(前回「熊野古道:女鬼峠より成川へ」より続く)

 

 

 多気町の成川から玉城町の田丸駅に向かいます。

 

 

  野中(多気町)の永昌寺には、石燈籠とお地蔵様。

 

 

 玉城町原には、二つの道標。

 

 大きな標石は文化十三丙子(1816)の建立で、正面は「國束寺観音道 是より三十丁」。

 右面は、「神代より國を束ぬる寺なれと 福智をわかつ佛なりけり 伊勢順禮九番札所」

 左面は「西国順禮 左参宮道 右手引観音江かけぬけ二十五丁」

 

 

 それに対し、もう一つの石標は、私には読み取れなかったのですが、

 

 

現地に立つ案内板によれば、正面は「左 さんぐうみち」、右面は「右 くまのみち」。

 

 この道標に従い、左折しました。

 

 

 

 次の辻には、上画像の道標。

 「南 國束寺 内城田 道」

 

 

 側面には「東 田丸凡一里」


 田丸に向かうべく東に歩いていくと、現在は集会場になっている「観音庵跡」。

 

 

 1948年に廃寺*となったようですが、曉鐘成『西國三十三所名所圖會』(1853年)によれば、

 

 大辻観音庵 原村東の入口にあり此所を大辻といふ

 

 同図会の挿圖「原大辻観音庵」(上画像)を見ると、「庵室」の右に「札納所」「金ヒラ(金比羅堂)」「行者(行者堂)」。

 「庵室」に続いて「接待所(接待茶所)」が描かれています。

 

 また、街道をはさんだ向かいには、同図会に、

 

 三十三所観世音の石像 庵室の向ふにあり

 

と書かれる「三十三体観音」。

 

 

こちらは「石佛庵」として、現存。

 「一番那智山」に始まる、西国三十三所の石仏が祀られていました。

 

 

 さて、石佛庵から、熊野街道をさらに東に進みます。

 

 

 蚊野は、かつては松原だったようですが、現在は柿畑?の多い道。

 

 

 

 東の野篠には、幸神社常夜灯。 

 

 

 サニーロードとの交差点には「富向山田宮寺」の道標。

 

 

 田丸の町に入ると、庚申堂と「バンタ屋敷跡」の案内板。

 

 

「熊野街道 伊勢街道」の石標を見て、東に入ると、

 

 

2024年4月に新築された「田丸駅交流施設」に出ました。

 

 2024年4月7日付『伊勢新聞』によれば、大正元年に建てられた旧駅舎は老朽化のため、昨年解体。

 地元玉城町が建設を進め、供用を開始したとのこと。

 

 

 駅前には町制65周年記念の「熊野古道伊勢路図絵」と、

 

 

熊野街道を辿る旅人の姿を再現したという陶像のモニュメント。

 

 同地に立つ標石によれば、田丸は「熊野古道伊勢路出立の地」です。

 

 

 ところで、この日は三重県内に熱中症警戒アラートが発表中。

 暑さに耐えかね、JR田丸駅から参宮線に乗って、撤退することにしました。

 

 なお、旧田丸駅舎については「田丸駅」「JR参宮線田丸駅」、田丸城については「田丸城跡(前)」「田丸城跡(後)」、伊勢本街道については「伊勢本街道:相可から田丸へ(下)」「伊勢本街道:田丸から宮川の渡しへ」をご覧頂ければ幸いです。

 

*三重県立熊野古道センターのスタッフブログ「石仏庵」