2日目

マチャメキャンプ(3033m)
から
シラキャンプ(3837m)

初めてのテントでの宿泊は、それほどひどいものでもなかった。だがしかし、なぜか体がずりずり下に下がり、足がマット上から飛び出してしまうのだ。そして寒くなり、何回か起きてしまいずりずりとマットを這い上がったりして、もがいていた。

さすがRちゃんは、慣れているのか、きちんと美しいマミーになって、寝ている。

朝、寝袋などの片付けをしていると、
”グットモーニング”
といつもの人が、なんとお茶セットをテントまで持ってきてくれた。

おお!なんてすごい。こんなすごい登山は、生まれて初めてだ。

朝はキリマンジャロティーにして、Rちゃんとテントの中でお茶を楽しんだ。

素敵すぎる。

それからまたあの人がお湯が入った洗面器を持ってきてくれる。

すごすぎる。

テント生活とはいえ、いたれりつくせりだ。

けど、個人的にはなんだかこういう階級?なしで、全員で楽しく生活するのかななんて思っていたが、なんだかキリマンジャロ登山はそういうタイプの登山ではないらしい。

これはやはりイギリス人が作った登山スタイルか。

そうこうしている間に朝ご飯となる。
まず初めにでてきたものを見てまたびっくり。
なんとポリッジがでてきた・・・・・・・。
またイギリスか。

実は、イギリスにいながらも、ポリッジはそれほど好きではないのだ。
そして、ふと最近ポリッジにはまっていたあいつのことを久しぶりに思い出してみる。

そして、ポリッジとトーストの後は、 ソーセージ、スクランブルエッグ、トマト、きゅうりがでてきた。

・・・・・!

キリマンジャロ登山は、なんだか西洋人が作ったものなんだ。本当にびっくりだ。

こんなタンザニアの山奥に、自国文化をねじこんだ外国人って。
そして、それをまだ継承している・・・。ということは、タンザニアの人はこれをまだ受け入れているということなのか。

