極私的洋楽生活 -7ページ目

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豚袋でございます。
 
 
極私的に好きなダンスミュージックの記録として記事にしてしまう企画、「豚袋的ダンスミュージック」私のブログにいらしていただける方はロック嗜好の方が多いせいでしょうか、ピンとこないので反応が難しいようですね。もともと自分が楽しむための動画リンク集みたいにしようと思って始めた企画ですが、だらだらやっても仕方ありませんので、今回を最終回としたいと思います。

 

 

続きの時代としては1989年頃から92年あたりの音を取り上げたいと思います。このあたりの時代はユーロビートが継続していくなかで、また新しい流れとして「ハウス・ミュージック」と言われる音楽ジャンルが浸透・拡散してきた頃でした。
 
 
ハウスとは何ぞや。これは正直説明が難しいです。wikiとかで見ていただくのが一番いいかと思いますが、それでもよくわからないのではないかと思います。ジャンルも途方もなく細分化しているので一言でいい表すのが難しいのです。
 

 

そこで私が取り上げるハウスは、狭義の意味で限定し「ソウル・ファンク等ブラックミュージックをベースに、ヨーロッパ的エレクトロダンスミュージックの要素を取り入れたハイブリッドで、ダンスミュージックに特化しリズムマシン等DJが手を加えてプレイするリフレインが特徴的な、ワイルドかつケミカルで即興的な音楽」という感覚でとらえていただければ、と思います。特にボーカルはソウルフルな黒人が多くラップ・ヒップホップもあり、それらを強烈なリズムに延々と掛け合わせるスタイルが多いです。
 

 

まずは聴いた方が早いかもしれません。それでは「豚袋的ダンス・ミュージック」パート4、スタートです。
 

 

この曲の世界的ヒットからハウスはブレイクしたと言われています。
耳にした方も多いのではないでしょうか。


 

 

カオティックな中にもいろいろな音楽要素が入っておりました。
 

 

「Pump Up」という言葉が流行っていたのでしょうか、この曲のタイトルもそうです。


Technotronic - Pump Up The Jam [1989]

 

 

ユーロビートが所謂「西洋盆踊り」的だったのに対し、かなりソリッドな音も特徴的です。
ブラックならではのボーカルのパワフルさが好きでした。

 

延々としたフレーズが陶酔感を誘います。
 

 

この曲も流行りましたねぇ。

 

この呪文のようなフレーズはまたダウナーな感じでよかったです。


Crystal Waters - Gypsy Woman (She's Homeless)

 
 
こちらはドイツのユニットです。内容は全然アメリカンな感じですが^^;

Snap - The Power

 

 

時代はエネルギーを持余していたのでしょうか。「パワー」という言葉も多く見受けられました。
 

 

ハウスにおいては、キーボードが重要な位置を占めていました。

 

もともと小箱(ハウス)を意味する音楽でしたが、
このくらいの時代になると大きい会場やレイブとかで広まっていきました。


Nomad - Devotion - (1991)

 


 

いかがでしたでしょうか。聴いてみるとこれはやっぱり「踊るため」の音楽だと本当に思います。
それ以外の意味性はほとんどありません。そのあたりの潔さがダンスミュージックの魅力ではないかと思います。また、自分にとってはパワフルなソウルの女性ボーカルがツボでもありました。理屈ではないんです、生理的にウェルカム。


 
豚がダンスミュージックをリアルで聴いていたのはこのあたりまでです。この後、日本ではジュリアナがブームになり、ハウスの亜流であるとにかく強烈なリズムを中心とした「テクノ・トランス」の時代へと移っていくのでありました。流石に音楽を楽しむ事とはもうかけ離れたかのようなジュリアナブームには自分をどうしても合わせる事ができず、嫌気がさしてしばらくダンスミュージックを含めて封印するようになりました。ですから92年くらいまでが、リアルなダンスミュージックの体現期間となり、以降の体現はないので今回が最終回という事になります。
 

 

最後に自分がハウスに初めて心地よさを感じたユニット、「ブラックボックス」の曲を聴いて締めたいと思います。イタリアのユニットなのですが、パワフルなボーカルは、何とウェザーガールズ等でも有名なマーサ・ウォッシュ!(動画のボーカルは違う人です)
 

 

それでは、また。
 

 

 

 

 

 

レゲエと言えば
誰もが想起するのはボブ・マーリーであろう
代名詞になるほどのカリスマ性
卓越したソングライティングとパフォーマンス
癌との闘病後の死を含め
誰も彼を否定する者はいない
レゲエというフィールドを介し神となった存在
自分も大好きなミュージシャンのひとりだ

 

 
もともとボブと一緒にウェイラーズにいた
ピーター・トッシュという人の不幸は
その神と居合わせてしまった事
なのかもしれない
もともとStepping Razor(歩くカミソリ)と
言われるほど存在も大きく
カリスマたる資質も充分過ぎたのに
人類愛を説くボブに比して
その闘争的資質は対照的に
疎まれる存在になってしまったようだ

 

 
ボブ中心に売り出そうとする
ウェイラーズでの扱いに嫌気がさし
バニー・ウェイラーとともに脱退
ソロ活動を余儀なくされ
強く尖鋭化することによって
自身の存在を示すしかなかった
人気を博し、普遍愛の名のもとに
神に近付くボブとは対照的に
ピーター・トッシュはもがき、闘い、
ガンジャ解放運動へとより怒りと思念を
売るしかなかったのかも知れない

