先日、部長と室長に朝一番に呼び出され、異動辞令を受けました。

任務地は、杜の都は仙台です。


さむそ。


まったく予期してなかった。

仙台とはね。


前向きな異動だから、頑張って欲しい!

と云われたものの、地方に栄転という話は聞いたことないし、やはりそういうことなのだろうか。


今の部署にずっといたいとは思ってなかったし、出たいとは常々要望していたので、念願どうりの異動ではある。

ではあるが、仙台である。

行ったこともなければ、日本地図眺めてもほとんどスルーしていた土地。


でも、腹はくくったから、もう考えてもしょうがない。

しょうがないというか、面倒くさい。

面倒くさいし、首がまわらないので、後ろは振り返らないことに。


これからは、現実的に問題を解決しなければならない。

まず家族と家の問題。


嫁と相談し、嫁が仕事を辞めるまで、数ヶ月は単身赴任することになった。

マンションは、賃貸にすることに決定。


向こうの家賃は会社の補助が出るから、ほとんど金が掛からないと考えると、これはかなり金が貯まるな。

守銭奴なオレとしては、ここだけは嬉しい。


まあ、そんな感じで、あっちでも適当にやっていきます。








話は変わって先日、バリ旅行に行きました。

写真をだけアップします。



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お土産屋で見つけました。

耳アリドラえもん。

黄色はわかるが、青色のドラえもんに耳つけるな!

ドラえもんのこと、何にもわかってないのに、日本人をなめとったら、耳を落とすぞ。



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一人、天下一武道会。

嫁がしぶしぶ撮影に応じての一枚。



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雨季、花、太陽。




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ホテルのプライベートビーチ




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ホテルの中庭で、はしゃぐ中年戦士。




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これぞ、バリ。

何も考えてない、午後のビール、美味し。




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八つ墓村(OYAKUSOKU、爆笑)





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シンクロのBOKU (OYAKUSOKU、大爆笑)

奇跡的なことかもしれないが、卓を囲んで中国語の勉強しかしたことのない先輩Kさんが、TOEICの勉強を開始した。
理由は単純で、ウチの会社は昇進条件にTOEIC600点を掲げているからであり、そしてKさんの点数は200点台しかないからである。



リーマンとして生きるのは大変。食うためには、得意の中国語は必要なく不得手な英語が必要なのだ。
ちなみに彼の中国語の実力は、その日に役満を3回もあがったのにもかかわらず、結局2着で終るというものである。
南無。



そんなKさんに、僕は役立つ英語サイトを教えてやった。

もとえ案内した。
それは「リア・ディゾン」のブログ である。

よしっ。


推薦の理由は彼女のブログが、日本語と英語で書かれていて、リーディングに役立つと思ったからであるが、本当の理由は、俺がリア・ディゾンを猛烈プッシュしているからである。
ブログの出だしが「みんなーげんきー、リアは元気だよー」から始まるからであるからであるであるある。
とてもよい。



もちろん家のなかでも、俺は嫁に対しリア・ディゾンをプッシュしてる。
「リアは良すぎる。間違いなく、これからはリア・ディゾンだ。君自身のためにも彼女をよく覚えておいたほうがいい」
嫁は、半ば諦めにも似たような表情で俺を見て曰く。
「でも貴方、日本では外人顔のタレントは結局流行らないそうよ。恐らくこの娘は消えてしまうわ。こんなこと言って気を悪くなさらないでね」



・・・・。



であるならば、なぜにベッキーは消えないのだ。
俺はベッキーが嫌いだ。
それは開口一番「みんなーベッキーだよー」っていうからであるであるからしてそうなのであるある。


いずれにせよ、KさんのTOEICと平成の黒船リア・ディゾンとベッキーへの怒りは、このように俺のなかでリンクされている。



※ちなみにうちの会社でリアのブログを見ようとすると「カテゴリーADLUT」ではじかれてしまう。なんて先見性のない会社だ、まったく。






この3連休は、嫁の「イチゴ狩りに行きたい」という一言から始まった。



朝は7時に起きて、シャワーを浴び、昨日終電ダイレクトベットイン俺すなわち酔いどれ状態から、覚醒。
嫁を起こして、レッツ「イチゴ狩り」と張り切ったものの、高速で即渋滞に巻き込まれる。
その渋滞で東京に出るまでに1時間30分を要し、さらに目的地の海老名までは渋滞18キロなんだと。



もう知らね。
イチゴ狩りなんて、もう知らねと駄々子。



「貴方、もう私は結構ですから、帰りましょう」と嫁。



できた嫁だ。

帰りに、TSUTAYAに寄って、映画を借りることにする。



ガンダムにする?それともガンダム?
結局、ガンダムなんじゃん!と浮かれる俺、くだらぬ一人突っ込み。まさに庶民。



嫁「・・・、ガンダムは、お一人で観てくださいな」



結局ユナイテッドステイズオブァナメリカで話題独占の「LOST」を借りることに。
で連休の残り2日丸々「LOST」を観続けて、とうとうシーズン1を制覇した。



このドラマは卑怯です。

何も解決せぬまま、気になるシーンを最後にチラリして、「次回へ」にまわす。
そして結局シーズン1は、謎が何一つ解決されないまま終わってしまう。



ご贔屓のAV女優の新作を鑑賞し、めちゃくちゃ興奮しているのに、ヌキどころが判らぬまま睾丸だけがパンパンの破裂寸前状態になって終り、えっまじっすか!



そんな感じな卑怯さ。



ドラマの内容云々より、この次回を期待させるこの演出方法に、やられた。
でも、しっかり製作サイドの思惑通り、わくわくしながら、次回を待つ俺。


世界は1人のドSに99人のMが従って成り立っているらしいが、完全にドS様にまわされている俺。
まさに庶民。



はふ。






久しぶりに更新しようと思います。
最後の更新が12月4日となってて、ブログを2ヶ月近く放置していた。
なんで放置していたかというと、「めんどー」になったからである。


7月に行き、その後チビチビと更新していた「新婚旅行」についての記事も、フェレンツェを書いてのちに、
ヴェネチアの内容を書こうと思ったけどめちゃくちゃ「めんどー」なので書いてない。



