よく聞く話で、外人、特に欧米人は、蕎麦がすすれないというのがある。

無理やりすすろうとすると、蕎麦が喉につっかえて、ゲボっとなるらしい。




そんな彼等は、蕎麦を一定量口に押し込み、口に入らなかった部分はぷつりと噛み切って、口に残った蕎麦を咀嚼しながら『ジャパニーズそば、デリシャスです』などと云う。

そうなると純然たる日本人を自負する多くの人は、『嘘こけ、お前らわかっとらんやろ』と、蕎麦のすすれない外人を小馬鹿にする。




蕎麦は、ズルズルッいわせて、飲み込むのが美味いのだ、通なのだ。
ズルズルッいわせない蕎麦なんて、音を出さないエロビデオみたいなものだと。




しかし、考えてみると音の出ないエロビデオは、それはそれで良かったりもする。
特に日々煩悩をもてあましているボーイズにいたっては、想像の世界でそれにアテレコをし、本物よりも極上の喘ぎ声を獲得したりもする。




それと同じで、蕎麦も別にすすって食べなくても、それなりに美味い。




しかもすするのは麺状になっている蕎麦だけで、ソバガキなんてのは、もしゃもしゃ食うので、むしろ外人の蕎麦の食べ方に近い。
つまりソバガキは美味い。





こうなるとわかっとらんのは、蕎麦通を気取る日本人の方で、蕎麦=すする・飲み込むという固定観念に縛られてしまい、そればかりに気を取られ、蕎麦そのものの味をないがしろにしているように感じる。

お前らは本当に蕎麦の味をわかってんのかと逆に思ってしまう。




僕がそう思うのは、立ち食い蕎麦の『ゆで太郎』で、もりそばを注文し、必要以上にズルズルを音を出し、音を出さんがためにすする勢いを強め、蕎麦にからまるつゆの飛沫がネクタイに飛び散ってしまっているサラリーマンを目撃するときである。




『ゆで太郎』ごときで、無理やりズルズルいわせるな!




とは実はあまり思ってない。
というか、蕎麦をズルズル食おうが、もしゃもしゃ食おうが、人の勝手だよね。
僕がどうこういう問題じゃない。




そんなことよりも、ヌード顔美人の世論調査で、伊藤美咲が一番になったらしいとのこと。
ヌード顔とはスッピンのことらしいのだが、これは誰が一体つけたネーミングなのだろうか。




ヌードとは昔から多くの芸術家が題材にした芸術の一つであって、それは精神的官能美を感化するものである。
ヌードが芸術である歴史は永い。
古代ギリシア・ローマにおいては、ヌードが如何に美しいかを芸術家がこぞって追求した。
その結果、愛の神ウィヌスはいつまでたっても服を着れなかった。
ヌードとは裸を意味するものではなく、裸を通して感じる美のことであり、いまだ人類が探求している美なのである。




それに対してスッピンは、美といえるだろうか?
スッピンとは、まず前提として化粧した顔を最高レベルと仮定した場合のみ、初めて存在する言葉である。
それも最高レベルと真逆に位置する言葉として定義されるので、当然のことながら醜さを表す言葉として存在する。
化粧してない顔という意味単独ではスッピンとはいわない。
これは素顔という。
スッピンはあくまでも醜さを表す言葉なのだ。




それをばヌード=スッピンとするとは、完全に間違いである。
だから僕はこの安直なネーミングをした人の勘違いに笑ってしまう。




しかしそんな屁理屈なんかはどうでもいい話で、それよりももっと間違っていることがある。
それは見事にメイキャップした伊藤美咲しか見たことない人達が、なぜか彼女のスッピンについて回答をしていることである。
これに対して言及できるのは、現段階では若ハゲ野郎ISSAだけであって、一般大衆ではない。




これも僕がどうこういう問題じゃないが、一般大衆が回答すべき問題でもない。

まあいずれにせよ、どうこういうほどの問題じゃない話ばかりです。







ブログを書いていると、とかく他人のブログが気になるものである。




えらそうに、何が『・・・のである』や。
泰然自若しておれば他人のことなんぞ気にならんもんや、それがでけんお前はただのミーハーな俗人や!下賤や!ボケナスが!と思う方が、この冒頭を読んで少なからずいると思う。




しかし、実際にブログを書いている人のほうが、一般読者である人よりも、総合的な読み方をするのは確かだと思う。
僕も一読者として読んでいたときは、ハハハッこいつアホなこと云うてるわ!くらな感覚で、どう読ませているか、どう展開して読み手を引き込んでいるかなどはまったく考えてなかった。
しかし、ブログを実際書いてみると、


『はっあ~そう書きますか』


てなもんで、書いてある内容と同じくらい読ませ方というのを気にしてしまっている。
笑われるかもしれないが、少々職人根性が出てくるのである。




それはテクニックエの向上を僕が常に望んでいるからというのが理由の一つだと思う。
なんせ親父に断言されているように僕にはテクニックエがない。




話はそれるが、なぜtecniqueの最後のeを、みんな発音しないのであろうか。
僕は、あのeが中学からずっと気になっている。母音なのに誰にも発音されない。
なんだか異端な感じがして、大変e感じではないか。
そんな異端が僕は好きだよ、ベイビー。
というわけで誰も発音しないので、あえて僕はこのeを発音することにする。
だからテクニックエ。




