特設艦船戦史 雑想ノート -27ページ目

特設敷設艦「高栄丸」

【特設軍艦】

特設敷設艦「高栄丸」 

高千穂汽船

 

【総トン数】

6,774トン 

【機雷搭載量】

700個 

【所属】
第一八戦隊:敷設艦「常盤」、特設敷設艦「西貢丸」「高栄丸」「新興丸」 

 

これらの特設敷設艦は敷設軌条が2条だったが、元来が貨物船だったので、機雷の搭載量が多かった。 


昭和18年5月21日

軍令部総長:永野修身大将は、鎮海警備司令官:後藤英次中将に対し、黄海に対潜防御用機雷原を敷設すること下令した。

上記、第一八戦隊の特設敷設艦3隻「西貢丸」「高栄丸」「新興丸」は、一時的に鎮海警備府に編入され、朝鮮半島の南西端から南西に向け、長さ158浬に渡り2列6,000個の機雷を浅深度に敷設することになった。

 

九三式係繊触覚機雷を舞鶴にて搭載。

 

昭和18年6月初め

黄海南部に3隻が並行に航行し、80メートル間隔で震度13メートルと23メートルに敷設。


昭和18年9月

敷設艦「那沙美」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化。


昭和19年1月

敷設艦「厳島」が黄海に機雷を敷設、同機雷原を強化した。 


昭和19年1月~2月

哨区が黄海の米潜水艦「スコーピオン」は、1月6日以後消息を絶ち、黄海に敷設された機雷原にて沈没したものと推定されている。 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「スコーピオン」(艦長:M・G・シュミット中佐以下76名全員が行方不明)

*「スコーピオン」は日本商船4隻を撃沈している。


 

昭和19年10月? 

哨区が黄海の米潜水艦「エスコラ-」は、9月18日ハワイを出撃(初出撃)。ミッドウェーで燃料を補給。10月17日に僚艦「パーチ」に「本艦の現在位置は朝鮮半島の南西方の黄海にあり」と通信を送り、以後、消息を絶った。
《米軍記録》

喪失:「エスコラ-」(艦長:ウィリアム・J・ミリガン中佐以下82名全員が行方不明)

*「エスコラ-」による日本艦船の被害は無い。
 

昭和19年1月~6月

東シナ海に機雷12,000個を使用、4地点に大規模対潜機雷礁を敷設した。

昭和19年6月19~20日

第四機雷礁(沖縄付近)で敷設作業がおこなわれた。

第一八戦隊

 敷設艦「常盤」

 特設敷設艦「西貢丸」

 特設敷設艦「高栄丸」

 特設敷設艦「新興丸」

警戒隊

 水雷艇「友鶴」(第四海上護衛隊)

 敷設艇「鷹島」(大島防備隊)

 駆潜艇第五八号(第四海上護衛隊) 

 旧駆逐艦「海威」(旧「樫」、1937年満州国に譲渡)

上記、敷設艦艇は、九三式機雷と六号二型機雷を合計1,650個を距離165キロ、各100メートル間隔で深度13メートルに敷設した。

 

昭和20年1月

沖縄近海の配置についていた「ソードフィッシュ」への、一次哨区を離れ屋久島近海に移動する命令に対し、1月3日受信確認の通信を送信、以後、音信を絶ち、沖縄近海で機雷原にて沈没したと推定される。 

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ソードフィッシュ」(艦長:K・E・モントローズ中佐以下89名全員が行方不明)

*ソードフィッシュは、駆逐艦「松風」を含む、日本艦船21隻を撃沈している。

昭和20年2月27日

敷設艦「常盤」と警戒艦の海防艦22号、29号、68号とともに、屋久島の南方に機雷1,000個を敷設した。

 

昭和20年3月20日以降

沖縄~九州間の南西諸島が哨区の米潜水艦「キート」は奄美大島の北東より気象情報を送信。以後消息を絶ち、行方不明となり喪失と認定された。

「キート」は、上記の屋久島南方の機雷原にて失われた可能性が高い。

《米軍記録》

喪失:潜水艦「キート」(艦長:E・アッカーマン中佐以下87名全員が行方不明)