というか時間が経ちすぎて書く気も失せた。
というか記事にするほど詳細をもはや覚えてない。



なので、てきとーに写真をアップさせてザ・新婚旅行は、さっさと終わらせようと思う。
それでは、てきとーに、どうぞー。


sanmaru3


サン・マルコ寺院。

すごく見たくて、すごくよかった。

ビザンティン的。


sanmaru

サン・マルコ寺院正面。

共和国元首の所有物だったので、ヴァチカンの直接的な統治を受けてなかった珍しい寺院。


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サン・マルコ寺院の壁画

聖マルコをヴェネチアに持ち運んだエピソードが描かれていた。

縁起絵巻的な。


kesiki

グランド・カナル。

ヴェネチアを逆S字に縦断している大運河。

地元の尾道水道を思い出した。


riaruto

リアルト橋

グランド・カナルに渡る橋の一つ。

グランド・カナルはヴェネチアを流れる大運河。

運河といっても海だから、運河じゃないんだけどね。


lion

サン・マルコ広場をゴンドラ乗り場から。

中央の翼を持つライオンは、ヴェネチアのシンボル。

キリスト教の聖人は、動物にシンボライズされていることが多く、聖マルコはライオンにシンボライズされる。

だからヴェネチア共和国は、この翼のライオンがシンボルなのです。


hikari

ゴンドラから。

ゴンドラ値段高い。水汚い。


jijii

すれ違うゴンドラを。

オーソレミーヨを歌っておりました。

これも結構いい値段で歌っているはず。

miller
ゴンドラから。

運河には、ゴンドラ同士の衝突をさけるために、ミラーがいたるところに設置されている。

運河が道であるため、当たり前のことなのだろうが、珍しいと感じる我がおり。

marukoporo
マルコ・ポーロが住んでいた家。

そのままの状態で残っている。

ヴェネチアは、聖マルコ、マルコ・ポーロとマルコがとマルコでマルコが有名です。


gondora

ゴンドラから。

ユラユラと進みます。


kinpatu

ゴンドラから。

素足をぶらつかせ、涼しむ金髪姉妹。

犯罪だろうと何だろうと、可愛らしいので撮った、何か。

keshiki

ゴンドラから。

これってバロック建築だろうか?

わからんが、それらしい家だったので撮っておいた。


murano
ムラーノ島で。

ヴェネチアングラスで有名なムラーノ島。

日産ムラーノはこの島の名前をとっている。

rido

遠くに見えるリド島。

「ベニスに死す」の主人公は、リドに逗留していたなぁと思い出し。

美少年の微笑みがいいかどうかは、よくわからんが。



以上で、ザ・新婚旅行は終了です。

次回から普通の日記を書きます。
























6日目の朝。



ponte  

ウッフィッツ美術館からのヴェッキオ橋

(ディズニーシーに、これを模倣したものがある)




本日はフィレンツェ最終日。



昼過ぎには、最終地ヴェネツィア行きのユーロスターに乗車しなければならぬため、最終日といえどあまり時間はない。
この日は、AMはウッフィツィ美術館で芸術を堪能し、PMは空いてる時間で嫁のお目当てとしてるサンタ・マリア・ノッヴェッラ薬店に行く予定。



朝起きるなり、出発の準備に取り掛かり、セコセコと衣服を纏める。
持ってきた服が、夏の太陽のせいで、ことごとく汗ビショの潮吹きファック状態となってしまい、それらを昨日地元のコインランドリーで洗ったのだが、このコインランドリーの利用客が全員観光客(ジモPは皆無という状況)で、さまざまな国の言葉が入り乱れ状態。
待ち時間は長かったが、小さな事件もあったりして、彼らとコミュニケーションすることが出来、意外と面白かった。



朝食をとり、フロントで荷物を預け、そのままチェックアウト。
ウッフィツィ美術館へ行く。



まずウッフィツィ美術館とは、どんな美術館かというと。
(面倒なのでWikipediaから引用する)





イタリアルネサンス絵画で有名な美術館である。
1591年より部分的に公開されており、近代式の美術館としてヨーロッパ最古のものの1つである。
またイタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大のものである。
1982年に世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として認定されている。

メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。
展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されている。



というわけで、大変な美術館なのである。




10時に到着すると、入り口には既に長蛇の列。
行列は、美術館の通路としても機能する中庭を、ぐるりと一回りしている。
この列に並んで、入場するとなると、軽く1時間は掛かりそう。



当日は、ダビデ像で有名なアカデミア美術館が閉館しているということもあり、観光客がウッフィツィ美術館に集中したのだろう。

我々夫婦は、日本で既に入場予約チケット購入していたため、長蛇の列に並ぶ民衆を横目に、スイスイと入場。
まるでディズニーのファストパス。



入場して、さて、ここから名画のオンパレードですよーとなるところで、嫁がトイレに。



その待ち時間の間、美術館の廊下を、興奮気味にうろつく。
ウッフィッツィ美術館の廊下には、ローマ時代の英雄、偉人、神々の彫像が何十体と置いてあり、それを追っていくのが楽しくって仕方ない。
完全に嫁のことを忘れる。



あっ、スキピオ・アフリカヌス、おおキケロ、カエサルはやっぱり禿げやな。トライアヌスとくれば、次は髭もじゃのハドリアヌス・・・・と、ひたすら英雄像を追ってしまい、気が付けば、中庭を挟んだ向こう側の別棟に来ていた。



もう少しで、嫁とはぐれてしまうところだった。



さて、興奮もさめやまぬままに室内に入る。

ここには、名画の数々が一つの風景のように、展示されてる。



世界的にいっても、頂点に位置するほどの贅沢な空間に、今僕はいるのだ。



中でも、特に僕のお目当ては、アンドレア・ヴェロッキオの「キリストの洗礼」。
作者であるアンドレア・ヴェロッキオは、ダ・ヴィンチの師匠にあたる人で、この画をもって断筆している。



断筆の理由は、この画に描かれてる天使の一人を、ダ・ヴィンチに描かせたところ、その出来栄えがあまりにも素晴らしいものだったため、それを見た瞬間、ヴェロッキオは己の才能の限界を悟り筆をおいたと、言われている。
日本人なら、千代の富士に引退を決意させた貴花田(当時の四股名)との一番を、髣髴とさせるエピソードである(?)

この画は、ダ・ヴィンチの実力を知らしめた最初の作品といえ、非常に興味深い作品。



だけども、僕はこれまでその画を書籍で見る限り、ヴェロッキオの描いた天使と、ダ・ヴィンチの描いた天使に、断筆を決意させたほどの違いを見出せていなかった。



それは、「実物」を見ていないことと、当然ながら僕にそれほどの眼力がないことが、原因であるのだが、しかしそんなことをを恐れず、今回僕は「ダ・ヴィンチ」の描いた天使が、断筆を迫るまでに素晴らしいものであるか否かを、ここで確認したかった。


天才ダ・ヴィンチに対し、厚顔無恥にも懐疑心むき出しで、「キリストの洗礼」に対峙したかったのである。
そのエピソードが、天才にありがちな後付エピソードであるような気がしてならないという、非常にスケールの小さな理由により齎されたものなのだが。



僕は「キリストの洗礼」の前に立った。

果たしてその感想はというと、紛れもなくダ・ヴィンチの描いた天使は、別次元の創作物だった。
芸術作品に対し、眼力のない僕が観ても、それは明らかだった。

「ぜんぜん違うわ」

天才とは、こういうものなのか。



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【これが「キリストの洗礼」 左端の天使がダ・ヴィンチの手による天使】





