[七曲り荘日記]
●巻頭連載[第131回]
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
「東京でグループ展開催中」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文
●「もし夢を叶えたいのなら、十字路へ行って悪魔に魂を売ればいいよ」
昔、曽根さんがゴッホ美術館へ行った時の話を聞かせてもらった事があった。その時の会話からヒントを得た作品。
グループ展がはじまって、2点ほど購入してくれた方がいた。
ありがとうございます!
あと、
「インスタに載っていた絵はないんですか?」
とギャラリーを訪ねてくれた人がいたそうだ。
(前回、ブログに載せたUFOの絵)
最近描いたので、まだ手元にあるんです。
申し訳ない。
あ、そうそう!
今回、その場で購入し持ち帰りがOKだそうです。
サインのない絵は、後日ギャラリーから、作品証明書が届くみたい。
約1ヶ月開催しているので、読者の方はタイミングをみて是非見に行ってみて!
[今週のブライアンのお勧めテキーラ/ドンフリオ・レポサド]
●久しぶりに、ドンフリオでも飲みながら絵を描きたいなと思い、業者さんに予約注文。
届いたのは10日後くらい。
「納品書です。置いておきますね」
「ありがとうございまーす」
あとで、カウンターに置いてあった納品書を見たら、コロナ前より2000円位値上がりしててびっくり!
でも、まあ、しょうがないか……。
●絵の具と画用紙を準備して、早速一口飲むと、鼻にぬける甘〜い花の香りのような匂い。美味いわ〜。
なんか天国にいる様な気分になるんだよな。そして、絵も進む進む。
●ちなみに4日で全部飲み干しました。笑
5月21日(火)鬼子母神は晴れ。
昼前、ケイタイの着信音に起こされる。
コアマガジンの担当Tからであった。
半分まだ眠った耳に、元同僚Teの死が伝えれらた。
彼と連絡がつかなくなったライターの某が「虫の知らせ」をおぼえ、警察に頼み、部屋を調べてもらうと、死んでいたという。
自殺ではないが、まだ死因は不明。
しかし、今年になって、体調不調をXでこぼしていたらしい。
Teは会社の先輩であったが、同い年(ただし学年は上)で、いろいろと因縁があった男であった。
お互い、性格に難があったので、酒席であわや殴り合いをする寸前に――皆が止めた――なったこともあった。
(殊勝にも、翌日Teは謝りにきた)
当時、彼は『ブブカ』の編集長、私は『BURST』の編集長だった。
ある年の、忘年会の三次会で、末井昭さんとコアマガジン社長(私の親分)の中澤が、
「さっきまで、次のコアマガジンの社長は、Teがいいか、曽根がいいか、話してたんだよ」
と、酒席の戯れ言をもらしてくれたこともあった。
が、もちろん、
「結論は、どっちもダメだな」
と、ちゃんと正しく我ら2人の未来を予測していたのだった。
Teの死を伝えれ、ケイタイを切ったあと、煙草を吸いながら思った。
「あの頃から、ずいぶんと時が経ったんだなあ」
と。
「あっけないもんだ」
私が、4年前に死んでいたら、それを耳にしたTもこんな気分だったろう。
Teとの悪い思い出は、ずいぶん前に消えており、けっこう仕事についてのエピソードが記憶に残っている。
ひとつは、以前も書いたが、2001年7月号『ブブカ』の奥菜恵スクープについて。
たまたまその色校を見た私が、どれだけ部数を乗せたんだとTeに訊いたところ、1万ほどだとぶっきらぼうに答えたので、そりゃ、ないだろ、100万部でも完売するぞというというと、突然、私の手を握り、
「そうだろ! じゃあ、いっしょに営業へ言ってくれ」
と、そのまま営業へ行き、2人で談判したこと。
