知立市八橋は、前回取り上げた、在原業平&伊勢物語ゆかりの杜若の地。
その八橋に、臨済宗妙心寺派の禅寺「無量寿寺」が建立されたのは、知立市のウェブページ「無量寿寺 」によれば、江戸後期の1812年です。
現在の建物(上画像)は、1917年の再建だそうで、比較的新しいのですが、右手前に史跡保存館、左奥にかきつばた園、そして左手前に「芭蕉連句碑」(下画像)があります。
かきつばた 我に発句の 思ひあり
『芭蕉俳句集』(岩波文庫)によれば、1685年の発句で、出典は「千鳥掛」。
ということで、次に「千鳥掛」(1712年)*を見ると、
杜若われに發句の思ひあり 芭蕉
麦穂なみよるうるほひの末 知足
とあります。
また、竹内玄玄一『俳家奇人談』(1816年)**巻之中の「知足一家」には、
知足は、勢州鳴海の人、蕉翁と交り深し。その居を叔照庵、また蝸廉亭と号す。(略)その子父の志しを次いで、千鳥掛を著す。
ということで、「千鳥掛」は、知足の子の編纂。
そこで、知足の子、蝶夢「芭蕉翁発句集」(1789年)***を調べて見ると、
知足亭庭前にて
と前書きをして、
杜若われに發句のおもひあり
とありました。
森川昭『下里知足の文事の研究 第一部 日記編』(和泉書院、2013年)によれば、下里知足は鳴海の庄屋であり、芭蕉は四回来訪し、計15泊しているとのこと。
従って、この句は、鳴海の知足の居の庭前で、さらに言うと杜若ですから、おそらくは八橋を思って詠まれた、連句の發句ということになろうかと思います。
現地にあった知立市教育委員会の看板によれば、この芭蕉連句碑は1777年、その下里知足の子孫にあたる、下里学海によって建てられたものだそうです。
*『日本俳書大系 第二巻 芭蕉時代第二』(春秋社、1934年)
**雲英末雄校注『俳家奇人談・続俳家奇人談』(岩波文庫、1987年)
***塚本哲三編『名家俳句集』(有朋堂書店、1922年)