豚袋的ダンス・ミュージック~パート3 ユーロビート編 | 極私的洋楽生活

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豚袋でございます。
 
 
被災地ではなお不安な日々を送っていらっしゃる方も多いと思います。首都圏もまだまだ震災後のどこか塞いでしまったような雰囲気が続いています。自分は少しでも元気を出して日常を取り戻していこうかと思っているのですが、まずはどんな記事を書こうかと思案しつつ、過去記事を眺めておりましたところ、とりあえず未完のシリーズ記事があったのに気がつきました。
 

 

「豚袋的ダンス・ミュージック」
 

 

もともとディスコに行くようになってから聴き始めたダンス・ミュージック。通常音楽的にはわりとマイナー志向で陰と憂いのあるものが好きだったりするのに、なぜかこの分野はミーハー丸出しという我ながら不思議な嗜好を持っております。それはこのたぐいの音楽がやはり「踊る場所・シーン」という娯楽環境的な要素と密接であるからでしょう。脳天気で何も考えないで聴くことのできる、しかも楽しくも懐かしい音楽群であることもあり、3年ぶりに続きが書きたくなってきました。(アップも簡単だし^^;)
 

 

ということで極私的ミーハーミュージック記事、
「豚袋的ダンス・ミュージック」パート3のはじまりはじまり~♪

 

 

続きの時代としては1986年から89年あたりの音を取り上げたいと思います。このあたりの時代は「ハイエナジー」の進化系である「ユーロビート」の第一次全盛期でありました。今でこそユーロビートはヨーロッパ発祥でありながらイタリアを経由して日本でのみ進化を遂げた日本でのみ流通している極めて特異な音楽ですが、この時代のそれはやはりオリジンとしての力もありましたし、新しい音楽の流れとして世界的なチャートでも上位を占めていました。
 

 

デッド・オア・アライブに始まり、マイケル・フォーチュナティ、リック・アストリー、カイリー・ミノーグ等々、ワールド規模で成功を収めたミュージシャンの名前が挙がります。日本人がカバーする事が多かったのもこの音楽の特徴でもありました。有名どころで言えば荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」、Winkの「愛が止まらない」、Babeの「GIVE ME UP」などがありましたね。しかしながらミーハーとはいえ、誰もが知ってるミュージシャンや日本人カバーの原曲をとりあげたりしないのが「豚袋的」なつもりです。
 

 

それではまず、1986年のこの曲から行ってみましょう。
 

 

 

まさに時代的にデッド・オア・アライブ流れの影響の強い曲ですね^^
 

 

アレフといってもどこぞの団体とは関係ありません(笑)
 

 

彼らが今のテクノに続く音楽の奔りだったように思います。
 

 

イタロ・ディスコの代表的な曲でした。


Eddy Huntington - Meet My Friend

 

 

イタロのヒットのほとんどは一発屋でした。
 

 

ブンブンブンのコールで盛り上がったものです。


Paul Lekakis - Boom Boom Boom Let's Go Back To My Room

 

 

こちらもブンブンブンのコールでした。


King Kong & D. Jungle Girls - Boom Boom Dollar

 

 

ユーロの良さは、わかりやすい曲構成と誰もが口ずさめるフレーズ、なんでしょうね。
 

 

このクー・クーなんてその典型です。


Coo Coo - Upside Down

 

 

この曲も本当によくプレイされていました。


Antonella - Supersonic Level

 

 

高速過ぎないリズムがこの時代のダンスミュージックの特徴でした。
 

 

しかしながらこの曲のあたりから高速化が始まったような…

 

特集しておいて言うのも何なのですが、今聞いてもユーロビートって本当にティピカルで軽薄なものが多かったように思います。おりしも日本は高級ディスコ志向が加速し、マハラジャに始まりキング&クイーン、ラジオシティ等が勢力を伸ばしていた時期。この時代は音楽としての完成度の問題ではなく、「テンションを上げ単純に盛り上がれ容易に口ずさめる」という機能に特化した「大箱用」の用途が重要でした。その意味ではものすごく潔い音楽だったのだと思います。しかし飽きられるのも時間の問題で、やがてハウスやテクノにとって代わられていく運命なのでした。次回はそのあたりの曲ですかね^^
 

 

最後にとてもカワイらしくて好きだった曲を聞いて締めたいと思います。
サビのパートを聴くと、本当に懐かしくも甘美な気持ちになります。不思議。

 

 

それでは、また。