[七曲り荘日記]
●巻頭連載[第130回]
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」
「来週から東京でグループ展」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文
アブダクト/2024
Butt Tatoos/2024
来週火曜から、ドローイング作品のグループ展が開催されます。
お会いした事はないけど、一緒に展示するイ・ドンギさんはBTSのジャケやステージセットをやったりしてるかた。
曽根さんの大好きなNMIXXじゃないのが、ちょっと残念……でも、いつか絡みがあるかも知れないと期待!
自分の作品は10点展示されます。
考えてみたら、ドローイングの展示は初めてなんだよな。
いつものこってりとは違う、ゆる〜い感じの絵を是非見に行ってみてください。
●Sho+1では、2024年5月21日(火)より6月25日(火)までの期間、クララ・デジレ、イ・ドンギ、佐藤ブライアン勝彦、付箋girl®の4名によるグループ展「夢の中のお伽話 fairy tale in a dream」を開催いたします。
本展は、4人のギャラリー・アーティストによる新作のドローイング作品で構成いたします。
それぞれのアーティストは、普遍的な無意識と個人が経験した出来事に関する記憶を結びつけ、虚構と現実を交錯させながら作品に落とし込んでいます。
ハイファンタジーとローファンタジーの境界を自由に行き来する4人のギャラリー・アーティストが放つ躍動的な作品の数々を、この機会に是非ご高覧ください。
「夢の中のお伽話 fairy tale in a dream」
会 期|2024年5月21日(火) - 6月25日(火)
時 間|12:00 - 18:00 / 日・月・祝 休廊
会 場|Sho+1 東京都台東区上野1-4-8 上野横山ビル1F
[今週のブライアンのお勧め画材/マルマンのヴィフアール水彩紙]
●今回の展示の為に使用した紙はこれ。
水彩紙に描いた事がないので、画材屋さんで何種類かのメーカーさんのを見て、何となくこれだな! と購入。
細目から荒目まであるんだけど、どれもいい感じでした。
5月15日(水)鬼子母神は薄曇り、夜から雨。
「遍在する自殺の機会に見張られながらおれたちは生きてゆくのだ、これがおれたちの時代だ」
これは大江健三郎の長編『われらの時代』の末尾の台詞だ。
次回の『BURST公開会議』は、私のお題で、80年代に私たち(ケロッピー前田、釣崎清隆)が、90年代を迎えるにあたって読んだ「一般教養文学」であった作家&作品を語り合う、文学セッションとなる。
私にとって80年代とは、高校1年生16歳から26歳の時期だ。
私がエロ本編集者となったのは90年だから、このお題が浮かんだのだ。
前田プロフェッサーは同い年、釣さんは2つ下だが、まあ、ほぼ同い年でいいだろう。
いつの時代でも、大江健三郎は、当然読んでおかなければならない作家だが、80年代の高校生ならマストだった。
もちろん、うちのド不良校で、大江健三郎を読んでいたのは、たぶん私と数人くらいだろう。
が、ちょいと本好きな高校生なら、1冊は手にとったはずだ。
大江の文体はクセの強い悪文だが、それが当時は新鮮で、80年代初期の高校生にも「これぞ純文学」と思わせるスタイルであった。
ここに何度も書いたが、特に17歳の誕生日に読んだ短編「セブンティーン」の、読後の興奮は忘れられない。
私が「一人一殺」のテロを容認するのは、間違いなくこの作品の影響だろう。
(主人公のモデルは山口二矢)
で、先の主人公の台詞だが、これは60年代のインテリ学生の厭世的な諦念であるが、時代は変われど、こういう思いに駆られる青年はいつだって一定数いるだろう。
その数はけっこう多いかもしれない。
とはいえ、「これがおれたちの時代だ」と言い切るには、やはり「おれたち」と、他者との連帯を信じさせる時代感がなければならないだろう。
しかし(私には)80年代には感じられなかったし、90年代にも感じたことはない。
ましてや今の時代に?
