ロードバイクを待ちながら -167ページ目

青梅に行った目的は?

先週に続いて、骨折復帰+シーズン開幕のリハビリ走行です。

昨夜、終電まで飲んでいたので、朝はぐずぐずしてしまい、結局家をでたのは10時ごろに。

二子玉川から多摩川ぞいの車道で上流を目指すはずが、間違えて多摩堤通りにでてしまい、狭い道で車の渋滞に挟まれてイライラ。やっと予定のルートにもどり、サイクリングロードではなくて車道で青梅をめざします。

信号以外に休憩なしに37キロ走って、12時ごろになったので、昭島あたりのコンビニで休憩。


話題の「ナポリタン味のガリガリ君」です。甘いのに辛い奇妙な味です。ネタとして一回は食べておきましょう。


沢山の謎の材料で「ナポリタン味」は実現されているようです。日本の技術の勝利。毎日食べないほうがよさそうです。

とりあえず、羽村堰のところまで、来ると「さくら祭り」なのにまだ桜咲いてないです。そういえば、昨日の宴会で、青梅のカレーうどんが話題になっていたことを思い出しました。スマホで調べて店名など判明。羽村からちょっと走って東青梅駅付近へ。



「根岸屋」です。2時ごろでしたがほぼ満席でした。

これが名物のカレーうどんです。丼からあふれそうなカレーの中にもちもちの饂飩が埋没しています。これは並ですが、これで十分です。大盛りや特大もあるようです。 味は.....普通においしいです。量が多いのでもたれます。クセになるかもしれません。饂飩界の「二郎」かもしれません。

そういえば、青梅の梅園がウィルスに感染してしまい、全部撤去されてしまう、というのを思い出したのでさらに上流の日向和田駅付近にある吉野梅郷まで行ってみました。

駅から梅の公園まで、観光客でにぎわってました。


丁度いい具合に咲いてました。4月になるとウィルス除去がはじまるそうです。

これで青梅にきた目的は果たしたので帰ります。

ちょっと疲れてきたので、帰りは車道ではなくてサイクリングロードでのんびり行きます。福生のあたりのサイクリングロードはほぼ公園の中の道なのでゆっくりしか走れません。路面も歩道レベルなのでガタガタで結構疲れます。ちょっと向かい風も吹いていたし。


立川あたりで、ちょっと夕陽をながめながら休憩。もう4時です。このまま、走ってかえるとあと30キロぐらい。暗くなるし、なんか疲れた感じなので、ここでリタイア。立川駅に向かいます。

そうするとこんなお店が(「なるしまフレンド 立川店」)、フラフラと入ってしまいました。夏用のサイクルグローブを買います。

立川駅で自転車を輪行袋にいれて中央線で帰りました。持っててよかった輪行装備。


本当は羽村往復で100キロを走るはずが、情けなく80キロでリタイア。今日はとにかくスタート時間が遅すぎでした。その上、カレーうどんや観梅で時間と距離を使ってしまい、完走できず。

多摩川から輪行でリタイアするのは以前、大王練習会で大雨になった時以来です。情けない。 来週、房総で105キロのイベントがあるのですが大丈夫なのか?


本日の走行距離は82キロ。

ルートは

Garmin Connect (青梅 観梅)





ひさびさの自転車乗り!

去年、11月に宮城県で転倒、骨折(鎖骨と小指)して以来、ロングライドしてなかったのですが、4が月ぶりに50キロ以上をロードバイクで昨日(3/17)走りました。

実は2週間ほど前に多摩川サイクリングロードを中心に45キロ走ったら、予想以上にバテてしまい、がっかりしたのですが、昨日は70キロを目標にしました。

前回と同じく、目黒区の自宅から中原街道で丸子橋へ。ここから多摩川サイクリングロードの東京側を河口まで。現在、この区間では堤防や水門の工事をやっていて走りにくい区間がありますが、通ることはできます。




サクサクっと河口の大鳥居前へ。ここはよく来るのですが、今回初めてこの看板に気が付きました。この地下に鉄道トンネルがある、と書いてあります。こんなところを通る路線はないなあ、とおもい、帰ってから Google Mapで調べるとどうも貨物線が通っているようです。大井と川崎の埋め立て地どうしがつながっているらしいです。