*キートは、3月10日に「カナ八〇三船団」を襲撃し、「三嘉丸」(2,473トン/大阪商船)、「慶山丸」(2,116トン/興国汽船)、「道灌丸」(2,270トン/日本郵船)の3隻を撃沈している。

 

【備考】

特設敷設艦「高栄丸」

昭和19年[調査未完]

期日不明、敷設艦「常盤」(日露戦争の際に装甲巡洋艦だった)と、台湾に進出してフィリピン北方のルソン海峡に機雷を敷設した。

 

昭和20年 

6月27日、敷設艦「常磐」「新井埼」「石崎」、特設敷設艦「高栄丸」「第二新興丸」の5隻で宗谷海峡に、九三式繋留触発機雷を敷設。

北海道の北端、納沙布灯台の北東1万メートルから5~600メートルの長さで2本敷設。

6月30日、樺太の南端から南西16,000メートルより南へ5~400メートルの長さで2本敷設した。

  

《米軍記録(ソ連潜水艦に関する記録)》

喪失:ソ連潜水艦「L19」(8月23日、宗谷海峡にて機雷により沈没〈上記機雷原にて触雷したものと推定〉。乗員は全員戦死)

 

この記録は、正式には日本海軍による敵潜水艦攻撃に関して記録には載っていない。敗戦後のことであり、戦後長い期間この事実は判明していなかったためである。

 

『特設敷設艦「高栄丸」による戦果』

撃沈:潜水艦5隻(但し、すべて協同で敷設した機雷によるもので、沈没は戦後の推定による)

米潜水艦「スコーピオン」

米潜水艦「エスコラ-」  

米潜水艦「ソードフィッシュ」 

米潜水艦「キート」

ソ連潜水艦「L19」

 

特設敷設艦「高栄丸」は、潜水艦5隻を仕留めたという、特設艦艇の中では随一のエース艦であると考えられます。

軍艦でもこれだけの対潜水艦撃沈スコアを挙げた艦はありません。華々しい戦闘シーンとは無縁で、自分の挙げた戦果を知ることものなく、機雷敷設という地味な作戦を数々と、そして黙々とこなしていたのです。

そして、太平洋の激戦を生き残り、戦後は日本の高度成長を支え活躍した殊勲船でした。

  

 

*特設敷設艦「西貢丸」、「新興丸」の稿も参照下さい。

  

  


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-07-15

第2稿 2005-07-17 一部加筆

第3稿 2005-07-23 「西貢丸」「新興丸」「高栄丸」に分稿

第4稿 2005-08-03 一部加筆

特設巡洋艦「盤谷丸」

【特設軍艦】

特設巡洋艦「盤谷丸」


大阪商船 


【入籍】

昭和16年9月20日 特設巡洋艦籍 

(同日付で機雷敷設に従事する特設巡洋艦に指定された)

【総トン数】

5,351トン

【速力】

16.0ノット

【装備】

12センチ単装砲四門、7.7ミリ単装機銃1基、機雷500個

【所属】

呉鎮守府 



昭和17年10月

津軽海峡南東の下北半島尻屋崎(白糖灯台の北東7.7浬)に九三式機雷200個を敷設。 

 

昭和18年11月

270個機雷を敷設。(敷設艦名等、詳細不明)

 

昭和19年7月

250個の機雷を敷設。(敷設艦名等、詳細不明)


津軽海峡南東方面に対潜機雷原を完成させた。


 

昭和19年6月14~18日 [筆者注:特設監視艇「宮丸」の稿と重複します]

「三陸沖対潜攻撃」 

〔6月14日〕

八戸の北方海域で、「相模川丸」(6,886トン/東洋海運)が雷撃を受ける。被害は不明だが沈没はしなかった。大湊防備部隊、北三陸部隊、大湊空が協同して潜水艦を探知、追跡。白糖灯台の北東7.7浬付近の機雷原に追い込んだ。

