よく聞く話で、外人、特に欧米人は、蕎麦がすすれないというのがある。

無理やりすすろうとすると、蕎麦が喉につっかえて、ゲボっとなるらしい。




そんな彼等は、蕎麦を一定量口に押し込み、口に入らなかった部分はぷつりと噛み切って、口に残った蕎麦を咀嚼しながら『ジャパニーズそば、デリシャスです』などと云う。

そうなると純然たる日本人を自負する多くの人は、『嘘こけ、お前らわかっとらんやろ』と、蕎麦のすすれない外人を小馬鹿にする。




蕎麦は、ズルズルッいわせて、飲み込むのが美味いのだ、通なのだ。
ズルズルッいわせない蕎麦なんて、音を出さないエロビデオみたいなものだと。




しかし、考えてみると音の出ないエロビデオは、それはそれで良かったりもする。
特に日々煩悩をもてあましているボーイズにいたっては、想像の世界でそれにアテレコをし、本物よりも極上の喘ぎ声を獲得したりもする。




それと同じで、蕎麦も別にすすって食べなくても、それなりに美味い。




しかもすするのは麺状になっている蕎麦だけで、ソバガキなんてのは、もしゃもしゃ食うので、むしろ外人の蕎麦の食べ方に近い。
つまりソバガキは美味い。





こうなるとわかっとらんのは、蕎麦通を気取る日本人の方で、蕎麦=すする・飲み込むという固定観念に縛られてしまい、そればかりに気を取られ、蕎麦そのものの味をないがしろにしているように感じる。

お前らは本当に蕎麦の味をわかってんのかと逆に思ってしまう。




僕がそう思うのは、立ち食い蕎麦の『ゆで太郎』で、もりそばを注文し、必要以上にズルズルを音を出し、音を出さんがためにすする勢いを強め、蕎麦にからまるつゆの飛沫がネクタイに飛び散ってしまっているサラリーマンを目撃するときである。




『ゆで太郎』ごときで、無理やりズルズルいわせるな!




とは実はあまり思ってない。
というか、蕎麦をズルズル食おうが、もしゃもしゃ食おうが、人の勝手だよね。
僕がどうこういう問題じゃない。




そんなことよりも、ヌード顔美人の世論調査で、伊藤美咲が一番になったらしいとのこと。
ヌード顔とはスッピンのことらしいのだが、これは誰が一体つけたネーミングなのだろうか。




ヌードとは昔から多くの芸術家が題材にした芸術の一つであって、それは精神的官能美を感化するものである。
ヌードが芸術である歴史は永い。
古代ギリシア・ローマにおいては、ヌードが如何に美しいかを芸術家がこぞって追求した。
その結果、愛の神ウィヌスはいつまでたっても服を着れなかった。
ヌードとは裸を意味するものではなく、裸を通して感じる美のことであり、いまだ人類が探求している美なのである。




それに対してスッピンは、美といえるだろうか?
スッピンとは、まず前提として化粧した顔を最高レベルと仮定した場合のみ、初めて存在する言葉である。
それも最高レベルと真逆に位置する言葉として定義されるので、当然のことながら醜さを表す言葉として存在する。
化粧してない顔という意味単独ではスッピンとはいわない。
これは素顔という。
スッピンはあくまでも醜さを表す言葉なのだ。




それをばヌード=スッピンとするとは、完全に間違いである。
だから僕はこの安直なネーミングをした人の勘違いに笑ってしまう。




しかしそんな屁理屈なんかはどうでもいい話で、それよりももっと間違っていることがある。
それは見事にメイキャップした伊藤美咲しか見たことない人達が、なぜか彼女のスッピンについて回答をしていることである。
これに対して言及できるのは、現段階では若ハゲ野郎ISSAだけであって、一般大衆ではない。




これも僕がどうこういう問題じゃないが、一般大衆が回答すべき問題でもない。

まあいずれにせよ、どうこういうほどの問題じゃない話ばかりです。