心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -330ページ目

好きな気持ちを否定しなくてもいい

誰かを好きになったとします

素敵…と思ったり

なぜか気になる、と思ったり

理由はわからないけど、とても惹かれるとか

 

でも、もしその相手が好きになってはいけない相手だとしたら…。

 

既婚者だった

同性愛者で自分は異性だから絶対に振り向いてもらえない

神父だった

尼僧だった

三親等内の血縁者だった(キョウダイは結婚できないし)

その他、何かしらの事情で、結ばれることが出来ない相手だったり、諦めた方が良い相手だった場合。

 

 

好きになってはいけない!

と…思うことはありません。

 

自分が人を好きになった、その人を好きになる自分を否定したら、心は苦しくなります。

 

好きだからと言って、行動しなければならない訳ではありません。

その気持ちを、大事にして、好きなんだねって肯定してあげたらいい。

好きな自分を否定すると自分が傷つきます。

 

好きだからって、告白しなくても良いし

好きだからって結ばれなくても良い

好きだからって何かアピールしなくても良いし

好きだからって何かしないといけないわけじゃない

 

好きな気持ちを何か行動することで次のステップに行こうと頑張らなくていい。

 

もしそれがアイドルなどの手の届かない存在だったらどうですか?好きで好きで好きでたまらなくても、一方的に好きで居続けますよね。次のステップに行けなくても好きで居続けますよね。好き、のままでも良いんです。

 

 

好きなその人から何かが欲しいのですか?

愛が欲しい?優しさが欲しい?体が欲しい?

どうしてもその人からそれを貰わなければ、満たされないのですか?

 

もしそうだったら、思いを遂げられても、相手から何かを与えて欲しいと求め続けるかもしれません。

相手から奪おうとしないためには、自分で自分を満たしてあげる必要があります。

 

愛は与えるもの、欲しいものを奪うものでは無いのです。

 

 

気持ちを受け止めることと受け入れる事は違う

子どもの気持ちを受け止めてあげて…という言葉はよく聞かれると思います。色んな所でアドバイスもされますし。

 

でも時々、誤解されているなぁ…って思う事もあります。

 

気持ちを受け止めずに受け入れちゃう事があるんです。

それって違う…、のです。

 

受け止める、というのは、オモチャが使いたかったんだ~!と泣く子に、そうなんだね、使いたかったんだね、「使えなくて悲しかったね」 「残念だったね」と理解を示したり共感してあげたり、またはその気持ちを代弁してあげること。

子どもは使いたかったという気持ちまでは自覚できても、つかえなくて「悲しい」とかの感情までは表現できなかったりするので、そこを言語化して認識させてあげる助けをするのです。

 

受け入れる、というのはオモチャを使いたいんだね!と、なんとかしてあげようとすることだなと思います。

 

 

これをしたらいけないよ、と子どもにルールを定めたときに、抵抗して泣くかもしれませんが、そこで気持ちを受け入れてルールがブレる必要は無く、泣いている悲しい気持ちに寄り添い受け止め、抱きしめてあげる。

でも駄目だよ、というルールは動かさない。

 

子どもの気持ちを重要視しすぎて、ルールも決められないし何でもうけいれてしまう事もあるとおもいます。

 

悲しむのも経験です

ガッカリするのも経験です

この世に産まれてまだほんの数年の子ども

たくさんの経験が糧になります。

 

悲しませないことよりも、悲しいときに寄り添って受け止めて貰った事の方が、信頼関係も深まります。

 

家庭それぞれの境界線

子ども繋がりでのお付き合いで人が集まるとき

 

そこには家庭それぞれの境界線が集まります

 

子どもにとっても、自分の家ではスナック菓子がNGだけど誰々君のおうちではよくて、誰々君はアレルギーだからクッキーとかが食べられなくて…とか

歯を、朝昼晩みがくのか、朝晩だけなのか、晩だけなのか

お小遣いはいくらなのか

人工甘味料を避けるのか気にしないのか

ジャンクフードは食べるのか食べないのか

 

よくテレビでもバスタオルは何回で洗濯する?とか(笑)

 

家庭それぞれにルールがあります。

夫婦も他人が2人で集まり、新しい家庭を作り、自分たちのルールを定めて生きています。それを他人にどうこう言われる筋合いはありません。

 

で、その子どもが外に出ていろんな境界線に出会ったときにどうするか。

親の姿勢なんですけど

自分ルールを貫いてよし、です。基本は。

 

ただ、他人の家にお邪魔した場合はその家での過ごし方はそのおうちに準じて合わせ(自分ちではソファーで食べてOKでも、訪問したおうちでNGならば、自分も子どももそのおうちに合わせる)、しかし自分の家庭では子どもにチョコレートはNGならばそれはよそのおうちでも貫いてもOK。

よそのおうちの使い方はよそのおうちの所有するものだから合わせるけれど口に入れるチョコレートは自分(と、我が子)の体のことだから、合わせなくて良い、と言うことです。

 

何をやっても叱らない、という姿勢でしたら、我が子を叱らないのは勝手ですけど、我が子が他者に迷惑をかける振る舞いをしたら、それは他者にとっては関係ないことなので「うちは叱らない育児なんで~」は通用しません。

境界線の侵害になります。相手には知った事じゃないですから、うちのルールをみんな受け入れてよね!って他者に要求するわけにはいきません。

 

 

個人的には子どもが他の家庭のルール、境界線に触れるのはとても良いことだと思います。子ども達もみんな育てば、まったく違う環境で育った人と巡り会い、結婚して新しい家庭を作る、その時に「うちではこうしてた!あなたはおかしい!!」なんて取り乱してしまうより、家庭それぞれにカラーがあるんだなぁって知っていた方が、大人になってからも違いを認めあえるのではないでしょうか。

 

 

子どもは経験の少なさからつい自分を標準に見ていたり、またはいつも自分は人とは違っているはずと標準を探したりします。

 

違っている、という事があっても、違っていても良いんだなぁと知ることが出来る機会は、人と交流することから得ることが出来ます。

 

そんななかでも、親の決めたルール、というか家庭での境界線を守るために親がブレないと言うことはとても大切で、うちでは駄目なのよ、というのは他者に迷惑をかけない限りは、動かさない方がいいです。

なんとなく流されてしまいがちですが、コレが重度の食物アレルギーだったら、って考えたら、絶対譲りませんよね?親の本気度って子どもにも伝わるものなのです。ブレるかどうか、試されますよ。