上画像は、玉城町田丸の大手町の「紀州街道」道標。
この道標を南に左折すると、紀州街道(熊野街道伊勢路)なのですが、私は東に。
伊勢神宮(外宮)を目指します。
江戸時代、田丸は紀州藩領で、上画像は「札場跡」。
道路元標のある交差点を左折すると、あとは「伊勢本街道」を直進です。
上画像は、土蔵の残る小林家住宅。
この角を南に折れる(左折する)のが、三重県道530号田丸停車場斎明線で、起点は田丸停車場。
前々回のこのブログで登場した「JR参宮線田丸駅」です。
さて、さらに街道筋を東に歩いていくと、
左手に、「参宮本街道・宿場町 旅籠扇屋跡」の標石のあるお宅。
明治に入ってからのものになりますが、米津鎌治郎 編『三重縣名所圖繪』(伊勢新聞社、1890年)を見ると、
●田丸 次へ一里十三丁
◎名所 田丸城趾
(略)
◎名産 〇紙煙草入 〇相六 西山六兵衛
◎旅籠 〇扇屋 西山仙藏
◎次へ道順 〇田丸町大字佐田・・・〇城田村大字上池・・・
同大字中須・・・〇大字川端
と「旅籠柳屋」が書かれています。
この萱町の辺りは、比較的当時の趣が残っているところで、旅籠柳屋跡のように平入りのお宅もあれば、上画像のように妻入りのお宅も、
外城田川を渡ると、玉城町佐田(旧田丸町大字佐田)で、上画像は「小林政太郎生家」。
小林政太郎は「柔軟オブラート」の発明者で、『官報』1902年7月4日を見ると、
特許番號 発明名稱 特許証主氏名
五五四二 人工真珠 三重縣 御木本幸吉
五五四三 柔軟「ヲブラート」 同上 小林政太郎
と、御木本幸吉の真珠と同時期に、柔軟「ヲブラート」の特許を登録しており、
合名會社設立登記
一商號 合名會社小林柔軟オブラート製造所
一本店 三重縣度會会郡田丸大字佐田九百三十八番地
一目的 特許五五四参號柔軟オブラートノ委托製造及販賣
一設立ノ年月日 明治三十五年七月三十一日
一代表社員ノ氏名 小林政太郎 辻村龜之助
と、『官報』同年8月6日に書かれているので、彼が合名会社小林柔軟オブラード製造所を設立して、製造販売を行っていたということがわかります。
さて、さらに東に進むと「両宮常夜燈」があり、
「新田町の松並木跡」案内板。
松並木は戦争中に伐採され、船材や松根油となり、茶店とともに、姿を消したそうです。
外城田川の支流、古川を渡ると、伊勢市(旧城田村)に入り、
城田小の南を抜け、川端集落に入ると間もなくで、宮川の堤が見えてきました。
かつては「柳の渡し(上の渡し)」が、旅人を対岸の山田に運んでいたのですが、現地の案内板によれば、1911年の度会橋の架橋で終止符を打つことに。
上画像は、その度会橋から上流方向を見たもの。右手が「川端」集落。左手が伊勢神宮(外宮)の鳥居前町「山田」です。
(次回に続く)。