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還暦過ぎたピアニスト

青が好き。色も、響きも、そしてその意味も。若々しい躍動的なイメージがあり、未熟な初々しいイメージもある。「ヨーロッパの赤には、青が一滴」という発想も素敵だと思う。シニアになった今も、できれば青の近くで、楽しみたい・・。

ヨークシャーに滞在したのは、一週間くらいだった。


毎日の様にバスの一日旅行に参加した。


キャッスル・ハワードと、ヘャウッド・ハウス。


二つの大邸宅の様子は、記憶の中で混在してしまっているけれど、ヘャウッド伯爵邸では、先代の伯爵夫人がエリザベス女王の叔母君に当たるメアリ王女だったのが、私の興味を引いた。



カナダに住んでいた頃、エリザベス皇太后が来訪された事があった。その際に、私は「The Queen Mother」という、大きな写真集を購入した。


クィーン・マザーという名で親しまれていた、エリザベス皇太后の、殆ど人生をたどった写真集だった。


その本の中に、プリンセス・ロイヤルという称号で説明されている国王の妹君メアリ王女の写真があったのを、ヘャウッド・ハウスで、突如思い出したのだ。


イギリス王族らしい面影のあるプリンセス・メアリの写真が、沢山飾られてあった。



その数年後、私もネットに親しみ始め、「wikipedia」 とはまるで親友と呼べるほどになった。


そして、それまで断片的に積み重ねてきた小さな疑問の数々が、プリンセス・ロイヤルの称号をはじめ、ヘャウッド伯爵家から始まってヨーロッパ大陸にまたがる王族たちの人生等にも、いつの間にか通じる様になったのだ。


プリンセス・ロイヤルとは、国王および女王の第一王女に、その国王(女王)から与えられる称号で、終身称号なのだそうだ。


そして、プリンセス・ロイヤルが在世中は、次の国王の長女に受け継がれるという事はないらしい。


因みに現在は、アン王女の称号である。




ミレニアムの年に初めて英国へ行った。


目的地は、ハロゲート。ヨークシャー州にあるリゾート地である。


アガサ・クリスティのファンにとっては、彼女が失踪した土地として有名である。ヨーロッパの人達には、高級温泉地として名が通っているらしい。


私たちは、ロンドンから鉄道で北上したが、半日がかりだった。


まずは、近くにあるハワースという村のB&Bに泊まった。ブロンテ姉妹が住んでいた場所だ。


B&Bに泊まるのは初めてだったけれど、知人の大きな家に泊めて貰った様な楽しげな気分だった。


「ベッド&ブレックファスト」という意味だから、当然夕食はつかない。其処の奥さんが、私達を村の中心まで車で送ってくれた。


多分、おすすめのレストランを教えてくれたのだろう、客全員が顔見知り風の店内ながら、注文したステーキやビールも美味しく、中の一人が我々に話かけて来てからは、店内の空気も和らいだ気がした。


日没時間の遅い八月の終わりだったので、帰りはゆっくりと歩いて戻った。


教えて貰ったばかりの、ヒースの花が咲く低い灌木が、一面に繁っている景色を眺めながら、「嵐が丘」のヒースクリフや、「秘密の花園」のメアリやジッコン達に思いを馳せた。


翌日は日曜だったので、近くにあった教会から鐘の音が聞こえてきて、村の人々が連れだって朝の礼拝へと行く様子が、窓から見えた。


その頃、英国では、「Brideshead revisited ブライズヘッド、再び」というテレビ番組が話題だったらしく、テレビ撮影のロケ場所に使われたキャッスルハワードというお城が、その後私が参加した観光地巡りに含まれていたので、私も出発前に少し調べてはいた。


ハワースから、ハロゲートへ向かう途中、観光地の宣伝で、「Not only Brideshead to revisit 再訪するのは、ブライズヘッドばかりじゃない」という看板を見つけて、ちょっと嬉しかった。今でも覚えている位だから・・。