いや、現代に、そんな連帯感はいらないと思う。
集合より孤立。
全体主義より、エントロピー増大への加速。
市民のひとりひとりが独立することこそ民主主義の理想なのだし。
ま、いつだって権力側とその犬や豚は、市民に「連帯」を誘うのだけど。
あなたの苦しみこそ、この地上における苦しみの最大値だ。
あなたの幸せこそ、この地上における幸せの最大値なのだ。
貧困も苦痛も幸せも、決して累積することはないのだから。
だから、孤立を恐れず、ぜひ、ひっそり孤塁を守った生活を送ってほしい。
特に、モラルを足場にしていない言説には耳を貸すな。
大きな声でかたる奴らの、一聴合理的な正義は、大概、私怨を足場にしたルサンチマンでしかない。
唾棄せよ、小僧よ。
――てな、アジテーションを内に含んだ7行詩を朝方書いて、連載詩として担当Tへ送った。
昼にケイタイのメールを確認すると返事があり、珍しく今回もお褒めの言葉があった。
「すごく前向きな健全な詩じゃないですか」
Tに「健全」と言われると、ホントに自分が健全な人間なような気がしてくるよ。
[毎度のくどい宣伝]
文芸誌『スピン』河出書房新社/300円
掌編「雑司ヶ谷鬼子母神『七曲りの路地』奥の
七曲り荘二〇二号室からずっと」曽根 賢(PISSKEN)
ところで、常々思うことなのだが、あのころコルホーズや文化大革命を支持し、地上の楽園とされた北朝鮮を夢見ては、日本でも「共産革命」を起こそうと躍起になっていた学生たち、労働者たち、いわゆる「団塊の世代」の誰が、その後に「自己批判」の言葉をわれわれ年少者へ語っただろうか。
「おい、謝らなくていいと思ってるわけか? 誰もが犯す青春の過ちだと?」
私を危うく「平壌の水槽」へと落としそうになったというのに?
ま、今さら謝られても、こちとら気づけばもう60だしなあ。
韓国の同い年なんて、80年に「光州事件」だし(軍事独裁政権下の弾圧だが)、今さら当時の権力側の犬と豚から謝れても、銃殺されたり拷問された高校1年生のからだと魂は癒されることはないだろう。
正直、90年代から2000年代前半まで、いけない雑誌ばかり編んできた私も、謝る気なんてさらさらないしな。
つくづく大人を信じちゃいけないよ、小僧たち。
いや、80年代の文学基礎教養を思い出して、作家と作品を思い出しているうち、あの「殺伐とした東京」が思い出され、少々、筆が荒くなった。
まあ、殺伐としていたのは私のほうに決まってるが。
しかし、自殺の機会に見張られていた気はしない。
41歳前後の数か月くらいか。
(ヤバかったある日の10分は忘れられない)
貴重な体験ではあるが、もちろん、二度と経験したくないもんだ。
[夕食]
●釜揚げしらす入りトロロ(大葉と海苔)
●煮豚(辛子酢醬油)
●カブの糠漬け
●ごはん
●ほうじ茶
●甘いラスク
80年代に読み、90年代の『BURST』編集長へ影響を与えた(漫画以外の)作家とその作品をつらつら思い出してみると、出るわ出るわとビックリするが、しかし、その原点はやはり私の場合、中学3年生のときに初めて読んだ吉行淳之介である。
彼が勧める作家・作品を読んでいくうちに、枝が伸びていくように、多くの作家に出会え、そのうち自分の作品を表現するようになったのだし。
おそらく彼の作品だけは、対談も含め、そのほとんどを読んでるが、高校生の私にとって彼のエッセイこそが、人生の指南書であった。
硬派より軟派、重厚より軽薄、堅気より遊び人。
純粋・純情・純愛なる胡散臭い嘘っぱちを信じないこと。
思想よりも生理を信じること。
あらゆる声のでかいものへの嫌悪。
体制側へつくことの危険と羞恥心。
それを語る吉行淳之介さえ疑ってかかる姿勢。
