トレッキング1日目 Kathmandu - Lukla 2840m - Pahakding 2610m (12月22日)
宿泊ロッジ:Kalapatther Lodge

恐怖のフライト:カトマンドゥールクラ線

カトマンドゥに到着した当日、予想通り?トレッキングのためのパッキングに時間がかかり、寝るのが12時を大幅に過ぎてしまった。そのため、時差ぼけと寝不足で、カトマンドゥの空港に向かう。というか、迎えの車に乗っただけである。

事前にKeikoさんやラジェンドラさんから、カトマンドゥの空港は朝は霧が晴れないため朝一の飛行機であっても、実際に飛ぶのは運がよくても9時、10時以降だろうと聞かされていた。そのため空港で数時間待たされることは、覚悟の上だが、チェックインをしなくていけないということで、6時半には空港に到着した。

私たちは、ルクラ行きの6:45発一番飛行機である。朝一の飛行機にしないと、定刻に飛ばない場合でも、元々のフライトの順番で飛ぶことになり、遅い時間のフライトだとその日に飛ぶことができないかもしれないからだ。

チェックインの時には、厳しい荷物の重量チェックがある。私たちは、チェックインのバックだけで、既に制限を越えていた。なんと体重まで測られる。私の体重は、日本人では平均であるが、欧米のごっつい山男たちに比べるとかなり軽いはずである。そうなると多少の重量オーバーは見逃してくれるのではないかとかすかな期待を抱くが、追加料金を払うはめになったという。

チェックインをしてからは、空港上空の霧が晴れるまで、空港での待機である。私は、みんなからこういうものだと教えられていたので、イライラすることもなく、ホテルでパックしてもらった朝ごはんをおいしくいただいた。そしてKeikoさんとのおしゃべりタイムがひたすら続く。しかし、カトマンドゥの空港がこういうものであると知らない人にとっては、ものすごいストレスとなるだろう。

まず暇つぶしをする場所が皆無である。本当に小さな売店があるくらいである。2階にレストランのようなものがあったようではあるが、2階まで行っていないので、わからない。けれども下からみた感じでは、そう何時間も時間がつぶせるような場所ではない。

トレッキング途中で出会ったスロベニア人は、この空港でまる1日待機するはめになり、空港に何にもないとぶちきれていた。この空港でまる1日時間をつぶさなくてはならないなんて、なんと悲惨な一日であろうか。

おまけにこのルクラーカトマンドゥ線というのは、事故が多発していたために、少しぐらいの風ですぐキャンセルになる。そのため空港で待機しなくてはならない人がとても多いのだ。

ネパールは、空港施設をもっとよくすればいいのになあと思う。かなりの人が空港待機をせまられる空港なので、雰囲気のよいネパール風カフェや魅力的なくつろぎ場所を提供したら、必ずもうかるはずである。外国人観光客の満足度アップ、観光収入アップのために、すぐにでも対応すべきことではないだろうか。

さて、9時頃になって、いきなり

「飛ぶぞ!」

と言われ、あたふたと搭乗口に向かう。

そして、小さいバスに押し込まれる。そのバスの中で、日本人ではないが日本語を話すおにいさんが教えてくれた。

「どうやら1週間ルクラ行きの飛行機は、飛んでなかったみたいだよ。」

「ええ?」

1週間飛んでないなんて、あり得ないよと信じていなかった。そんな1週間も飛行機が飛ばない路線があっていいはずがない。
しかしながら、1週間は少々誇張されていたが、5日間は現実に飛んでいなかったという。

聞いていた通り、ものすごく小さな飛行機だ。以前の私なら、搭乗拒否していたかもしれない。しかし、これに乗らないとトレッキングできないのだ。乗るしかない。

まず飛行機に乗ると、飴と綿が配られる。その綿とは、何と耳栓なのだ。私はKeikoさんからそれを教えてもらっていたからわかったが、飛行機に乗っていきなり綿をわたされたら、普通の人はびっくりである。そして、フライトアテンダントの子がまたかわいいこと。

綿を耳に詰めて、準備完了である。ルクラ空港までの約30分のフライトである。飛び立ってから少したち、白い山が見えてきた。そして、その山並みが近づいてきた時に、思った。

