責任の所在はどこにあるかを明確にする
たとえば、なにか習い事をしてたとします。
何でも良いですが、体操やバレエやギターやドラムだったり、パソコンの使用方法など、何かの技術を伝達するような習いごとをしていたとして
その先生が、上手に出来ない人に対して舌打ちするくせがあるとします。
(悪い態度やプレッシャー、いらだちを押しつける表現)
生徒である側がそれを怖がりながらびくびく先生の顔色をうかがって、頑張らなきゃ…と焦る。
できの悪い生徒が悪いでしょうか?
これは先生の境界線侵害。
イラッとするのも、うまく出来ない生徒に憤りをもつのも先生の自由ですが、押しつけてはいけません。
コーチが特訓しての厳しい指導とは違います。
厳しい指導は技術を熱心に伝えようとしますし、あれってだいたい厳しい指導を受ける側も頼んでるし。
(テレビでは頼んでも居ないのにやって訴えられたりとかしてるんでしたっけ?)
先生は月謝をいただいて、生徒に教えています。
教える責任があり、生徒に技術を伝達する義務があります。
生徒がうまく出来ないのは指導している先生の責任です。
もちろん上手に出来なくて人より倍、時間がかかる人もいるのかもしれません。でも先生の仕事は、出来るようにしてあげること。
技術を伝達すること。
何でこれくらい出来ないかな!も~! と、イライラするのが仕事では無い。
つまり、上手にならない責任を生徒に背負わせている、という境界線侵害。
練習量は生徒次第。
早く上手になりたければ、自主練繰り返すだろうし、先生が出来るのは練習量が増えるようにおすすめしたり励ましたり宿題や課題出すこと。境界線の外からのアプローチ。
とはいえ、なんだかそういったものも、コーチと弟子って上下関係になりやすくて境界線侵害があるのだなぁと思いました。
傷があると小石が当たっただけでも激痛
私自身は、これでもかというほどに痛めつけられた人生だったので、RCメソッドのまきこさんのカウンセリングを受けるまでは、心はトラウマでボロボロの状態でした。
それでもなんとか生きていたのですけれど…
今はもちろん、大きな傷はすべて治していて、心は本来の姿に近づいています。
自分自身でも驚くのは【本来の私ってこんなにタフで打たれ強いんだ】ということです。
今までも見えていなかったのですが、よく考えたら、いつ人生を諦めてもおかしくないほどの目に何度も遭っていながらも、ボロボロの瀕死の状態でも生きながらえてRCメソッドまでたどり着いた、その時点でもう充分マッチョです。
瀕死でしたけど。
では以前の自分はどうだったのかというと…
ほんの少しのことでそれはもう、痛みでのたうち回ってました。
ちょっと小石が当たっただけで激痛
ちょっとぬるま湯に触れただけで大やけど
たとえば事故で全身大ケガしている人を想像して下さい。
ちょっと触れただけでも痛がるし、傷が開くかも知れない。
そうかんたんには動けないし、動けば痛いから動きたくないし、痛いのが怖いから何かをしようとも思わない。自分に触れそうな人がいたら遠ざけて、なるべく刺激しないように大人しくしてると思います。
同じ状態。
とにかくなるべくこの激痛の走る心を守るためには怯えながら生きないとならないわけです。
そういう状態しか知らないで居ると、自分はとても心の弱い人間に思えてきます。打たれ弱いように思えてきます。
そのため本来の自分がどの程度の強度をもっているのかなんて知りもしませんでした。
治療し、境界線を修復し、自分の心を扱うことを深く知っていったら…
人生の中で、苦難がないということはありません。
病気や事故や災害もあります。
困ったことやだまされたり傷つけられたり裏切られたりすることはあります。
そういう場面で、自分が傷つきそうなときに、受け身がとれる、応急処置が出来る、きちんと治癒させることが出来る。
また、痛みを怖がらなくなりました。
痛いのはもちろん誰だって嫌です。
心を痛めたくはありません。
ですが、何かが起これば心は痛むのです。
痛みを負うことを覚悟している自分に気がつきました。
痛みとは、自分自身の問題で、キッカケが誰にあるとか、誰にやられたとか、そんなことは関係なくて自分で負わなければならないことです。
そのことを負うと覚悟をしたときに、つらくても強くあれるのだと知りました。
あらまぁ、ニュートラルな私ってなかなかマッチョだわ。
うまれもっての強さなのか、人生の荒波の中で強く鍛えられたのか、どちらなのかは分かりませんけどね。
感情の処理
女性は感情的です。
悪い表現ではなくて、性質として。
感情に敏感で表現が豊か。
男性は理性的。
感情よりも現実的に考える傾向があり、自分の感情を表現するのがうまくありません。
恋人やパートナーとお別れしたときに、案外女性の方が早く復活して次の恋に向かえるのに対して、逃げられてしまった結果、見るも無惨にしょぼくれて絶望している男性が多くいるように感じます。
妻に先立たれた男性が後妻を迎えなかった場合、予後の寿命が短いような印象を受けます…。
逆に、夫に先立たれた妻が、老後を自由に謳歌している人も居るというのを見たりもします。
もちろん、男女関係なく、楽しく過ごせる人も落ち込み続ける人も居ると思いますが。
そこの違いは感情の処理を上手に出来ているかどうかの差が大きいのではないかと思います。
女性は悲しいことについて、身近な人に話ながら泣いたりなぐさめてもらったりしながら、たくさん悲しみます。
きちんと感情を処理しているのです。
男性は、特に日本では幼い頃から「男なんだから泣くんじゃない」などと、悲しみなどの【男らしくない】と社会的に思われる感情を隠すように、押し込めるように教育されますし、泣いていればお友達に「こいつ男のくせに泣いてる~!泣き虫~!!」などと言われてしまい、ネガティブな感情を表現することを抑圧する傾向があります。
その結果、パートナーを失っても悲しめず、いつまでも未練がのこり、悲しみがくすぶって次に進むことが出来ません。
何十年たっても、別れた家族に未練タラタラになってしまう。
もう失ったという現実を受け止められず、泣くことも出来なくて、時間が止まってしまう。戻ってくる希望なんて少しもないのは分かっているのに、戻ってくるのを待ってしまう。
案外、感激屋なんて呼ばれるような、情けないくらいに男泣きしている男性の方が、前を向いて次に行けるのでしょう。
男たる者めそめそしない!なんて波平みたいなこと言ってないで、ちゃんと泣きましょうよ。理性的な性質があるとはいっても男性にもちゃんと感情はありますから。