これは、ツアーの最終日にジャスティンから聞いたのだが、実はこの町周辺の人は、むしろこの登山にそれほどの好意は持っていないということだった。
やはりそうなのか。

ただ山が好きというだけで、きてしまったキリマンジャロ登山であったが、このキリマンジャロ登山はそれだけできてしまってはいけないところのようだった。

主に外国人だけが、お客様として、現地人を雇ってのみ入れるキリマンジャロ。 やはり異様な世界か。

朝食後は、今晩の宿泊地シラキャンプに向けて出発だ。
当然ながら、また荷物をポーターに預け、そしてテントも片付ける必要がない。

歩いていると木々の背丈がだんだん低くなっていき、植生が変わっていく。
  
相変わらずのスローペース。このペースは、本当に私向けだ。
たぶんRちゃんとかには、遅すぎるんじゃないかなあとなんとなく思う。

今日のランチは途中で摂るという。そして、ランチ場所に到着して、またびっくり。

なんとマスターテントが張ってあり、私たち専用トイレも設置されている。

すごすぎる。

たかがランチのためにみんながこうしてくれるのだ。有難すぎる。

まずスープ、そして今日のランチはパスタとアボカドサラダだった。

このアボカドサラダが絶品だった!実は、WEB情報により生野菜、果物には注意した方がいいというのを鵜呑みにし、生野菜には遠慮がちだったのだ。

だがしかし、このアボカドサラダはそんなことも払拭させるほどのものだった。
パスタと一緒にアボカドサラダを堪能させていただいた。

この食事で、幸せな気分になり、有難くトイレも利用させていただき、シラキャンプへと向かう。

途中で、なんだか雲行きが怪しくなってきたが、なんとかシラキャンプまではそれほどぬれることもなく到着できた。

そしてほぼ到着と同時に、ものすごい雨が降ってきた。
間一髪で、キャンプに辿りついた感じだ。

テントに入ると、ものすごい音をたてて、 雨がふってきた。
ひやー、こんな雨だとテントの中は大丈夫なのかと心配していると、なんだか外でがつがつ音がしている。

なんと、スタッフの誰かが私たちのテントの周りに溝を掘ってくれて、水がはけるようにしてくれていたのだ。

その人はあの雨の中、きっとずぶぬれになったはずだ。

本当に有難すぎる。

多少小降りになった段階で、マスターテントに行き、お茶をいただいた。

このマスターテントは、土足なのだ。それなので、雨ともなると、かなり汚れてしまう。

そして、後で知るのであるが、実はこのマスターテントで寝ている人もいたのだ。

そういうことであれば、土足にしなくてもいいのになあと思ってしまう。

今日はまだ時間が早い。そして雨が降っているので、フリスビーもできない。

そして、私があいつからぶんどってきたトランプが役にたつかなと思い、テントに持っていった。

時間だけがあったので、なんとあいつのトランプが役にたった。

まずばば抜きだ。なんだか、ツールドモンブランで、ばば抜きですら、微妙にルールを忘れていたことを思い出す。

4人でトランプをしているとエドワードもやってきた。
彼も加わり、トランプ大会が始まった。やっぱりまずばば抜きだ。
頭をつかわなくていいので、らくちんだ。

それから神経衰弱をすることにした。
そしてやってみて、びっくり、どうしても頭脳の程度がわかってしまう・・・。
私はやっぱりぜんぜんだめ。頭のよいRちゃんはさすがに覚えがいい。
そして、なんとエドワードも・・。異様な記憶力なのだ。

登山2日目ぐらいで、なんとなくわかってきたのだが、ガイドはここではものすごいエリートなのだ。

まず見た目で、ガイドかポーターかの区別はつく。
ガイドは、服装もきちんとしており、持ち物もよいものを持っている。

ジャスティンは、SUNTOの一番新しい時計を持っていた。私のが5年前くらいのなので、私よりもぜんぜんいいもので、新しい。

そして、なんとこの時計は、以前ガイドをしたアメリカ人からプレゼントされたものだと言う。

うーん。なんだかわかる気がする。彼はほんと、しっかりしているし、みんなの信頼を得ることができる人物だ。

ちなみに、ジャスティンは、そのアメリカ人たちからは、モハメドアリと呼ばれていたという。しかしながら、Yさんは彼を曙太郎と呼んだ。

そしてガイドの身なりがきちんとしているに加えて、彼らは非常にプロ意識を持っている。

ガイドになるためには、まずこのナショナルパークの講義を受ける必要があるということだ。そして外国語、キリマンジャロの植物、動物、自然に関する知識が必要とされる筆記テストをパスしなくてはならない。当然キリマンジャロでの山のなんらかの経験が必要とされ、かつ体力テストもあるという。

知力、体力を兼ね備えたエリートしかガイドになれないのだ。

ジャスティンもエドワードも、たぶん国外にでたことはないのに、英語は私より上手だ。

そしてガイドになると収入もポーターとはかなりの差があるのではないだろうか。
チップもかなりの差がでる。

見た目もポーターとガイドの違いは、一目瞭然である。

そのうちジャスティンもやってきて、みんなでばば抜きをした。
ばば抜きは、こういうときはいい。

そして、いつの間にか、ディナーとなり、暗くなっていた。

今日は昨日よりも更に標高が上がっている。寝るときには、Rちゃんのまねをして、帽子をがぶり、マミーになった。

今日は、何度も寒くて目が覚めた。そして寝袋の上やテントの端が湿っぽいのである。
Rちゃんに言うと、それは外の温度とテントの中の温度差で、結露ができるからということだった。

テントの中は0度より若干上まっているが、外はもう氷の白い世界となっていたので、おそらくー1,2度にはなっていたのではないか。

それとなんとびっくりしたことに今日も暗くなってから、あのひどい雨にもかかわらず星が燦々と輝きだしたのである。

昨日は、木々の間からの星空であったが、ここではさえぎるものがないために、なんだか180度全開の満天の星空だったのだ。

今までいろんなとこですごい星空をみてきたつもりだったが、ここが文句なしに1番になった。

それからたしか2日目の夜だっただろう。トイレのファスナーが凍ったのは。