St. Paul's School ペリカン便り ~アメリカの全寮制高校に通う日本人留学生より~

アメリカに高校から留学する日本人って結構希少価値かもしれない。 という自意識過剰な考えを基に 留学中の日常生活と ちょっとした発見を つれづれなるままに 書く日記。


テーマ:

「大きくなったらねー、お天気お姉さんになるの!」

と、わたしは小さい頃言っていたそうです(母談)。笑


自分が物心ついたころには、画家になりたがってたんですけどね。

祖母の影響かとにかく小さい頃から絵を描くのが好きで、

文房具屋に行ってはズラーっと並んだ色鉛筆や絵の具に心躍らせてました(笑)


家族旅行中に美術館や博物館に行くにしても、

スケッチブックと色鉛筆を持ち歩きながら気に入った展示物の前に座り込んで

両親が全館見終わるまでスケッチしながら待っていたそうです。


小学校低学年の頃は、小説家になりたいという野望も芽生えてきて

一生懸命、手作り絵本を作っていました。

まあ読者と言っても家族ぐらいだったんですけどね。笑


ちなみにデビュー作は「海と貝」という作品でした。


簡潔にまとめると、ある日海と貝が互いに強さを見せつけようとバトります。

だけど両者とも変なところ律儀なわけで、

「海さん、お先にどうぞ。」

「いやいや、貝さんがお先にどうぞ。」

というような感じで物語は進んでいきます。


どんなストーリーだって感じですけど(笑)


さて、前置きが長くなってしまいましたが今回のテーマは:


「勉強」という道のり


です。

実はSPSでの最後の三か月間、勉強と同時並行でわたしはISPをやってました。

Annaが前にISPの説明をしていたと思いますが、

簡単に言うと忙しい学校生活の中、自分で時間を作りながら好きなことを研究するという、

なんともアメリカらしいカリキュラムです。


わたしのISPのタイトルは


"The Story of Hiroshima"


という、広島原爆を通して見えてくる第二次世界大戦における

アメリカと日本の関係性について調べるという内容でした。

詳しく説明しすぎると長くなるの省略しますが、

最終的には調査結果を利用して"Everyone Has A Story" という自作の絵本を描きました。


描いちゃいました(笑)


まさか高校最後の年で単位を取るために絵本を描くとは思いませんでした。

しかもこんな重い話題について。


でも改めてキレイに印刷された自分の本を見て、


「人生って勉強なんだな。」


となんだか感極まってしまいました。

もう遠い記憶の中に閉まっておいたはずの子どもの頃の夢と

それに伴う自分の好きなことをしている時のワクワク感、

少し成長して大人びた考えのもとでもった、

いろんな世界への興味と学ぶことに対しての情熱。


この全てがグチャグチャーっと織り交ざったものが、

出来上がった絵本だと思うと、なんだか高校卒業を目前に

上手い具合に今までの19年間をまとめられた気がしました。


その時その時だけを見つめるんではなく、

たまには過去の自分と対話することも

新しい発見へとつながるんだなーと思いました。


ちなみに中学の頃、食物連鎖を想像させるポスターを描いて

ギリ平均という点数を付けられた者が水彩画を描くとこうなります。




少しは上達したかな。笑



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ご無沙汰しております、Mayです。

前回の投稿から一年経とうとしてますね。

いや~、サボりすぎにも程がある(笑)

おかげさまで無事SPSを卒業して今は日本に帰国中です!

なんとも濃い二年間でした。

…とアメリカでの高校生活を盛大に振り返ると見せかけて今回は全く別の話をします。いや、どこかでSPSで学んだことを振り返っているところもあると思いますが、まあそれは随時解説するとして。

今日のテーマはズバリ:

人生の目標

です。なんて唐突なと思っていませんか。わたしが今日バスに乗りながら、Ed SheeranPhotograph(めっちゃおすすめ)を聴きながら、ふと考え出したことなので。

でも今から論破する目まぐるしい自己分析が、もしかしたら似たように悩んでいる若者に届けばなと思っています。


そもそも目標もって生活してる人ってどれぐらいいるんですかね。

まだないって人もたくさんいるのかな。

決めなくてはとプレッシャーに感じてる人も中にはいるのでは。

この先、目標もって頑張らないと。いい大学出て仕事つかないと、って。

ちなみに私はありません。というか目標がなにか知りません。

…あれ?