「格が違う。」

明らかに私が今まで行った山とは、格が違うのだ。実は、ネパールに行く前までは、日本の山が世界で一番いいんじゃないのなんて、思っていた。それほど世界の山には行ってはいないが、キリマンジャロやスイスを経験して、独特のよさをもっている日本の山が、結局世界一だなんて、思っていたのだ。

しかしながら、ネパールの山々は、私が今までにみた山を明らかに超越していた。

「神々の山嶺」

と感じた。そして、そういえば、こんなタイトルの本があったと、白い山嶺を見ながら思いだした。

なんて、なんて、すごい山たちなんだろう。飛行機から見ただけで、この感動である。そして、わざわざトレッキングしなくたって、これだけで、いいのではとも思ってしまう。

カトマンドゥからは、マウンテンフライトという、山を見るためのフライトも運行されている。もし、トレッキングをする時間がないが、山を見たいという方にはお勧めなのかもしれない。しかし、当然ではあるが、天候によりフライトキャンセル、遅延は当たり前となる。

ものすごく美しい山々に目を奪われていたが、ルクラ近くになり、別のものすごいものに目を奪われた。大自然の山の中に、明らかに人工的な小さい四角いものが前方に見えるのだ。

ちなみに、この飛行機は、コックピットの仕切りがカーテンであり、そのカーテンが開いたままになっている。そのため、操縦席は丸見え、操縦席の窓からの景色も見放題である。操縦席を隠すなんて、けちけちしたことはしないのだ。

まさかと思ったがその四角いものは、滑走路であった。おもちゃみたいに小さい。あんなところに、着陸できるのか。いやはや、かなりの腕でないとこの着陸は難しいのではないだろうか。

私の心配をよそに、飛行機は無事に空港に到着した。

私は、本当にほとんど何も知らない状態でネパールに入ったので、いろんなことを後から知ることになった。帰国してから有名なアルピニスト野口健さんが書いた記事中に、彼はこの路線を恐怖のフライトと表現していた。

おまけに世界一着陸が難しい空港とか、後で聞くことになる。

空港に到着してからは、写真とか撮りたかったのに、空港職員に、

「早く出ろ!早く行け!」

と空港の外にすぐ追い出された。

そして、ふと気付くと私たちが乗ってきた飛行機が、もう出発しようとしていて、あっと言う間に飛び立って行った。なんと、ルクラ滞在時間は5-10分だったのではないだろうか。飛行機って着陸して、こんなすぐに飛び立っていいのかと思うが、ちゃんと飛び立って行ったので問題ないのだろう。なんと慌ただしいと思うが、5日間も飛んでない飛行機がやっと飛んだのだ。あの日は、めいいっぱいフライトが予定されていたのか。

さて、シェルパの人たちに連れられて歩いていると、なんだか知っている人がいる。

「あり?サンタさん?」

そう、山小屋で働いていた時に、一緒であったネパール人のサンタさんである。私もサンタさんも、びっくりである。そして、私たちのポーターと紹介された人と一緒にいるのだ。状況をよく把握できずにいたが、どうやらサンタさんは私たちのポーターの一人であるキパの知り合いということだったのだ。キパは、サンタさんとよく一緒に働いているという。

そして、サンタさん曰く

「キパは、僕たちのチームでナンバーワンだ。」

そうか、そうか、なんだかうれしい。

こんな到着したばかりに、まさかルクラの町の入り口で知り合いに会うことになるとは。まだこの状況をしっかり処理しきれずに、ルクラのあるロッジに連れられて入っていった。

そこは、登山客で少々ごった返していた。西洋人風が多い。みんなこれからカトマンドゥに帰る人たちだという。

それからもう一人のポーターであるサンギーも紹介してもらった。

よって、私たちというかKeikoさん部隊は、以下の6名となる。

Keikoさん、私、シェルパのデンディジー、コックのカルマジー(ジーは、日本語のさんのようなものらしい)、ポーターのキパとサンギーである。私たち以外は、全員シェルパ族である。私たち二人に、こんなにもの人がついてくれるなんて、高級トレッキングである。
しかし、現地の会社で手配していただいているので、日本から来るツアーの人に比べるとツアー代金は安いようではある。

キリマンジャロと同様に、ポーター達は私たちと行動を一緒にせずに、別行動となる。それにしてもポーター達のかわいいこと。こんな私たちの半分ぐらいの年齢の子たちに、荷物を持ってもらってもいいのかという気持ちにもなる。

