前回、ティンカーベルの話をしたので、ピーター・パンについて少々。
ピーター・パンと呼ばれる少年の姿を、一見して皆さんは人間だと思いますか?
先がとがった耳、すごい跳躍力なのに異常に細い足。
これは似ていいるけれども、ちょっと普通の人間の姿には見えませんね。
そう実は彼、ピーター・パンは人間として描かれていないのです。
では人間ではないピーター・パンとは一体何者なのか?
この疑問は、ピーター・パンをよく知る我々だけでなく、ピーター・パンと実際闘ったフック船長さえも疑問に感じたことなのです。
ピーター・パンとの格闘に苦戦するフック船長がピーター・パンに尋ねました。
『お前はいったい何者だ?』
ピーター・パン。
彼は原作者バリの独創のよって生まれただけのキャラクターではありません。
彼にはモデルがいるのです。
彼のモデルは、ギリシャ神話に出てくる半獣の牧神『パン』。
パンは、毛むくじゃらの体に、醜い顔、頭には山羊の角があり、下半身は山羊そのもので、そこにはむき出し陰茎がぶらりと垂れ下がっている姿をしています。
パンは、性欲そのものを神格化して生まれた神様です。
獣のように理性がなく、性欲の象徴としての神が、ギリシャ・ローマ神話の中のパンなのです。
世界には男根信仰とよばれる民族信仰が、必ずといっていいほど各国にあります。
もちろん古代ギリシャにも男根信仰は存在しました。
古代ギリシャにおける男根のシンボルは、ディオニソス神に象徴されます。
このディオニソス神の姿は、陰茎そのものとして描かれることが多いことでも有名です。
またディオニソス神は、他に葡萄酒醸造を発明した神でもあります。
酒=アルコール=酔う=本能がむき出しになる=性欲。
ディオニュソス神は性欲を様々な角度からシンボリックに表現された神でもあります。
(しかし性欲に限定される神でもない。それは割愛します。)
陰茎そのものの姿で描かれる神、このディオニソスと牧神パンとはギリシャ神話において同一視されます。
だからパンは自らの性欲を隠そうともしない獣の姿なのです。
山羊の角と足をもつパンと、尖った耳に異常に跳躍力のある細い足をもつピーター・パン。
モデルにされただけあって名前と身体的特徴はとても似てます。
しかしそれは見た目の特徴だけだろう。性欲としてのパンは一体どこにいったんだ?
特徴だけあげれば、類似点をもつ事柄は、パンとピーター・パン以外にも沢山ある。
性欲があってこそパンがモデルだといえるのではないのか!
ネバーランドは永遠に歳をとらないのだから、ピーター・パンは永遠に少年なはず!
そんなピーター・パンに性欲なんてあるわけがないじゃないか!
と、そう思う方も多いでしょう。
しかし考えてみてください。
性欲とは何か。
それは若さでもあるのです。
永遠に若さを保った少年ピーターパン、それは性欲そのものを象徴した牧神パンの姿なのです。
そういえばフック船長の問いかけに対するピーター・パンの答えをうっかり忘れてました。
『お前は何者だ?』と尋ねれたピーター・パンは快活にこう答えます。
『僕かい。僕は、若さだ。活力だ』
性欲みなぎる若さのシンボル、ピーター・パン。
その敵役としてオッサンであるフック船長を登場させたことは、作者バリにとっては当然のことだったのです。
ちなみにピーター・パンになりたっかった人たちは、そのモデルとなったパンがいかなる姿をしているか知るべきです。
ピーター・パンになりたかった人、その①
初代ピーター・パン、榊原郁恵
ピーター・パンになりたかった人、その②
ある意味、本物。
ピーター・パンの原形、牧神パン (パニックの語源でもある)
彼らの目指すべき姿。