なんか偉そうに語ってる割にはしょうもなくないかなんて思ってません?

アメリカ留学してまで何してんのって(笑)

ではここでMay流、人生の自己分析!!!

(ドラムロールね、ここ。)


ジャンっ!

私が思うには人生とランニングって似てると思うんです。

しかも人によって三種類の走り方に分かれます。

その1:ランニングマシーンにのって走る人。

この場合、たくさん走ったとしてもどこにも進みませんよね。自分はあれもこれもやってて忙しいからきっと何か進歩してるはず、なんていうのは自己満。足元のレール(っていうのかな)が動いているから自分も流れで走るのであって、マシーン側に主導権がある状態。ただ漠然と周りに流されて毎日を過ごす人生って、自分のものではなくなってしまうんです。

その2:マラソンコースを走る人。

走った分進んでいる。ゴールも見えている。人生に例えても進歩しているし、目標もあっていい感じじゃん!と思いたいところ。たしかに目標に向かって努力するという考えは人生において欠かせません。でも決められたコースから外れると、ゴールが遠ざかるみたいで不安になる。ゴールが見えないと不安になる。たどり着かなかったらどうしようと不安になる。面白いことに「目標」というゴールを固定させちゃうと不安が増えるんです。

その3:とりあえず走る人。

ゴールもコースもないけどとりあえず走ってみよう。自分がどこまで行けるか、試してみよう。いろんな道を通ってみよう。ゴールがあるとしたらそれは自分の限界が来た時。何を達成できるか分からないけど走るとなんかすがすがしい。こんな人生はいかがでしょう。この場合、「目標」という概念に縛られることはありません。でもゴールがないからと言って、ただ漠然と走っているわけではありません。いろんな通過点を走り通りながら人生を送っているわけです。わたしはこの通過点こそが、俗にいう将来の夢(達)だと思います。

どうでしょう、自分はどのランナーだと思いますか。

わたしは自分でランナーその3であるといいなと思っています。

「目標」とうゴールを無理矢理作って、自分が走り終わるための言い訳を作るのではなく、あくまでも走ること自体に集中できればなと。もちろん、将来の夢に向かって走るので、大学や仕事などいろいろ経験しながら人生を送ることになります。でもそれは通過点であってゴールじゃありません。 将来の夢も、目標も、通過点でなければならないのです。

長々とわけの分からないことをこれでもかと書いてきましたが、要するに私が言いたいのは


「目標」というゴールに人生の終止符を打たれるな!!


という事です。いつ走り終わるかは足が止まるまで分からない。ならばできるだけたくさん走って、多くの通過点を走り通りたい。そんな調子でいいんじゃないですか人生って。

まあ一週間前まで高校生だったやつに何が分かるって感じかもしれませんが(笑)本当にその通りです!!

ある意味、自由気ままにこれからも転々としていくための言い訳というか。でも自由に生きているからって意味もなく人生送ってるわけではないという主張でもある。

この自由さにいかに甘えず自分を最高のランナーに仕上げていけるかが勝負なのですが。

どうだろう少しはいいアドバイスになったのかな。

夜も遅いから国語力はマイナスの領域に突入してるし…

いろんな感想、お待ちしておりますJ

P.S. ランニングとかランナーとか言っておきながら私は球技派です。

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千と千尋の神隠しを10年ぶりくらいに見た。
初めて見たときは幼かったので特に何も考えずに見た。印象に残っていたのは、カオナシがゲロゲロしちゃうことくらいかな。ひどく怯えていた。(ちなみに今でも映画・ドラマの嘔吐シーンが大の苦手。)

ということで見ました。
そしたら、こんなにメッセージ性のある映画だったとは!
何か…教訓的!教訓をこんなにバンバン全面に出している映画はチャーリーとチョコレート工場以来だ!

