携帯電話のアンテナが上がり、多重通信は光ファイバー網に移行しました。

そこで初心者工作の光通信といえば今ならLEDとフォトダイオードですが、私の小学生時代にはまだLEDはないので雑誌記事にあったのは豆電球を使うものでした。それを手元の部品で作ってみたところ、「あらかじめ取り決めた単語なら判読できるかも」という程度の結果のものです。今にしてみれば白熱電球ですから熱慣性の小さな球を使うこと、それに光りかけ程度のバイアスを加える事も有効だったのでしょうが、そこまでやっても大きな改善は望めない気もします。

 


 

2023年のこと、沈船・タイタニック号の見物を興行目的にした米オーシャンゲート社の深海艇・タイタン号が深海中で圧壊する事故がありました。つい先日、その破壊音?が海上の母船で録音された動画が公開されたので関連したことなど。

例えば潜水艦とは超長波で通信しますが辛うじて海中に届く程度なので大電力は必須、しかも軍用は全海域が相手ですから基地局が何か所も必要です。もちろん超長波ゆえの超スローな通信です。これに対して深海艇は直上の母船と繋がれば充分なので、搬送波に超音波が使えます。オーシャンゲート社の Q&A にも「音響によりテキストデータで通信する」との説明がありますし、今回公開された映像でもモニター上のテキストで現況を監視している様子が分かります。

 

さて、この事件の少し後のこと、ノンフィクション作家の山根 一眞氏が、

「タイタニック号 沈没現場ツアー」の「潜水艇事故」は、じつは起こるべくして起こったといえるワケ

という投稿をブルーバックスサイトに寄せていますが、その中で、日本の「しんかい6500」潜水艇は海底からビデオカメラの映像が連続送信され、それを元に母船から指示が出されるなど、タイタン号よりも遥かに優れた通信技術を持つ・・・ということを力説しています。

 

しかし、SSTV(スロー・スキャンTV)を知るハムならば、違和感があることでしょう。HFより桁外れに低い周波数の超音波がキャリアでは、リアルタイムの動画が送れるはずはありません。気になって調べてみると、69.2kbpsで240*320ピクセルという粗い静止画を2秒に1枚という説明が見つかりました。つまり山根稿では相当誇大な印象を受けるのですが、それでも昔のアナログ電話のダイヤルアップに近い速度と思えば、確かにテキストだけの通信とは大違いでしょう。

それにしても、キャリアの周波数で通信速度が制限されるという理由、これは初心者には理解しにくいものです。

1960年代末期と言えば、主力のHF機はトリオはTS-510、八重洲はFT-400などとVFO以外は全面的に管球式で、完全にトランジスタ化されていたのはVHFのポータブルや車載機だけでした。しかし、それらも割に初期からシリコン・トランジスタ(以下Si Tr)を採用しており、例えばトリオではTR-1000 (1966)はゲルマニウム・トランジスタ(以下Ge Tr)ですが、TR-1100 (1969)はSi Trになっています。操作性も見た目も古色蒼然の井上FDAM-3でさえSi Tr化されています。ただし、八重洲FT-101の前身であるFT-100やFTDX100はオールバンドSSBでしかも高級機、つまりアマチュア機としては最大規模なのに主回路はGe Trと、これはほとんど例外でした。

 

しかしハム用の機器は早くからSi Tr化されたというのに、初心者向け雑誌のラジオやアンプの製作例はGe Trを使ったものが多く、世の趨勢に遅れていたのです。それはGe Trの方が製作しやすく初心者向きだから、という事は全然なく、1.5Vの電池一本動作には有利という程度のもので、熱に弱くハンダ付けは油断なりませんし、バイアス安定度は低く暴走しやすさに拍車を掛けます。また、1960年代末期ならばSi Trが特に高価でもありません。それでも初心者工作が何につけGe Trだったのは、回路例が豊富だったからです。

 

例えば、リニアICのメーカーはApplication Noteなどの形で様々な応用回路を発表していますが、「学研のトランシーバー」でも書いた通り、昔のGe Trもその量産初期には普及のためラジオ・ステレオ・無線など多くの参考回路がメーカーから公開されていました。こういう理由から、主流がSi Trに移行しつつもまだGe Trの回路例の方が多く知られ、初心者向けの製作記事は大体それらを利用していたのです。このように製作記事の内容が実情に置いて行かれつつあったのは、カーボンマイクやクリスタルスピーカーと同様でした。

昔、カーボン・マイクというものがありました。炭素粒子の集合体に振動板と電極を付けた構造で、音圧での抵抗値の変化を利用しています。つまり発電体ではないので直流電源と直列にしてトランスで交流成分を出すのが普通の使い方で、それだけの操作で大出力が得られるのが特長です。ダイナミック・マイクがロー・インピーダンスと言われても600オームとかですが、DCで数mAから数十mAを流したいカーボン・マイクは100オーム以下も普通です。特に移動用に重用され、マイク増幅1段を省けるのは真空管時代には消費電力でもスペースでも恩恵が大きく軍用機や業務機に多くの例があります。

 

私はこのカーボン・マイクをギリギリ知る世代で、大出力を利用してAF増幅器を省略したワイヤレス・マイクとかインターホンの製作記事は良くありましたが、既にそれらに適した低圧用の製品は少なくなっていました。電話機にはずっと後々まで使われましたが、電話網は48V DC系ですから、入手は容易でもハムの工作には使いにくいものです。

 

状況が似ていたのがクリスタル・スピーカーで、非常に低電力で鳴るためAF増幅が簡単でも実用になり、簡易的なラジオによく使われました。しかし1960年代末期に製作記事にはあれどもほぼ製造中止、という状況までカーボン・マイクと同じで、当時も少しは探す必要があり、製作記事には掲載されている一方で「クリスタル・スピーカーが手に入りません」・「リオンは製造中止しましたが、まだワールド製があります」、とか、そんなQ&Aも載るような状況になっていました。

 

ダイナミック・マイクですとボイスコイルの応答が悪いのを「太い音」であるとか、真空管シングルアンプではトランスの低域特性が悪いのを「爽やかな音」、とかポジティブに考えてくれる人が必ずいます。しかしカーボン・マイクやクリスタル・スピーカーの音質を褒める人は昔から誰もいません。どちらも知っていれば聞けばすぐに分かる音で、さすがに私の時代にはハム用マイクの範疇からは外れていました。