ひさびさの自転車乗り!
実は2週間ほど前に多摩川サイクリングロードを中心に45キロ走ったら、予想以上にバテてしまい、がっかりしたのですが、昨日は70キロを目標にしました。
前回と同じく、目黒区の自宅から中原街道で丸子橋へ。ここから多摩川サイクリングロードの東京側を河口まで。現在、この区間では堤防や水門の工事をやっていて走りにくい区間がありますが、通ることはできます。

サクサクっと河口の大鳥居前へ。ここはよく来るのですが、今回初めてこの看板に気が付きました。この地下に鉄道トンネルがある、と書いてあります。こんなところを通る路線はないなあ、とおもい、帰ってから Google Mapで調べるとどうも貨物線が通っているようです。大井と川崎の埋め立て地どうしがつながっているらしいです。
帰りは途中で川崎側に渡りました。なんと一か所すでに「お花見」可能でした。
実は桜並木のうち橋の数本だけ開花していたのです。
ここから、二子玉川までもどり、こんどは野川サイクリングロードへ。
自転車乗り始めた頃、よく野川に行きました。サイクリングロードといっても、多摩川よりさらに狭くて、歩いている人もいる遊歩道のようなものなので、ゆっくり気をつけて走ります。ロードバイクでは普通行かないところかも。でも、リハビリモードの私には丁度いいです。
ところどころで鴨が泳いでいたり、カワセミを狙うカメラおじさんがいたりして、のどかな雰囲気です。
一応、今日の目的地の深大寺に到着。もう2時ごろになっていたので深大寺そばを。
このちょっと登ったところにある深山茶屋が私のお気に入りです。
こういう暖かい日は野外でお蕎麦が美味しいです。
この後、国立天文台の回りを一回りして、野川沿いに二子玉川にもどり、Y'sをひやかして、帰りました。
走行距離は73キロで、目標クリア。この日は暖かく、気持ち良く走れて、あまり疲れは感じなかったです。ただし、ゆっくりサイクリングロードを走ったので平地なのに平均時速17キロの超スローペースです。
自転車力が回復し始めてきたみたいなので、次はもうちょっと気合をいれて車道を100キロ走ってみようと思います。
ところで、今回、また新たなガジェットが投入されました。
新しい、ソニー アクションカム (HDR-AS100V)です。真ん中の白いカメラです。このあたらしいモデルは防滴構造なので、前のモデルと違って防水ハウジングなしでも使えて軽量でいいです。 GPSが内蔵されていて、動画にスピードなどの情報を表示することもできます。
こういう腕時計側の無線リモコンで画像を確認しながら撮影もできます。
これでまたイベントの動画を撮影・編集などしたいと思います。
「八月の砲声(上)(下)」 バーバラ・W・タックマン
最近の安倍総理の発言で話題になった、丁度100年前の戦争、第一次大戦のドイツ、フランスによる開戦直前と開戦後約2カ月を克明に再現した名著です。長いです。極力、著者の主観的判断を排除して実際に起こって記録されたことのみでつづられています。著者はどっちが悪いとかそういうことではなくて、戦争というものがどう始まり、広がっていくかを伝えてたかったのだと思います。
第2次大戦については、アジア、欧州ともに、多くの本、映画、などがあり、よく知っている、と思われていますが、第一次大戦は日本が直接参戦していないこともあり、サラエボでの皇太子暗殺が引き金になり、ドイツと他の欧州各国が戦争をした、という程度しか私は理解してなかったです。
この本を読んで、ベルギーというのは本当に気の毒な国だと思いました。ドイツとフランスの間に国があって、中立であろうとしたが、結局、ドイツ軍に最初に蹂躙されてしまいます。100年前のこととはいえ、現在、ドイツもフランスもEUに加盟して、その本部をブリュッセルにおいている、ということを実現するまでには各国で乗り越えなければならない感情的な問題は大きなものだったと思います。
現在でもベルギーの街には”1914年、ドイツ軍によりベルギー市民xx 名がここで殺された”という墓碑があちこちに残っているらしいです。
現代において、日本と中国に挟まれた朝鮮半島、中国と米国に挟まれた日本、などとのアナロジーも思いうかびます。どうか、そういうことが起こりませんように。
100年前の戦争は近代兵器がつかわれた最初の戦争で、電話、飛行機、自動車、鉄道などが、初めて戦争に使われたのですが、電話や無線は信頼できず、自軍の状況を将軍はうまく把握できず、命令がちゃんと実行されるか自分で前線に乗り込んで確かめる将軍が続出します。
兵力の大半は歩兵で、徒歩以外で移動できないので、超人的に歩いても一日40キロしか移動できず、数万人の兵隊は方向転換をするだけでも大変なことになります。
以下に興味深いと思ったエピソードを列挙します。
ここにでてくる、ドイツ海軍の一隻の戦艦がインスタンブールに入港して、トルコを仲間にしてしまうエピソードは、最近読んだ スチームパンク架空歴史 第一次大戦小説「リヴァイアサン クジラと蒸気機関」の話の元になった話ですね。
この本についてもっとまじめな書評はこちらにありました。
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2012/02/post-752c.html
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開戦直前には、ドイツ、フランスともに、戦争の準備は十分完了していた。
ドイツ軍は、鉄道網を利用して兵員などを輸送するための詳細な時刻表などを用意していた。
当時、英仏独などの間で中立地帯とする条約があったベルギーが独仏の開戦で重要な役割を果たした。
独仏国境にはフランスの要塞があったので、独軍はベルギーを通過しないとフランスに侵攻できないだろうと両国とも思っていた。そのため、両国とも、兵力をベルギー国境に動員していたが、先にベルギー国境を越えたほうが条約を違反したことになるので、フランスは「絶対に国境を超えるな」と軍に命令していた。
我慢できなかったドイツ軍はまずルクセンブルグに侵入し、ベルギーに宣戦布告して侵入。
これで開戦時点の「義」がフランス側にあることになり、優柔不断であった英国が参戦することに。これがきっかけになり、結局ドイツはオーストリア以外の全ヨーロッパを敵に回すことに。
ベルギーに侵入したドイツ軍はまず要塞で防備を固められたリエージュを攻略する。ベルギー軍は予想外に本気で抵抗する。ドイツ軍はベルギー軍なんか、道路際にならんで、だまってフランスまでドイツ軍が通り抜けるのを見送ってくれる、とすら思っていた。
ドイツ軍はリエージュ攻略のため、巨大な臼砲を苦労して運んでくる。この大砲とツェッペリン飛行船からの空襲でリエージュは陥落する。
一方地中海では、一隻のドイツ軍戦艦が、巧妙にフランス軍の追跡を振り切って、イスタンブールに逃げ込んでしまう。このたった一隻がトルコに到着したことで、トルコはドイツ側につくことになってしまう。その結果、ロシアは地中海へ黒海から出られなくなってしまう。
ベルギー国民は侵入したドイツ軍に対してゲリラ的に電話線を切ったりして妨害した。これに対してドイツ軍は見せしめのために市長を処刑したり市民を虐殺するなどした。
ロシア軍は参戦し、東側からドイツに侵入しようとするが、意図的にドイツと鉄道の軌道の幅を変えていたために、ドイツの鉄道網を利用できなかった。また、開戦後に「ウッォッカ禁止令」がロシアでは発令された。
ドイツ軍によるベルギーでの民間人虐殺は、他の国がドイツに敵対することを決定する大きなきっかけとなった。ドイツ軍はこの責任はすべて「組織的抵抗を行ったベルギー側にある」と主張した。
開戦当時米国は中立のポジションを取ろうとしたが、英国海軍がドイツにたいするいかなる経路でも軍事関連物資の輸出を禁止する措置をとったことは黙認した。
ドイツ軍はベルギーを越えてフランスに侵入し、フランス軍および英国派遣軍は退却を余儀なくされ、パリ攻防戦になる寸前だった。そのため、フランス軍はパリの建物を一部破壊して陣地としようとするが官僚がなかなか許可を出さなかった。
英国派遣軍司令官のフレンチ卿は終始弱腰で、ドイツ軍に迫られると、フランス軍を置いてパリより西に退却しようとする。英国陸軍大臣がこれに激怒して、現地に乗り込み、退却を止めさせた。
なぜかドイツ軍にもフランソワという名前の将軍がいて、フランスに攻め込んでいた。
ドイツ軍は複葉機でパリ市内で毎日夕方に爆弾を一個だけ民間人に落とす、という心理効果を狙った空爆作戦を実施した。
ドイツ軍はパリまで50キロぐらいまで迫り、フランス軍が戦略的に退却していたのを、敗走だと思い、容易にパリに侵攻できると思っていた。
ところが、マルヌ川でフランス軍が側面から反撃しドイツ軍を食い止めてしまう。
フランス軍は反撃にあたり大量のタクシーを動員して兵隊を前線に輸送した。
ここまでの開戦後2か月ぐらい。
第一次大戦はこのあとは膠着状態が4年間続き、独仏それぞれ塹壕を前線に設置して、双方多大な戦死者を出しながら決着がつかない。
ロードバイク リブート
去年11月に落車・骨折して以来乗っていなかった主力カーボン車 (Deddacciai Assoluto RC)を整備したのです。その時の状況は
ツールド東北(落車編)
です。
その後、骨折の方はクリスマスに予定外の鎖骨の再手術とかあったのですが、順調に復元してきています。来週、残っていた左手小指のピンも撤去できる予定です。
ということで、そろそろ、春も近いので、3か月組み立ててなかった自転車を整備。
今回の落車では衝撃はほとんど人間のほうが受けてしまったようで、みたところ自転車に大きな問題はなさそうです。
左ハンドルから着地したようなので、左のバーテープが破れてます。
ちょっとピンぼけですいません。5色の派手なテープの黒いところがぶっちぎれてます。痛々しいので、交換します。
はがしたところです。ハンドルバーにもざっくり傷が入ってます。カーボン製だと割れていたかも。アルミなのでこのまま使います。