ウッフィツィ美術館を辞して、シニョーリア広場横の皮手袋専門店で、嫁がお土産を購入。
サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂横の、デリカテッセンで、ランチ。
本格的なレストランより、こういった安い店のほうが、美味かったりする。

外国の不思議。
その後、嫁お気に入りのジェラート屋で、ジェラートを食す。
チョコレートが濃厚で、美味し。



ホテルに戻り、預けていた荷物を受け取って、イタリア最後の目的地である海の都はヴェネツィアへ向かうことに。




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【 鎧を身に付けた立ち姿や、眼差しと鼻梁からは男らしさが伺えるが、一方、首さしの細さや身体全体からは女性らしい柔らかさが伺える。フィレンツェで感じたことは、人の感じる美しさとは「中性」にこそ現れるものなのかもしれないということ 】




ユーロスターを待つ間、フィレンツェで絶対立ち寄ろうと決めていた薬局が見つからなかったことを、嫁が悔しがっており、非常に顔が暗い。



このフィレンツェ滞在中、毎日のようにその店を探していたのだが、地図で示してある場所にいっても、店が見当たらなかったのであった。

その薬局は、「サンタマリ・ノッヴェッラ薬局」といい、名前からもわかるようにサンタマリア・ノッヴェッラ教会内部にあるお店。
もともとは教会が薬を作っており、それをメディチ家が気に入り、自分たちのお抱え薬局として有名になったお店で、世界最古の薬局の一つと言われている。
店内の壁には、当時のフラスコ画が残っており、入店するだけで歴史を感じるそうである。



嫁 「あーあ、あそこでお土産の石鹸を買おうと思っていたのにぃ・・・」 とブツブツ。



時計を確認すると、出発まであと20分ある。
地図を再度確認すると、店がある場所は、ここから歩いて5~10分くらいのところ。
走って3分、見つける時間を10分取っても、なんとか戻ってこれそうだ。
10分探して見つからないようであれば、諦める。



よし、いっちょ見つけてきますか!




「俺、もういっぺん店を探してくるわ」


「えー、もうユーロスター来ちゃうよ」


「来るまでには戻ってくる」



と、再びフィレンツェの街へ、嫁のためにゴー!



地図を頼りに、薬局があるであろう地区を目指す。



「確か、このあたりだったような・・・」



サンタマリア・ノッヴェッラ教会の裏手の壁沿いを、きょろきょろとしていると、薄汚いドアがあり、小さな字で、



「サンタマリア・ノッヴェッラ・○×△□・・・」



と書いてある。
サンタマリア・ノッヴェッラ以降に書かれている文字はよく分からなかったが、それらしい感じがする。



ここだろうか・・・。



ドア越しに中を覗くが、店らしい様子はなく、ただ廊下があって、その先に階段が見えるだけ。
恐る恐るドアを開けて、足を踏み込むと、柑橘系の香りが漂っている。



香水か、石鹸かの香りか?



中に入り、さらに奥に進むと、左手に開かれた部屋があった。
そこを覗くと、品物が積まれた木製のカウンターが見える。



ああ、ここだ。



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【これがサンタマリア・ノッヴェッラ薬局店内。これで薬局でっせ!】





中年女性の店員に、カウンター越しにチャオと声を掛け、石鹸を10個ほど購入。
たしかに壁にはフラスコ画が描かれていた。

店を辞して、走って駅に向かう。



手にもつ石鹸を見て、嫁は驚いた様子で、店が見つかったのかと訊いてきた。
とても喜んでいる様子で、これで僕もだいぶ株を上げた。
苦労して探した甲斐があったというもの。



ただ、この話にはオチがあって、日本に帰ってきて判明したのだが、この「サンタマリア・ノッヴェッラ薬局」 なんと日本にも支店があったのだ。
せっかく走って買ってきたというのに、これではプレミア感が薄れて、嫌になっちゃう。




そんなこともありつつ、しかし旅路は最終の地「ヴェネチア」に向かう。
フィレンツェは、もう一度行って、じっくり居座りたいと思うような、素晴らしい街だった。

再び此処で、道端でジェラートを食べつつ、ぶらぶら歩きたい。







【やっと続きを書きます】



五日目。

フィレンツェ二日目の朝は快晴なり。


boku


昨夜のお祭り騒ぎは夢だったのかと思ってしまうほどに、この日の朝は普通だった。

朝食に向かうもホテルの従業員は、自国のサッカー代表がW杯で優勝したことを知らないのか、特に浮き足立った様子もなくたんたんと仕事をしている。
しっかり仕事するんだねえ。
もっと不真面目かとおもっていた、イタリア人のこと。



イタリア人も働かねば飯を食えないのだ。
W杯で優勝しても次の日には腹がへる!(水木翁的コメント)
食べるために働くのだ。



朝食を済ませて、本日のコースは、ドォウモで有名な『サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会』へ行き、そして嫁がお目当てにしているブランド物の何かを物色すること、その他諸々。



ホテルを出てアルノ川沿いを歩くこと20分、そのあたりから街中に向かうと、『サンタ・マリア・デル・フィオーレ』が現れる。
花の大聖堂とはよく言ったもので、たしかに華がある。フィレンツェの象徴。

ご存知の方が多いとは思うが、フィオーレとはイタリア語で「花」の意。
フィレンツェとは、フィオーレから派生した地名で、「花の都」ということらしい。
なぜ花なのか、それは説明が面倒なので、気になった方はは調べてください。
フィレンツェの起源を遡ればカエサルに辿り着くはず。



サンタ・マリア・デル・フィオーレに入る。

観光客がいっぱい。
中に進むと、左手にダンテの画があり、思わずシャッターを押す。
当たり前の話で申し訳ないが、この人はいわずもがなの「神曲」の著者である。


santamaria


当時なぜ神曲がウケたかというと、それは言語に起因する。

ルネサンス当時は、支配階級、知識階級、神職者の人々は、公用語としてラテン語を使っていたが、一方、一般大衆は現イタリア語へと発展する当時のトスカーナ方言を使っていた、というか無学が故に、それしか使えなかったという。
つまり、民衆は、前者が話すラテン語が解らなかったのである。

ところが、神職者は民衆に対しラテン語を用いて説法を行っていた。
これでは無学文盲な民衆は、彼らが何を言っているかチンプンカンプンである。
そこに「神曲」の登場。
「神曲」はラテン語ではなく、トスカーナ方言で記された著書。
それの登場は、キリスト教の世界観を、ラテン語を解さない一般民衆にまで広めた。