高校生の私にとって、彼は師匠であり、何でも真似したいアイドルであった。
そんな私が、堅気の世界で「健全」に生きることができようか。
いや、あくまで本人は健全な「部分」もあると自負するけれど。
80年代以降、上野千鶴子らのフェミニスト一派から、女性蔑視者、ミソジニストと叩かれてきた吉行だが、上野らの座談会を読むと、彼女らこそ生理的男性蔑視者で、それを恣意的論理で押しつぶそうとしているのがみえみえで、下品極まりないのであった。
(これを書いている今、上野の共同親権に対する無茶苦茶な物言いが炎上中だったのを知る)
百歩譲って、吉行がミソジニストであっても、それはマッチョ的ミソジニストではなく、女にモテるミソジニストなのだ。
(もっと女は怒るか)
とはいえ、フェミニズムを教わったのも吉行であり、論理的に「女」を嫌いながら、結局「女」を嫌いになりきれない「男」の生理を語っていたのが吉行だった。
ゆえに、女性フェミニストは、論の上に論を重ねるじゃなしに、女の生理から論を立ててもらいたい。
吉行は、娼婦の位置まで身を落とせた男であり、売春防止法施行から、現在の「売春」の形とそのネガティブな面を予測できていた遊び人であった。
「男は広く浅く、女は狭く深く、性に耽溺するものだ」と、童貞にさとしたオジサンである。
「舐めるときは横に舐めろよ、縦に舐めるとくしゃみするから」
とも教えてくれた、健全な遊び人であった。
彼の死後、6人の女が彼について本を出した。
●その人生がテレビドラマとなった母親の吉行あぐり。
●女優でエッセイストである妹の吉行和子。
●最期まで籍を抜かなかった本妻の吉行文枝(女児を生み育てた)。
●女優で歌手であり、ねむの木学園の創立者、そして最期までパートナーであった宮城まり子。
●最後まで(28年間)愛人であり、長編『暗室』の主人公のモデルとされる大塚英子。
●吉行との子もいる愛人、やはり『暗室』の登場人物のモデルとされる高山勝美。
大塚英子の本がいちばんスキャンダラスであったが、どうにも文章というか、そのパーソナリティが不健全というか、おそらく、そんな危うさに吉行は惹かれたのであろう。
モノノ怪ぐあいが、宮城まり子に負けていないように思う。
とはいえ、6人全員がモノノ怪女子であることは自明の理だ。
兄の本は書かずに死んだが、詩人で作家である、もうひとりの妹の吉行理恵だって控えていたのだ。
ましてや、おばあちゃん子で(ただし可愛がられてはいない)、母親のあぐりが当時珍しかった「美容院」を経営していたため、美容師見習いの女子たちに子どもの頃から囲まれてきた東京っ子。
女系家族のたったひとりの長男。
で、なにより、その父親は、稀代の遊び人でダダイスト、早世したアバンギャルド作家であった吉行エイスケである。
喘息に肺結核にアレルギーに鬱病。
一高、東大、戦争、雑誌(エロに近い)編集者。
健全な大人になれっていわれてもなあ。
[今週の曽根のお勧め作品/吉行淳之介エッセイ・コレクション1~4(ちくま文庫)]
●15歳にも理解できるほど平易な文章で、実は人間性の深い話を、あくまで「性&エロ」話として語る、根っからの詩人であり作家のアンソロジー。これらは特に、10代20代のひとにお勧めする。が、まよえる中年にもぜひ。
●肝心の小説は、彼は短編作家であるあるからにして、初期の傑作短編「鳥獣虫魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)」、「寝台の舟」、「出口」、「水族館にて」などがお勧め。
●長編『暗室』は傑作だが、売れたせいで評価が低い長編『夕暮れまで』は、この先、日本長編小説10選に入るであろうハイクラスな作品だ。ダイヤモンドのように硬質な文体が素晴らしい。