とはいえ、私は宮崎駿のインタビューとか評論家の話を聞いたりしてないので、
作者がどういう意図で千と千尋の神隠しを作ったのかは全然知りませんが、
私が思う、この映画の目的はこちら:

人間が誘惑と欲に負ける大変なことになる結果次世代の人間が修復しなきゃいけない、という不合理さ(Absurdity)を描くこと

簡単に説明すると
人間が誘惑と欲に負けるってのは、
千尋のお母さんとお父さんが、わけも分からないところに好奇心に惹かれて迷い込み、
そしてお腹がいっぱいになっても食べ続ける

大変なことになるってのは
お父さんお母さんが豚になる。

結果次世代の人間が修復しなきゃいけないってのは、
悪いのはお父さんとお母さんなのに、彼らを人間を戻す、そして千尋自身が生き残るためには、千尋っていう次世代の子が、苦労しなきゃいけない

てことね。

これって今もあることだと思うよ。例えば環境問題。

人間が誘惑と欲に負けるってのは、
もっともっと生活を豊かにしたい。テクノロジーを発達させよう!

大変なことになるってのは、
環境を気にせずどんどん工場を作りすぎた結果、川が汚染されたり、温暖化問題が発生したりする。

結果次世代の人間が修復しなきゃいけないってのは、
結局、ことの発端は先祖なのに、温暖化の被害を被り、状況の修復を担うのは、後の世代っていう。

で、これだけでも、私は千と千尋見て満足してたんですが、
そしたらなんとその数日後、学校のHumanitiesの授業でも、同じテーマが出てきたんすよ!
それが、宗教の授業で聖書を勉強していたとき!

聖書の初めに創世記があり、そのいっちばん始めの数ページは、
神様が光を作って、地球を作って、人間作って…って話です。
有名な「神様が、光あれ、とおっしゃいました」もこの部分に出てきます。


こちらが、聖書の初めの数ページ:

アダムとイブは神様によって作られました。とても幸せに暮らしていました。
ところが、誘惑に負けて、禁断の果実を食べてしまいました。
ここが、人間が誘惑と欲に負けるの部分。

いきなりアダムとイブは気づいてしまいました。私たちはなぜ裸なんだ!?と。今までそれが恥ずかしいと思ったことはなかったのに。気づいてしまうと、洋服は着なきゃいけないし、作らなきゃいけないし…何より、神様の掟を破ったんだから、アダムとイブ以降の世代は全員罪を持って生まれてきます。
ここが大変なことになるの部分

だから、それ以降は人間はもともと罪をもって生まれてくる。もともと聖なる存在からは遠い状態で生まれてくる。アダムとイブのように、神と近い存在にまで関係を修復するためには、個人の努力が必要。(悪いのは、先祖とアダムとイブなのにね。)
というのが、結果次世代の人間が修復しなきゃいけないの部分。


ということで、テーマが全くもって一緒で、びっくりしました。
あまりにぴったり!これってもしかして常識?気づいていなかったのは私だけ???

このテーマがこんなに世に溢れてるってことは、
人間の普遍的な部分だったりするのかな。
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みなさま、ご無沙汰しておりました、Aoiです。
大学に入ってから忙しくなり、更新ができず申し訳ありませんでした。

Annaが頑張って更新しているのを見て
私も情報を発信せねば!とまた一念発起しました。
定期的に更新できるよう努力していきますので、またよろしくお願いします。


さてさて、もう4月ですね!
新学期!新学年!新生活!
始められた方、おめでとうございます。
大変なこともたくさんあると思いますが、陰ながら応援しております!

Wellesleyではまだ摂氏4度なんて日が続いております。
0度を超えると暖かいと思ってしまうほど、NHとMAの気候になれてしまいました...