帰りは途中で川崎側に渡りました。なんと一か所すでに「お花見」可能でした。


実は桜並木のうち橋の数本だけ開花していたのです。


ここから、二子玉川までもどり、こんどは野川サイクリングロードへ。

自転車乗り始めた頃、よく野川に行きました。サイクリングロードといっても、多摩川よりさらに狭くて、歩いている人もいる遊歩道のようなものなので、ゆっくり気をつけて走ります。ロードバイクでは普通行かないところかも。でも、リハビリモードの私には丁度いいです。

ところどころで鴨が泳いでいたり、カワセミを狙うカメラおじさんがいたりして、のどかな雰囲気です。

一応、今日の目的地の深大寺に到着。もう2時ごろになっていたので深大寺そばを。

このちょっと登ったところにある深山茶屋が私のお気に入りです。

こういう暖かい日は野外でお蕎麦が美味しいです。

この後、国立天文台の回りを一回りして、野川沿いに二子玉川にもどり、Y'sをひやかして、帰りました。

走行距離は73キロで、目標クリア。この日は暖かく、気持ち良く走れて、あまり疲れは感じなかったです。ただし、ゆっくりサイクリングロードを走ったので平地なのに平均時速17キロの超スローペースです。

自転車力が回復し始めてきたみたいなので、次はもうちょっと気合をいれて車道を100キロ走ってみようと思います。


ところで、今回、また新たなガジェットが投入されました。


新しい、ソニー アクションカム (HDR-AS100V)です。真ん中の白いカメラです。このあたらしいモデルは防滴構造なので、前のモデルと違って防水ハウジングなしでも使えて軽量でいいです。 GPSが内蔵されていて、動画にスピードなどの情報を表示することもできます。


こういう腕時計側の無線リモコンで画像を確認しながら撮影もできます。

これでまたイベントの動画を撮影・編集などしたいと思います。



「八月の砲声(上)(下)」 バーバラ・W・タックマン




最近の安倍総理の発言で話題になった、丁度100年前の戦争、第一次大戦のドイツ、フランスによる開戦直前と開戦後約2カ月を克明に再現した名著です。長いです。極力、著者の主観的判断を排除して実際に起こって記録されたことのみでつづられています。著者はどっちが悪いとかそういうことではなくて、戦争というものがどう始まり、広がっていくかを伝えてたかったのだと思います。


第2次大戦については、アジア、欧州ともに、多くの本、映画、などがあり、よく知っている、と思われていますが、第一次大戦は日本が直接参戦していないこともあり、サラエボでの皇太子暗殺が引き金になり、ドイツと他の欧州各国が戦争をした、という程度しか私は理解してなかったです。


この本を読んで、ベルギーというのは本当に気の毒な国だと思いました。ドイツとフランスの間に国があって、中立であろうとしたが、結局、ドイツ軍に最初に蹂躙されてしまいます。100年前のこととはいえ、現在、ドイツもフランスもEUに加盟して、その本部をブリュッセルにおいている、ということを実現するまでには各国で乗り越えなければならない感情的な問題は大きなものだったと思います。


現在でもベルギーの街には”1914年、ドイツ軍によりベルギー市民xx 名がここで殺された”という墓碑があちこちに残っているらしいです。


現代において、日本と中国に挟まれた朝鮮半島、中国と米国に挟まれた日本、などとのアナロジーも思いうかびます。どうか、そういうことが起こりませんように。


100年前の戦争は近代兵器がつかわれた最初の戦争で、電話、飛行機、自動車、鉄道などが、初めて戦争に使われたのですが、電話や無線は信頼できず、自軍の状況を将軍はうまく把握できず、命令がちゃんと実行されるか自分で前線に乗り込んで確かめる将軍が続出します。


兵力の大半は歩兵で、徒歩以外で移動できないので、超人的に歩いても一日40キロしか移動できず、数万人の兵隊は方向転換をするだけでも大変なことになります。


以下に興味深いと思ったエピソードを列挙します。


ここにでてくる、ドイツ海軍の一隻の戦艦がインスタンブールに入港して、トルコを仲間にしてしまうエピソードは、最近読んだ スチームパンク架空歴史 第一次大戦小説「リヴァイアサン クジラと蒸気機関」の話の元になった話ですね。