ダンテの功績は、神曲を記したことよりも、それを「トスカーナ方言で記した」ことによることのほうが大きい。
ちなみにダンテはラテン語でも優れた著書を記している。


dante ダンテ

ダンテ像を眺めつつ、クーポラの天井を仰ぎ見る。
『最後の審判』が天窓の光に照らされてあり。


hekiga   hekiga2  最後の審判

大聖堂内をぐるりと周って地下に。
地下には以前の大聖堂が眠っており、間接照明のみで照らされたそれは中世の暗い宗教の香りがした。



一度大聖堂を辞して、ブルネレスキ設計のドゥウモを呼ばれるクーポラ部分に登るための入り口に並ぶ。
例の「冷静と情熱の間」の再会シーンの場所に行くのです。
あの映画のヒットが、このクーポラを変にミーハーにした感じがする。
例えば「ドォウモ」という言葉。
これはサンタ・マリア・デルフィオーレが主なる建築物でドォウモはその一部分なのだが、映画のせいで「ドォウモ」という言葉だけが独り歩きし、
さもドォウモが主となってしまっている印象を受ける。



並ぶこと20分で階段を登ることが出来たが、ここから本当につらいところ。
狭く急な回転階段をぐるぐると登る。
何度もぐるぐる、何度でもぐるぐる。
途中少し休みたくなるが、後から後から観光客が続くので、休むわけにもいかず、登り続ける。
嫁がぜえぜえ言ってるが、こちらもぜえぜえなので、仕方ないがほっとくしかない。
途中、『最後の審判』の真下を歩き、間近に悪魔の画を目撃。
悪魔は空想の産物なのだが、なぜかリアルな感じがして。ブルッ。



ぜえぜえすること、何分だろうか?
やっとのことで頂上に到着!



gere  ジョットの鐘楼とフィレンツェの街並み 


いやあ、これは気持ちいい。
フェレンツェの街並が一望。
眼前にはジョットの鐘楼。
街が丸ごと中世の姿だけに、ここから眺望する風景は、本当に現代なのだろうかと感激する。
当然ながら写真取りまくりのジャパニーズと化す。


here   hana 登る途中で窓から

いやいや本当に凄い凄いと嫁とはしゃぎはしたものの、ふと我に返り、このクーポラは梁をまったく使用していない建築であることを思い出し、急に不安になる。
クーポラの底が突然抜けたら・・・考えたら急にケツの穴が、キューン!
高所で感じるケツの穴キューンです。(これって俺だけの感覚?)


kinniku

 ドゥオモから降る階段の壁に、屁のつっぱりはいらんですばい!の落書きを発見



ドゥオモをを降りて、サンタ・マリア・デル・フィオーレに隣接するサン・ジョバンニ洗礼堂へ。
パッツィ家の陰謀。サン・ジョバンニはフィレンツェの聖人。
表の『天国の扉』はレプリカらしいが、観光客はそれでも群れて記念写真を撮っている。
中に入る。
天井には黄金のモザイク。妙にアジア的な感じがして。
キンキラキン。


kore サン・ジョバンニ洗礼堂のモザイク。イエスの掌から流血が。


サン・ジョバンニ洗礼堂を辞して、嫁が行きたがっていたジェラート屋へ。
ここは日本語のメニューがあり助かる。
濃厚で美味い。
途中、日本人留学生が入店してきてイタリア語でペラペラと注文して、そそくさと帰っていった。
イタリア語をペラペラ話されたことに少し劣等感を感じ、ムキャッ。



店を辞して嫁の買い物に付き合う。
miumiuとFURLAでバッグを買い嬉しげ。
思いのほかFURLAの価格が安く、俺も母と姉への土産を購入。
土産を買うって結構根気がいるし、時間も掛かる。
あっという間に夕方、でもまだまだ明るいイタリア。
9時くらいまで日が沈まない。


vekio ヴェッキオ宮の鐘楼を街の中から


その後、ヴェッキオ宮前を通り、ウフィッツイ美術館の中庭を通り抜けて、ヴェッキオ橋に抜ける。
フィレンツェはもちろんいろいろ予備知識を持って歩いたほうがいいに決まっているが、何も知らないで見て歩くだけでも気持ちいい。街自体が中世そのもの。


inoshishi  フィレンツェの名物らしいイノシシ


それにしてもこの国は大の大人が、道端でジェラートを食いまくってて笑える。



歩き周ってここらで夕飯に、ということで昨日とは違うレストランへ。
昨日と比べると味は少し落ちるが、まあまあ美味し。

pasta  ここのパスタ


食っている最中に日本人観光客の女がワインの飲みすぎでトイレから出てこず店員を困らせており、連れの女がチンプンカンな英語で店員に訳を話していた。
飲めないのに気分出してワイン飲むな、ドアホ。

俺はハウスワインがぶ飲みしたけど。



店を辞して、夕涼みしながらホテルまで。
今日も歩きつかれて即身成仏。
五日目が終了。



明日はフィレンツェ最終日、フィッツィ美術館に行きてルネサンスごっこの予定。












四日目の続き。


まずW杯のことを書く前に、前回紹介したレストランテのURLを発見したのでリンクを貼り付けします。


http://www.4leoni.com/


フィレンツェの高級レストランといえばサバティーニだが、クワットロ・レオーネはサバティーニように気取ったレストランテではなく、あくまでもトラットリアなので、田舎風の大衆食堂といった感じで、いい店だった。



さてさてW杯の決勝戦 in Italy。
イタリア-フランスの一戦。




それぞれチームの愛称は、ご存知イタリアはアッズーリ、フランスはレ・ブルー。
どちらのチームも、それぞれのユニフォームの基調色である『青』を意味する愛称で親しまれている。

その一方で、世界にはもう一国『青』を愛称にしている代表チームがある。
日本国、サムライ・ブルー。



商業的な臭い匂いがプンプンする愛称だな、これ。
一体、誰がつけたのか。
剃りたての月代のことを意味するなら面白いが。



むやみやたらにサムライ、武士道を持ち出す今の風潮に、嫌気が差しているのは俺だけか。




さてさて現地時間20:00キックオフ!!
ヨーロッパは20時なのに空はまだまだ明るい。




僕たちは共和国広場のレストランテに移動。
そこの店先に設置してあるテレビで大勢いる立ち見客と共に観戦することにした。



僕はビデオカメラを持ち出して、サッカーに熱狂するイタリア人を観察することにする。
このカメラに本場カルチョの熱狂を閉じ込めてやる。
優勝したら街がパニックに、楽しみ。くへへ。




と思った矢先、フランスがPKを得る。
キッカーはジダン。




ふわりと浮かしたボールはバーを弾くがそのまま下に落下し、ゴールラインを超える。
フランスが1点先制!