こんな横槍を自分で入れてしまうくらいだから、まあ僕にテクニックエは全くないと云って良い。




そんな話はどうでも良い。




とくにかく僕はブログを書いているからこそ、他人のブログが気になるのだと思う。
そんなわけで、僕は他人のブログを読むことが多い。




最近はまっているブログは、AV女優のブログ。
AV女優のブログだから、はまってんじゃないの?それともはめてないの?という議論は、この際云っこなし。ガチンコじゃなくても、僕は気にならないのだ。




そんなAV女優のブログだが、これがなかなか面白い。
アホなアイドルが書くブログに比べれば、はるかに魅力的なのだ。

AV女優のブログだからといって、その内容がエロいかというと、まったくそんなことはなく、むしろ一般の女性のそれに近い。
それがなぜ面白いかというと、それは『そこにギャップがある』からだということに尽きる。




僕たちはAV女優の存在を映像を通してでしか知らない。
映像の中の彼女たちは、恥じらいもなく自らの肉体をさらけだし、大事な人にしか見せてはいけない秘部まで見せちゃったりする。
彼女たちは、ときに体を弄ばれたり、ときには自ら襲いかかるなどして、僕たち男を驚愕せしめ、また興奮させる。

こんなエロいことを平気でしちゃう彼女たちの、実際の性生活はもう極上のぐへへへっへに違いないと、男なら必ず思ったことがあるはずだ。僕たち男は妄想の中で彼女たちを性の奴隷にしてしまうのである。

そんな妄想中の奴隷である彼女たちのプライベートが、いとも簡単にブログよって垣間見えてしまうわけだが、なんとこれがいっこうにエロくない。




『今日は、表参道のお洒落な店で、ランチを食べましたあ~。美味しかったよぅ』
『やっとドラクエクリアしたよ!』

『今日はカレーを作ってみましたー』




などと、なんら面白くもない記事ばかり載せているのである。
これでは妄想が瓦解してしまうってなもんだ。




しかし、面白くないからといって簡単にこれを見過ごしていては、彼女たちの真の魅力が見えてこない。
キャメラの前ではエロい彼女たちの、まったくエロくないプライベート。
このギャップこそが、彼女たちの魅力なのだから。




例えば可愛いくて純情で優等生なアイドルが、自身のブログで『ハートのドーナッツを作ったよ。カワイイでしょう』と云ったところで、見たまんまに凄くかわいいねえと思うか、裏のない平坦な人間やのうと思うかどちらかしかない。




しかしそれに比べ、AV女優たちは映像という表舞台で自分たちの裏を出しつくしてしまっており、もう隠すところがない、いやモザイクで隠すしかない状態なのである。

そんな彼女たちが、ブログで平凡な日常を書けば書くほど、そこにエロとのギャップが生まれる。
エロいという枕言葉を持つ彼女たちは、エロくないことをすればするだけ、自らの人間性にギャップをつくることとなり、結果として見る人への新鮮度を高め、魅力ある人間性をつくりあげることに成功しているのである。『エロ』と『普通の日常』のギャップにこそが、AV女優のブログの魅力なのだ。




これを発見した僕は吉沢明歩と南波杏のブログを読み耽った。




ちなみに南波杏はあんなにエロいのに大変な読書家である。
とくに島田荘司の大ファンで、実際に本人と会って感激していた。




エロと島田荘司。



やはりこのギャップが魅力的なんだと思う。











尾道。




僕は高校卒業と同時に尾道を出た。
それからは、尾道は住むところではなく、故郷となった。

尾道で生活をしているころは、こんな魚臭い田舎の港町を後にし、はやく都会に出たいと思っていた。
それは田舎育ちの子供にありがちな故郷への嫌悪と都会への憧れからきた短絡的な考えだった。




地元の大学へ進学する同級生を見て、なぜ尾道の束縛を逃れようとしないかが不思議で仕方なかった。


『だって友達も多いし、車も買えるし、何てたって楽じゃん』


これが同級の回答であったが、それは僕の求める回答ではなかった。
そのしがらみを取り払ったところに、僕らが求めるべき『都会』があるのではないのかと思っていたからだ。
田舎者諸君よ、『都会』に出れば生まれ変われるだぜ、ヤッピーと。




大学デビューしたっていいし、女慣れしているように振る舞いナンパしたって悪い噂も立てられないし、なんせ包茎手術をしたってヤッピーなのだ。
隠れて伸びた皮を切り取ってしまえば、生まれながらに愛のムケムケなんだぜと格好をつけても良いわけで、タートルネックを顔の半分まで被った青年誌の広告を真剣に見る必要もなくなるわけだ。




ビバ都会!




