何が起こったかではなくて、何を握ったか。
過去に何があったかということはそれほど重要ではなくて
何を握ったのかが大事だと言うことを聞いていました。
潜在意識の学びをしてからやっとその意味がちゃんと分かりました。
同じ経験をした兄弟姉妹でも、双子でも
傷ついていたり傷ついていなかったり
また、傷つき方が違っていたりします
過去に何が起こったかは大事だけど大事じゃないのですね。
子どもの頃、親から虐待をうけていて…
というのも、その虐待そのものは重要ではなくて (※虐待そのものは絶対駄目なことだけど) その虐待によって自分がどう思ってどう認識したのか、どういう思いを握ったのかが大事…。
要はどこがどのように傷ついてしまっているのか。
どんなゆがみが出てしまっているのか。
「私なんか産まれてこなければ良かったんだ」
とか思ってしまった事があれば、それが握った想い。
でも結構、自分がどんなことをされたか、ということろを重要視しちゃう人が多いなぁという印象を受けています。
暴力とか過去のことであっても今でも苦しい場合その事象を過去の物として整理する必要もあるとは思いますが…
確かに親にあんなことされた、こんなことされた、こうして欲しかったのにしてくれなかった、親が酷かったって言いたくなるのもそこを主張したくなるのも分かります。
例えばスポーツ選手などが、指導者から体罰を受けて、怒鳴られて、PTSDになったり、トラウマになったりする事もあれば
コーチは愛を持って厳しく指導してくれたおかげで、自分はこんなに成長できた!と心から思っている人も居ます
(おそらくそれだけの信頼関係があってこそのことかと…)
暴力や暴言が良いことだと肯定しているわけではありません。
本人がどう受け止めたかと言う話です。
外国の某有名歌手が、過去の性暴力のことで 「彼は私の恋人」 と思い込もうとしていた時があったそうですが、一度にぎった思いの上に別の情報をのせても、消して塗り代わりはしません。思い込もうとした気持ちもとても理解できますが。
産まれてこなければ良かった、という所の上に一生懸命自分で「私は産まれてきて良かった、愛されている」と毎日唱えても、上書き保存はされないのです。
ベースに否定があるのに肯定で上書きは出来ない。
聖書を知ると、神様が、愛していると伝えてくれます。
それで、愛されていると思い込もうとしても、なかなかそれを受け入れられない人もたくさんいます。一生懸命、奉仕したり、頑張ったり聖人のように振る舞ったりしてしまいます。行いによって愛されるわけではないのですが。
私もそういう1人で、RCMのカウンセリングを受ける前は、愛されていると、頭では分かるんだけど…もちろん理解はしているんだけど…受け入れる事が出来ない、という状態でした。
自分はどういう想いを握ったのだろう?
一度握りしめた想いは、手放すまでそこにある。
手放すのが、なかなか難しいのです。
握りしめていることにさえ気がつかないからね。
個人的なことですがクリスチャンなので
日曜日は教会に行ってます
さて、最近私自身の中から
「すてきなクリスチャン男性」 という言葉がふいに出てきました(笑)
「すてき」なクリスチャン男性
それってどんな人よ…!!
いや~
なんか、さわやかで子どもに優しくてイケメンで…(笑)
そんな人が結婚したりなんだりとかが最近数件あったので
そんな台詞が出たのかな(笑)
すてきなクリスチャン男性って
子どもに優しいからとか
イケメンだからとか
さわやかだとか
そんなの関係ないよね!!
クリスチャンじゃ無くてもそれって普通にステキな男性。
いや、個人的にはイケメンであるかどうかは問題ではないし
さわやかさってなんかぼんやりした表現だし、熱血でもいいんだよね
子どもに優しくなくてもお世話したり遊んだりしなくても、大人として振る舞えていじわるしなければOKだし…
じゃあ「ステキなクリスチャン男性」って何だよ!と自分に突っ込みが入り。
ステキな「クリスチャン男性」は
神様をボスだと認めている人…だなと。
自称クリスチャンじゃ無くて…(笑)
そんな事を思ったのでした。
日曜日は軽い記事で(笑)
壊れた事は戻らないと事を認める
お料理していたら、ガラスボウルの底にヒビが入っていました。
ついつい使えてしまうので、名残惜しくて使います。
でも、卵を溶く間、菜箸がなんどか引っかかりました
もう捨てようか…とあきらめがつきました。
ガラスボウルを見ながら
壊れたものは、もう戻らない、ということを肯定しなければ前に進めないと言うことを思いました。
たとえば暴力で後遺症が出てしまって生活に支障があるとします。
殴られたから視力が回復しないとか。
視力が奪われてしまったことを、肯定し、そこからスタートしなければ…先には進めないのです。
健康だった頃、しっかり見えていた頃を思って
殴った人のことが許せなくて
どうしてくれるんだ!って怒りがおさまらなくて
見えていたのに、あの頃は良かったのに
そう思っていても前には進めないのです
見えなくなったことを肯定して初めて進めるのです
関与した加害者を裁くことをやめて初めて自由になれるのです
失ったものは戻らない
壊れたものは戻らない
傷は治ります
体の傷も、心の傷も治ります
ですが失ったものを嘆いている限り
絶対に新しいものは手に入らないのです
私もヒビの入ったボウルを、もうだめだと認めて捨てて、初めて新しいものを使い始めることが出来るのです。
もう壊れた、という事の肯定。
人間関係も
親子も
夫婦も
壊れた事を肯定してしか、失ったことを肯定してしか、前には行けないのです。
自分の障がいを認めずに、パラリンピックに出場できるでしょうか?
認めていないのに、無いことを前提にトレーニングができるでしょうか?
自分を肯定して障がいがあることを認めているからこそ、そこからスタートし、努力し、メダルを獲得するのです。
わかるでしょうか。
五体満足でありたいという願いを手放さなければパラの金メダルは手に入らないのです。
この体で勝負する!という覚悟が居るのです。
こうして欲しかった!という思いがあるのでしょうし
されたことで失ったものもあったと思います
でも与えられ無かった、なくしてしまった、うばわれてしまった…
否定している限り時がすすみません。
前に進むかどうかは自分の決意次第なのです。
ガラスボウルを手放しました。
新しいボウルを買ってきます。