・例え貧しくなったとしても、心まで貧しくなってはいけない。
・どんな出来事の中にも、良い事がある。それを見つける事。
子どもの頃に教えてもらったことです。
しかし、30代の頃、私はこのことの難しさを味わいました。
どう考えても、幸せも、良いことも見つけられそうになく、悲嘆に暮れた。そんな日々を送った。
難しい時もある。
どうにもならない時がある。
そんな体験をさせて貰えたのだから、
今、自分に大した事はできなくても、誰かの生きる希望につながるような小さな、些細な事ができたら嬉しいし、そんな風に存在できますように、と思うし、自分の生命活動がそこに繋がるようなものでありたいし、そうありたいといつも願うのです。(些細なことでいい。こういうのは大袈裟なのはだめ。)
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こんなことを思い出しました。
小学校低学年の頃、ある日曜の朝に、母とテレビを見ていたら、どこかで大きな災害があったようで、ニュースがそれを伝えていた。
私は、その人たちの身に降りかかった出来事の大変さを思ったら、急にご飯が喉を通らなくなった。
しばらくすると、その事は子どもらしく忘れてしまったけれど、けど、なんとなく自分だけが幸せで居て良いのだろうか?なにかするべきことはないだろうか?と幼いながらに考えていた。
さらには、30代の頃にした自分の体験は、どうにもならない時の気持ちを忘れないように、私の心に深く深く刻まれたらしく、
当たり前に出来ることを、経済的、身体的、精神的、環境、あらゆる事情によって、当たり前には出来ない人たちがいることをいつも思うようになった。
なにか自分にも、するべき事があるのではないかと考える。
たいしたことは出来ないかもしれないけれど、なにか少しでもそこへ近づけた時に、とても嬉しい気持ちになる。
さりげなく超自然にできた時が一番嬉しい。
大袈裟に語っている時はぜんぜんダメ。それは自己顕示欲に他ならないから。
だから今もダメかも知れない。
何ができるのかって、それは、直接的に何かするということだけでなく、思うということや、忘れないという形で、祈りや。そこへ光を灯すという役割や精神となっているのではないかと思うのでした。
魂や、精神や、心、という次元では、
何者かが思いや祈りを繋げてくれている気がしてならないのです。
そういう精神というのは、助けてあげるというような、上からの気持ちではなく、みんなが一緒だという気持ちであるように思います。
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