追跡艦艇は付近で、コルクや筏の破片を発見、幅50メートル、長さ5,200メートルの油帯を確認、撃沈確実とした。 

〔6月18日〕

0700 北三陸部隊の特設監視艇「宮丸」(81トン/宮城県大浜漁業組合)が、物見崎南西10キロに南方へ幅100メートル、長さ2キロの油帯を発見。

0830 大湊空の水偵が現場に到着し、対潜爆弾3発を投下。

0849 「宮丸」が爆雷を投下。

1100 水偵が幅10メートル、長さ200メートルの油の流出を確認。

1300 「宮丸」が再度爆雷を投下。この攻撃で直径2メートルの気泡が上がり、油が湧出してきた。

1550 応援に来た特設駆潜艇「文山丸」(97トン/日本海洋漁業)が爆雷を投下。

2010 幅100メートルにわたり油が広がってきた。

「文山丸」「宮丸」が投下した爆雷は18個。

【戦果】

撃沈:潜水艦1隻[水偵/特設監視艇「宮丸」/特設駆潜艇「文山丸」]

《米軍記録》

喪失:潜水艦「ゴレット」(艦長:J・S・クラーク中佐以下82名全員が戦死)

*「ゴレット」による撃沈戦果はない。


昭和19年11月7日

第二八特設掃海隊の特設掃海艇「第七福栄丸」(旧所有:満鮮運輸社/アウトエンジンの小型貨物船)が、津軽海峡南東を単艦で対潜警戒していた。(特設掃海艇には簡易式水中聴音機を搭載していた)

1235 左舷後方2,500メートルで水中音を捕らえた直後、水中音の推定位置に10メートルの水柱がたち、爆発音が2度聞えた。一瞬、黒い潜舵が見えたが、すぐ沈んでいった。

沈没推定位置にて、約1時間、エンジンを止め聴音したが反応はなかった。やがて、米軍の防寒ジャンパー、タバコのラッキー・ストライクの箱が海面似浮かび上がった。

機雷原付近を潜航中に機雷に触れ、沈没したと推定される。

《米軍記録》

喪失:潜水艦「アルバコア」(ヒュー・R・リマー少佐以下86名全員が戦死)

*「アルバコア」は、空母「大鳳」、軽巡「天龍」、駆逐艦「大潮」「漣」、駆潜艇165号、商船5隻を沈めている。 

 

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております]

 

初稿  2005-07-17

第2稿 2005-09-30 一部訂正・加筆

第3稿 2005-12-03 一部加筆


特設捕獲網艇「厚栄丸」

【特設特務艇】

特設捕獲網艇「厚榮丸」 

甘糖産業汽船 


【基準排水量】

863トン

 

【所属】

第四艦隊・第四根拠地隊〔トラック〕

第五八駆潜隊


船団護衛より単独で対潜哨戒に当たることが多かった。(毎日、12時半すぎに出港、翌朝9時半すぎに帰投する) 

 

昭和17年9月2日

「対潜攻撃」

米潜水艦「フライングフィッシュ」(8月28日に戦艦「大和」搭載機により損傷していた)により至近距離630メートルより魚雷2本の雷撃を受けるが、回避。ただちに反撃、爆雷攻撃を行う。

《米軍記録》

損傷:潜水艦「フライングフィッシュ」(深度43メートルにて3発が上部で爆発、90メートルで5発が爆発し、後部トリムタンクが浸水、後部潜舵がねじれ、各部に浸水がおこった。船体のバランスを保持できなくなり、航行時の騒音が激しくなったので、作戦を中止し、ハワイに帰還した)

*「フライングフィッシュ」は戦時中に商船15隻を沈め、スコアは第20位(同位に4隻)。


1ヵ月後、「厚榮丸」はトラック沖で米潜水艦「トラウト」により撃沈された。 

 

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献」を参照下さい。 

 

調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております  

 

初稿  2005-07-09

第2稿 2005-09-30 一部訂正