(それでも、ようやく10万部を乗せただけ。もちろん瞬殺完売)
もうひとつは、相棒のユージに編集長を譲った『BURST』が売れず(ユージのせいではなく、もう雑誌の寿命が尽きていた)、当時流行っていたDVD付き雑誌(その分ページを減らす)に形態を変更しようと、企画会議にかけたところ、Teだけが
「バーストは、読み物が面白かったんだから、雑誌のままのほうがいいよ」
と、言ったこと。
「へえ、こいつけっこう認めてくれてたんだなあ」
と、意外に聞こえたことを、今も憶えている。
また、返本率7割後半を叩きだした『SEX BURST』の企画会議でも、
「スカトロとかSMとかやめて、グラビア中心のソフトな内容にしたほうが『BURST』読者も買いやすいよ」
と、ホント、まっとうで建設的な、プロの意見をとなえてくれたことも懐かしい。
ま、どちらの意見も、まったく聞かなかったわけだが。
(彼の意見が正しかったと認めたのは会社を辞めて数年もしてからだ)
ここ「七曲り荘」に暮らし始めて12年目。
その間に、ずいぶんと友人知人が死んだが、もはや、それほど感慨にふけることも少なくなった。
やはり、本来なら、私のほうが4年前に死んでいたはずだったこと。
そして当たり前だが、ひとは誰もが死ぬし、自分も死ぬってことだ。
「死んだやつはほっとけ、おれはこれから朝飯だ」
という、誰かの詩のフレーズが好きだと、吉行淳之介がエッセイで書いていた。
そう、死人と「自分の死」につきあうことはない。
生きているあいだだけが「私」なのだから。
[遅い朝食兼昼食]
●マルちゃんZUBAAAN! 豚骨魚介中華そば(煮豚スライス、茹で卵、生ワカメ、ネギ)
●グレープフルーツ
●ミルクティー
40を過ぎてこっち、衰弱した内臓がインスタントラーメンを受けつけず、年に2、3度しか食べないのだが(食べる度に悔やむ)、今年になって、この商品の点数は高い。
(若かったら点数は倍になっていただろう)
同じ「ズバーン!」で背脂醤油(?)ってやつもなかなかだ。
煮豚も茹で卵もつくりおき。
テーブルの卓上コンロで調理しているせいもあるが、酒を呑まなくなって以降、もう凝った料理をつくる気にはなれず、肉・魚・野菜を、煮るか焼くかの独居暮らしである。
が、塩か醤油か酢で味付けすれば、十分おかずとして上等だ。
そもそも、ごはんが1番好きな「米どころは大崎平野のど真ん中生まれ」の男であるからにして、糠漬けのカブだけで一膳ぺろりなのだ。
糖尿病患者にごはんは麻薬であるけれど。
[絶賛発売中]
文芸誌『スピン』河出書房新社/300円
掌編「雑司ヶ谷鬼子母神『七曲りの路地』奥の
七曲り荘二〇二号室からずっと」曽根 賢(PISSKEN)
5月22日(水)鬼子母神は晴れ。
午後、ケースワーカーより電話あり、やはり「引っ越し代」は大家さんへ頼んでみてくれという。
(ただし、大家さんが拒否すれば区が払うという)
先日、池袋の生活課へ行った際、引っ越し代も区が持つと、2人のケースワーカーから返事を貰っていたのだが。
その件は、すでに大家さん(の娘さん)へ話してあったし。
もちろん、すぐに大家さんへ話に行く気にはならず。
眠るまで悶々とする。
「金の話か」
その後、3度も悪夢で目覚める。
[NMIXXつれづれ草]
●先週は毎日学祭に出演し、木曜日(23日)などは、夕方6時と8時スタートの学祭2つを掛け持ちしたりと精力的にソウル学祭ツアーを回ったNMIXX。ソリュン(ヴィジュアルと馬鹿でかい声)とリリー(ハイトーン)という「飛び道具」が遺憾なく発揮され、確実にファンを増やした模様。
公式がそのライブ映像2校分をYouTubeにアップし、その歌唱力の高さに、あらためてKPOPファンの度肝を抜いた。
(どちらも2日ほどで50万回再生を超えた)