おお、包茎話で興奮してしまったが、僕は尾道のことが書きたかったのだ。


僕は尾道を半ば希望がない場所と思って出奔した。
しかし、尾道は故郷となって僕の中で変貌した。




長期の休みを利用して尾道に帰る。
尾道水道に、潮風が吹き、渡船が頻繁に往来している風景を見る。
そのたびに僕は尾道で育ったんだと強く思うようになった。
尾道に生まれ育ったことを誇りに思うになったのだ。
こんな美しい街に育まれた幸運を感じるようになった。




『海が見えた
 海が見える
 五年振りに見る
 尾道の海はなつかしい』




と林芙美子が感じた郷愁を僕も感じるようになった。
不思議なもので、あれだけ貧しく暗い田舎町だと思っていた尾道は故郷になったとたん僕の中で鮮明になっていった。




故郷の感じ方というのは、人によって様々だと思う。
例えば、九州出身の人というのは、郷土愛が強い。
その理由を聞くと、ほとんどの人が『住みやすいから』と云う。
最終的には九州で生活をしたいと望んでいる人がほとんである。




それに比べ尾道は決して住みやすい場所だとはまだまだ言えない。
それはこれといった経済環境がないからである。
以前は造船業で栄えていたが、それも完全に下火となり、80年代には多くの人がリストラにあった。
僕の同級生の家庭も少なからず、造船の不景気のあおりを受けていたように記憶している。

それ以降尾道にこれといった地盤を支えるような経済環境は生まれていない。




しかし、今日は面白いニュースを見た。
これはもしかしたらもしかするかもしれないニュースである。


それはホリエモンが、尾道に経済コミュニティとしての個人事務所を開設したというニュース


ホリエモンが尾道から衆院選に出馬して、尾道は非常に活気が出たように思う。
たとえあの選挙がホリエモンの売名行為の一環であっても、それだけで街が明るくなったことは事実である。

ホリエモンの意図が何にせよ、話題性のまったくなかった尾道が、注目されるというのは地元民からすると非常に有難いことだ。
これを受けて、地元有志が、尾道の良さである景観を消すことなく、発展の糸口を掴んでくれることを望む。

やはりどんな些細なことでも地元が話題になるのは嬉しいもの。





ちなみに、僕は包茎手術してヤッピー!ってことはしてないので、あしからず。








壁にはメイドが自身の手で書いたと思われる模造紙のカレンダーが貼られていた。




とても安っぽいのだが、このメイドが作ったという手作り感、いやメイドだけにハンドメイドされたという感じが、メイド可愛いやと思いやってくる秋葉系男子諸君に喜ばれるのだろう。
僕はそれがむかつくのだが、それはまあ容認してあげるべきことだ。




そのカレンダーの主たる目的は、このメイド喫茶で行われるイベントが、いつあるかを提示することにある。
日付の書かれている欄に、イベント名が書き込まれてあり、イベント名の横には、ヘタクソなウサギとかハートの絵が添えられていた。




それにしてもこのイベント名である。
どの日付をとってもみても、全て『萌え萌えデー』としか書かれていない。




何月何日『萌え萌えデー』、それとは別の日にも『萌え萌えデー』、また別の日にも『萌え萌えデー』、どこをとってもイベントが全て『萌え萌えデー』で統一されているのである。

その統一性たるや、金正日に捧げれられるマスゲームの如く、一糸乱れることなく『萌え萌えデー』なのであるが、この萌え萌えデーがどういったイベントであるのかが、ようとして知れない。




僕としては、そこが知りたいところなのだが、この何があるのかわからないといったところが、オタク諸君のドキドキ感、胸の高まりを誘うのだろう。
安っぽいメイド喫茶も一丁前にオタク心理を逆手に取った営業をしているのである。




その『萌え萌えデー』であるが、なんとそれが本日であるということは、僕たちの担当だとぬかすメイドから教えられた。




『ご主人様、本日は萌え萌えデーなのですぅ』と。




家の行事やイベントは、この家の主である僕たちご主人様が決めることであって、一介のメイドが自分勝手に『萌え萌えデー』などと訳のわからぬことをして良いわけがなかろう!と怒気荒く叱っても良いのだけれど、オタクだってアメンボだって僕たちだって、やはり『萌え萌えデー』がどういった趣向のイベントなのか興味がないわけじゃない。
むしろ興味津々だ、ごめん。




『萌え萌えデーって何するんですか』

と素直に尋ねてしまった。




するとメイドは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに、目をランランとさせて『萌え萌えデー』が何たるかを説明した。




『はい、本日の萌え萌えデーは、ご主人様にメイドと萌え萌えじゃんけんをしてもらいまして、ご主人様が3回勝負して勝てば、メイド手作りのクッキーを差し上げることになっております』




なーんだじゃんけんかと思ったものの、ちょっと待てよ。
萌え萌えじゃんけん?何だ、それは?