そして、とうとう19日間トレッキングのスタートである。ルクラの町は、最近降ったであろう雪が融け始めて、いろんなところから水滴がぽたぽた垂れている。そして、少し遠くを見ると、木々が新雪できらきら輝いている。

こんな状態であれば、4000mとか5000mでは、雪の上を歩くようになるのではないかとも思うが、その心配は杞憂に終わる。しかし、トレッキングルートには、雪は全く残っていない。

今日は、宿泊地Pahakdingまで3時間程度のトレッキング。。実は下り道ということだ。初日なので、楽していいよということなのか。ルクラを出ると、見慣れないものがたくさん目につくようになる。

なんだかぐるぐる回る鐘みたいな形をしたものである。先頭のデンディジーが、これをいつも回すので、それについている私たちもこれらをぐるぐる回しながら歩いて行く。これは、マニ車と呼ばれるもので、チベット仏教からくるものということだ。

「チベット仏教???何で、ネパールでチベット仏教なのか。」

ネパールの下調べを全くしてこなかった私には、新鮮すぎることばかりである。

それから、ある旗を通り過ぎようとした時に、近くで休憩していた外国人に、

「そっちは、だめよ。こっちから歩きなさい。」

と注意された。

この旗を通る時には、右側ではなく、左側を通らなくてはならないという。

へえ。なんだかいろんな決まりがあるんだ。ちなみに、マニ車を回すとお経を唱えたと同じこととなり、旗や、マニ車やチョルタン(仏塔)を通る時には、左側を通らなくてはならないのだ。

目新しいものをたくさん目にして、途中でお茶休憩やランチをして、今日の宿泊地に到着した。


恐るべし韓国人

さて今日のディナーは、ダルバートという。
ダルバートとは、ご飯、ダル(豆)スープ、ジャガイモなどの野菜で作ったダルカリ、ネパールの漬物であるアチャール、野菜炒め、お肉などがでてくるプレートのことである。

出国前に友人から、

「pingdaoちゃんは、ネパール料理気にいるよ。」

と予言されていた。

コックさんであるカルマジーがKeikoさん再来を喜び、渾身をこめて作ったダルバートであったような気がしたが、私も大変おいしくいただいた。

「おいしい!私の好みのど真ん中の味である。」

本当に大好きな味であった。特に、ダルスープの優しい味には、やられてしまった。これなら、毎日食べても私は大丈夫である。

初めてのネパール料理を感動しながらいただいた。

これから、こんなおいしい料理を毎日いただくことができるのだ。それも他人が作ってくれる。何という贅沢だろうか。こんな幸せな日々が19日間も続くのだ。

それからディナーの後には、毎回お茶も出してくれる。ああ、幸せ。

私たちがネパール料理を堪能して、食後のティーを楽しんでいると、近くからなんとなく視線を感じてみた。気がつくと同じ食堂に、10人ぐらいのアジア人がいる。彼らはまだ夕食をとっていないようである。このロッジの今日の宿泊客は、私たちとこのグループだけであった。

向こうが話しかけてもこないので、私たちも話しかけない。彼らの推定年齢は大体50代ぐらい。そして、みんなおそろいの韓国旗入りのオレンジのダウンジャケットを着ている。おそらくこのトレッキングのために、みんなで作ったのであろう。

そして、彼らの食事が始まった。

まず彼らにでてきたのは、キムチ、ナムルの数々!どうやら、この韓国隊は、彼ら専用の料理隊がついている模様である。

そして、食べ始める前の、気合いっぱいの隊員(隊長か?)あいさつと、かなりドスの聞いた掛け声に圧倒される。何を言っているかはわからないが、

”目標のxxxまでがんばるぞー。おーー!”

って雰囲気である。

それから、彼らは、彼らのシェルパ、ポーターにもジャケットを作ってきたらしく、かなり強烈なオレンジのジャケットをシェルパ、ポーター達にプレゼントしていた。
これからお世話になる彼らに、新しいジャケットをプレゼントすることで、当然彼らもやる気を出すだろうし、関係もよくなるだろう。ただ、このオレンジの色は強烈すぎるが。

キムチ、ナムルの後にでてきたのは、なんとサンチュ、ゆでたと思われる鳥肉と、チゲとご飯。

なんともびっくりである。この人たちは、ネパールに来てまでも、韓国料理を食べるのか。おまけに韓国料理部隊までいる。

西洋人も彼らの食文化をネパールに持ち込んだが、韓国人もそうであった。もちろんその隊により、異なるのではあるが、トレッキング1日目にそれを目の当たりにして、衝撃を受ける。