●学祭が始まったあたりでスタイリストが変わったという情報が元JYPスタッフから流れた。確かにシンプルだがフレッシュなスタイリングとなっており、ファンには好評である。
●高麗大学(韓国3大トップ校)のステージのMCで、リリーが「母の母校」だと初めての情報を語り、母が来ているのでと、校歌を観客と大合唱となった。
当日、X上で「高麗大学には学校公認のNMIXXファン・サークルがある」と知らされた。
山口百恵が本格的に跳ねる寸前、東京大学で「山口百恵を守る会」が結成されたことを思い出した。
私の持論に、インテリに評価されるサブカルチャーこそ「ホンモノ」がある。
●それにしても、各大学かるく1万人以上の観客を動員し(高麗大学は3万人はいたんじゃなかろうか)、それを前にハンドマイクで踊り回るメンバーの嬉しそうなことよ。特にソリュンは毎回嬉しさが爆発し、その「将軍ヴォイス」を轟かせたのであった。
●5月25日の誕生日で18歳になったマンネ(最年少)のキュジン。第4世代第5世代中、屈指のダンサー。なのに歌がうまく、ラップも凄く、細かい小言や指示で副リーダーのポジション。私の眼には、まだまだこれから覚醒段階を上ってゆくだろうKPOP界の逸材である。彼女の小言がある限り、NMIXXの成長はつづく。
5月23日(木)鬼子母神は薄曇り。
体調最悪。
しかし意を決して、1階の玄関のチャイムを鳴らす。
珍しく、娘さんではなく、大家さんが迎えた。
要件はやはり拒否。
ホッとする。
散々、家賃を滞納に滞納を重ねておきながら、今さら引っ越し代を払ってくれはないだろ。
とはいえ、現在も、ほぼ寝たきりの私が、段ボール箱を運べば、以後3カ月は本格的に寝込むのは、過去で何度も実証済み。
そういや、結婚前の20代前半、同棲していた4畳半(便所共同、風呂無し)から、近くの6畳(風呂無し)へ引っ越す際は、机や冷蔵庫までひとりで担いでいったっけ。
そうそう、この七曲り荘へ来た際も、ボスYがテーブルをくれ、2人で下げて歩いたもんだ。
コンビニから台車を借りたのもボスYだったな。
あのときは、家を追い出された身であったから、
荷物は段ボール箱で2つくらいで、布団もなかったっけ。
着るものもバッグに1つぶんほどか。
なにせ、ボスYの事務所のマンションのゴミ捨て場から拾った、つんつるてんのセーターまで着てたし。
今はだいぶ本と着衣が増え、本は棄てるつもりだったが、砂丘くんがいくつか引き取ってくれるという。
私は本を大事にしないので、売り物にならないのだ。
(20代のころはかっこつけて読む分だけ引きちぎっていた)
[夕食]
●カツカレー(スーパーの総菜とレトルト)
●ラッキョウ(総菜屋から)
●冷やしておいたほうじ茶
※トンカツは、薄く中くらいのやつが2枚入って320円。
1枚は明日へ。
味気ない、まったく身にならない食事。
総菜屋のラッキョウの味はいいが。
それでも、レトルトカレーは富良野のご当地ものだ。
昨日からの「金の話」の気づかれで、何もつくる気になれなかった。
が、大家さんとの話し合いが穏便にすんで、気分はだいぶ楽になった。
食後、クスリを飲んで眠る。
5月24日(金)鬼子母神は晴れ。
午後3時、ケースワーカーへ大家さんの返事を伝える。
どうにか穏便に話が進んだ。
が、課へ送られてきた不動産屋の見積書に、「消毒代」と「???サービス料?(忘れた)」(どちらも1万6千円くらい)とあったが、この2つはこちらでは払えないとのこと。
「消毒代?」
不動産屋から聞かされていないので、電話をしようとケイタイを手にしてから、やはりいったんボスYへ電話する。
31日の内見の際に、理由を聞き、払えない旨を伝えようとなった。
それでもどうしても払わなきゃいけない場合は、う~む、どうしようか?
