ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)/光文社

¥802
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※本日の記事は腐女子限定ですのおほほ。
みなさんこんばんは。
インターネット依存症から抜け出せない管理人です。もうね、引きこもりクソクズニート貧乏はインターネットくらいしかすることが無いんですよ!!ほんとうに!だから明日からネットは1日1時間以内にしようと思います。その代わり落語やクラシックのCDをいっぱい聞いて教養を深めてみようかなと思います。
さて、本日の本はワイルド『ドリアン・グレイの肖像』です。
ワイルドはアイルランド出身のヴィクトリア朝時代の作家。ワイルドといえば「幸福な王子」の作者として記憶されている方が多いのではないでしょうか。宝石がちりばめられて金の鍍金をされた王子の銅像が貧しい人たちに宝石でできた目玉とかをあげていっちゃうやつ。本作はそのワイルドの本領発揮、耽美全開のホモォワールドです!!!
舞台の時代も大好きだし、主人公とその友達の青年たちがホモホモしいのも美味しくいただけますし、もう最高ですよね。実際に作者のワイルドも同性愛者だったらしくそのせいでイギリスを終われ、フランスの地で46歳の若さで寂しい最期を遂げているようです。こういう痛ましい歴史を知ると、馬鹿みたいにホモホモ言ってちゃいけないなと思いますね……。
主人公のドリアン・グレイは絶世の美少年。彼を知るものは誰もがその純真無垢な美しさに心を惹かれずにはおれなかった。彼の友人である画家のバジルも彼に魅入られた男の一人。バジルは彼の美に触発され、ドリアンの肖像画を一枚仕上げます。その肖像画は描かれたときのドリアンの美しさをそのまま時を止めて絵にしたごとくすばらしいものでした。
その絵とドリアンを見て、バジルの友人であったヘンリー卿という男が、「若さを除いたらこの世に何がのこる?」とドリアンの美の価値観を脅かしたところから悲劇が始まります。ドリアンは今まで意識していなかった自分の美を始めて意識するようになり、絵に向かって「この絵のほうが年をとったらいいのに、そのためなら魂だって差し出す」と言ってしまうのです。
以下ネタバレ
彼の望みどおり、ドリアンは年をとらなくなりました。どんなに腹黒いことや、卑しいことを思っても、顔だけはいつまでたっても何も知らない無垢な美しさを保ち続けました。しかしその代わり、バジルの描いた肖像画の中のドリアンは醜く年をとっていくのです。
ドリアンはヘンリーにそそのかされ続け、悪行に手を染めていきます。一目ぼれした舞台女優シビルを、自分の思う芸術性がまったく失われてしまったとひどく傷つけて自殺に追い込み、凡人ではあったがドリアンを本気で心配してくれた友人のバジルを殺し、かつての親友だった科学者アランを殺人に巻き込んでこれまた自殺に追い込み、どんどん取り返しの付かないことになっていきます。
そんな彼に転機が訪れました。かつて自殺に追い込んだシビルの弟ジェイムズが、ドリアンの居場所を突き止めて復讐しに来たのです。しかし幸運な(不幸な?)事故によってジェイムズが死んでしまいます。そのとき彼は初めて恐怖というものを味わい、その恐怖から開放されて、これからは善行をして行きようと決意します。
しかし、その決意は心のそこからの善行とは程遠い、自分のための善行に過ぎませんでした。親友の死も、不幸な姉弟の死も、結局はドリアンの絵に封じ込められた良心を取り戻すことはできず、罪を悔い改めることは叶いませんでした。よりいっそうおぞましくなった絵を目にしたドリアンは、過去の罪から逃げるために、過去から目をつぶるために、その絵の中の自分を殺そうとしますが哀れドリアンは呪いがとけて、みすぼらしい男の姿で亡くなってしまうのでした。
感想
ヘンリー卿のキャラクターがとにかくすばらしい。皮肉屋で常に人を煙に巻くようなつかみどころの無い人物として描かれています。当時の貴族ってこんな感じで頭ばっかり大きくって時間をもてあましていたのかしら。ヘンリーからドリアンへの嗜虐趣味、ドリアンからバジルへの嗜虐趣味、バジルは凡人だけどいいやつ。この三人の関係がとても面白い。
ドリアンが呪いにかかってしまったのは「自分は美しい」と自覚してしまったからなんでしょうか。楽園を追われたアダムとイブみたいに。
すべてを絵の中に閉じ込めることで、憎しみも後悔もなく何の厚みも無いつまらない人間に成り下がってしまったんですね。若さとは確かにとても尊いものだけれど、その若さを犠牲にして得られる経験も同様にして尊いものなのでしょう。
逆にではなぜ呪いがとけてしまったのかというと、絵の中の自分=自分の過去を壊そうとしてしまったことによって、また無知なままの自分に戻ろうとしたからなんでしょうかね。
「俺、善行するぜ☆」といったドリアンがその舌の根も乾かぬうちに「あー、でも自首とかwww無理ぽ」って即効あきらめてるのがダメ人間っぽくていいですね。
当時のヴィクトリア朝時代は、鏡が普及して自分というものの美しさを客観的にとらえるようになったり(それまでは心の美しさがそのまま体に出ると思われていたらしい)、ダーウィンの進化論(1858年)を始めとした科学的発展によってこれまでの宗教観・世界観ががらりと変わったそんな時代だったのかもしれませんね。
余談ですが、このドリアン・グレイは何本か映画になっています。管理人のおススメドリアンは『リーグ・オブ・レジェンド』に出てくるドリアン。もうね、イケメンすぎやばい。不死身のイケメンやばい。

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みなさんこんばんは。
インターネット依存症から抜け出せない管理人です。もうね、引きこもりクソクズニート貧乏はインターネットくらいしかすることが無いんですよ!!ほんとうに!だから明日からネットは1日1時間以内にしようと思います。その代わり落語やクラシックのCDをいっぱい聞いて教養を深めてみようかなと思います。
さて、本日の本はワイルド『ドリアン・グレイの肖像』です。
ワイルドはアイルランド出身のヴィクトリア朝時代の作家。ワイルドといえば「幸福な王子」の作者として記憶されている方が多いのではないでしょうか。宝石がちりばめられて金の鍍金をされた王子の銅像が貧しい人たちに宝石でできた目玉とかをあげていっちゃうやつ。本作はそのワイルドの本領発揮、耽美全開のホモォワールドです!!!
