ふたり (新潮文庫)/新潮社

¥562
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みなさんこんにちは。

喪女仲間だと思っていた友人が就職し、恋人が出来ていたことが発覚して落ち込むと同時に、自分も頑張ればもしかして……と期待に胸を躍らせている管理人です。素敵な出会いのためにはまず自分が素敵にならなければならないのですが、どうやったら性格ってよくなるんでしょうか。よかったら教えてください。もう是非是非に。

本日の本は赤川次郎さん『ふたり』です。新潮文庫の100冊にもなってます。

千津子と実加はどこにでもいる普通の姉妹。姉は何でも出来る頼れる高校生、妹はまだ少し手のかかる中学生。何の変哲もない彼女たちの幸せな日常は、姉の交通事故死によって無残にも終わってしまいます。しかし、姉の死を悲しむ実加に聞こえてきたのは、紛れもない姉の声。ふたりの奇妙な共同生活がはじまりました。

以下ネタばれ


赤川次郎さんって会話が多くてとても読みやすいのだけれど、会話だけで人間関係を説明するのがとっても上手ですよね。すこし抜けた母、後半の生々しい男の部分を見せる父、しっかりもののクラスメイトのマコ、実は誠実な哲夫、言葉の端々にそれぞれの個性が出ている気がします。

姉の死のあと、実加には学生生活らしいさまざまな事件が起こります。実加は姉のアドバイスに耳を傾けて、それらの問題を乗り越えていくのですが、父親の浮気というのっぴきならない事件のときに自分の力でそれを乗り越える姿勢を見せます。そして、頼りになる姉だと思っていたのは、実は成長した自分自身だということに気づきます。

これってどういうことなんでしょう。自分の中の姉成分がやっと自分のものになったっていうことなんでしょうか。でも姉は確実に独立した存在なんですよね、実加には分からない石の場所を教えてあげたりして。だから、姉は確かに幽霊のような存在で実加のそばにいたのだけれど、妹の中に自分の姿を認めたから身をひいたってことでよいのでしょうか。

たぶんもうお父さんとお母さんは離婚することになるんじゃないかなぁと思うのでなんか悲惨なラストに感じてしまうのですが、実加には幸せになってほしい……。
冷たい密室と博士たち (講談社文庫)/講談社

¥745
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 皆さんこんばんは。
外に出ると金木犀の良い香りがする季節になりましたね。
管理人は去年、金木犀を使ったシロップを作ったのですが「トイレの芳香剤のにおいがする」と家族の誰も食べてくれませんでした。今年は無難にポプリでも作ろうと思います。お茶パックに金木犀ぶち込むだけ!!ね、簡単でしょ?


 本日の本は森博嗣さん『冷たい密室と博士たち』であります。
これね!!もうすぐドラマ化するのですよ!!武井咲さんと綾野剛さんで!!
10/21(火)21:00スタートだそうです。楽しみですねぇ。

 管理人が中学生のときにS&Mシリーズにドはまりいたしましてですね。
確か過去に読んだ気がするんですが……完全に忘れていました。初版がいつだったのか見てみると1996年だそうです。か、軽く18年前……!!!そりゃ忘れもしますわ。
 どうして今回ドラマ化することになったんでしょう。うれしいけどね!!!

 舞台は冷たい密室。N大学の極地環境研究センターという施設の低温実験室です。そこで、二人の大学院生が殺されていました。彼らは直前まで顔まですべて覆った防寒服で作業をしており、他の生徒や教授たちが打ち上げの飲み会をしている間に殺されたと考えられました。しかし、おかしなことに二人が死んでいた低温実験室は密室でした。二人が入ることすら不可能だったはずの密室でした。

 以下ネタばれ

 私のおぼろげな記憶では「S&Mシリーズはとにかく難しいしややこしいし、読者を煙に巻くような衒学的なお話がいっぱい出てくるぞ!!気をつけろ!!」という感想だったのですが、18年ぶりに読んでみて。あれ、意外と普通……??
 理路整然と可能性を列挙してそれをつぶしていくS&M&喜多さん。犀川先生なんて賢すぎて私の理解の範疇の外におられる神様のような方でアババババと思っていたのに、意外とアクティブでキザな犀川先生……こんなだったっけ。私がミステリーに擦れてしまったのかしら……。