すると、僕たちの担当とぬかすメイドは、いきなりすくっと立ち上がり、自らの調子に合わせて、右手で招き猫、左手で招き猫、両手のこぶしでうさちゃんの耳をつくり、うねうねと踊り始めた。




『萌え萌えじゃんけん♪じゃんけん、ポン♪』




なっ。




『これが萌え萌えじゃんけんです』




なっなんと、これが萌え萌えじゃんけんなのか。
かなり恥ずかしいことになっとるぞ、君よ。
これを僕らに強要するというのか。うさちゃんの耳をつくらせるつもりなのか。
僕らは両者ともに卯年生まれで、無理やりウサギのマネしなくても、すでにウサギの資格を有している。
だからそんなうさちゃんの耳をつくる必要もないのだが、やはりやらないと駄目なのだろうか?




『無理にしていただかなくてもいいんですけど、萌え萌えじゃんけんしてくれた方がメイドは嬉しいにゃん』




にゃんって、ウサギだか猫だかわからんことになってるけど、ええーと僕は一体全体どうすれば良いだろうかと思い悩み、TONARIXに助け舟を求めるように彼を見た。




すると彼は薄笑いを浮かべ、完全にメイドを見下しているようである。
俄然メイドを辱めてやろうとしているのが表情に表れていた。




こんな奴にどうすればよいか相談なんぞ出来やしない。
しかし、やるかやらぬかの回答は直に出さねばならず、さあ大変困ったことになった。

それにしても『萌え萌えじゃんけん』である。

これをやれば、人間世界の悲惨。
やらなければ、我が破滅。
進もう、メイドの待つところへ、我々を侮辱したメイドの待つところへ、賽は投げられた!

僕はカエサル真っ青の決断を下した。




『・・・萌え萌えじゃんけん、お願いします』




云ってしまった。
云ってしまったが、最後言葉は記憶に残り、記録に残る。
この言葉は命を吹き込まれ、言霊となり、メイドの脳にインプットされたのである。




『ふああ、メイドは嬉しいですぅ』




よほど嬉しかったようである。
メイドのシェラスコのような足が、ブルルンと震えた。




『それでは、いいですかあ?』




良いわけがないが、良いといってしまった以上やるしかないだろう。
僕は、メイドの踊りを見よう見マネで、右手で招き猫、左手で招き猫、最後にうさちゃんの耳を作り、メイドの調子にあわせて歌った。




『萌え萌えじゃんけん♪じゃんけん、ポン♪』




・・・・・。




見事に打ちのめされた。
3本ともストレート負けを喫してしまった。
恥ずかしいとわかっていながら、勇気を振り絞って『萌え萌え』と歌い踊りそして狂いしたものの、シェラスコに負けた。





『ご主人様、ごめんなさい。メイドは負けようとしたんですけども』




うるさい。
そもそもじゃんけんなんて意図的に負けれるわけないだろう、ばっきゃろう。
シェラスコ野郎に苦杯をなめさされた僕は、もうTONARIXの仇討ちに期待するしかなくなった。

TONARIX、俺の仇をとってくれ。
と僕が祈るやいなや、もうTONARIXはメイドと萌え萌えじゃんけんを始めていた。




TONARIXはやる気がみなぎっていた。
喫茶中に響きわたらんかと思えるような声で、彼は『萌えおい!萌えおい!』と叫んでいた。




『萌えおい!萌えおい!じゃんけん!じゃんけん!ポーン!』

ポーンの声は凄まじく、耳を劈くようであった。

『よっしゃー』




一本目はTONARIXがとった。
この略して萌えじゃんは、この一本目で勝負が決したといってよかった。
彼は、よっしゃーの掛け声とともに目をひん剥き、口からよだれを垂らして、メイドを威嚇した。
勝負に勝つということが、いかに精神的な部分によるものかを、メイドに示したのである。




『萌えおい!萌えおい!じゃんけん!じゃんけん!ポーン!』

『よっしゃー』




2本目もTONARIXがとった。




『萌えおい!萌えおい!じゃんけん!じゃんけん!ポーン!』

『よっしゃー、勝ったどー』




完全に狂ってやがるぜ、ベイビー。
TONARIXは勝利の雄たけびをあげたのであった。




『ご主人様は強いにゃん』

負けたのにもかかわらず、嬉しそうにしているメイド。
まんざらでもなさそうである。
こいつも狂ってやがるぜ、ベイビー。




メイドはフリルいっぱいのエプロンからクッキー入りの袋を差し出した。

『はい、手作りクッキーです、ご主人様』

と云って、メイドは去っていった。




手作りと銘打っているだけに、どんなクッキーが出てくるのか興味があったが、意外や意外その形は整えられており、美味そうに見えた。
TONARIXは戦利品であるクッキーを手渡されるやいなや、バリバリとその封を開けて、クッキーを貪り食った。




ボリボリ、ボリボリ。
TONARIXの噛み砕く音が聞こえる。


『美味いか、そのクッキー?』


『普通じゃ』


TONARIXは、そっけなくそういって、2枚目を食いはじめた。
あの激闘を勝ち抜き、やっとのことで手にしたクッキーを普通だと言い捨てる彼をみて、いやはや強靭な男であるなあと、妙に感心してしまった。
彼でなければ、何回も繰り返される『萌え萌え』の呪文によって呪われているところである。




しばらく経った後に、僕たちは憧れのメイド喫茶を後にした。




店を出るとき、メイドが一斉に
『いってらっしゃいませ、ご主人様』
と見送ってくれた。




そんな彼女たちの目には、TONARIXが着ていた鳥肌実Tシャツの文字が見えていたはずである。




玉と砕けよ!