[NMIXXつれづれ草]
●右が「モチモチ」なリーダーのヘウォン(20)、その頭の良さからバラエティ番組に引っ張りだことなっているようだ。左が「将軍」ソリュン(19)。5月18日19日の台湾でのファン・コンサート(バラエティー色が強い)へ向かっている飛行機にて。
●5月16日に韓国の成均館大学の学祭ステージにNMIXXが立った。デビューから2年約3カ月にして初である。また初であったのが、観客がオールスタンディングという状況であった。がしかし、メンバーは怖気るどころから登場から満面の笑みで愛嬌を振りまき、もちろん曲になればハンドマイクで歌いまくり踊りまくったのであった。
特に「メンバー唯一の内向的な性格」のソリュンが、スタンディングの客に嬉しさを爆発させ、3曲目に歌った「DICE」では「5段階オクターブ上げ」を、2年ぶりに生でシャウトしたのだっだ。つくづく、姫の中身は「芸能将軍」である(将軍はソリュンの綽名ーーその低く野太い声と男子高校生みたいな普段の態度所作から)。明らかにソリュンの歌声とステージングが覚醒していたのに驚かされた。
●リーダーのヘウォンとジウのマイクが不調であったが、運営はすかさずステージの模様をYoutubeにアップした。ぜひ、
(Youtubeのサムネ)
NMIXX(엔믹스) Stage Cam @ 2024 SUNGKYUNKWAN UNIVERSITY | 2024 성균관대학교 자연과학캠퍼스 대동제
を観てほしい。腰を振るソリュンに思わず「おおーっ」と声を漏らす、男子学生たちの性欲の高まりが可愛いから。
●去年は「どうせ学祭に呼ばれてないんだろ」と陰口をたたかれていたNMIXXだが、どうやら満を持して解禁となったようで、今月は9学祭のステージをこなす。ぜひ、客のダイヴが観てみたい。あ、ダイヴはまずかいか、モッシュが観てみたい。
5月18日(土)鬼子母神は晴れ。
80年代に一般教養として読まなきゃいけない文学は、古典はもちろんだが、流行りとして、
●ビート・ジェネレーション(ケルアック、バロウズ、ギンズバーグ)
●南米文学(マルケス、ボルヘス)
●耽美文学(サド、ワイルド、バタイユ、ジュネ)
●中上健次
といったあたりだったが、私がハマったのは、日本独特のスタイルであった「私小説」であった。
そっちのほうが、リアルでスリリングに感じたのだ。
しかし、80年代は、大江や丸谷才一らに、私小説がとことん否定された時代でもあった。
(当の大江自身、私小説作家だと評論家からののしられた)
吉行淳之介も私小説作家だとけなされたが、本人も反論しているように、そんなわけはない。
ただし、私小説も書いているから、勘弁してちょうだいといったところか。
だが、作家にとって経験を元に作品をつくることは当然であって、それが「本格小説」じゃないというなら、ヘミングウェイの初期短編はみな私小説になってしまう。
私にとって、当時は、リアルであることがいちばん重要であったから、そっちを深掘りしたのだろう。
とはいえ、たいがい皆、貧乏くさいし、まるで異常で我がままな男の日記を読まされるようで、そのほとんどに閉口した。
いや、近松秋江(しゅうこう)の短編「黒髪」とか、めちゃくちゃ面白いんだけどね、でも、実際のところ、こいつは、まぎれもないストーカーじゃないか。
で、「私小説の極北」と呼ばれた嘉村磯多(かむらいそた)を読むにいたって、すこぶる感動したが、こんな人間にはなりたくないし、こんな作品を書きたくもないと思うにいたった。
そこらへんが、平凡な健全人の限界であったのだ。
それでも、志賀直哉や芥川龍之介の私小説、坂口安吾の「矢田律世子」もの、川崎長太郎の「抹香町」もの、檀一雄の太宰ものは愛読した。