 もちろんね!トリックは綺麗なんですよ!!複雑に見える事象も分解していけば単純になって、他の事実とも整合性があるものになる。顔の見えない防寒服、隠れて付き合っていた院生、体型の似ている二人……言われてみれば確かにそうだなぁという解答。そうか、こんなだったっけな。純粋に答えを導き出す、森さんのミステリーってこんなだっけな。

 過去の記憶を少し美化しすぎていたのかな。面白いの!とても面白いんだけど当時読んだような脱力するような衝撃はなかった……。
フラニーとゾーイー (新潮文庫)/新潮社

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 秋服がなくていまだに半そでを着て凍えている管理人です。
秋服どこへ消えたのかな……大掃除したときに捨てちゃったのかな……。

 さて、本日の本はサリンジャー『フラニーとゾーイー』です。
管理人はサリンジャーだとか村上春樹だとかの難しい(らしい)本は全然読めないんですが、これは知人に薦められたので読んでみました。爆笑問題の太田光さんの愛読書だそうですね。ますます難しそうだわwwww

 フラニー(25)とゾーイー(21)はグラース家の子供。末っ子の妹と末っ子から二番目の弟。
グラース家というのは超絶天才児ばかりで、特に一番年上のシーモアは抜きん出た存在だった。しかし、そのシーモアはこの物語が綴られる7年も前に自殺をしてしまっているのです。

フラニー章では、大学生のフラニーとその彼氏のレーンがレストランでお話をしています。フラニーは彼のことが好きなのだけれど、彼の話すエゴに満ちたフロイトだのドストエフスキーだのの話がどうしようもなく汚く見えるんですね。それで本当に体調が悪くなってしまう。大学のどこを見てもエゴにまみれたやつらばかりで、フラニーは大好きだった演劇も辞めてしまい、家に引きこもるようになります。フラニーはどうしても自殺してしまった完璧な兄シーモアと周りの人間を比較してしまうんですね。

 ゾーイーの章ではそんなフラニーを見かねた口うるさくて空気の読めない母親がゾーイーになんとかしてやってくれと頼みます。ゾーイーは兄弟の仲でも別格の美しさを誇り、俳優をやっています。
 彼は世俗とはなれて祈り続けるフラニーに、その祈りは何のためのものなのだ、と問うのですね。フラニーはくだらない物や知識欲を満たすやつらを軽蔑して、精神的な宝を求めているのですが、ゾーイーは物欲・知識欲と精神の充足にはなんの違いもないとすっぱりと言い切ってしまうのですね。キリスト教には殉教して聖人となられた人がいますが、ゾーイーはそいつらはエゴにまみれて生きる自分たちと何にも変わりはないぜ、と言うんです。聖人たちも「キリスト教の教えのために死にたい」という欲があってそんなことをしたわけですから。
 もちろんフラニーはそんなことわかってるんですね。そんなエゴな自分にほとほと嫌気がさしているんです。でも、ゾーイーはそれでいいというんですね、もし仮に、何のエゴもなく祈りの本当の意味を理解し、人に道を説く人物が現れたとしても、そんなのよりも、フラニーのためにチキンスープをくどいくらいに勧めてくる母親の行為に気づかなければならないと。
 シーモアが『太っちょのオバサマ』のために身なりをととのえたように、祈るならそんな人たちのために祈らなければならないと、そしてその太っちょのオバサマはすべての人だと。その言葉にフラニーは救われて、ああ、シーモアもそんな人のために祈ったのだなぁとやっとシーモアの呪縛から解放されるわけですね。

 これはキリスト教の隣人愛ってこういうことなんだよ~という解釈なんでしょうか。あまりキリスト教に明るくないもので、分からなかったんですけど。

 この本は、自分をフラニーに重ね合わせる人と、そうでない人とで感想がまるで違うのではないかな。フラニーに共感できる人は、まさに救われるだろうし、これ以上ないほどの自己肯定感を味わえる気がします。
 でも、私はフラニーのように人がエゴでまみれていることに悩みもしなかったし、大学にいけて、彼氏も居て、素敵なお兄さんが居て、賢くて、美しくて、人からうらやまれるよう案要素をすべて持っているのに悩んじゃうフラニーに100%共感はできなかったですね。なんて贅沢なんだ!と思っちゃいました。解放されたフラニーに言わせれば、私もフラニーも大きな違いはないってことなんでしょうけど。

 読後すぐには、ものすごく救われた!!!!と感動していたのですが、しばらく経ってみると「あれ……救われているのは私じゃなくて、幸せなフラニーだわ……」と気づいてしまいました。こんな性格ひん曲がった読み方してごめんなさい!!