Phakding ( 2610m )- Monjo ( 2835m )- Namche ( 3440m )


ネパールの表銀座?


一般的に、夏の日本、北アルプスの朝は、非常に早い。ほとんどの登山客は、日の出前に起きだし、ご来光を拝もうとする。

それに比べるとヨーロッパの山の朝は遅く、朝食は7時とか8時とかが一般的である。小屋によっては、早朝出発する人たちもいるが、ヨーロッパの山小屋でご来光を待っているのは、私とあと1,2人ぐらいしかいないパターンが多い。ヨーロッパ人は、朝日にあまり興味がないらしい。

それを引き継いでいるのか、ネパールの朝もそれほど早くはない。ツアーによっても異なるかもしれないが、大体7時―8時ぐらいに朝食、8時から9時ぐらいの間に出発というパターンが多いようである。

そのため、8-9時の出発となると出発ピークのため道が登山客で混んでいたりする。この日のパクデインの朝は、トレッキング客でごったがえしていた。

この時には、まだよくわかっていなかったのだが、ルクラに到着し、その日はパクディンまで。そして2日目にナムチェ、ナムチェで高度順応のため2泊、タンボチェ1泊、ディンボチェでまた高度順応のための2泊と続くのが、どうやらエベレスト街道トレッキングの一般的なスケジュールらしい。

カトマンドゥからのフライトが5日もなかったので、昨日ルクラに到着した人はかなり多かったと予想される。その人たちがみんなほぼ同じスケジュールで歩くので、道がある程度混んでいたのは、今さらであるが納得できるのだ。

ちなみに、カラパタールやエベレストベースキャンプに行く人たちのスケジュールは、前述したように大体同じなので、ツアーは別ではあるが、毎日似たような顔ぶれで歩くことになる。ツールドモンブランやオートルート、日本の表銀座でも、みんな似たようなルート、宿を利用し、数日間一緒になるので、いつの間にか顔を覚えてしまう。

昨日歩いていた道もそうであるが、私たちが歩いている道はトレッキングルートであると同時に、点在する村の人々にとっては大切な生活のための道なのである。

飛行機でルクラに到着すると、それ以降の輸送手段は、人力もしくはゾッキョ、ヤクだけとなる。車はこの地にはまだ存在しない。

そのため、この道を歩いている人たちは、以下の種類に分類される。
ートレッキング客
ートレッキング客のシェルパ
ートレッキング客のポーター
ー生活物資を運ぶポーター
ーどこかに行くために歩いている周辺の村の人たち
ー荷物を運ぶためのゾッキョ、ヤクとそれを操っている人たち

ゾッキョとは、ヤクと牛のあいの子ということである。ヤクの方が毛がふさふさしており、標高が高い地域で活躍している。ゾッキョとは、ヤクよりも標高が低い場所でも生息でき、このエベレスト街道では大活躍なのだ。

ちなみに、ネパールで出会ったゾッキョとヤク達は、みんなとてもお利口さんであった。

まずみんなとても穏やかである。決して人を襲ったり、追いかけてきたりしない。イギリスのウォーキング中に、何度も牛に追いかけられ、襲われそうになっている私からすると、信じられないほどおとなしい生き物に見える。

道端でゾッキョやヤクとすれ違う時には、彼らが谷側に自ら避けようとしてくれる。人間が来ていることを察知して、避けてくれるのだ。それに、カメラを構えたら、なんと止まって、カメラを見てくれたゾッキョもいる。

彼らのお利口さんな振る舞いに、トレッキング中に何度も感心したものだ。イギリスの牛のように、私を攻撃してきたゾッキョ、ヤクは皆無であった。

動物は、飼い主に似るというのは、本当なかもしれない・・・・・・・。

さて、天気もよい中、他のトレッキング客にまみれて、私たちもナムチェに向けて進んでいく、昨日もそうであるが、普通にネパールの人が生活している村の中をずんずん歩いていく感じである。ナムチェ以降は、村を渡り歩く感よりもより山の中にきたぞ感がでてくることになる。

村では、畑仕事をしていたり、水場で洗濯したり、水汲みしたり、髪を洗ったりしている。そんな中を歩いて行くのだ。普通の生活の間をこんな異質なトレッキング客がぞろぞろ歩くので、村の人にとってみたらある意味迷惑かもしれないが、私たちからすれば、こういう生活の様子が見えてとてもうれしい。

それにしても村を歩いていて、小さい子供がとても多いことに気がつく。ネパールの出生率は、2.94人で、当然日本の1.27人に比べて高い。しかし、都市部よりも農村/山間部の方が出生率は、高いのではないだろうか。
(2005-2010年 国連資料より http://www.un.org/esa/population/publications/wpp2008/wpp2008_text_tables.pdf Aの15)

