『オーメン:ザ・ファースト』の不可解な点から読み取れた本作のテーマとは?(個人的感想です) | 【映画とアイドル】

【映画とアイドル】

『007』『スター・ウォーズ』『エヴァンゲリオン』
『魔法にかけられて』

カラフルスクリームゆうか【ミスiD2021CHEERZ賞】
叶星のぞみ(五代目KONAMON)
菅原未結(KRD8)

全国公開中カチンコ

オーメン:ザ・ファースト』THE FIRST OMEN

ブログその➁

 

 

先日UPしたブログ✑⤵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作がとても面白かったので、

YOUTUBEで本作を取り上げた動画を

本作を批判してるものも含めていくつか見たんですが、

そこで指摘されてる人もいましたが、

自分の中でもひとつ引っ掛かるところがあったので

ここで書いておきたいと思います。

 

引っ掛かったとは言っても

観て時間が経ってから気づくレベルです。

本作を肯定する立場は全く変わらないので

ホラー好きな方にはオススメの作品です。

 

 

 

 

あと、前日譚ですから

本作につながる一作目は観ておいた方がいいと自分は思いましたが、

本作から観ても、一本の作品として充分楽しめるであろうことは書き加えておきます。

ただ、ボクは一作目が大好きなので何回か観てて、

本作を観る直前にも観たので、

一作目を知らない人が本作を観てどういう面白さを感じることができるかは分かりようがありません。

 

ここからは物語の根幹に触れるので

未見の方はこの先は読まずに

ダミアンの誕生を目撃して欲しいです。

 

 

 

 

【※ネタバレ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先にあげたブログで

本作の怖さは悪魔ではなく

人間の恐ろしさを描いているところにあると書きましたが、

観ようによってはそこに矛盾を感じるところがあったので

それについて書いておきたいと思います。

 

本作の何が怖いって、

悪魔の子を誕生させようと画策していたのが

実は悪魔とは正反対の側のキリスト教の教会の人間たちだったところでした。

 

キリスト教への信仰心が世間で薄れてきたから

悪魔を誕生させて 人々に神にすがる気持ちを呼び起こそうとするやり方は

ボクは説得力を感じたのでストーリーに引き込まれた。

 

国のトップが起こす戦争にもそういう側面が多々あると思うからです。

テロが国による自作自演の可能性も ものによってはあるかもしれません。

 

そこまではすんなり納得できるんですが、

社会を不安に陥れるために悪魔の子を誕生させようとする

邪悪な教会が舞台なのに、

その悪魔の子ダミアンが誕生する前から

その周辺で不審死が続くことに後で疑問を持ちました。

 

しかし、その疑問も深読みというか

自分なりに考えてみると

また 本作の面白さにつながることが分かったというか、

少なくとも自分はそう思いました。

 

人知を超えたような力が働いてるところについては

いくつかの解釈が、つまり観る人によってさまざまな解釈が可能かと思います。

 

人知を超えた力が冒頭から働いていたと思い返せば、

本作が‘人(ヒト)怖’では結局なかったことに成り兼ねませんが、

そこはいったん置いておいて、

その超自然的な力の元がどこから来てるのか?を考えてみると

また本作の面白さが増すとも言えるかもしれません。

 

まず、深読みする前に考えるべきは、

それらのショックシーンは『オーメン』シリーズのファンへの

作り手からのサービスシーンである側面は必ずあるということです。

 

特にオープニングのオマージュシーンは素晴らしくて、

一作目へのオマージュにとどまらず、

そのリメイク版に対してもオマージュを捧げるシーンになってるのが秀逸過ぎます!!

 

 

本作の完成度の高さを見ると、

ショックシーンはオマージュだけにとどまらず

そこにも何らかの意図が働いていると考えた方がしっくりきます。

 

では何故ダミアンが誕生する前から悪魔的な力が作用していたのか?