予備として買ってあった Deddaの派手な緑のテープをまき直しました。ですが、ブレーキレバーの根元がざっくりと塗装が剥げてます。ブラケットカバーのゴムもボロボロに。カバーだけでも交換したいところです。
フレームのロゴのTの字がなぜか消えかかっています。これは落車とは関係ないでしょうね。輪行とか多いので、あちこち傷がついてるのは仕方ないですね。カーボンなので、別にそこから錆びたりしないので気にしないことに。

ついでに後輪のタイヤがやや摩耗していて接地部が平らになっていたので、一本だけ余っていたPRO3に交換しました。前輪は Vittoria Open Corsa EVOのままにしてあります。どっちも色は赤なのですが、色のついている場所が逆なのでちょっと変なことに。バーテープの色が浮きまくっています。
洗車、注油して、近所を一回りしてみました。ビンディングペダルで自転車乗るの3カ月ぶりです。やっぱり気持ちいいですね。
でも、寒いし、やや風邪気味なので、きょうはここまで。
4月からイベントにもぼちぼち出てみようと思います。以下にエントリーしました。
4/6 Great Earth 房総 (100キロ)
5/25 安曇野センチュリー (80キロ)
6/1 グランフォンド富山 (120キロ)
今年は事故・怪我のないように余裕を持って走りたいと思います。