小さい子供は、本当にかわいく、写真を撮りたいという衝動にかられるのである。しかし、子供を見世物にしたくないと考える親もいるために、むやみに子供を撮ることはできない。特に途上国では、この微妙なニュアンスを感じ、むやみに子供にカメラを向けることは控えた方がいいかもしれない。

Keikoさん曰く、以前は、甘いものちょうだいみたいに寄ってくる子供が多かったらしい。しかし、今回のトレッキングでは、それを聞くことは一度もなかった。おそらく、以前は、ただ何も考えずに、飴などを子供たちに与えるトレッカーが多かったのだろう。しかし、観光客のそのような行為が与える影響というのが問題視されてから、控えるトレッカーが増えたのだろう。

この高度で、まだ木があり、野菜を作っている状況にもびっくりである。日本の場合には標高2000mから2500mぐらいになったら、もうほとんど高い木を見かけなくなる。既に3000mぐらいにはなっているのに、まだ高い木がたくさん生えて、人が普通に生活し、今はチンゲン菜みたいな菜っぱがたくさん茂っている。

こんな風景に喜んでいると、ネパールの村の様子をトレッキングしながら見たいということであれば、アンナプルナ方面がお勧めとKeikoさんから教えていただいた。今回歩いたエベレスト街道よりも、標高が低く、村から村を渡り歩くトレッキングルートで、よりいっそうネパールの生活を近くに感じることができるそうである。

行きたいところが、次々と出てきて、非常に困ったものである。


ビジネススーツの二人発見!

ふと何か山には異質なものが目に入り、目を疑った。

みんなもぎょっとしたようである。

なんと、パリッとしたビジネススーツを着て、アタッシュケースを持った2人がものすごいスピードで、私たちの横を通り過ぎていったのだ。

私たちのシェルパのデンディジーも、

「あんなのみたの初めてです~。」

と苦笑しながら、言っていた。

初めは、真剣に何か勘違い、間違えて、ビジネスマンがここに入り込んでしまったのだろうかと思った。かわいそうに、ここがビジネススーツで来る場所ではないことを知らなかったんだと本当に思った。

彼らが休憩をとっていたからだろうか、また彼らに抜かされようとした時に、どこに行くのか聞いてみた。

そしたら

「アイランドピーク」

という。
(ちなみに、もの覚えの悪い私は、この日の日記メモに、ハイランドピークって書いてあった・・・ガーン

アイランドピークってどこだあ?と私が思っていると、私以外は、みんなびっくり仰天していた。

アイランドピークとは、6000m級のピークであり、最後はピッケルなども使わなくてはならないほどの山という。

彼らは、急いでいたらしく、

「ナムチェで会おう!」

とあの姿で颯爽と私たちの先を歩いて行った。その時に、彼らはスーツは来ているが、ちゃんとトレッキングシューズを履き、トレッキング用のザックを背負っていることを確認する。

謎は深まるばかりである。しかし、その謎は、明日解けることとなる。


アンジー


ナムチェに向かう最後の登りがきつくて、へこたれるが、ナムチェに到着した。それにしても、デンディジーもカルマジーは当たり前だが、Keikoさんも、みんな山の名前を本当によく知っている。

何を隠そう、まだ日本の北アルプスの山の名前も、まだ完璧ではない私にとって、この非常に難しい山の名前というのは、脳に全く記憶がされなかった。

本当に好きな山アマダムラムだけは、完璧に覚えているが、それ以外の山の名前は、もう既にどこかに吹き飛んでいる。

デンディジーも初めは、私に何か新しい山が見える度に教えてくれたが、私のもの覚えが悪いのと山の名前自体には興味がないのに、途中で気づいたらしい。

さて、ナムチェに到着してから、夕食まで30分ほど時間があったので、山小屋時代にお世話になったアンジーのロッジにKeikoさんと遊びに行くこととした。

おもしろいもので、デンディジーは、アンジーのことを知っていた。アンジーもデンディジーも日本語ができるので、日本人のトレッキングツアーのシェルパをしていることが多い。そのため、いろんな所で会うらしく、デンディジーがアンジーのロッジの場所を教えてくれた。

といっても私たちが泊ったロッジのなんとすぐ後ろだったのだ。ネパールに来る前に、アンジーから歩いて2分だよって教えてもらってはいたが、すぐ近くにあるってたとえで、まさか本当に歩いて2分だとは思わなかった。

そして、アポもなく突撃である。私が到着する日にちは伝えてあったが、時間とかそんなことまでは連絡していなかったのである。

まずロッジの前に来るとドアが閉まっている。それなので、ドンドンとドアを叩いていると、2階から女の人がでてきた。

「アンドルジはいる?」

と聞くと、とにかく入れと言われたので、遠慮なく入らせてもらった。英語が通じているのか通じていないのかよくわからないが、どうやらアンジーはどこかに出かけているらしい。