ジダンがボールセットする際、一斉に。
『ブッーフォン!!!!』と叫ぶイタリアーノ。
ジジは愛されてます。



PKが決まった瞬間も、一斉に。
『ブッーフォン!!!!』と嘆くイタリアーノ。
ジジは顔が長い。




先制されて、この先どうなることやらアッズーリ!と心配していたら、あっさりマテラッツイが同点弾。
その瞬間、それまで女の子にちょっかいばかり出していた地元の不良たちが、女の子をほったらかして飛び跳ねた。
ガキンチョは椅子の上にのって大はしゃぎし、お父さんも立ち上がって大はしゃぎ。




その後、試合は動くことなく後半も終わり、同点のまま延長戦へ。
僕たちは共和国広場から、場所を移して、シニョーリア広場へ。
シニョーリ広場でも、もちろんテレビ観戦しているバーがある。

というよりも、街にある全てのバーはW杯を流しており、ご近所さんがそこに集まっているといった状況。
今日は、街を歩けば、どこでもW杯を見れてしまう。




延長戦が始まってジダンが頭突き!
もちろん、一発レッド。
我がZVHの神であるジダンがその選手生活に幕を閉じた瞬間だった。



ジネディーヌ・ジダン。
プレーの流麗さもさることながらハゲ頭のほうでも注目され、そのハゲ頭で98年W杯は決勝ゴール2点を決め、
この現役最後の試合でもハゲ頭でヘッドを決めた。
ただ決めた先がゴールではなく人だったのだが。



ハゲ頭に始まり、ハゲ頭に終わったジダン。
あんた、男だよ。
立派なハゲ男だよ。
僕のフットサルチーム『ZVH』の名前は貴方から貰ってるんだ。
ZVHは、【ジダンとベロンのハゲ隠し】って意味なんだよ。
僕たちは貴方のハゲに忠誠を誓って、この名前を途絶えないようにするよ。
今までハゲがとう。




さて試合はというと、延長で決着が付かずPK戦。
最後のキッカーがゴールを決めた瞬間、どっひゃー。
イタリアーノは大騒ぎ!
ここフィレンツェは、お祭りルネサンスに!わっしょい!


bekio シニョーリ広場ヴェッキオ宮をバックに。



フィレンツェの街に分散していたイタリアーノが、徐々に市街地中心に集まってきた。
ここからが本番だ。




大勢で車に乗り込み、窓から身体ごとのり出すなどまさにハコ乗り状態で、彼らは力あらん限り国旗を振り振り、身体も振り振り、そして興奮して何かのイタリア語を叫んでいる。



一様にヘルメットは被っており交通ルールを守っているものの、警笛をブビーブビーと大音量で出しながら、凄い台数のスクーターがやって来て、暴走族的に街中を疾走し始める。



そして、恐らく80歳は超えているであろうお爺ちゃんまでもが車にハコ乗りし、国旗を振りまくって何かを叫んでいる様子を目撃。

死ぬ間際の狂乱だ。
そしておじいちゃんの乗る車を運転していたのはお婆ちゃん、明らかにお爺ちゃんの狂態に辟易している様子。
ははっ面白い。




共和国広場近くまで戻る。
通りを若者たちが、口々に『カンピオーネ!!』と叫びながら、走っている、走ってくる、走って来た、えっ来るの?
そして、目の前まで来たところで、『カンピオーネー!!』と、鼻先一寸の近さで叫ばれ、嫁は抱きつかれ頬にキスされた。
あれほどスリには気をつけろと云ったのに。。。




それを受けてか、イタリアーノの興奮を目の当たりにした嫁がだんだんと怖くなってきたとのことで、しかたないからホテルに戻る。12:30。
市民が大騒ぎしている最中、ホテルの近くで警察を目撃した。
日本だとここで取り締まりに乗り出すのだろうが、ここの警官はタバコをふかして仲間と談笑していた。
取り締まる気配ゼロ。



たしかに無粋なことはしないほうがよい。

よくわかっている警官たち。



風呂に入り、即身成仏・・・のはずが、大騒ぎする声が全くやまないので、気になってなかなか寝つけない。
眠れないので明日のことを考えてみた。



こんなに騒いでて、明日ちゃんと彼らは働くのだろうか。
イタリア人のことだ、働かないかもしれない。いや確実に働かないだろう。
彼らは自国代表チームが優勝して良いかもしれないが、観光客である俺らとしては働いてもらわないとちょっと困るな。
いや、大いに困るなああ、、、、、zzzzz。




やはり即身成仏。
四日目が終わった。
今日たった半日過ごしただけなのに、フィレンツェが好きになりそうだ。




それにしてもイタリアが優勝したときに、当地にいることが出来て、ラッキー池田。




五日目に続く。










四日目の続き。

ユーロスターの車内。





ローマ~フィレンツェ間を、ユーロスターでひた走る。
東京~名古屋間よりも少し短いか同じくらい、ローマからフィレンツェまでは約2時間程度掛かる。
2時間かあ。
ユーロスター居心地悪い。




のび太、もしくはうちの嫁。
と云っても過言ではないほどに、『寝る』ことに関して天才的なマイワイフは、ユーロスターに乗車後10分後には鼻ちょうちん。
Zzzz。
うらやましい。
僕といえば、対面座席に慣れないせいもあって、彼女のように眠ることもできず、読書と車窓の外を眺めることの繰り返しだったのだが。




ローマを出発して20分も経つと、車窓から望める景色が、のどかな田園風景になってくる。
オリーブ畑、向日葵畑、ブドウ畑が、目の前だけでなく遠くまで伸びるように続いていた。
畑、畑、畑ばかりだなとぼうっとしていたが、ふと思った。



ここには山がない。



遠くまで畑が続くのを何気なく見ていたが、こんな風景がこれほどまでに続いているを、よく考えたら僕は見たことがない。
日本で新幹線に乗り、車窓から風景を見れば、眼前には山々の稜線が延々と続いており、また新幹線そのものも何度もトンネルに入り、日本には山しかないのかと思えるほどなのだが、逆にここイタリアは山はないのかと思うほどに平原しかないのである。
国土は日本と同じくらいしかないのに、地形がまったく違う。
当たり前の話なのだが。




塩野七生『ローマ人の物語』で、よく出てくるフレーズに次ようなものがある。



「ローマ軍の強行軍とは一時間に約5キロ移動することである」



読んでいて、ずいぶん速いなあと感心することしきり。
彼らは通常だと一日に20キロ、強行軍だと50キロの距離を進むらしいが、正直僕にはそれを想像することが出来ず、この数字は昔の文献によくある大げさ表現でじゃないか、とも思っていた。


しかし、それは僕が山しかない日本を舞台にして想像していた結果なのであって、彼らは平野、しかも一直線に敷設されたローマ街道を進んでいたのである。


なるほど納得納得、ローマ街道が直線的に造ることができたのも、ここなら納得だ。
(とはいいつつも、彼らは何十キロもの甲冑を身に着けていたので、とてつもなく速いことには変わりない)
などと合点し、一人悦に浸る。嫁は寝ている。




