愛知県の知立市に、知立神社があります。
上図は、1891年測図の二万分一地形図「知立」。
右下の地図記号「○」は「知立町」役場、図中央の楕円は「碧海郡」郡役所です。
また、図の南東から、郡役所の横を通って、北北西へ向かっていくのは、旧東海道。
知立(池鯉鮒)は、旧東海道五十三次39番目の宿場町でした。
一方、屈曲している旧東海道から、地図記号「×」警察署のの角で分かれて南西に向かうのは、この地図の注記によれば「師崎街道」。
知立市教育委員会「池鯉鮒文化財マップ」や、知立市歴史民俗資料館「池鯉鮒見て歩きマップ」では「刈谷道」で、刈谷を経由し知多半島の師崎に通じていました。
それに対して、旧東海道から分かれて、北北東に進むのは、「知立神社」の参道です。
上画像は、秋里籬島『東海道名所図会』(1797年)より、挿画「知立神社」*。
左下が東海道であり、参道が、石灯籠から右上に伸びています。
そして、突き当りにあるのが「多宝塔」(上画像)。
同図会にも、
『多寶塔』 社頭にあり傳へ云ふ、嘉祥三年建之云々
と説明書きがあります。
ウェブサイト「文化財ナビ愛知」の「知立神社多宝塔 」によれば、
現存する建物は、永正六(1509)年の再建だそうです。
しかし、同ウェブサイトによれば、
明治元年(1868)の廃仏毀釈の折には、本尊と仏壇を撤去し、神社の文庫に改めることによって破却の難を逃れた。
現在、全国の神社の多宝塔で、国の重要文化財に指定されているのは、知立神社、厳島神社(広島県)、金鑚神社(埼玉県)の三件のみ。
国宝指定はゼロですから、知立神社の多宝塔は、貴重な遺構ということになろうかと思います。
さて、その多宝塔から左に曲がると知立神社の拝殿があります(上画像)。
知立神社は、三河国二宮*。
三河は一宮が砥鹿神社、三宮が猿投神社です。
ところで、江戸時代に、この明神様で有名だったのが、蝮(マムシ)除け。
清河八郎の1855(安政二)年の紀行文『西遊草』に、
三里余にして池鯉鮒宿にいたる。蛇守のいづるところなり
『東海道名所図会』にも、
除蝮蛇神札(まむしよけのまもり) 別當松智院両社人よりこれを出す。遠近これを信じて授かる者多し。夏秋の頃、山中叢林にこれを懐中すれば、蝮蛇(まむし)逃げ去るといふ。
とあります。
知立神社の別当松智院で、まむし除けの御札を出していたようです。
昨日、知立神社のウェブページ「ご祈祷のご案内 」を見ていたら、「社頭祈願」の一つに「長虫除」があり、
まむしを始め、蛇や虫の害にあわないようにお祈りいたします。当社独特の信仰で、講社の代参も受け付けております。
ということなので、廃仏毀釈後も、多宝塔とともに「蛇守」という御利益も、生き残ったのかもしれません。
*渋谷申博「諸国一宮二宮三宮大事典」(『歴史読本』2007年2月号)