ま、もうここまで来たら、どうにかなるだろ。
[朝食兼昼食]
●カツ丼(玉ねぎ、トンカツ、卵2つ、一味を振り海苔をもんで)
●カブとキュウリの糠漬け
●冷やしておいたほうじ茶
カブをおそるおそる噛んでいるうち(前歯がぐらぐらなので)、死んだTのことで、ある記憶が蘇った。
20代後半、私がエロ編集者時代のことだ。
同僚の机にあった「エロ告白」誌をざっとめくってみると、その号で休刊だという。
少年出版社(コアマガジンの前身名)の『ルポルノ・マガジン』、当時よくあったA5版の文字ものエロ雑誌だ。
(募集した女の告白が何十編とあつまったもので、漫画雑誌くらいツカが厚い)
私も、同様の『大人倶楽部』とか『官能時代』とか編んだことがある。
が、びっくりした。
その雑誌の本文がオフセット印刷で、小見出しまで写植だったからだ。
まだ、その手の雑誌の本文は活版印刷の時代である。
「少年出版社はしゃれてんなあ」
と感心した。
で、その号の編集後記が引っかかった。
編集長が、会社の休刊(=廃刊)の判断に対して、色々とモノ申していたのである。
「往生際が悪い」
とも思ったが、会社の方針に反対するあたりが、私の胸をひっかいたのである。
それがTeだったのである。
もしかしたら、私も2冊同時に(事実上)発禁となった頃かもしれない。
曽根にはエロ本をつくらせちゃいけないと、会社側から、お荷物となっていたころかも。
つまり、『BURST』の前身雑誌である『クラッシュ・シティ・ライダース』を企画し始めたころか?
お互い、編集者として、あとがないころだったろう。
どんな職種でも同じだろうが、編集者の失敗は1度まで許される。
がしかし2度目に失敗すれば編集者失格となるのだから、さあ、大変。
そんな2人が同僚となり、ほぼ同時に編んだのが『ブブカ』に『BURST』だ。
最初は2誌とも全然売れず、呑み屋で愚痴を漏らしあった一夜もあったな。
お互い31歳であったか。
あれはあれで、編集者の青春であった。
[今週の曽根のお勧め作品/ボブ・ディラン「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」MV(YouTube)]
●20代前半(85年前後)、このMVとシド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」の映像、コッポラの『地獄の黙示録』が、私へ与えた衝撃は、その後の、私のヴィジュアル嗜好を決定づけた。
ディランで1番好きなアルバムが『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(1965)なのだが、そのオープニングを飾る曲のMV(MVの先駆けとされる)。
●ディランが次々と歌詞の一節を描いたボードを見せては棄てるを繰り返すだけのシンプルなアイディアが素晴らしい。またボードに描いた色々なタイポグラフィーも秀逸である。
●ディランの「この世のものともいえぬ生意気な表情」とうしろを徘徊するギンズバーグの対比が笑える。この曲がラップの嚆矢であるとも言われる。
5月25日(土)鬼子母神は晴れ。
月末まで金がギリギリだが、米が切れたので5キロ買い足す。
ま、米さえあれば、こころは豊かだ。
先祖は農民なのだから、代々、血がそうさせるのだろう。
もちろん、ごはんが1番好きな「米どころは大崎平野のど真ん中生まれ」の男であるからにして。
[夕食]
●がんもどきの煮物(大根、人参)
●豚スペアリブ塩煮(ひとつをスライスしてポン酢&辛子)
●納豆
●カブとキュウリの糠漬け
●ごはん
●ほうじ茶
スペアリブ肉が半額。
で、子どものこぶしほどのがんもどきが3つ入った袋も半額で、気づけば2袋を籠に入れていた。
で、それを大根と人参と煮しめたらば、田舎の法事に出る大鉢いっぱいになってしまった。
自炊煮物は、やはり独居男には、どうもね。
さて、冷蔵庫に入るかしら?
おやすみなさい。
まともな夕食を食べると、たちまちまぶたが落ちてくる。
どうにも目覚めてから喉が痛いな。
あれ? これってもしかしたら風邪?
そういや、エアコンの除湿をかけたまま寝たら、朝方寒くて起きたっけ。
風邪のひきはじめか?
風邪なら、40歳の正月にインフルエンザで死にかけて以来20年ぶりだぞ。
やばいな、七曲り荘に籠る魂が、引っ越しを阻止しようとしてるのかもしれない。
ここを終の棲家にせよと。
早く眠ろう。
元同僚へ黙禱しながら。
良い夢を。
[5/30 遊びに来てちょうだい]
#BURST 公開会議 #40
5/30(火)
OPEN 19:30 START 20:00
¥1000+D @TABASA_asagaya
http://asagayatabasa.com
観覧できます! ぜひ会場で!
