ロードバイクを待ちながら -150ページ目

「ホドロフスキーのDUNE」



注目していたこのドキュメンタリー映画を見てきました。とても楽しい映画でした。


アレハンドロ・ホドロフスキーという現在80代のメキシコ出身の映画監督が1970年代に制作しようとしたDUNEという映画について自ら語るのを軸に当時の関係者についてのインタビューと残っている絵コンテによる再現映像でその幻の映画について思いをはせる、という映画です。


意味わかんないですよね。


この映画の面白さはまずこのホドロフスキー監督という人のキャラにあります。難解な「エル・トポ」とかを若いころにとっていたので、どんな気難しい人かと思えば、80を越えて丸くなったのか、昔からそうなのか、とにかくニコニコと楽しそうに70年代のDUNEのことを語るのです。


あまりに面白いので「おっさん、それ話作っとるやろ」と思うのですが、ときどきすごい目つきでカメラを睨んだり、インタビュー中に飼い猫を抱き上げたり、このオッサンを見てるだけでなんか元気が出てきそうです。


”DUNE"というのは「砂の惑星 デューン」というにタイトルで日本でも出版されたSF小説で 1970年前後に大ヒットしたものです。日本では石森章太郎のイラストがカバーでハヤカワSF文庫で出てました。(悲しいことに現在絶版のようです。)


物語は遠い未来の宇宙で、銀河帝国と辺境の砂漠惑星を舞台に、貴族の生まれの少年が砂漠の遊牧民に加わり悪い別の一族に挑んで親の仇をうつ、という古典的なストーリーです。この小説のポイントはそのストーリーではなくて、ぶち込まれた大量の難解な背景情報やその細部にあります。書き出すときりがないのですが、大きな二つの要素として「サンドウォーム」という砂漠に生息する巨大な芋虫状の生物と「メランジ」という人間の精神的能力を拡大する一種の麻薬があります。


どうもホドロフスキー監督は原作のこの「メランジ」という麻薬を飲んだような状態を再現する見る人の意識を変容させる映画としてDUNEを製作しようとしていたようなのです。 1975年のことだったのです。


ではこの1975年というのはSF映画の歴史でいえばどういう位置にあるかというと



1968 2001年宇宙の旅

1968 猿の惑星

1971  アンドロメダ...


1975 DUNE (ホドロフスキー版 未完)


1977 スターウォーズ

1977 未知との遭遇

1977 宇宙戦艦ヤマト(映画版)

1979 エイリアン

1982 ブレードランナー

1984 砂の惑星 (デビッド・リンチ版)



みたいな順番になります。これを見ればわかりますように 1975年の時点では「2001年...」以外には、ちょっとB級っぽいジャンル映画しかSF映画はなかったのです。そんな背景でアートとしてSF映画 DUNEを作ろうと思ったホドロフスキー監督はかなりぶっ飛んでいた訳です。


ホドロフスキーはこのDUNEを作るために驚愕のキャスト・スタッフを一人づつ口説き落としていきます。そのエピソードがこの「ホドロフスキーのDUNE」の重要な見どころです。


詳しく書くとネタバレになるのですが、


出演者には超有名画家、超大物映画監督、ロックのスーパースターが含まれていました。音楽は70年代を代表するあのバンドが提供することになっていました。


そして、映画全体の絵コンテ、キャラクタ、メカ、セットのデザインには次の3人のアーチストがあたったのです。


 クリス・フォス

 メビウス

 H.R. ギーガー


最初の二人は古いSFファンじゃないと知らないでしょうが、ギーガーは「エイリアン」のデザインで有名です。


今回のドキュメンタリーにはこの3人が書いたDUNEの素材を使っていくつかのシーンを再現しています。これも見どころの一つです。今見ると、割とよくSF映画・ファンタジー映画に出てきそうなビジュアルもあるのですが、1975年という時代を考えると、それは順番が逆、だということがわかります。つまり、70年代後半以後に制作されたSF映画はどうもこの幻のDUNEのアートワーク集を参考にしたものが多いようなのです。ホドロフスキーはDUNEのために全カットの絵コンテと主要な人物・セットのスケッチを分厚い本にして各映画会社に売り込みのために送ったそうなのです。