そして、僕の中でもうひとつ合点したもの。
それは丘。
丘と聞いて、どういったものをを丘というのか、僕は恥ずかしながら今までこれを曖昧にしたままだった。


背の高いものを山といい、低いものを丘というくらいにしか思っておらず、その中間はどっちなんだろう??まっいいや、間違いないから山にしておけといった感じである。
しかし、このように平野ばかりだと、少し盛り上がっただけでも、結構それが目立っていて、それがまたモコ、モコ、モコと点在するものだから、なるほどこれが丘なのか、と自然と知覚してしまった。例えるなら、つるつるお肌にニキビが目立ってしまうのに近いといえば、わかりやすいかもしれない。


それが平野に存在する丘なのである。
山に囲まれていると丘の存在が埋没している日本と違い、ここは逆に丘がその存在感を示していた。



こういうように日本と異国の違いを、何気なく感じることができるのは、やはり車窓から流れる風景を眺めているからこそだと思う。
そういった意味では、車窓を通して異国情緒を伝えようとしている『世界の車窓から』は観ててまったく面白くないが、的を得たアプローチ方法をとっているといえるのではないか。




嫁が起きた。
もうまもなくフィレンツェである。




フィレンツェはサンタ・マリア・ノッヴェッラ駅に到着。
イタリアだけなのか。
日本だと東京なら東京駅、大阪なら新大阪駅と、地名がそのまま駅名になるが、ここではフィレンツェだからフィレンツェ駅とはならない。
サンタ・マリア・ノッヴェッラ教会の前に建っているから、サンタ・マリア・ノッヴェッラ駅。
ふーん。


santamaria これがサンタ・マリア・ノッヴェッラ教会。ルネサンスはアルベルティの設計。



到着時間が18時過ぎだったため、とくに観光をすることもなく、嫁の友人から旨いと薦められた店に行くことにした。

僕たちが泊まる宿は、アルノ川沿いに立地しているため、夕暮れのアルノ川を見ながらポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)を目指した。
アルノ川はフィレンツェの中心を横断する川で、川幅は約80メートルといったところか。


zeki2 夕日を映すアルノ川


zekei3 夕日を写すアルノ川、その2。美しい絵だ、オレは天才だろうか。


それにしてもびっくりしたのが、このアルノ川に住む動物。
こんな街中を流れているのに、なんとカワウソが何匹も泳いでいるのだ。
地元の人は、見慣れた光景なのか、特に珍しがってもいない。
こちとらカワウソなんて動物園でしか見たことないぞ。
ヌートリアは何度かあるけどね。




ヴェッキオ橋に到着する。
時間が遅かったので、ヴェッキオ橋に軒を並べているジュエリーショップは閉まっていたが、そこから望む夕日が美しかった。


zekei ヴェッキオ橋からの夕日。福山雅治よりも写真の才能はあると自負。



今でこそ、ヴェッキオ橋といえばジュエリーショップだが、昔は肉屋が軒を並べる橋だったらしい。
しかしそこから出る臭気がどうにもこうにもいかん(?)ということで、コシモ・メディチがそれらをを排除し、そして今のジュエリーショップが並ぶような橋になったということである。
ここはワイワイガヤガヤとしており、ジュエリーショップというよりも、確かに肉屋があっても似つかわしい生きの良さはある。



さてさて目的のレストランテに到着。
この日はW杯決勝当日。イタリア-ドイツの一戦を観るため、レストランの庭先に大型モニタを設置して、みんなでワイワイ観戦する様子。
なるほどご近所さんが既に集まって来ており、ビッカをあおりながら皆そろってカンナバーロ!である。
ははっ楽しそう。




僕もモニタを観つつ、舌鼓を打ちつつ、といきたかったが、モニタが観れる席は予約席のみのため空き席がなく、仕方ないので店内で食事をすることになった。ぽてちん。




さて店内に入り、メニューを出されるも、全メニューイタリア語のため、チンプンカンプン。



『すんまへん、英語のメニューある?』と店員に僕。



『ありまへん』と店員。



ローマでは、恐らくここで会話はお終い。
あとは勝手に注文してくらはいねバイバイ、あっ屁が出るプウ、くさい?そうくさいよね、そりゃくさいよ、あはははっと、店員は立ち去ってしまうであろう。



が、しかしここは違った。



『英語のメニューはないけど、私が英語でメニューを説明してあげるから安心して!』と、40品目以上はあろうメニュー表の料理をいちいち全て説明してくれたのだ。
イタリアに来て、初めて親切な人に出会い、夫婦ともども感激!
あの人には世話になったから、お中元を贈っておいて!と嫁に云いそうになる。




しかしながら、彼女の説明を聞き取るほどに優れたヒアリング能力を、我ら夫婦は持ち合わせておらず、わかってないのにイエ、イエと相槌を打ち、イエ、イエと云うほどに、頭に?マークがポワン、ポワワーンと浮かんできた。


終いには、失礼ながらも『で結局、トスカーナ地方の伝統料理ってどれ?』と聞き返しす始末。


あんた達は何を聞いてたの!と云われても仕方のない質問をしたのにもかかわらず、それでも彼女は嫌な顔ひとつせず、もう一度丁寧に説明してくれた。



ありがとう、マイア!(彼女の名前)



料理の名前はわからないが、パンにレバーペーストのパテを塗ったものにプロシェートがのった前菜、ひれ肉を網焼きにしレモンと塩で味付けしたステーキを嫁とシェアし、嫁はほうれん草ソースをかけたラビオリを、僕はラザニアを注文した。
どれも全てマイアが薦めてくれたトスカーナを代表する料理。




あーもう、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
おいしすぎてごめんなさいなんだよ、ちくしょう!




ここの料理は美味かった。ローマで、美味い!と云っていたレストランテなんて目じゃないくらいに。
しかも旅を通じてここの料理が一番美味かったように思う。

値段も高くなく、接客も丁寧、そして肝心の料理が美味い。




最高です。




この店に敬意を表して、店の名前を記録することにしよう。
トラットリア・クワットロ・レオーニ。
ヴェッキオ橋とピッティ宮殿の裏路地です。

旅行ガイドにも載っていると思います。

(内容を修正しました)





あーうまかった。
んっ、コックが全員外に出てきたぞ。
店員も持ち場を離れて、庭に出て行きよった。
そして店の中に誰もいなくなり、外もなんだか騒がしくなり始めた。
いよいよか。




ピッピッー!!!