そこでKeikoさんのネパール語が、大活躍なのである。Keikoさんは、なんと以前ネパール語を勉強していたという。私には、なんだかさっぱりわからなかったが、いろいろ会話をしている。カッコよすぎたKeikoさんであった。

なんだかよくわからないまま、出してくれたミルクティー(ドゥッチャー)をおいしくいただいていると、アンジーが帰ってきた。

アンジーとは、10月に日本の北アルプスで会っていたので、約3カ月ぶりの再会である。

この地で、また知っている人に会えて、なんだかほっとすると同時に、とてもうれしくなる。

覚えたてのネパール語を披露していたりすると、あっという間に夕食の時間になってしまった。ナムチェは高度順応のための2泊なので、明日また遊びに行くことにして、早々に私たちのロッジに戻った。

無国籍な人たち

昨日は、韓国隊に度肝を抜かれていたが、今日の宿の宿泊客は、私たちと、4人ぐらいの日本人ツアー(KAZEのツアーと言っていた。)、それから、日本人女性とフランス人男性のカップルであった。

私たちは、カップルの人たちと席が近かったので、なんだかんだ彼らと話し始めた。私たちは既に夕食を完食していたが、彼らはちょうど食べ始めたばかりで、邪魔をしてしまったが・・・・・。

ものすごい人たちであった。

彼らは、もう既にアンナプルナを10日間ぐらい歩き、カトマンドゥに数日滞在してから、このエベレスト方面に来たという。明日からは、ゴーキョに向かい、それからパスを通って、カラパタール方面を目指すという。

このものすごい長期旅行もすごいが、彼らはヨーロッパのピレネーで住んでおり、サイクリングのカスタムメイドの旅行会社を経営されているということであった。

彼らの旅行会社は、サイクリングが本当に好きな人はもちろん、サイクリングがほとんどビギナーの方や、ノンサイクリストを連れた団体のお客様など、カスタムメイドならでは、バラエティーに富んだお客様層に利用していただいているということである。

もともとは、アメリカで、この会社を立ち上げたということで、顧客はほとんどが北米からという。2人は、本当にピレネーが好きらしく、本当に楽しそうに、仕事のことやピレネーのことを話してくださった。

このように彼らにしかできないビジネスを維持していること。自分の会社、仕事にプライドを持っていること。そして、ピレネーが好きだから、ピレネーで住んでいるというそういう自由さが、本当に素敵で、うらやましかった。

それと、またすごいのが、そのフランス人の方は、英語も日本語も話すことができる。フランス人だから、フランス語もできるのであろう。私たちの会話はずっと日本語でされたので、その日本語力はかなりである。どうやら何年か日本に滞在していらっしゃったようではあるが、7年イギリスにいてもあいかわらず英語ができない私からしてみれば、もう尊敬ものである。

この方々もそうであったが、今回のトレッキングでは、国境を越えて無国籍?(グローバルといった方がよいか。)に、生きている人に出会う確率が高かった。それに、いろんな言語を操れる人の割合も高かった。

日本語と英語を操る日本在住10年以上の韓国人、アメリカに8年住んでいたというイタリア人、アメリカで働いている南アフリカ人、ドバイで働いているインド人、アメリカに住んでいる中国人。

トレッキングのシェルパを務めている人たちは、ほとんどが以下の言語を操ることができる。キリマンジャロ同様に、ある程度の人物しかネパールのトレッキングのシェルパになることはできないのだ。

ーネパール語
ーシェルパ語 (チベット語と似ているということ)
ー英語
ー人により、その他外国語:日本語、韓国語など
ーヒンドゥー語 (ネパール語と似ているということ)
ー人により、その他ネパールの少数民族の言葉:ライ族の言葉とか

どうして、こんなにたくさんの言語を操ることができるのか、語学がまるっきしだめな私には、不思議で仕方がない。
私たちのポーターでも、ネパール語、シェルパ語、英語は問題ない。それにインドドラマも一緒に見ていたので、ヒンドゥー語もわかるのだろう。

朝のお茶: 6:30
朝食:7:00
出発: 8:30 Phakding ( 2610m )
ランチ: Monjo ( 2835m )
到着:15:30 Namche ( 3440m )
夕食:18:00

泊った宿:Camp D'Base


世界の出生率など
http://www.un.org/esa/population/publications/wpp2008/wpp2008_text_tables.pdf

結構混みあうトレッキングルート




こんな橋をよく渡る。かなり揺れるし、たまーに隙間とかがあって、結構怖い。
ちなみにこれは、ゾッキョが橋を渡ってきているところ。見えるかな?





カメラを構えたら、止まって、こっちを向いてくれたゾッキョ