狂ってやがるぜ、ベイビー。








minoru          tonarix




左は鳥肌実。

右は靖国神社で拍手を打つTONARIX。








僕の文章がイマイチという理由で、親父から先日アドバイスを貰った。

しかし僕が頭が良いほうではない。

ただアドバイスをもらっただけでは、親父の意図が理解できない。

だから、アドバイスだけでなく僕の見本となるような文章を書いてくれと頼んだ。

すると親父は意外と素直に引き受けてくれた。

今日は、そんな親父から送られてきた手本を掲載したいと思います。

これが僕の見本とするブログです。


どうぞご一読ください。



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久しぶりに 馬券を買った。10月30日の天皇賞だ。




先日の大穴のニュースが頭のスミに残っていて,もしかしたら,自分もと新聞を見て予想をしてみた。

リンカーン,ハーツクライ,ゼンノロブロイの三頭 これで決まりだと思った。
他に気になる馬もいたが全部ハネた。

データーの検討もしてみたが最終的にはよくわからないというのが本音である。勝ったヘヴンリーロマンスなど思いもしなかった。

だいたい牝馬が牡馬に勝てるわけが無いと思って,最初から牝馬は外していた。




こんな思い込みが時間の経過とともに固定化し,自信にまでなってしまう。  
よくする失敗の原因はこの手が多い。  今回もそれである。



買う前に息子に聞いてみた。競馬については息子に一目置いている。

「おみゃぁ どうするんにゃぁ?」  普通に言えば「お前なら 何を買う?」である。


「今回は買おう思うとらん。仕事もあるし。」と息子。


いつもは丁寧に予想を解説するのに今回は意外に淡白である。




「自信がないんか。」と思って広島にいる次男に電話した。彼も最近競馬を始めている。




大分待たされた後

「あっ 競馬のこと。ちょっと待って。栗川さ~ん。親父の話聞いてやって。」
競馬通の従業員に電話を代ってしまった。


栗川さんは私の言ったとおり復唱して、

「3ー10ー13のボックスですね。はいはい。買っておきましょう。」

アドバイスも何も無い。

気を回して馬券購入の手配までしてくれた。




結局今回は自分の力だけで馬券を買った。




夢膨らむ数時間を送ったが,仕事の都合でテレビの前でのドキドキもあじわえず。

息子の


「大穴じゃったでぇ。ありゃ馬主しか買えんでぇ。」


という電話で終わってしまった。




「牝馬も強いんかぁ」が今回の収穫。

「愛子様の即位もいいなあ」、しばらく経ってからの感想。




エリザベス女王杯は  頑張るぞぉ。





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どうでしたか?

素晴らしいセンスでしょう。

息子の僕も感服です。



皆さん、是非感想をお聞かせください。

よろしくお願いします。





陰鬱なメイドに導かれて、僕らはメイド喫茶に足を踏み入れた。




この喫茶店は、メイド喫茶を専門にしているところではなく、ショーケースショップが本業であるお店が、そこのスペースの一角を利用して片手間営業をしている店だった。
適当な机と適当な椅子を5つほど並べただけの、高校の文化祭で3年2組が教室をチンチクリンに飾り付けて、やっちゃってしまったような喫茶店といった実にそんな風情の店である。




ショーケースショップとは、僕も初めて知ったのだが、50センチ四方のアクリル製のショーケースを月々いくらかで貸し出し、そこを借りた人(オーナーと呼ばれていた)が、自分の売りたい物品を、ショーケースに陳列させ、ヘラヘラ笑っている店なのだ。
そして陳列させた物品に買い手がついたら、そのショーケースショップの店員が、オーナーの代行で買い手と売買をするという実に不思議なシステムで営業している店なのである。




それにしてもショーケースに陳列された商品が、これぞ秋葉原というものばかり。
なんとかという美少女アニメのフィギュア、なんとかという美少女ゲームのフィギュア、なんとかとう美少女じゃない秋葉系アイドルのフィギュア、もうフィギュアしかないのである。

しかし、店に集まっている客は真剣にショーケースを覗き込んで、フィギュアがいかほどにレア商品なのかを吟味しているのである。
おそらく心の中で『萌え~』といってるはずだ。




店の一角ではメイドがフリフリのエプロンを着ており、ショーケースの前ではオタクが萌え~と唸っている。




この店こそが、僕らが求めていたオタクとメイドが見事に融合した場所なのではないかと得心し、僕は思わず感激した。
まさに秋葉の象徴的光景であった。




しかし、僕らの人生旅行はまだ終わってはいない。
これしきのことで感激してはならんのだ。
僕らはメイド喫茶で、オタク気分を満喫しつつコーヒーを飲なければならないのだ。