当時、吉田健一訳のその本は絶版とかで手に入らず、結局キャッスル・ハワードを見学した際、売店で記念に原書を買った。


私には中々読みにくい英語で、半分ぐらいで挫折してしまったのだが、ある時翻訳家の友人宅で、書棚を覗いていたら吉田版の訳書を見つけたのだった。


私が由来を説明すると、何故か彼女はその本を二冊持っていて、「あげるわよ」と、いとも簡単に手に入ってしまった。


「この小説の背景で大きな問題はね、貴族の家系でカトリックという事なのよ。イギリスでは、英国国教会が主流だから・・。」



「貴族の女性は、名前にレディがつくでしょ。苗字の前にレディが付くのは、結婚して貴族になった女性。生まれながらの貴族は、ファースト・ネームの前にレディがつくのよ」


確かに、ダイアナ妃が結婚する前、Lady Di という愛称で呼ばれていたなあ。


忌憚のない質問をぶつける事の出来る、貴重な中学時代の友人だったのに、中年を過ぎて親しくなった途端に、あっという間にこの世を去ってしまった。


もっともっと、色々教えて貰いたかったのに・・。

10年ほど前、主人のお供でトロントへ行った。


そこでは、大きな国際会議が開かれていて、知人も多く参加していて、色々楽しい思い出がある。


私達同伴者の為のプログラムも、「ナイヤガラの滝」をはじめ、いくつか企画されていて、初日の午後には、半日コースで市内をバスで巡る観光があった。


私は、見知らぬ街で、市場やデパートを覗くのが好きだ。市民の生活が、垣間見られる気がするから・・。


市内観光で、大きな市場が、ホテルから歩いて行ける距離にあるのがわかって、私は「ナイヤガラ行」の一日ツァーは参加せずに、翌日は一人で街を歩きまわった。


カナダに住んでいた時、新鮮なロブスターの美味しさに目覚めた記憶が新しかったので、今回も楽しみにしていたのだ。


トロントの市場は、どでかい倉庫の様な建物の中に、野菜やお肉などを売る店が立ち並び、その他にも結構魚屋が何軒もあって、中には、ロブスターを茹でてくれるという、魅惑的な看板も目に入った。


これこそ、漠然と私が探し求めていたものだった。


訊いてみると、20分くらい待てば茹であがるという。


ウィークデーの午前中で、余り人も居なかったから、お店の人も親切に対応してくれた。


一番大きなロブスターを頼んで、周りを見物しながら,茹であがるのを待つ。


暫くしてそのお店に戻ると、茹であがったロブスターを解体してお皿に載せてくれたおじさんは、「この上に、レモンを絞って食べると美味しいよ」と言う。


そうだ、レストランでは、熱々のガーリックバターをかけて食べるのが一般的だったけど、レモンも、いけそうだなあ。


その足で、果実屋さんへ直行したのは言うまでもない。


お店では、絞りやすい様にレモンを半分に切って貰った。


屋外に出ると、建物沿いにテーブルとイスが並んでいて、軽い食事がとれるようになっていた。


そろそろ、早目のお昼の時間だったので、できたてのパンも調達して、更に欲を出して、隅の方にあったバーに入って、ビールをテイクアウトできるかと訊いてみた。


すると、「「お店の外で飲むのは違法なので、テイクアウトで売る訳には行かないのです」と言われて、飲み物はジンジャーエールで妥協。


たとえバーの中に座って、ビールを飲んだとしても、大切なロブスターは持ち込めない。


まさに、本末転倒である。


太陽の下で、ピクニック気分に浸りながら食べたランチの、贅沢だった事!