日本の長編では、大江の『万延元年のフットボール』より、中上健次の『岬』や『枯れ木灘』より、村上春樹の初期三部作よりも、檀一雄の『火宅の人』のほうが、後世に残る傑作だと思うくらいだ。
どうにも、私の嗜好tお資質はそっちにあったので、長編作家、物語作家になれるはずもなかった。
自分がどうやら、私小説作家の皮をかぶった散文詩人であることに気づいたのは、死にぞこなってからだから、つい数年前のことである。
ホント、ぼんくらだな。
しかし、まあ、80年代はけっこう勉強したんだなあ。
なにせ、本を読むより、レコードは聴かなきゃならないし(80年代はまだ洋楽の時代だ)、映画と小劇団は観なきゃならないし、漫画だって読まなきゃいけない。
で、絵描きなるんだってデッサンして油絵を描いて、いきなりバンドマンになるんだってギターを持ち曲を書き歌う。
その間、沖縄で半年暮らしたり、上京してすぐライブハウスのブッキングとなり、女と同棲し、5年間土方に励んだ。
もちろん毎晩呑み、喧嘩だってしょっちゅうだった。
暗黒の10年間であったが、いろいろと土中で勉強し、経験してたんだね小僧ながら。
それが雑誌編集者として、作家として、90年代を無様にしろ走れた糧になっていたんだな。
と、いい話を捏造して、クスリを飲んで寝よう。
おやすみなさい。
5月19日(日)鬼子母神は曇り。
ただいま午後9時5分。
今さっき、文学フリマと軽い打ち上げから帰ってきた。
これをアップして、クスリを飲み寝ます。
疲れた。
良い夢を。
[処女詩集販売中]
『火舌(かぜつ)詩集 Ⅰ ハードボイルド・ムーン』
著者:曽根 賢(PISSKEN)
ドローイング:佐藤ブライアン勝彦
判型A5/平綴じ/96ページ
部数:300部
税込み価格1320円
さて、販売方法だが、以下の2つの書店で、通信販売、また店頭発売します。
2書店のサイトを検索してもらって注文してください。
ネット注文できない私のようなひとは、誰かに頼んで注文しましょう。
※詩集には私のサインが入っています。
「タコシェ」
http://tacoche.comには、遊離型テストステロン値が11.8 pgば要注意(ボーダーライン)、8.5pg/ml以下の場合は明らか
に(シングル小説もセカンド&サードも注文できます)
「模索舎」
「阿佐ヶ谷ネオ書房」
※書店販売のみ
尚、くどいようだが、この処女詩集は、あくまで『火舌詩集』のⅠであって、今後あと2冊を発行します。
3冊合わせて『火舌詩集』となるので、ぜひコンプリートしましょう。
※「火舌」とは中国語で、火事の際、窓から吹き出し、壁を舐める炎をいう。
[サード&セカンド・シングル通販中]
●A面「PISS(INTO)MY HEROES」
●B面「七曲荘二〇三号室」
●セカンドシングルのジャケット。被写体は細菌学者の志賀潔。撮影は土門拳。
●アドレス:budroll.shelvis.sy3@gmail.com
――以上へ以下のことをメールしてから、お金を振り込んでください。
◎郵便番号と住所
◎名前(口座のカタカナ読み振りも)
◎電話番号
◎サード、セカンドのどれを希望するか
(ファーストは売り切れ)
●1,600円(発送代込み)
●振込先――ゆうちょ銀行
◎BUDROLL(バドロール)
◎普通口座:店番908
◎口座番号:5133817
『キャンプ日和』(河出書房新社)
キャンプ小説&エッセイのアンソロジー。トリに曽根 賢の短編「二つの心臓を持つ川の縁で」が掲載されています。
『点線面』5号(ポンプラボ)
曽根 賢の特集と、論評風の新作エッセイが載ってます。詳しいことはネットで検索してください。