舞台の時代も大好きだし、主人公とその友達の青年たちがホモホモしいのも美味しくいただけますし、もう最高ですよね。実際に作者のワイルドも同性愛者だったらしくそのせいでイギリスを終われ、フランスの地で46歳の若さで寂しい最期を遂げているようです。こういう痛ましい歴史を知ると、馬鹿みたいにホモホモ言ってちゃいけないなと思いますね……。
主人公のドリアン・グレイは絶世の美少年。彼を知るものは誰もがその純真無垢な美しさに心を惹かれずにはおれなかった。彼の友人である画家のバジルも彼に魅入られた男の一人。バジルは彼の美に触発され、ドリアンの肖像画を一枚仕上げます。その肖像画は描かれたときのドリアンの美しさをそのまま時を止めて絵にしたごとくすばらしいものでした。
その絵とドリアンを見て、バジルの友人であったヘンリー卿という男が、「若さを除いたらこの世に何がのこる?」とドリアンの美の価値観を脅かしたところから悲劇が始まります。ドリアンは今まで意識していなかった自分の美を始めて意識するようになり、絵に向かって「この絵のほうが年をとったらいいのに、そのためなら魂だって差し出す」と言ってしまうのです。
以下ネタバレ
彼の望みどおり、ドリアンは年をとらなくなりました。どんなに腹黒いことや、卑しいことを思っても、顔だけはいつまでたっても何も知らない無垢な美しさを保ち続けました。しかしその代わり、バジルの描いた肖像画の中のドリアンは醜く年をとっていくのです。
ドリアンはヘンリーにそそのかされ続け、悪行に手を染めていきます。一目ぼれした舞台女優シビルを、自分の思う芸術性がまったく失われてしまったとひどく傷つけて自殺に追い込み、凡人ではあったがドリアンを本気で心配してくれた友人のバジルを殺し、かつての親友だった科学者アランを殺人に巻き込んでこれまた自殺に追い込み、どんどん取り返しの付かないことになっていきます。
そんな彼に転機が訪れました。かつて自殺に追い込んだシビルの弟ジェイムズが、ドリアンの居場所を突き止めて復讐しに来たのです。しかし幸運な(不幸な?)事故によってジェイムズが死んでしまいます。そのとき彼は初めて恐怖というものを味わい、その恐怖から開放されて、これからは善行をして行きようと決意します。
しかし、その決意は心のそこからの善行とは程遠い、自分のための善行に過ぎませんでした。親友の死も、不幸な姉弟の死も、結局はドリアンの絵に封じ込められた良心を取り戻すことはできず、罪を悔い改めることは叶いませんでした。よりいっそうおぞましくなった絵を目にしたドリアンは、過去の罪から逃げるために、過去から目をつぶるために、その絵の中の自分を殺そうとしますが哀れドリアンは呪いがとけて、みすぼらしい男の姿で亡くなってしまうのでした。
感想
ヘンリー卿のキャラクターがとにかくすばらしい。皮肉屋で常に人を煙に巻くようなつかみどころの無い人物として描かれています。当時の貴族ってこんな感じで頭ばっかり大きくって時間をもてあましていたのかしら。ヘンリーからドリアンへの嗜虐趣味、ドリアンからバジルへの嗜虐趣味、バジルは凡人だけどいいやつ。この三人の関係がとても面白い。
ドリアンが呪いにかかってしまったのは「自分は美しい」と自覚してしまったからなんでしょうか。楽園を追われたアダムとイブみたいに。
すべてを絵の中に閉じ込めることで、憎しみも後悔もなく何の厚みも無いつまらない人間に成り下がってしまったんですね。若さとは確かにとても尊いものだけれど、その若さを犠牲にして得られる経験も同様にして尊いものなのでしょう。
逆にではなぜ呪いがとけてしまったのかというと、絵の中の自分=自分の過去を壊そうとしてしまったことによって、また無知なままの自分に戻ろうとしたからなんでしょうかね。
「俺、善行するぜ☆」といったドリアンがその舌の根も乾かぬうちに「あー、でも自首とかwww無理ぽ」って即効あきらめてるのがダメ人間っぽくていいですね。
当時のヴィクトリア朝時代は、鏡が普及して自分というものの美しさを客観的にとらえるようになったり(それまでは心の美しさがそのまま体に出ると思われていたらしい)、ダーウィンの進化論(1858年)を始めとした科学的発展によってこれまでの宗教観・世界観ががらりと変わったそんな時代だったのかもしれませんね。
余談ですが、このドリアン・グレイは何本か映画になっています。管理人のおススメドリアンは『リーグ・オブ・レジェンド』に出てくるドリアン。もうね、イケメンすぎやばい。不死身のイケメンやばい。