僕は初志を思い出し、陰鬱なメイドの案内に従ってメイド喫茶と呼ばれる一角に通された。
そして僕らがそこ到着すると、待機していたメイドが、一斉にこちらを向いて、笑顔いっぱいでこう云ったのである。




『お帰りなさいませ。ご主人様』




なー、ご主人様だと。
この三十男を二人捕まえて、ご主人様だと。
なめとる。




と一瞬、憤りそうになったが、ここはメイド喫茶である。
お客はお客様ではなくご主人様なのだ。
そして従業員はメイドなのだ。
メイド喫茶の基本ルールはそうなのだ。
郷に入れば郷に従えである。




よし、俺はご主人様だ。
『今帰った。湯漬けをもて』
となんとなく江戸時代のご主人様になってみたりした。
あくまでも心の中でだが。




と葛藤しているあいだに、『ご主人様、お席をご用意しております』とメイドに案内され、『あっ、はい』などと気弱げに答えてるうちに、僕らは安いパイプ椅子に座らされていた。
そしてしばらくすると、この席の担当だとぬかすメイドが、注文をとりに来たのである。




このメイドが強烈に不細工だった。
髪はミュージカルのアニーのカールが少しゆるくなった程度のパーマで、全体的に肉厚、足は切り削ぐ前のシェラスコ、つまりデブちん、顔は前述のとおり不細工、そんな彼女は頑張ってアニメ声を出そうとしているのである。
しかし、この努力はまったくの逆効果。
TONARIXの眉間にしわが寄っているのが、何よりの証拠だった。
おお怖っ。




メイド    『ご主人様、何になさいますか』

僕      『あ、アイスコーヒーをお願いします』

メイド    『そちらのご主人様は、お決まりですか』

TONARIX 『じゃあ、僕もアイスコーヒーで』

メイド    『それではお持ちしますので、お待ちください』




この注文をとっているあいだ、メイドはシェラスコのような両膝をずっと床につけいていた。
なるほどメイドはご主人様より目線を高くしてはならないである。




しばらくするとメイドがコーヒーを持ってきた。


『お待たせしました。ご主人様、メイドがシロップとミルクをお入れしますが、入れてよろしいでしょうか』


アホか、そんな恥ずかしいこと出来るわけないやろ。

『なっ、そんなん自分で入れますからいいっす』

僕はすぐさま遠慮こうむったが、TONARIXがいやらしい目付きでいやらしい言葉を吐いた。


『むしろミルクを入れたいんじゃないの、自分』

『はい、メイドですから』




なーーー!
SとMの需要と供給が一致しているじゃないか、お前ら。
普段はM気質のTONARIXさえもサディスティックにしてしまうとはメイド喫茶まったくもって侮れない。

そんな状況下、もうこれは不可抗力である。

仕方ないから僕もミルクとシロップを入れてもらった。




メイドがくるくるとストローでもってミルクとシロップを攪拌する。
氷がカラリンと高い音を立てた。

この痛い光景は何なのだ、一体。
しかし痛いのはこれだけではなかったのである。




『あのう、ご主人様・・・』
攪拌を終えたメイドが云った。

『あのう、ご主人様。本日は萌え萌えデーなのですぅ』




そして、僕らはこの言葉から始まる、語るも恥ずかしい行為に至ったのであった。





《眠くなったので次回へ》












未踏の地というのは、存外近くにあるものかもしれない。
それはすなわち他人の領分のことである。




自分とは考え、趣向、性癖を異にする人達というのは、これはもう数え切れないほどいるので、考えるのも面倒くさい。
しかし、面倒くさい嗚呼くさいくさいと云って、自分とはまったく異なる座標に位置する人々との交流を避けいては、人間としての進歩は望めない。
まずもって『人生は旅である』という言葉があるくらいだから、人間として生まれてきたならば自分が踏み込んだことのない人間世界を進行すべきだ、そこに住む異人種と積極的に交流すべきだ。




よし決めた。
常に向上心をもって、どんどんどんどんどんどんどこどんと、人生を旅しようではないか!



と、まっこと気高い志のもと、僕は友人でアンガールズ似であるけれどそのどちらにも似てないTONARIXと共に、僕らとはまったく異質である人種との交流を持つことにした。




その人種とは、オタクとメイド。
僕らは、この人種と交流を持つべく秋葉原に出立した。




TONARIX 『もえええ』



僕      『違う、萌え~じゃ』



TONARIX 『ふにゃ、萌え~でええのんか』



僕      『そうそれでええ。挨拶代わりのキッスならぬ、萌え~じゃ』



二人    『萌え~』




と秋葉原に向かう電車の中で、僕ら二人は彼らとのファーストコンタクトの練習をした。
やはり何事も挨拶が全てを決する。




秋葉原に到着した僕らは、現在話題のメイド喫茶を目指し、電気街をひたひたと進んだ。
目的地に向かう前から、いるわいるわ、メガネ君がそれはもう仰山おる。

秋葉原の入り口近くで、すでにオタクの大群とは、これはもうメイド喫茶はさぞかし常軌を逸した様相を呈してるに間違いない。
はっきし云って胸がドキドキです。




僕らは興奮を隠すことなく、わきゃわきゃはしゃぎながらしばらく歩いた。
すると中央通に面するビルの前に、メイドの格好をした女の子が佇んでいるではないか。

おお早速メイド発見。




よし、声をかけてみようと思ったけれど、いざそうなると初対面なのとあまりにも女の子がメイドなのとで、ビビッてしまい二人でオロオロしてまった。
萌え練も成果なしである。




