ゆるさない自由もある
ゆるすも、ゆるさないも、自由です。
傷を取り扱うときにはどうしてもゆるしという行為が必要になってきますが
【ゆるさなければならない】ではありません。
ゆるしたくないなら、ゆるさなくてもいい。
カウンセリングをするときは、ゆるす(手放す)ことが出来るようにお手伝いもしますが、最後は決断です。
裁判官の座を降りる決断。
被害者であることは事実だけど被害者でありつづけることをやめる決断。
ゆるさない、という事を続ける時に
されたことの影響を受け続けることになります
「お前のような最悪の嫁は見たことがない」などと姑に言われたとします。
許せないとします。
その状況を続けるということは
「私は最悪の嫁だ」というのを肯定していることになります。
肯定しない限り、ゆるすゆるさないの話にはならないからです。
たとえばその言葉が姑の冗談だったとして嫁もそう受け取ったとします。
「姑はそう言った、しかしそれは冗談だったし事実ではない。」と認識します。
そうなると「最悪の嫁」を肯定していないので、ゆるすもゆるさないもありません。最初からその価値観を受け入れていないから。「本当は良い嫁」と思っています。自分への否定的な言葉が入っていないので傷つきません。
同じ言葉を受けたとしてもそれを自分の中に入れるかどうかで、傷になるかどうかも決まりますし、それを肯定し続けるかどうか、外に出すかどうかを選択することがゆるす(手放す)事になります。
相手の行いを許可したり肯定するためではありません。
では「最悪の嫁」を肯定していると。
自分の存在を否定されます。否定的な言葉ですから。
「愛されるべき良い存在」という事を否定されるので傷つきます。
実は、ゆるさない、という行為は自分自身も相手の価値観に同意し、その上で相手に撤回を求めて居るのです。
あなたの言ったこと、やったことは間違っている、撤回しなさい。
撤回するまでわたしはこの傷を手放さないぞ!
さて、そうしたところで、痛いのは自分なのです。
憎んでも良い、恨んでも良い、怒っても良い。
でも痛いのも苦しいのも自分。
ゆるしたくないならゆるさなくてもいい。
ゆるさない自由もあるのです。
心の傷は足し算引き算をしてはいけない
心の傷を治していくときに、問題を足し算引き算で考えてしまうことがあります。
これがとってもややこしい。
これをやり始めると、いつまでも傷が治らない。
優しさだったり、愛情って、傷を隠してしまうのです。
いっそ、良いところが一つもないような、何の希望のない親の方が案外諦めつきます。そういう人間だったのだ、と。
しかし、親との関係の中で発生した傷が、必ずしも酷い親とか限りません。
愛情深く、子どもの将来を心配して、子どものためを思って、色んな事をしてあげて…
そういった良い親御さんがいると…
傷つけられたと思う事に罪悪感を持ちます
たくさん与えられた愛情と、傷を天秤にかけます
たくさんの愛情があるのだから、傷ついたなんて思うのがためらわれます。
確かにそこに傷はあるのに
確かにそこに悲しかった思いがあるのに
昔のことをわだかまっていても
老いた親を見たらゆるさなければ、もう水に流さなければと思う。
でもそれは心にフタをしたのであって、ゆるしたのではありません。
たとえ親がすばらしくても
良かった事と悪かったことを、天秤にかける訳にはいかないのです。
逆に、毎日罵声を浴びせられたとしても
そのことと、良かった事を天秤にかけてしまうと
罵声の方が大きすぎて、良かった事が消え去ります
愛は愛として受け取り
良くなかったものは良くなかった捨てると言うことが必要
それぞれ別々に考えなければ、どちらも相殺しあってしまい傷も消えないし愛も受け取れなくなる。
親なんだからとか
養って貰ったんだからとか
育てて貰ったんだからとか
それはそれです。
傷ついた思いとは別の問題です。