 

結局は邪悪な教会の人々も悪魔の力によって動かされていた、という解釈もアリだとボクは思います。

いくら悪魔でも 実体として悪魔の子供を生むことはできないので、

それを実行させるのに人間に乗り移るなり洗脳まがいのことをして

協会にそれをやらせたということです。

それは結局キリスト教を自滅させることにもつながって

一石二鳥の側面も持つと思います。

 

先に戦争のことを例にあげましたが、

戦争だって結局は始めた側も大きな代償を払って、

きれいに終わる戦争なんて有り得ないんですよ。

 

だから協会自らが悪魔を生み出せば

その悪魔の子が世界を支配していくのと同時に

キリスト教はおそらく衰退していくしかない、

つまり悪魔の思う壺になるわけです。

 

 

 

 

 

なんか、ここまで書いて

自分がヤバい気がしてきましたが(^^;

続けましょう。

 

本当はもう一回観て確認したいくらいなんですが、

お金が無いのでw一回観た印象だけで書くので

そこは大目に見て下さい。

あくまでもボクの想像・解釈なので(^^ゞ

 

ただ、修道女のアンジェリカがマーガレットに悪魔の子の誕生を示唆させたあとで自殺する展開が、

アンジェリカのマーガレットへの警告と捉えたら、

悪魔がアンジェリカを死に追いやったとは思えなくなります。

悪魔としてはマーガレットにそれを気づかれない方が都合がいいはずだからです。

 

だからアンジェリカの死については

神の力が働いたんじゃないか?ともボクは思います。

 

でも、それはそれで恐ろしいんですよね。

人が死んでるわけですから、

その死を神様が誘導したとしたら

神と悪魔は表裏一体だという見方もできるわけです。

 

そうなると 最初に戻りますが、

協会が自ら悪魔の子を作り出そうとしてる行為は

この世界には神様と悪魔の存在の違いはそんなになく、

人間が支配する世界には形は違えど‘悪’がはびこるものなんだ

というメッセージにもとれるんです。ボクには。

 

ここ数年の世界を覆う終末観は

まさに本作における絶望的な人間描写ともつながると思います。

 

人間誰しも善の心があると思いたいんですが、

悪の力の方が勝ってしまうことが多々あるということです。

 

 

 

本作の完成度の高さを考えると、

脚本も担当した女流監督のアルカシャ・スティーヴンソンが

単なるサービスシーンとしてショックシーンを入れたとは思えず、

そこには彼女なりの理由があるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

悪の枢機卿が悪魔の子に男の子を望むのが古い考え方に見えます。

その男の子を生むのは女性なんです。

女性監督だから、というわけでもないですが、

その設定から必然とはいえ

本作が女性が主要な登場人物のほぼ全てを占め、

 

ビル・ナイという大御所が演じた枢機卿ですら影が薄く、

唯一目立つ男性キャラは一作目でも登場したブレナン神父のみ。

実は一作目のブレナン神父のセリフで1箇所よく分からないのがあったんですが、

本作によってそれは見事に回収されました。

演じるラルフ・アイネソンが上手くブレナン神父の雰囲気を継承していました。

 

本作と一作目を続けて観たら

より ブレナン神父のキャラクターを掘り下げられるような気がします。

 

 

 

 

女性キャラがメインという話に戻せば

先のブログでも書きましたが

主役のマーガレットを演じたネル・タイガー・フリーがとにかく素晴らしくて

アルカシャ監督の描き込みも抜かりなく

新たなホラーヒロインの誕生と言ってもいいと思います。

 

 

 

本国ではテレビ映画だった4作目(劇場で観たきりで、面白くなかった記憶しかない)を除いて

常に男性キャラがメインだった(3作目では強い女性キャラも登場)このシリーズで

 

 

 

 

 

 

 

ここまで女性がメインの作品は初めてで、

悪魔の子を生むのも女性にしかできないと考えたら

この世界を支配しているのも女性なんですよね。

 

 

 

 

アルカシャ監督が自身の運命と対峙していくマーガレットを力強く描いているのは、

ひいては女性の強さそのものを描いているとも言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作のラストを観たら―

 

すべての母である女性こそが

この、悪魔が支配しているかのような

今の世界を救ってくれるような気がしたし、

そこに一縷の望みを感じることができました。