[七曲り荘日記]
●巻頭連載[第131回]
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
「6/8在廊」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文
●伊藤桂司さんとのコラボ展の時に2人で制作、展示した作品
6月8日に上京し、在廊する事になりました。
週末という事もあり、日帰りですが、都合のつく人は、ぜひ見にいらして下さい。
一昨日、
「ブライアンの作品を買いたいんだけど、
と、
金額を書いて返信すると、
「予算オーバーでした」。
すると、夜にまたメールが来てて、
「ブライアン、ごめん! 老眼鏡かけないで見てたから、ゼロ一つ多く見えてましたw。
って。
おいおいww
早速ブログのネタにさせてもらいました。
[今週のブライアンのオススメ人物像/伊藤桂司さん(UFG Ink.代表、京都芸術大学大学院教授)]
●伊藤桂司さんとのコラボ展の時に2人で制作、展示した作品
伊藤さんの作品は、誰もが一度は目にした事があると思う。
巨匠にもかかわらず、驕らず高ぶらず、
絵を描き始めの頃から、気にかけてもらい、会うたびに、10年後は伊藤さんの様な人になっていたいな。と、
5月30日(木)鬼子母神は曇り。
PM3時半、役所まで歩き、不動産屋へ渡す住民票を取る。
体調すこぶる悪し。
歩くだけで眩暈がし、吐き気もひどく、よっぽど今夜の『BURST公開会議』を休もうかと悩んだ。
が、そんなわけにはいかない。
今夜のホストは私であるのだから。
PM8時より『BURST公開会議』を阿佐ヶ谷タバサよりライブ配信。
今回は私のお題で、
「90年代を迎えるに当たって『BURST』編集長が読んだ80年代一般教養文学あれこれ」
を、ざっくりと私がしゃべりちらした。
ジャンルを絞ったつもりだが、それでも作家名と作品名をあげるだけで時間を取り、浅い話に終始したのが悔やまれる。
最後は新作詩「盲目書簡」を読み、10時過ぎに終了。
終了と同時に低血糖症状に陥り、慌ててコーラを飲み、客の若い女子から飴玉をいただき貪る。
で、コーラ代を前田プロフェッサーへ払ってもらい、そそくさと部屋へ帰った。
そもそも、20年ぶりに風邪をひいたようで、だいぶ気管支炎も治まってきたが、からだがだるくてしようがなかった。
前回のブログの最後にそのことを書いたら、心配したシギーが電話をくれた。
「コロナじゃないか?」
なるほど、気管支炎なんて記憶がない。
そのことを前田プロフェッサーたちへ話そうか迷ったが、どうせ今夜は私がしゃべらねばならないので、コロナのことは黙っておいた。
もちろんマスクもしなかった。
お互い心配したってしようがない。
あ、メキシコの危険地帯へ20日間撮影しに行っていた釣崎清隆は、無事、今回も死体にならず帰ってきた。
姿を見てほっとし、思わずやつのからだを触ってしまった。
つきあって25年以上経つが、そんなことをしたのは初めてだろう。
「おう、やっぱり、こんなゴツイからだをしていたのか」
と、少々驚く。
なんと、あっちで仕事ばかりして、いっさいラインを引かなかったそうだ。
たしかに、日焼けこそしていたが、全然痩せていなかった。
まあ、そんなことをしながら仕事なんてやれやしないか。
キース・リチャーズ師匠だってそろそろ止めた齢だ。
ちなみに現在のメキシコは、ウィードはもちろんハードドラッグ(コカインやヘロイン等)も3グラムまでの所持なら犯罪とならないそうだ。
「ガンジャの副流煙は凄いけど、そこらですぐ手に入る(コカイン)と思うとやらないもんだよ」
今回の新作「死体写真」は、次回の増補改訂版『THE DEAD』(キララ社)に掲載予定。
現在、そのクラウドファンディング中なので、興味のある方は検索してみてちょうだい。
(いま覗いてみると、もう230万円以上集まってるな)
●左から釣崎清隆、ライターの肥沼さん(ゴールデン街『月に吠える』店主)、私(これでも眼を開いているような?)、ツージー、前田プロフェッサー、前列3人はお客さんの大学生たち。
5月31日(金)鬼子母神は曇り。
PM1時、アパートの内見をする。
もちろん、ボスYが一緒に立ち会ってくれた。
立ち会ってくれただけじゃなく、さっそく私の代わりに「ネズミ捕り」へ引っ掛かってくれ、踏みつけた赤いソックスをダメにした。
そのあと、不動産屋さんの運転で、高田馬場の店へ行き、書類を書く。
もちろん、私の脇にはボスYが座り、前回のブログで書いた「消毒費」と「なんとかサービス料」は払えないことを伝え、結局「無し」にしてもらう。
あとは週明けに金を払えば、契約が済み、6月20日から部屋に入ることができるそうだ。
それまでの間にクリーニングが入るそうだが、内見では(不動産屋さんも驚くほど)十分に掃除がされてあった。
(前の住居者は女性)
ボスYと高田馬場から歩いて鬼子母神へ帰った。
ネズミ捕りでソックス1足分をダメにしたボスYは、片足だけ石田純一状態であった。
仕事があるボスYと、コーヒーも飲まず、七曲りの路地入口で別れた。
※ここまで書いて、本格的に寝込む。
[今週の曾根のお勧め作品/ ]
[NMIXXつれづれ草]
●5月の学祭ツアーにより第2期覚醒を果たしたソリュン(19)のヴィジュアル。
エモーショナル・レスキューな「ザ・アイドル」の微笑。
体調が目黒のサンマ状態なので、
(どちらも)
休載します。
5月2日(日)鬼子母神は雨。
風邪? それともコロナ?