実際に「スターウォーズ」の前半の砂漠のシーンはかなり影響を受けてると思われますし、DUNEで知り合いになった特撮監督のダン・オバノンとギーガーは、その後リドリー・スコットの「エイリアン」を作っています。



で、ホドロフスキーのDUNEは脚本、絵コンテ、スタッフ、キャストが揃ったところで、結局、どこの映画会社にもお金(当時の1500万ドル)を出してもらえず、制作中止になってしまったのです。どこの会社も「脚本、アートは完璧だ。でもあんたが監督じゃだめ」と言われてしまうのです。


その後、DUNEはデビッド・リンチ監督によって全く別の映画として1984年に制作されます。 当時のデビッド・リンチは「イレイザーヘッド」「エレファントマン」の監督です。「ツインピークス」みたいなわかり易い映画じゃない変態映画の監督だったのです。ホドロフスキーは同じ変態映画監督としてリンチを尊敬していたらしく「俺が作れなかったDUNEをあのデビッド・リンチが撮りやがった、悔しい」と落ち込んでしまったそうです。


「そんな映画きっと大傑作でみたら絶望的な気持ちになるから絶対見ない」と言っていたのですが、結局見に行きます。そして、その結果.......ホドロフスキー監督は幸せな気持ちになったそうです。

それは何故か? (あの映画をみたことある人ならわかると思いますが。)



個人的には学生の頃 小説の「砂の惑星」シリーズが好きで全巻読んで今でも大切にしているのと、こういう映画についてのドキュメンタリー映画が大好きなので二重にツボでした。70年代のSFが好きなかた、とにかく映画についてのおしゃべりを聞くのが好きなかた、是非ごらんください。


来月は20数年ぶりのホドロフスキー監督の新作「リアリティゲーム」が公開されるそうですし旧作もUPLINKでやっているので、それもみたいと思います。




子の権現に今度こそ

今日は、先週突然の豪雨で中断してしまった、名栗街道沿いの激坂周回コースに再び挑戦してきました。

先週はJRで青梅に行ってそこからスタートしたのですが、結構中央線が混んでいたので、今日は時間を早めにして、副都心線ー>西武で飯能からスタート。電車はすいてました。

予定では飯能から名栗街道を進んでまず子の権現(ねのごんげん)に登り、一旦吾野側に降りて天目指峠(あまめざすとうげ)を越えて名栗街道に戻る、というコースでしたが.....

なぜか Garminに設定したルートが混乱していて、子の権現への入口をパスしてしまいかわりに「竹寺」というところへの登りにつれて行かれて、途中でUターンしろ、という謎の指示が。



こんな意味不明の表示が。実際はここを直進しても子の権現に行くことはできたようですが、実は行かないで良かった、ということが後でわかるのです。

しかたないので、Garminに頼るのを止めて、天目指峠から逆回りに回ることにします。

峠への登り口はこんな感じ。今日は曇りで日差しも弱く、谷筋の林道は気持ちいいです。


段々斜度がきつくなってきてつらいです。こういうきつい九十九折が続きます。

何回か休憩しながらなんとか峠に到着。初登頂です。峠には薄暗い休憩所があるだけで寂しいです。
別に景色も楽しめません。

ここから吾野側にくだると途中に子の権現への分岐が現れます。

こっち側が権現への表参道のようです。入口から威圧感のある坂道です。


たった3キロなんでが容赦なく最低8%ときどき10%以上みたいな感じの坂道です。

何回も休みながらなんとか子の権現入口到着。ここは景色がいいです。晴れているとスカイツリーが見えるらしいです。今日はもやで見えません。


山門から先は自転車を押して登りました。「北斗の拳」に出てきそうな筋肉モリモリの仁王さまが出迎えてくれます。


有名な巨大わらじの横には巨大なステンレス張りの鉄下駄がありました。これを履いて登って来い、という挑戦でしょうか。


ちょっと境内を散策したりして一休みして、名栗側に下ることにします。


これが裏側の下り道の入口です。いきなりすごい角度で下ってます。

これが最初のカーブです。エグイです。私は下りでしたが、危ないので自転車降りました。郵便配達のモーターバイクが普通に下っていきました。お仕事ご苦労様です。

同じカーブを見上げたところ。ここを登るのは無理です。

このエグイ九十九折は数回曲がるだけですが、下から登ってきて最後にこれだと心ポキポキ折れまくります。今日は逆回りにして本当に良かった。


激坂を下り終えると長いだらだら下り道で名栗街道に戻ります。丁度昼めし時なので、名栗街道をまた秩父側に10キロほど戻って、カフェ「ターニップ」でのんびりランチにします。焼きカレー(カレーにチーズを載せてグラタン風に焼いてあります)にシフォンケーキ!