そうしていると、そのメイドの近くに立つ中年メガネが声を掛けてきた。

『最近出来たばかりのメイド喫茶で休んで行かれませんか?あすこのメイドに案内させますから、さっさご一緒にどうぞ、さっさ』




そのメガネ中年はポン引きだった。
秋葉原にポン引きがいること自体驚きだが、やはり秋葉原、ポン引きもメガネである。

それにしてもポン引きが出てくるとは、メイド喫茶はそういう大人の場所なのだろうか?と一人訝しんでいたら、隣に立つTOONARIXも怪訝な表情をしていた。




そんな僕ら二人は、ポン引きのメガネ中年にいいように促されるまま、メイドのあとをついて行った。
そしてとうとう目的のメイド喫茶に足を踏み入れたのである。




ちなみに僕らを誘ったメイドは、陰鬱な感じのする女だった。







《眠たくなったので、つづく》






僕もそうだったが、ちゃらちゃらした感じの輩や大学生などは、少し着くずしたような服を着ることがある。
彼らのそんな服は、正直なところキレイなオベベとは決していえない。
しかし彼らはこれがポップなのだよと、意気揚々とした感じで街を闊歩している。




時にこの服装は、昭和前半生まれの初老の方々に、とても良くない印象を与える。
汚らしく見えるらしいのだ。

そんな服装を目撃したときの、昭和前半生まれの方々はよくこう云う。




『よくもまあそんなドンゴロスみたいな服を着て』




実は僕も故郷は広島に帰るうち、3回に1回は、母親にドンゴロスと形容される。
聞いた感じで、僕の服装が気にいらないのだろうとはわかるのだけれど、それにしてもドンゴロスである。




ドンゴロス。
これはいったい何なのだ?
耳触りからして、野卑な感じがありありとするではないか。
あくまでも僕個人の感覚だが、ドブロクが持つ言葉の響きと近いんじゃないだろうかと思う。




『わしゃあのう、ドンゴロスを着て、ドブロクをラッパ呑みするんじゃ』




いやあ、これはヤクザな台詞だ。
とても野卑な男でないと、こんな感じは出せない。




『わしゃあのう、ドブロクでドンゴロスを、びちゃびちゃに汚すんじゃ』




もうこうなると悪い奴じゃなく、むしろ行儀が悪い奴だ。
しかし常識知らずのならず者じゃないと、こんなことは出来ない。
だからどちらにしても悪い。




むむむ。
考えれば考えるだけドンゴロスって奴は、悪い奴が好んで着る服に違いない。
そんな服を着ていると形容されたとは、なんとも気分が悪いじゃないか。




そうとなれば、話は簡単だ。
ドンゴロスのような服は脱ぎ捨て、品のあるお洒落な服を着ればいいのだ。
品のあるお洒落といえば、やはりあの人しかいないだろう。






ドンゴロスを着る童貞諸君、みんなでドン小西を見習おう。







ドン小西

みんなの憧れ、自称お洒落・ドン小西氏。

脱ドンゴロスの鍵を握る人物。




※ドンゴロスがいったい何であるのかは、自分で調べてください。






今日は会社の人たちと餃子で有名な銀座は天龍で飲み。




美味い餃子に舌鼓を打ち、気分良く帰宅後、ブログでも書こうかとPCを立ち上げると、思いもよらないこと起こっていた。




な、な、なんと僕の実父から、コメントが入っていたのだ。




正直なところ、かなり頭の痛い内容ばかり書いているので、これを肉親、ましてや親に読まれるのは、非常に気まずい。
いや気まずいどころか、終生会わせる顔がないといったところが本心である。




よく言われる言葉で、『家から作家がでたならば、親兄弟はもとよりその親族までも恥をさらす』というのがある。

僕は作家でもなんでもないし、一市井のブロガーであるが、恥をさらすといったことに関して云えば、作家のそれ以上であろう。




下品極まりない言葉を羅列することのみを目的としたようなブログである。
それをネットを利用することで、世界に展開している。
まったくもって絶縁に値する行為である。
だから親族一同から非難されてしかるべきであると、僕自身深く反省しているところなのだ。




しかし父親のコメントは、そういったところへの言及はされておらず、むしろ本ブログに対する駄目出しが書かれてあった。
父親のコメントは、以下のとおりである。



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元気が出たのかと思い少し安心しました。
プログを読んでみると完全な復活には至ってないようだね。
アドバイス
文章が勢いとテンポに欠ける。理屈は少なめなのがベスト。