私たちのシェルパによると、韓国人はトレッキング中も韓国料理を食べる人たちが多いという。しかし、それも納得できる気がする。今回のトレッキング中に、たくさんの韓国人部隊とすれ違ってきたが、大多数を50代前後のようである。若い世代は、他の食文化に対して、好奇心があり、寛容であると思われるが、ある程度の年齢になると他文化への適用するのが難しくなってくる。

加えて、50代ぐらいの人たちが、このエベレスト街道付近を歩くというのは、一歩間違えれば生死にかかわる事態となる可能性を秘めている。体調を万全にして、そのリスクを減らするためにも、普段から慣れ親しんだものを食べたほうがよいのかもしれない。

おまけに食後には、隊員の1人の誕生日会までしていた。ハッピーバースデーの歌を歌っていたので、これなら私たちも歌えると私たちも加わってみた。

そうしたら、彼らのケーキの代用品であるチョコパイのおすそ分けをいただいた。

「カムサムニダー」 

「チャルモケスニダー」

とか知ってる限りの韓国語を使って、お礼を言う。びっくりしている人も何人かいたので、どの国の言語でもあいさつ程度を記憶するということは、意外と重要だったりするのかもしれない。

なんとも、ネパール初日には、韓国人パワーの洗礼を受けた。

これは、私たちのシェルパから聞いたのであるが、彼らはずっとルクラまでのフライトが飛ばなかったため、今日のヘリコプターでルクラ到着、それからここまで来たという。そのためにトレッキングルートの変更を余儀なくされ、結局ナムチェぐらいにしか行けないらしい。

私達は、めちゃくちゃラッキーなことにたまたま飛行機が飛んだ日の朝一に飛行機を予約していたので、かなり早い時間にルクラ空港に到着した。しかし、飛ばなかった日のチケットを持っていた人たちは、私たちよりも遅い便にしか乗ることができない。

これは、日本でしっかりきちんと働いていたKeikoさんのスケジュールで決まった旅である。そのため、神様からKeikoさんへのご褒美である。それに私は、便乗させていただいてしまった。

それから、おもしろいのが、シェルパ達は、シェルパ同士でいろんな情報交換をしているのだ。だから、どこかで何かの部隊とすれ違っても、シェルパ達同士で会話をしているので、その部隊がどこの国の部隊とかどこのルートを歩く予定とか、シェルパ達から教えてもらうことも多々あった。

翌日ではあるが、この韓国隊の1人のおじさんから日本語で話しかけられた。彼らはインチョンから来たという。日本の山にも行ったことがあると、とても楽しそうに話してくれた。

今は、韓国と表面的にはいろいろとあるが、韓国人って、日本人ととても気が合うのだ。西洋に憧れて、初めて行った国カナダで一番仲良くなったのは韓国人の子であった。これから私のアジア好きは始まることになるのだ。日本人はしょせんどんなにがんばったって、白人にはなれないのだ。そして、白人たちも日本人が彼らとは異質なものだと思っている。

それならなぜ私はイギリスにいるのかというと、白人たちは異質なものであっても、異質なものとして受け入れてくれるからである。イギリスのロンドン均衡であれば、いろんな人種、価値観でぐちゃぐちゃになっている。そのために、どんなに変な人であっても、そんなに目立たないのだ。日本では、日本人であればそうあるべきみたいな暗黙な了解があり、それからちょっとでもずれていると、窮屈感を感じるのだ。
(ちなみに、イギリスもロンドンから外れた田舎になるとまた状況が異なる。)

話はそれたが、まだ標高2000m台なので、それほど寒くないだろうと、寝る時にこの日はそれほど寒さ対策をしなかった。そうしたら、夜中に何度も寒くて、起きるはめになる。やはりここはヒマラヤ近く。油断は禁物であった。


フライト中に見た景色。

神々の山嶺まさにそのもの。




私たちが乗ってきたSITA AIR機。ルクラ空港にて。速攻飛び立っていった。



派手な色の鐘みたいのが、マニ車。こんなのが、たくさん道中にある。



カルマジー(コックさん)が作ってくれたダルバート♡ これでネパール料理に惚れこむ。






10年以上も前に読んでので、あまり内容を覚えてないが・・・。

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