W杯決勝戦がキックオフ!!
僕はカルチョの国で、アッズーリの決勝戦を観るラッキーな体験をしたわけだが、それは次回の講釈で。







■ 第四日目 7月9日




ローマ最終日であり、フィレンツェの初日にもなるこの日。
朝起きて、ホテルの窓から空を眺めると、青の地にわずかな白が何本も筋のように伸びていた。
本日も快晴なり。
がああああ。




イタリアの朝は気持ちがいい。
昼間は強烈な日差しで、とてもじゃないがその直射に耐えることは出来ないが、朝晩は湿度が低い関係で熱気がこもることがない。
だから、ここでは日本では味わえないような、本当に心地よい朝を迎えることができる。
仮に、朝一番脂肪のつきすぎているババアと遭遇しても、ボンジョルノ、マダーム!と、心穏やかにこう言いたくなるってわけだ。
日本では、殺意を抱くのにね。




身支度を整えていたら、嫁に鼻毛が出ていると指摘される。
ここはイタリア、鼻毛くらい出させてよ!




身支度を整えたら、次はフィレンツェに向かうために荷造りを開始。
ある程度の荷物は昨夜のうちに終わらせていたので、あとは小物を詰め込むだけ。




その後、いつもながらのパンとチーズとハムという簡素な食事で朝食を。
この三日間、朝食は簡素にして質素だと、さんざん書き連ねたが、コーヒーだけは美味かった。
うん。



この日は、14時30分のユーロスターに乗って、フェレンツェへ向かう予定。
それまでのあいだ、荷物はホテルに預けて、その周辺をぷらぷらほっつき歩くことにした。




ウインドウショッピングをするも、この日は日曜日のため有名なブランド店などは閉じていた。
が、ブランドを掲げてない普通のブティックは、この時期、セールの真っ最中。
Tシャツや、旅行中に着れそうな簡単な下着を買うなどした。



それにしても、ローマは完全に売り手優先だということを、買い物をして感じざるを得なかった。



どういうことかというと、例えばレジに商品を持って行くと、日本であれば店員は『お買い上げ有難うございます』とお礼を述べて接客するのが当たり前で、逆に愛想のない程度の接客でも客によればキャンキャン文句を言われてしまう可能性があるが、しかしここローマでは、レジに客が並んでいても、その際に彼らが他の仕事に従事していようものなら、そうすることが当たり前のように、自分を優先し客をほおっておくという体たらく。



百歩譲って、その際に『申し訳ございません。少々お待ちください』と一言あればまだ待つことも厭わないが、レジを一瞥するだけ、自分たちの仕事が終わるまで客を無視し続けるという考えられないような接客態度をするもんだから、もうこれは怒りをとおり越して、正直笑える。




最初は、アジア人対しての差別的な態度かと思ったが、自分たちと同じヨーロピアンに大しても同様の態度で接していたので、どうも本来的にこのような接客をしているようだ。




のちにフィレンツェ、ヴェネツィアを経験したからわかるのだが、この二都市ではこんなことはなかった。
もしやこの傲慢な接客態度はローマだけのものではないだろうか?
『買いたきゃ、買えば』と言いたげなその態度は、ある意味新鮮。



『顧客視点で行動する!!』



うちの会社は、この合言葉をスローガンに、営業活動をしているわけだが、ローマ人からすればえらいナンセンスに聞こえるはずだ。
だからなのか、我社はイタリアに会社をかまえていない。まあ肌は合わないだろう。
僕も会社には肌が合わないが。



この日は、街の道々で、アズーリのレプリカユニフォームを着ている人を見かける。
子供から、若者、おっさんまで、朝も早から皆アズーリに変身!
決勝は20時キックオフなのに、みんな興奮しすぎなんだから、もう。




お昼になり、ローマでの最後のランチをとることに。
昨晩のピッツアが美味かったので、もう一度同じ店に行くことに。



僕はピッツア、嫁はペンネアラビアータを食す。
美味い。間違いのない味だ。
店の名前は忘れたが。


ランチを済ませ、ホテルに荷物を取りに行き、その足でテルミニ駅に向かう。
ユーロスターが出発するまで、あと30分。



ミネラルウォーターを買うなどして時間が過ぎるのを待つ。



ここに来て、これぞイタリア!と思ったのは、イタリアの新幹線ともいうべきユーロスターのホーム構内には、なんと改札がない。
これは考えようによっては、乗りたい奴は乗ればいいとも受け取れる。
一応切符は打っているが、やりようによっては無賃乗車し放題ってわけ、だれでも出入り自由ってなわけなのだ。
出したり入れたり自由自在、まさにビッチとしかいいようがないイタリアのユーロスター。



時間が来て、ユーロスターに乗り込む。
ユーロスターは新幹線とは違い、座席が対面式で作られている。
対面している相手が全員仲間内なら良いが、これが他人だと何時間もその人と相席するような状態となり、あまり具合がよろしくない。
かく言う僕らも知らないイタリア人と相席となり、どうも居心地が悪った。

さあてユーロスターがいよいよ出発することになった。
しゅっしゅ、ぽっぽ。



目指すはフィレンツェ、さらばよローマ!


我が憧れのローマ!


興奮もし、そして落胆も多かったローマだが、存分に楽しんだ。



次はヴァチカン美術館で会おう!




ローマは去るが、四日目はまだまだ続く。




【番外・ローマの写真その他】

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フォロ・ロマーノにて。

紀元一世紀に建築された神殿の柱をそのまま利用した教会。天辺に十字架あるのわかるでしょうか?

古代ローマとキリスト教が結びついたローマならではのリサイクル。

教会は、サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会。

foro

フォロ・ロマーノにて。

この柱はティベリウス帝により立て直されたものらしい。

現在こそ彼の政治は見直されているが、かつてティベリウスはカプリ島で美少年を相手に淫らな行為にふける毎日を送っていたと云われた。元老院に嫌われると、とことん悪しき噂がついてまわる。


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サン・ピエトロ寺院にて。

この天蓋のようなもの、パンテオンの屋根に使われていた銅を使って造られているらしい。

これもベルニーニの手によるもの。


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コロッセオにて。

コロッセオの壁面を覆っていたと思われるレリーフ。このような精緻なレリーフが、一つ一つコロッセオ全体を覆っていた。



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ローマの街角にて。

建物の修復工事の足場が、信号を完全に覆っています。

しかし誰も文句を云いません。

かろうじて青信号は見えるかもしれないが、赤信号はまったく見えないような状況。

事故が起こって初めて、改善策が検討されるものと思われる。

さすがローマ。




三日目の続き。



ヴァチカン美術館を締め出され、茫然自失のままテヴェレ川沿いをとぼとぼと。



『ローマ最終日の明日にでももう一度来よう』と嫁に話したが、『明日は日曜日だよ』と嫁。

なるほど安息日は美術館といえども働いては駄目なのな。



ということは、もう一度ローマを訪れない限りは、僕らはシスティーナ礼拝堂に描かれた荘厳なるミケランジェロの大作を拝むことが出来ないのだ、にゅにゅにゅう。
そもそもヴァチカン美術館の閉館時間が15:30というのが紛らわしい。入場締め切りが12:30のくせに、にゅにゅにゅう。