この本についてもっとまじめな書評はこちらにありました。


http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2012/02/post-752c.html


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開戦直前には、ドイツ、フランスともに、戦争の準備は十分完了していた。


ドイツ軍は、鉄道網を利用して兵員などを輸送するための詳細な時刻表などを用意していた。

当時、英仏独などの間で中立地帯とする条約があったベルギーが独仏の開戦で重要な役割を果たした。


独仏国境にはフランスの要塞があったので、独軍はベルギーを通過しないとフランスに侵攻できないだろうと両国とも思っていた。そのため、両国とも、兵力をベルギー国境に動員していたが、先にベルギー国境を越えたほうが条約を違反したことになるので、フランスは「絶対に国境を超えるな」と軍に命令していた。


我慢できなかったドイツ軍はまずルクセンブルグに侵入し、ベルギーに宣戦布告して侵入。

これで開戦時点の「義」がフランス側にあることになり、優柔不断であった英国が参戦することに。これがきっかけになり、結局ドイツはオーストリア以外の全ヨーロッパを敵に回すことに。


ベルギーに侵入したドイツ軍はまず要塞で防備を固められたリエージュを攻略する。ベルギー軍は予想外に本気で抵抗する。ドイツ軍はベルギー軍なんか、道路際にならんで、だまってフランスまでドイツ軍が通り抜けるのを見送ってくれる、とすら思っていた。


ドイツ軍はリエージュ攻略のため、巨大な臼砲を苦労して運んでくる。この大砲とツェッペリン飛行船からの空襲でリエージュは陥落する。


一方地中海では、一隻のドイツ軍戦艦が、巧妙にフランス軍の追跡を振り切って、イスタンブールに逃げ込んでしまう。このたった一隻がトルコに到着したことで、トルコはドイツ側につくことになってしまう。その結果、ロシアは地中海へ黒海から出られなくなってしまう。


ベルギー国民は侵入したドイツ軍に対してゲリラ的に電話線を切ったりして妨害した。これに対してドイツ軍は見せしめのために市長を処刑したり市民を虐殺するなどした。


ロシア軍は参戦し、東側からドイツに侵入しようとするが、意図的にドイツと鉄道の軌道の幅を変えていたために、ドイツの鉄道網を利用できなかった。また、開戦後に「ウッォッカ禁止令」がロシアでは発令された。


ドイツ軍によるベルギーでの民間人虐殺は、他の国がドイツに敵対することを決定する大きなきっかけとなった。ドイツ軍はこの責任はすべて「組織的抵抗を行ったベルギー側にある」と主張した。


開戦当時米国は中立のポジションを取ろうとしたが、英国海軍がドイツにたいするいかなる経路でも軍事関連物資の輸出を禁止する措置をとったことは黙認した。


ドイツ軍はベルギーを越えてフランスに侵入し、フランス軍および英国派遣軍は退却を余儀なくされ、パリ攻防戦になる寸前だった。そのため、フランス軍はパリの建物を一部破壊して陣地としようとするが官僚がなかなか許可を出さなかった。


英国派遣軍司令官のフレンチ卿は終始弱腰で、ドイツ軍に迫られると、フランス軍を置いてパリより西に退却しようとする。英国陸軍大臣がこれに激怒して、現地に乗り込み、退却を止めさせた。


なぜかドイツ軍にもフランソワという名前の将軍がいて、フランスに攻め込んでいた。


ドイツ軍は複葉機でパリ市内で毎日夕方に爆弾を一個だけ民間人に落とす、という心理効果を狙った空爆作戦を実施した。


ドイツ軍はパリまで50キロぐらいまで迫り、フランス軍が戦略的に退却していたのを、敗走だと思い、容易にパリに侵攻できると思っていた。


ところが、マルヌ川でフランス軍が側面から反撃しドイツ軍を食い止めてしまう。


フランス軍は反撃にあたり大量のタクシーを動員して兵隊を前線に輸送した。



ここまでの開戦後2か月ぐらい。


第一次大戦はこのあとは膠着状態が4年間続き、独仏それぞれ塹壕を前線に設置して、双方多大な戦死者を出しながら決着がつかない。