テラスでランチをいただいていると小雨が降ってきました。やはり今日も降られてしまいました。晴れだったらここから山伏峠を登って秩父に抜けようと思っていたのですが、ここで撤退することにします。

飯能まで戻って西武線で帰りました。

本日のセルフィー。峠を登ったところでバテています。

本日の走行距離は 64キロ.


走行ルートは

天目指峠 子の権現 (Garmin Connect)

















名栗渓谷に嵐を呼んでしまった

今日は天気予報だと午後3時ごろまで雨は降らない、ということだったので、電車に自転車を載せて青梅へ!

奥武蔵(飯能と秩父の間の山)にはいろいろな峠があって大体、自転車で登ったことがあるのですが天目差峠(あまめさしとうげ)と子の権現(ねのごんげん)という二つは行ったことがなかったので、青梅からその二つの峠をサクッと回って帰ろう、という計画でした。

青梅から成木街道を通って小沢峠を越えて名栗にでる、はず、だったのですが、初めての道だったのでちょっと間違えました。

「ヒルクライム ゴールまで4キロ」の看板が!


道もきつい坂道に!

間違えて「東京ヒルクライム 成木ステージ」のコースに入り込んでしまってました。ヒルクライムに来たのだからここをゴールまで登っても良かったのではありますが、予定ではないので引き返して名栗街道に出ます。

名栗にでてからすぐ雨がポツポツと降り出しました。前方に黒雲が!夕立(午前ですが)がくる予感です。丁度いいことに前方に「諏訪神社」という神社が見えます。ここに駆け込んだとたん、土砂降りになりました。


この手を洗う場所で30分ほど雨宿りです。


この神社にはこの鏝絵で装飾された土蔵があって、以前も写真をとったことがありました。それにしてもすごい雨で雷もゴロゴロ鳴ってました。山奥の林道にいたら辛かったと思います。

東京アメッシュで調べると丁度このあたりだけ雨雲がありました。何かの祟りでしょうか?

ちょっと雨は収まってきましたが、山からは降った雨が蒸発して靄になっています。これが上空に行くとまた雨雲になるのでしょうか?だったら、しばらく雨が降ったりやんだりする、ということのようです。

今日の目的地「子の権現」はとんでもない激坂で、「前輪が浮く」とか言われている恐ろしいところらしいです。そんなところに豪雨の後で行くのは危ないので、今日はもう中止。


ちょうど神社のそばにこの辺にはあまりないカフェが!前からこのあたりを通るたびに気が付いてはいたのですが、今日はここで雨宿りしながら昼食に。


「月輪」というお店で、趣味のいいインテリアでちょっとアンティークも置いていたりしました。


タコライスのランチをいただきました。雨の埼玉県で沖縄風ランチ。なかなかおいしかったです。また天気のいい時に来たいと思います。

ここから飯能まで走って電車で帰ろうかと思ったのですが、途中に山王峠経由青梅の看板があったので、そういえばこっち側から山王峠は通ったことが無かったので、登ってみました。

大した峠ではありません。


一応立札があったので記念写真。

ここからは小木曽街道で青梅まで。青梅に1時半ごろについてしまいました。時間が中途半端なので、かねてから興味のあった青梅のレトロ博物館を見学。


「昭和レトロ博物館」、となりが「赤塚不二夫記念館」です。


懐かしい「マジックインキ」「クレヨン」「クレパス」がありました。

こっちは夕方の青梅市内、ではなくて「昭和幻燈館」にあったジオラマです。

この三つの博物館はまとめて800円で見ることができます。


青梅の商店街はレトロな映画看板で有名ですが、もうすでに時代がついてしまってるものも。

博物館を見ている間に青梅でも土砂降りになりました。やっぱり今日はサイクリング中止で正解でした。

青梅から電車に乗って帰りました。


本日の走行距離はたったの35キロ。 走行ルートは

青梅 成木 (Garmin Connect)


行くはずだったコースは

子の権現周回(ルートラボ)


リベンジしたいと思います。