カナダでは、昔住んでいた場所を訪れたり、ずっと探していた本が手に入ったり、一週間ほどの滞在ながらとても充実していたけれど、何といってもその日の「手探り、ロブスター・ランチ」が、一番思い出深い。


後日談として、当時通っていた英会話クラスの先生がトロントの人だったので、アルコールのテイクアウトが出来なかった話をすると、彼はむしろ、日本でビールの自販機があったり、お花見など外でアルコールを飲む人達の様子を見て、文化の違い(法の違い?)に驚いたそうだ。







美術館の企画展というのは、実際に見る前に、内容を判断するのは難しい。


かつて、ダヴィンチの「受胎告知」が東京の国立博物館で展示されていて、見に行った事がある。


入場料金はそれなりに結構な値段であったが、フィレンツェまで見に行くことを思えば安いよな、と自分に言い訳をしながら中へと入ったのだが・・。


企画展の展示が、只その作品一点だけというのは、まあ名作なだけに納得したけれど、驚いたのは美術展だというのに「立ち止まらないでください!」というアナウンス。


そんな事は、入場する前には、予想だにしないことだった・・。


静岡まで見に行った「シャガール展」も、殆どがパリのオペラ座の天井画の下絵だったり、ニースにある国立美術館所蔵の、旧約聖書を題材にした大作の下絵だった、というのは、これも入場してみるまでは、分からなかった・・。


実際にパリのオペラ座・ガルニエ宮で見た 高くて遠い天井画ではわからなかった細部が、その下絵をじっくり見ることで楽しめたのだから、それなりの満足はあったけれど・・。


今日の、ミレー展も、「種をまく人」というのが目玉だったらしいが、実際の作品は、コピーされたものに比べて実に暗い色調だった。


多分、本物の作品には、強い光線を当てられない、といった制約があるのかもしれないけれど・・。


ミレーの作品と言えば、「晩鐘」や、「落ち穂拾い」が有名だが、オルセー美術館に所蔵されているそれらの作品の事は忘れてしまいそうな、あたかも「種をまく人」が代表作であるかの様なふれこみ、と思ったのは私の早とちりだったのだろうか・・。


その辺をあらかじめ認識したうえで、出かけて行くのが大人の常識なのに、思えば私の頭の中は「ミレーの作品展!」で一杯になってしまっていた様だ。


世界に只一点しかない芸術作品を、極東まで運んでくるのは、大変なことなのに・・。


やはり、美術作品やオペラなどの舞台は、そのあるべき場所で見なくては、中々満足は味わえない、という事を踏まえて見に行くべきだったのだ。


いつも、企画展を見る度に反省するのだが、中々学習できないシニアである。




久々に、平岩弓枝の時代小説、「御宿かわせみ」シリーズを読んだ。


十三歳になる、神林東吾の外にできた息子・麻太郎と、東吾とるいの一人娘・千春が、縁結びをする話、「十三歳の仲人」


長い長いこのシリーズの中には、好きな話がたくさんある。


この話も、可愛くて繰り返し読むひとつだし、時代が前にさかのぼって、麻生家の長女の「花世の冒険」も好きだ。


でも、昨日久々に本を取り出してきて、主な登場人物達の名前は出てきたものの、彼らの役職名がどうしても思い出せない・・。


連作も、回を重ねるごとに登場人物たちの背景は周知であることが前提なので、わざわざ説明は無い。


結局、広辞苑で「八丁堀」と引いてみて、与力と同心に行き着いた。


このシリーズは、多分50歳代になって読み始めたからだろう。記憶が浅い。


只メリットとしては、数年ぶりに取り出して読み直すと、新しい作品を読んでいるかのごとく、新鮮な印象で読める事が多々ある・・。


全体の大筋は覚えていても、細かい伏線などは忘れてしまっているから。


このシリーズでは、登場人物達が私の中で一つの世界を作り上げているので、テレビなどで映像化されても、余り見る気が起きない。


でも、娘に勧められて読んだ東野圭吾作品の「流星の絆」。と、そのテレビ版。


これは、作品と映像のどちらも良かった。


それに、やはり東野圭吾の「白夜行」。これは、小説とテレビそれぞれが、別の作品かと思われるほどに、素晴らしかった。

 