配信アーカイブ
https://m.youtube.com/@user-lf9ff9zw5v/streams
#ピスケン #ハードコア文学 #ポエトリー
#ハードボイルドムーン
#肥沼和之 #ケロッピー前田
#釣崎清隆 #TSOUSIE
90年代からゼロ年代にかけて、最も過激なストリートカルチャー誌として時代を疾走した『#BURST』のオリジナルメンバーがお送りするネット配信トークイベント。
今回は #BURST 元編集長にして作家・詩人 #ピスケン が「#ハードコア文学 #基礎教養」と銘打って#BURST 読者やそれに憧れる若い世代のために 無頼で野蛮でパンクな 詩人・小説家たちとその作品を解説します。
いまでこそネットやSNS、少し遡るなら雑誌や映画や音楽からカルチャーを学んでいた時代がありましたが、さらにその根底には文学や詩といった「言葉」による新しい表現の開拓者たちの戦いがありました。
1960年代に始まるカウンターカルチャーも「ビート・ジェネレーション(ケルアック、バロウズ、ギンズバーグ等)」と呼ばれるジャンキー作家たちがけん引役となったのはご存知の通りです。
ゲストに今は亡き作家・永沢光雄を追って、ノンフィクション作品を執筆している ジャーナリスト #肥沼和之 を迎え、「言葉」による表現が人生に及ぼす影響について、BURSTレギュラーメンバーと語り尽くします。
ご期待ください!
●曽根 賢(PISSKEN)
1)吉行淳之介 短編「鳥獣虫魚」「出口」、エッセイ集『軽薄のすすめ』――グロテスクな性愛を描き、また政治から離れた遊び人の思想を説いた作家。
人生の指南書。硬派より軟派、重厚より軽薄、堅気より遊び人。純粋・純情・純愛なる胡散臭い嘘っぱちを信じないこと。思想よりも生理を信じること。あらゆる声のでかいものへの嫌悪。体制側へつくことの危険と羞恥心。それを語る吉行淳之介さえ疑ってかかる姿勢。
娼婦、SM、ゲイとオカマ、男娼、立ちんぼう、フェチズム、スカトロの紹介、奇妙な味の作家の評価――サキ、ロアルド・ダール等。
2)ヘミングウェイ 短編集『われらの時代』――その中の特に「二つの心臓を持つ川」は、その後、オマージュした作品を曽根は書くことになる。
センチメンタリズムを表面上排除して、娼婦やレイプや殺し屋やパンチドランカーのボクサーや、闘牛士などを、新聞記者のようなリアリズムの筆致で描く。
アメリカ文学――「ロストジェネレーション」フィッツジェラルド、ヘンリー・ミラー、フォークナー、『ロリータ』ナブコフ。
「ハードボイルド」ハメット、チャンドラー、村上春樹翻訳で有名になった短編作家レイモンド・カーヴァ―。
3)無頼派――坂口安吾 評論集『堕落論』――その中の特に「不良少年とキリスト」を『BURST』5号に全文掲載した作家。太宰の情死の報を聞き、太宰論、芥川論、文明論を展開。
織田作の死を悼みながらもシビアに評論する「大阪の反逆」。酒と女とドラッグまみれのロックスター。
4)戦前の私小説(心境小説)作家たち――葛西善三、嘉村磯田(かむらいそた短編「七月二十二日の夜」、近松秋江(しゅうこう)短編「黒髪」、志賀直哉 短編「濠端の生活」、川崎長太郎 短編「抹香町」――80年代にとことん否定された「私小説」作家たち。
5)田村隆一 詩集『四千の日と夜』――萩原朔太郎 詩集『月に吠える』、金子光晴「おっとせい」、横光利一 短編「春は馬車に乗って」、梶井基次郎「檸檬」、中原中也「月夜の浜辺」、宮沢賢治 詩集『春と修羅』らの、しかばねを選別し、その骨の響きのみを伝えるハードコア詩人 。