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息子のブログ復活を、元気になったと喜んでくれているのかと思いきや、勢いがない、テンポに欠ける、理屈が多いときた。
僕の精神面を気遣ってくれるのは大変嬉しく思うが、それ以降は全てを否定するかのよう。

勢いがあり、テンポがよく、理屈少なく読みやすい文章が書ければ、サラリーマンなんぞケチのついたような職業についておらず、今頃はお気軽にエッセイでも書いて、悠々自適に生活している。
それが書けないからブログを書いているのだ。そこをわかってもらいたい。




しかしもっとわかってもらいたいものがある。




それは父親ならば、文章云々よりも、内容が下品過ぎるから『やめなさい』という心を持ってもらいたいということである。
一般的な父親ならば、まずもってこう云うであろう。

しかし、父親のコメントは、文章に対する否定はしているものの、むしろアドバイスを意識して書き続けろと云わんとみえる。




・・・理解があるのかないのか、ほとほと困惑するしだいだ。
こんなことで良いのか、父よ。





でも、ありがとう。





中学一年生のとき、貴方が読めと薦めた『潮騒』は、こんな下品な内容をさらすブログに結実していまっているが、それでも僕は東京の汚い空の下、これからもブログを書くことでしょう。

適度にアドバイスを参考にしてね。








最後に僕からアドバイス!


投稿者『親父』部分に自分の正体がわかるようなリンクを貼るのはやめなはれ。
それが個人的なものならまだしも、学校のリンクは最悪。
このブログは教育に良くないし、親父自身教育者として疑われるぞ。
でもコメントはせっかくなんで残します。



 イタリアはローマで、何とも珍奇な条例が可決されたとのニュース を見た。




その条例の一例を挙げると、以下のとおり。



金魚を金魚鉢で飼ってはならない。

また金魚や動物などを縁日などで商品として扱ってはならない。
そのほかにも日常的な犬の散歩の義務付けを謳った条項もあるらしい。




 なぜこのような条例を可決するに至ったのか、その根拠が知りたいところであるが、その問いかけに対するローマ議会の見解は発表されてない。

 この条例について報じたイタリアのイル・メッサジェロ紙は、以下に伝えている。




 『丸い金魚鉢で飼育すると金魚の視界が歪んじゃって、目がわるくなっちゃうんだよね。それじゃ金魚がかわいそうだろ。だって金魚をはじめペットたる動物たちは、ちょっとした愛情を引き換えに、その存在で我々の生活を満たしてくれるから、彼らに出来る限りのことをしてあげるべきだと思っちゃったんだよねえ』




 こんな条例がまかりとおるとは、もう世界も末期である。
鳥肌実によって、ホップ・ステップ・玉砕されるべきである。
そして牛のペニスを、菊の御紋にぶち込まれて、失神すべきだ。




 そもそもローマ議会は、金魚の存在を取り間違っているところから、笑止千万だ。




金 魚は自然の産物ではない、人間のエゴがつくりだした改良品種である。
金魚の体のつくりからもわかるとおり、あんな泳ぎに不適な体の魚など見たことない。
あれでゆーらゆらと泳いでいようものなら、ブラックバスなどの獰猛な外来魚や、川辺に住み着くルンペンに食べられてしまうに違いない。
むしろとうの昔に自然淘汰されているはずである。




 金魚は、突然変異のヒブナの交配を重ねて作られた鑑賞魚である。
異常なほどに目を大きくさせた出目金、未熟な背びれを持つものを交配させてランチュウ、頭部の肉腫を発達させた獅子頭。



 これらは昔から金魚師が考えて考えぬいたすえにつくった、ある意味においては芸術作品なのである。

つまり観られるために作られた金魚師の作品なわけだ。
金魚師の金魚に対する情熱は、岡本かの子の『金魚繚乱』にみてとれるが、それは並々ならぬものがある。



 芸術作品たる金魚は観られることで、はじめてそのアイデンティティを有するに至る。
観られない金魚なんぞ、金魚ではない。
観られて、愛でられてこその、金魚なのである。

しかも金魚は、美しく観られれば観れるほど、その存在意義を高め、そして美しければ美しいほど、それを愛でる人間の心癒す。




そういった金魚のアイデンティティが理解できたならば、丸い金魚鉢は金魚を美しくみせるためのものであることは自明であることがわかってくる。
丸い金魚鉢は、金魚の存在意義を高めるために発明された、完全に金魚サイドのものなのである。

丸い金魚鉢ほど、金魚の美しさを引き出すものはない。
これらのマッチングは、まさに核融合。




金魚が芸術絵画だとすると、それに相応しい額縁が金魚鉢なのである。




視力が悪くなるからだなどという、真偽のほどもわからない理論で条例を成立させるなど、見当違いも甚だしい。

金魚鉢は、金魚のためにあるものなのだ。
このような輩に動物愛護を高らかに掲げる資格はない。




こんなことを書くとコイツは動物嫌いなのかと思われる方もいるかもしれないが、僕は金魚が大好きである。
嘘じゃない。
なんなら彼女に聞いてもらっても結構。




金魚が好きだからこそ、こんな幼稚な条例に、僕は憤るの!