高熱が出るとか、立ち上がれなくなるとかまでじゃないのだが、ただただ気分が悪く、からだがだるい。
食欲もなし。
しかし、未だに「20年ぶりに風邪を引いた」ことがピンとこない。
退院して4年以上、ずっと体調不調ゆえに、風邪の症状がよく理解できないのだ。
とはいえ、昨日は日がな寝込んでしまった。
何か食べなきゃなのだが、買い物に出る気力が湧かない。
こうして独居男の悪循環にはまり、我知らず、近所が気づくころには「溶けて」いる。
釣さんはそんな姿でも「いいよ」と言ってくれはするが、どうしても「撮られるならもっと身ぎれいな姿を」と、見栄を張る自分がいる。
ま、溶けた姿を晒しても、死んだ私とは最早なんの関係もない。
しかし、詩の言葉は、数千年数万年経とうが「完全」には死なない。
数億年後、誰かの眼に触れた瞬間、言葉という私は存在する。
そのとき、せめて慰めあいたいと殊勝にも思い、以下の言葉をつらねてみた。
(以前にも載せた「盲目書簡」は初稿、今回は2稿目である)
[BALLS用新作詩]
「盲目書簡」(第2稿)
あなたがこの書簡を読み始めるとき、すぐそばに私がいる。
遠い距離と時間を超えて、あなたのそばで私の言葉がかすかに部屋を温める。
お互い夜の雨を眺めながら、ひとつきりのティーパックでミルクティーを淹れよう。
金はなくともミルクはたっぷりだし、友に欺かれるよりも、友を疑う方がよっぽど恥ずかしい。
善人面したものが誠実ではありえない。
騙されてもともとだ、あなたも相手を疑ってかかったのだから。
われわれにはどこまでも狂気がついてまわる。
自分だけでも賢明でありたいなどと願うのは狂気の沙汰だ。
バランスのとれた人間なんて正気じゃない。
あなたの魂の欠陥こそが、あなたの宿命の羅針盤なのだ。
クリミアの塹壕に天使の避妊具が落ちていないように、クレムリンの脱毛サロンに魔女の縫い針は落ちていない。
あたかも電球の光が太陽を照らし出すように、たったいま、天井からぶらさがった運命が、われわれの美徳と悪徳を照らしていることを認め、ひとつきりのティーパックでミルクティーを淹れよう。
あなたが誇り高く、臆病で、貧しく、群衆から疎外されているのなら、せめて襟を正し、独り裏通りを颯爽と歩け。
どんな人間の人生であれ、それがどれほど複雑で、かつ充実したものであっても、実際は一つの瞬間から人生はなりたっているのだ。
そう「わたしは何者なのか?」を永久に知る瞬間のことだ。
あなたは知るだろう、通り雨が街角を折れ、襟を立て颯爽と歩くとき、友に欺かれるよりも、友を疑う方がよっぽど恥ずかしいと。
他人に対し頭が高いものは、滑稽で、不名誉以上にちっぽけだ。
けれど、自分に対し頭が高いものは、武勲以上に輝かしい。
たまに己惚れでもしなけりゃ、この世にそう楽しいことはない。
太古より、戦士の「謙虚」とは、生贄を捧げる祭壇であるけれど、人生には時として、自惚れて、気が狂うしか切り抜けられない、そんな厄介で、無分別な状況があるものだ。
自分がどこまで不幸であらねばならないのか?
それを知るのも一種の幸せなのだ。
自分の中に安らぎを見出せなくて、よそを探しても無駄だ。
あなたは、今、思っているほど不幸でもないし、昔、願っていたほど幸せでもない。
こちらから良いことをして上げよう、という立場にいる限り、恩知らずには出会わないものだ。
夜の雨を眺めながら、あなたは膝をついて認めなければならない。
世の災いと幸不幸の原因はわたしの誕生と死にあるのだと、わたしの魂の欠陥こそが神話の注釈となるのだと。
なぜなら、あなたの生き方が世界そのものだからだ。
運が奴らの悪行を支持していようが、明日、不支持に回ろうが、友に欺かれるよりも、友を疑う方がよっぽど恥ずかしい。
あなたの苦しみこそ地上における苦しみの最大値なのだ。
一万人の男女があなたと死んだとしても、あなたが一万倍苦しむわけじゃない。
貧困も苦痛も累積することはない。
ゆえにあなたの幸せが地上における幸せの最大値なのだから、一万人の男女の幸せをうらやむな。
苦しみと共に祝福せよ。
古の筆によれば、人類には常に三十六人の正義の味方がいるそうだが、そのうちの一人は間違いなくあなたなのだから。
(2024/5/29)
かなりストレートな物言いの作品なので、少々気恥ずかしいが、友への手紙は、どうしたって恥ずかしいに決まってるから諦めよう。
(そもそも古今東西の「友への手紙」からさらってきた言葉の切れ端のコラージュだ)
おやすみなさい。
今日もまだからだも気持ちもつらい。
どうやら七曲り荘が「終の棲家」として最後のあがきをしているような。
つまり「ここで死ね」と絡みついているような気分がしてきた。
何も食べたくない。
が、食べよう。
[夕食]
●スイカ(8分の1)
●グレープフルーツ
●冷たいパック茶碗蒸し
●ゴルゴンゾーラ・チーズ&クラッカー2枚
●ミルクティー
けっこう食べた。
スイカは初物。
(確か、去年は食べ損ねたような)
微熱があるのか、塩をふった冷えたスイカがめっぽう旨い。
あなたも、体調が悪いなら、いや健康なら尚更、スイカはいかがかな?
良い夢を。