 

 
抵抗のアティテュードは
よりロックな姿勢に見えたのだろうか
ミーハーなミック・ジャガーが目をつけた
サティスファクションを歌う自分の姿と
似た物でも感じたのだろうか
この曲での共演の姿を見ると
見ている方が恥ずかしくなるくらい
ミックは嬉しそうに、楽しそうに
はしゃいでいるのが印象的だ

 

 
初めてピーター・トッシュを聴いたのは
1983年の「ママ・アフリカ」というアルバム
リアルタイムだったが、そこで初めて
彼の素晴らしさを感じた
遡って聴いていくうちに
ストーンズの関わりを知ったわけだけど
彼のような素晴らしいミュージシャンに
スポットを当てたストーンズの功績は
何と言っても大きいだろう

 

 
ピーター・トッシュは1987年に
自宅で強盗に撃たれて死んだ
癌死という天啓で召されたボブに対し
その人生はまるでボブの人生と
表裏一体であったかのように最期の時まで
対照的に不幸だったのが惜しまれる
 
 

 

 

 

 

 

from album
 [Bush Doctor]
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豚袋でございます。
 
 
被災地ではなお不安な日々を送っていらっしゃる方も多いと思います。首都圏もまだまだ震災後のどこか塞いでしまったような雰囲気が続いています。自分は少しでも元気を出して日常を取り戻していこうかと思っているのですが、まずはどんな記事を書こうかと思案しつつ、過去記事を眺めておりましたところ、とりあえず未完のシリーズ記事があったのに気がつきました。
 

 

「豚袋的ダンス・ミュージック」
 

 

もともとディスコに行くようになってから聴き始めたダンス・ミュージック。通常音楽的にはわりとマイナー志向で陰と憂いのあるものが好きだったりするのに、なぜかこの分野はミーハー丸出しという我ながら不思議な嗜好を持っております。それはこのたぐいの音楽がやはり「踊る場所・シーン」という娯楽環境的な要素と密接であるからでしょう。脳天気で何も考えないで聴くことのできる、しかも楽しくも懐かしい音楽群であることもあり、3年ぶりに続きが書きたくなってきました。(アップも簡単だし^^;)
 

 

ということで極私的ミーハーミュージック記事、
「豚袋的ダンス・ミュージック」パート3のはじまりはじまり~♪

 

 

続きの時代としては1986年から89年あたりの音を取り上げたいと思います。このあたりの時代は「ハイエナジー」の進化系である「ユーロビート」の第一次全盛期でありました。今でこそユーロビートはヨーロッパ発祥でありながらイタリアを経由して日本でのみ進化を遂げた日本でのみ流通している極めて特異な音楽ですが、この時代のそれはやはりオリジンとしての力もありましたし、新しい音楽の流れとして世界的なチャートでも上位を占めていました。
 

 

デッド・オア・アライブに始まり、マイケル・フォーチュナティ、リック・アストリー、カイリー・ミノーグ等々、ワールド規模で成功を収めたミュージシャンの名前が挙がります。日本人がカバーする事が多かったのもこの音楽の特徴でもありました。有名どころで言えば荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」、Winkの「愛が止まらない」、Babeの「GIVE ME UP」などがありましたね。しかしながらミーハーとはいえ、誰もが知ってるミュージシャンや日本人カバーの原曲をとりあげたりしないのが「豚袋的」なつもりです。
 

 

それではまず、1986年のこの曲から行ってみましょう。
 

 

 

まさに時代的にデッド・オア・アライブ流れの影響の強い曲ですね^^
 

 

アレフといってもどこぞの団体とは関係ありません(笑)
 

 

彼らが今のテクノに続く音楽の奔りだったように思います。
 

 

イタロ・ディスコの代表的な曲でした。


Eddy Huntington - Meet My Friend

 

 

イタロのヒットのほとんどは一発屋でした。
 

 

ブンブンブンのコールで盛り上がったものです。


Paul Lekakis - Boom Boom Boom Let's Go Back To My Room

 

 

こちらもブンブンブンのコールでした。


King Kong & D. Jungle Girls - Boom Boom Dollar

 

 

ユーロの良さは、わかりやすい曲構成と誰もが口ずさめるフレーズ、なんでしょうね。
 

 

このクー・クーなんてその典型です。


Coo Coo - Upside Down

 

 

この曲も本当によくプレイされていました。


Antonella - Supersonic Level

 

 

高速過ぎないリズムがこの時代のダンスミュージックの特徴でした。
 

 

しかしながらこの曲のあたりから高速化が始まったような…

 

特集しておいて言うのも何なのですが、今聞いてもユーロビートって本当にティピカルで軽薄なものが多かったように思います。おりしも日本は高級ディスコ志向が加速し、マハラジャに始まりキング&クイーン、ラジオシティ等が勢力を伸ばしていた時期。この時代は音楽としての完成度の問題ではなく、「テンションを上げ単純に盛り上がれ容易に口ずさめる」という機能に特化した「大箱用」の用途が重要でした。その意味ではものすごく潔い音楽だったのだと思います。しかし飽きられるのも時間の問題で、やがてハウスやテクノにとって代わられていく運命なのでした。次回はそのあたりの曲ですかね^^
 

 

最後にとてもカワイらしくて好きだった曲を聞いて締めたいと思います。
サビのパートを聴くと、本当に懐かしくも甘美な気持ちになります。不思議。

 

 

それでは、また。