しかし、ここで気落ちしてしまったら、残る二都市訪問が楽しくなくってしまう。
気を取り直して、そのままサン・タンジェロ城へ永井豪。


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もともとここサン・タンジェロ城は、ローマ教皇の非常事態に備えた避難場所だった。
が、澁澤ファンの僕とすれば、かの有名な錬金術師カリオストロが幽閉されていた場所であることのほうが、意味があったりする。




サン・タンジェロ城からは、眼前にテヴェレ川、そしてサンピエトロ寺院が望める。


sanpietoro サン・タンジェロ城から観るサンピエトロ寺院


サン・タンジェロ城の最上階には、barがあり、これがなんともいい雰囲気。
歴史的建築物で、ビールなんて、まったくもってイタリア的。


bar ここは隠れた実に気持ちのいいbarだ。


サン・タンジェロ城を辞して、テヴェレ川を渡り、歩くこと20分。
ナボーナ広場に。




7月のイタリアは、日差しが半端でない。
20分もあるくと頭がジリジリと焼かれる。



ローマについてから、もう何十本ミネラルウォータを飲んだことやら。
それにしても、このミネラルウォータ、同じ商品なのに、買う店買う店で値段がまったく違う。
1ユーロの店もあれば、3ユーロとる店もあり。



日本円に換算すると、300円以上も店によって差があることになる。

日本でたとえば、150円のボルヴィックが、450円で売られていることは、まずないといっていいだろう。
それがここでは当たり前のようにある。超テキトー。



しかしそれがイタリアなのだ。



ナボーナ広場にてしばし休憩。


oberisu 黄色リュックの俺



obe オベリスクと四大河の噴水



ここには、中央にオベリスクがあり、ベルニーニを代表する三つの噴水がある。
ベルニーニは、これまで説明を省いていたが、ローマに存在するバロック彫刻・建築のほとんど(といって差し支えはないだろう)を手がけた人物。



ローマを歩けば、そこかしこにベルニーニに出会う。
ベルニーニの手によるものはローマには山ほどあるので、興味のある方はローマを訪れる際は一度ベルニーニの作品を中心に巡ってみては。
そうすれば必然的に旅行ガイドに載っているような立派なローマ観光になる。



バロック様式は少々くどいので個人的にあまりお口合わないが、この広場はこの噴水で有名なので紹介したい。



オベリスクとともに中央に位置するのがもっとも荘厳な『四大河の噴水』、北側にあるのは『ネプチューヌスの噴水』、そして南に位置するのが通称『ムーア人の噴水』である。
四大河とは、ダニューブ、インダス、ナイル、ラプラタのことらしい。



四大河で思い出したことがある。
かつて酔った勢いから、同僚のアライやBooらと集団立ちションする際に、それぞれのオシッコを路地の一箇所に集中させ、流れを合流させたのちに、そのひとつになったアルコールくさいオシッコがちょろちょろと流れるのを見ながら、



『俺の流れがチグリス』



『なら俺のはユーフラテス』



『流れが合流して、チグリス・ユーフラテス!やったー文明が生まれたねー!』



などと自分たちの黄ばんだ小水を大河に見立てて、大騒ぎしたことが何度かあった。
酔っ払ってるから、こんなことでも大そう面白かったが、今考えると路地にオシッコしまくるただの迷惑者でしかない。
三茶の在住の方々、ごめんなさい。



ナボーナ広場を辞して、バスに乗り『真実の口』で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会に。

映画の影響で、真実の口のほうが有名になってしまったが、ここは教会の鐘楼が見物である。


それにしても真実の口で記念撮影するだけで、20分近くも待つ。

しかもほとんどが日本人とくるから、自国民ながらそのミーハーぶりには辟易する。

って、ぼくちんも並んどるよー。


sinjitu まあハネムーンなので、、、、許してということで。



サンタ・マリア・イン・コスメディン教会を辞して、そのままチルコ・マッシモへ。

チルコ・マッシモは、古代ローマ時代のスタジアム跡。

かの『ベン・ハー』の競技場のイメージの元になったことでも有名。


chiruko


ちょうどこの日は、明日のW杯決勝のためオーロラビジョンを備え付けていた。

ローマでアズーリを応援している人々の映像をご覧になった方もいると思うが、それがこの場所である。


チルコ・マッシモから歩くこと20分、カラカラ帝の大浴場跡地へ。

嫁は、この時点でもう疲労困憊で、そこに行くことに嫌気をあらわにしていたが、半ば強引に連れて行く。


カラカラ帝の浴場跡は、モザイクがよく残っており、また当時の姿が想像に難くない程度に建物が残っていたので、今までみた遺跡群にない印象をもつ。


もしかするとフォロ・ロマーノよりも、姿がしっかり残っているので面白いかもしれない。


cara 壁画も残っていた浴場の壁


ji 色彩が鮮明にのこるモザイク


neru 浴場に来たつもりで、リラックスしてみた。


このカラカラ帝の浴場跡には、猫が遺跡のブロックで寝ており、体を好きなように観光客に触らせていた。

猫といえば、我が嫁!というほどの猫キチである嫁は、その姿を見るや、すぐに飛びつき、彼(?)と一緒にじゃらじゃらしていた。

ここに来るのを嫌がって、ブウブウ言っていたのがウソのように、打って変わって一気に機嫌が良くなった。

よしよし。


neco お見せできないが、彼女、満面の笑みである。


カラカラ帝の浴場を辞して、晩餐を楽しむためにレストランテに向かうことに。

木陰にそってふらふら帰っていたら、突然頭上の木が、メキメキメキっと大きな音をたてて倒れてきた。


あと5メートル後ろを歩いていたら、大怪我をしていたところであった。

しかしなぜ急に木が倒れる???しっかりした若木なのに???


kigataoreru 車の持ち主はかわいそうな。


さてさて今夜の夕食だ。



今夜は、昨日のような失敗チョイスをしないよう、イタリア語のメニューしか置いていない本場のレストランテに行くことに。



ここはピツァが旨いとのことだが、どうだろうか。
一口食べる。。。。。。。。。




うっまー、ボーノボーノ!!!
マンマ、ボーノボーノ!!!
生殖以外の目的で性行為をするチンパンジーは、ボノボ!!!!




ローマに着いて初めて旨い食事を楽しんだ。
(店の名前を忘れてしまったのが残念)



ホテルに戻り、日焼けで火照った体をクールダウンさせると、急に睡魔が襲ってきた。
パンツ一丁で、そのまま即身成仏。



明日はフィレンツェへの移動日。
そしてW杯決勝でもある。




フォルツァ アッズーリ!




三日目終了。