前回私が更新した内容を見てみると、新学期にどんな科目をとったのか、の紹介をしていました。なんたる偶然!今日も来学期(Fall2015)の授業選択の日でした。
今回はShadow grading を紹介する、と予告しましたが、いい機会なので予定を変え、
今日は私が今学期(Spring2015)に何をとったのか、来学期(Fall2015)に何をとるのかをご紹介したいと思います。

WellesleyはFallとSpringの二期制になっており、秋と春の間に年明けをはさむため
FallとSpringの年度が違ってきます。
(私は2014年9月入学ですので、一年目はFall2014とSpring2015です。)


今学期私がとったクラスは...
Intermediate Chinese II (中国語)
Principles of Microeconomics (経済学)
Computer&Science Internet with DISC (コンピューターサイエンス)
Art&Architecture Renaissance to Contemporary (美術史)
Intro to Psychology (心理学)
の5クラスです。

普通は4科目なのですが、Class Deanに許可をもらって5科目とっています。
どのクラスもとても面白く、選んでよかったと感じています。


そして、今日来学期のために選んだのが...
Principles of Macroeconomics (経済学)
Computer program& Problem solving (コンピューターサイエンス)
History/Theory of the Internet (シネマ&メディア)
Intermediate Digital Photography (美術)
の4クラスです。

定員が埋まってしまい、選べなかったクラスは教授に連絡し、
順番待ちのリストに載せてもらいました。それらは
Philosophy of Art (哲学)
Dynamic Interface Design(美術)
の2クラスです。

WellesleyでもSPSでも、dropp/add weekと呼ばれる学期の最初の二週間ほどは
自由に時間割を変えることができます。
順番待ちのクラスは、来学期になって授業を変える人がでた場合、
欠員を補うときに入れる場合があります。
Wellesleyでは結構な人数の生徒が授業をとってみてから、
授業を変えることが多いので、なかなかの確率で補欠で入れるらしいです。


長くなってきましたので、ここで終わりにしたいと思いますが、
次回は先送りにしてしまったShadow gradingについて、お話ししたいと思います。


では!


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私のピアノの先生は、レッスン中私に何度もこう言う。

「Annaは演奏中何かを恐れていて、全然自分を出していない。
何を恐れているの?自信を持ちなさい。」


私が自信がなくて自分を出さないのはピアノだけかと思っていたら、
私って一事が万事こうなんだ、って最近思った。

授業中のディスカッションでは、
変なことを言いたくない、と思うと発言するのに抵抗が生まれる。

新しい学校では、変わった人、と思われたくなくて、
まずは人を観察することから始める。自分の立ち位置が分かるまで、自分は出さない。

先生が何かおもしろい実験を見せる。そしてクラスの生徒に誰かやってみたい人ーと呼びかけても私は一番にはいきたくない。


基本、目立ちたくない。
そしてそれはたぶん、自分に自信が全然ないからだと思う。
私は何かやらかす、ってのが私の頭の中で前提になっている。
たとえ、勇気を出して何かやってみたとしても、ちょっとでもうまくいかないと、
ほら、やっぱ自分は前に出るべきじゃないんだよ、
と自分に言い聞かせる。

これってよくないこと?
直したほうがよいのか?

でも、自信がないのも悪いことばかりじゃない。少なくとも私にとっては。
なぜなら、私はそれが今までずっとやる気の源となっているから。

私は自信を持たないようにしている、という部分がある。
常日頃、自分は凡人というのを何度も何度も言い聞かせる。
そして、その度にパパが言っていたことをいつも思い出す。

凡人は努力しかない。

そして、

努力は凡人にでもできる、一番簡単な成功法。なのになんでみんな努力しないのかなー

これを思い出して、やる気にしている。
こうやって私は、私であり続けている。

つまり、自信を持ったら、私らしさの一部が失われちゃうような気がするわけ。
まあ別に私らしさってのもここ十年くらいで身につけたもんだし、
別に自分変える努力しても構わないと思うけどね。
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