沖縄旅、まだつらつらと
忘備録を綴っております…
沖縄旅、遂に最後の日。
西表島、石垣島、那覇と
まさか沖縄移動旅になるとは
西表島トレッキングでご一緒した
お兄さんと日数、移動ルートまで
一緒になっていたという結末。
「長期の沖縄旅、いいですね♪
楽しんで下さい」
などとお話していた自分達は、
同じようなルートでも全然違う
意味合いでの旅でしたが
母の熱は下がり、動けはするものの
左耳下のリンパが定期的に
ズキンと痛むという
不快症状がずっと続き…
とりあえずチェックアウトを
しないといけない、
でも飛行機は夜便
ということで日中
どうしようか?と調べ。
こちらも行ったことのない、
でも一度は訪れておくべき
場所なのだと最後に感じた
「ひめゆりの塔」へ行くことに。
もちろん楽しむ場所でも
訪れた後の気持ちがどんなものに
なるかも何となく分かる場所。
息子くんにとっては少し
早いのかも…と色々考えも
しましたが
なかなかやっぱり訪れる機会を
思うと、今回こういうことが
起きたのがきっと訪れる
タイミングであったのかも。
子供の頃、戦争の話は学ぶ項目
であっても正直、あえて積極的に
知ることを無意識に避けてしまう
ようなことでもありました。
「火垂るの墓」もアニメだけど
思春期のある年齢辺りから見るのが
辛いな…と思う位置付けに
なったり。
それでもやっぱり今の違う形で
「戦争が」日本で起きていることが
怖過ぎて、先人達が過ごしてきた
過酷過ぎるお話をちゃんと
知らないととも感じました。
記念館の展示では、女学校生徒達が
戦争前にはどのような学校生活を
送ってきていたのか、
戦争が始まってからどのような
生活になったのか、
多くの犠牲者を出すことに
なってしまった経緯など、
詳しく展示されています。
自分が10代の若い、青春の時期に
こんな体験を強いられてきて
いたら…と想像すると
呼吸が浅くなってきます。
負傷した兵士の手当てに
ついても詳細に説明されて
いましたが、こんな体験を
なぜこんな子供達が
しないといけないのか。
ただただそう思いました。
成長期まっさかりの子供達が
最後は一日ピンポン玉サイズの
おにぎりを一つ、二つ
食べるだけの生活になり。
お通じも生理も止まり、
病気で亡くなる。
そんな友達を間近で見る、
という過酷体験。
こんな中でどういう精神状態
だったのか、想像も付かない。
そして突然に解散命令という形で
「これからは自分で判断して
行動するように。」と言われて
終わる。
こんな無責任なことが為された
現実。
強いられて仕事をしてきた状況で、
砲弾がまだ飛び交っている中で
これからは自分で生きていくように。
と突然言われる少女達。
この解散命令で犠牲者が
多くなったと言われています。
そして生徒達には戦争の状況に
ついての真実も知らされない
ままだったということ。
私はもうコロナのこの状況が
重なってきて、こんなひどい、
過酷な時間を過ごしてきて、
多くの犠牲になった先人達が
いるのに、形を変えて同じことが
起きていることに改めて
言葉を失くす、というか。
時代は変わって、手に入れようと
すれば、自分の意思で情報だって
調べられるのにしようとしない
大人達。
大人の都合に巻き込まれ、
沢山したいことを抑制されて、
逆に望んでもいないことを
強いられて、犠牲になる子ども達。
超過死亡が戦後で最多になって
いるという認識はどこまで
あるのでしょう??
戦前の学校風景の写真では
健康そうな、元気そうな
女の子達が皆笑顔の写真も
沢山ありました。
本当は沢山学んで、未来への
夢や希望があったはずなのに。
今はそんな未来像を描けず
自ら命を絶つ子供がどんどん
増えるという現実。
命が失われる、という現実としては
同じことではないのかな??
ご先祖様達が命の尊さを訴えて
きていた今まで、に対して
今の日本という国は、人は、
何をしているのだろう…?
という疑問。
そんなことを沢山感じて
しまう時間でした。
息子くんは展示物をしっかり
読んだり見たりしていた
わけではありませんでしたが、
気持ち的に拒否感を示していて
「早く行こう」と
出たがっていました。
知らないといけないこと、と
子供なりの解釈でもいいから
考える、というところを考えると
息子くんには少し早かったかも…
と少し申し訳なく感じもしました。
その後はもう気持ちを鎮めないと
いけないような気がしてきて、
こちらへ訪れました。
斎場御嶽。
琉球王国最高となる聖地。
道中で海を見渡せる所もあります
我が家の滞在中、沖縄はずっと
晴れていたので台風という感覚が
沸きにくく
ニュースで義母の実家辺りが
大変なことになっていて
電話で様子を聞いて台風影響の
凄まじさを感じました
ということでお天気にはずっと
恵まれて、沖縄の絶景を沢山
見られたのはありがたかったです
沖縄の文化、歴史は自分が
今まで暮らしてきた中の
感覚とはやっぱり違うもの。
着物関連の仕事をしていたので
沖縄の染め物、織物の歴史から
琉球王国の文化、歴史も少し
勉強したことがありますが
やっぱり魅かれる何かがある
と、同時に奥深くてその土地に
生まれ育っていない身から
すればどこまで行っても
「外から見る、感じる」世界に
しかなれない、ということも
感じます。
ここも沢山の植物に囲まれた
道を歩きます
巨大な岩が作り出す空間で
崇拝という形で人々が生み出してきた
パワーと歴史の重みが重なる場。
2本の鍾乳石からは水が滴っていて
聖水として2つの壷に落ちるように
なっています。
私は多分、特別そういうことを
敏感にキャッチする力は
ありませんが、深い呼吸が
しやすい感覚になる場所でした。
(反対の感覚の方もいる
らしいですが)
こちらも沖縄本島で過ごす時間が
無かった本来であれば
寄ることがなかった場所。
最後にこんな場所まで訪れる
ことができたと思えば
予定外日程でしたが
いい経験になったとも思えます。
ということでレンタカーを返し
沖縄旅終了
そこから夜の飛行機まで
長い空港時間…
カフェでもゆーっくり時間を
過ごし、空港内のお土産
ショップをぶらぶら。
息子くんはクレーンゲームを
したり
そして飛行機搭乗
遅い時間になりましたが大阪到着
やっと家に帰れました
何はともあれ無事に帰れて
本当によかった…。
心配していたカブトムシたちも
元気だったので旦那サン、
息子くんも安堵していました。
買ってきたお土産色々
旦那サンの会社や義実家、
知人へ渡すようにボックスや
小袋の黒糖を沢山買いました
沖縄は面白い、気になる食材、
食べ物が沢山あって、
かつて健康長寿国と呼ばれて
いたのに納得できるくらい
バランスのよい食事体系を
取れる土地だな、と感じます
持って帰りたいものが
沢山ありました
冷蔵庫にマグネットもまた
増えました
息子くんが買っていたスタンプは
今宿題のチェックとして
母が使っています笑
なんか可愛い…、ということで
旦那サンと息子くんで選んでいた
コースター。
西表島からやってきたマザーリーフ。
葉っぱの縁から芽と根が出る
面白い植物
持ち帰ってくる際に保冷バッグの
保冷剤に当たってしまったのか、
一部傷んでいたのですが
お水に付け出したら
しっかり根と芽が生えてきて
くれていて可愛い光景を日々
眺めています
ということで長い忘備録に
なってしまった沖縄旅
色々な意味でも沢山の学びが
できた夏になりました
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