我が家にテレビを置いていない生活は、主人の意向が強いけれど、私自身が余りにドラマ好きなので、自己管理に自信が無いのも大きい。



20年位前、主人のお供で、南イタリアのソレントへ行った。


ローマからまず、特急に乗ってナポリへ。


ナポリからはたしか、ベスビウス鉄道といった名前のローカル電車に乗って、ソレントへ向かった。


丁度、高校の下校時間にぶつかったらしく、途中からどっとティーンエイジャーが乗り込んできた。


20人近くいた彼らの、大人びた様子は壮観で、私は暫く見とれてしまった。


ゴッドファーザーの映画に出てくる、マフィア役が務まりそうな、無頼漢風の男の子たち・・。


そして、日本に来ればたちまちモデルにでもなれそうな、見事なプロポーションに彫の深い顔立ちの女の子のたち。


しかも標準値が高いので、誰も自分たちの価値に気づいていない、自然な高校生のふざけ合ってる振る舞いが、清々しい。


あの電車の中での一時間位は、楽しかったなあ。


ソレントという地名は、「帰れ、ソレントへ」というカンツォーネの題名でよく知られているが、街そのものは特に特色がありそうにも見えなかった。


「青の洞窟」で名高い、カプリ島の近くにある港街、位か・・。


でも、ホテルのバルコニーからは、一面に広がるナポリ湾と、対岸には遠くべスビウス火山が眺められて、それは素晴しい景観であった。


ソレントは、数年前にも会合が開かれた場所らしく、同伴者である奥様達の殆どには特に新鮮さが無い様子で、ビギナーの私に「カプリ島には、是非いらっしゃると良いわよ」と、助言してくれた。


私は海外へ行くと、何故か行動力がパワーアップする性格らしく、早速ホテルのフロントでカプリ島行き船の、発着所を教えて貰った。


ホテルのある高台から、低地にある港へと階段になっている道を降りて行って、チケット売り場でカプリ島行きの乗船切符を買った。


しかし、教えられた場所には、乗船者らしい人影は見えず、船も停泊しておらず、訊こうにもイタリヤ語はわからず・・。


それでも人の姿を見ると、「カプリ・・?」と声をかけてみるのだが、皆一様に首を振るばかりである。


公共の乗り物は時間通りに出発する、という日本の常識が、海外では通じないのだと思いながら、暇に任せて待つ事小一時間・・。


その間、時折人が集まっては、カプリ島以外へ向かう船に乗り込んで出発していく。どうやら其処が、船乗り場であることは、間違いなさそうである。

 

やっと、「カプリ!」という単語の聞こえる乗船案内があって、切符を見せると無事乗せて貰えたので、どうやら目的地には向かえそうであった。




船が島に着くと、「青の洞窟」と書かれた看板を持った客引きのおじさんが、「早く、早く」という感じで呼び込んでいる。


私も、ホテルを出る前に、「青の洞窟」というイタリヤ語だけは覚えてきたので、大きな声を出して「グロッタ・アズ-ラ?」と訊き返してみた。


そのおじさんは急げ急げとばかりに「シー、シー!」と答える。たしか、「シ―」は、イタリヤ語の「イエス」だったなと思いながら、急き立てられる様にして、私はその船に乗り込んだ。、


一時間くらいかけて、島の周りを遊船するらしい。


たまたま、ドイツ人の団体さんが乗り合わせていたので、私にはアナウンスのイタリヤ語はわからないながら、横に座っていた人に久々のドイツ語を使って、訊ねてみたのだ。


そのうち、何かのアナウンスがあって、周りにいた人達が一斉に慨嘆するため息が聞こえた。


隣のドイツ人によると、「天候の関係で、青の洞窟には入れないと言っている」と教えてくれた。


確かに私も、「青の洞窟の中に入れるか?」とは訊ねなかったしな、と自虐的に自分に言い訳をした。


島に戻って、ゆっくりと周りを見渡すと、「インフォメーション」という看板が見えた。


そうだよな、と思いながら中に入って順番を待つ。


私の番になると、案内のお姉さんが「アオノ、ドークツ、シマッテル!」と、私の顔を見て、即座に日本語で言う。


気勢をそがれた私は、瞬間的に「why?」と訊ねてしまった。


「ナミガ、タカーイ!」


そうか、しまっている、というのは、closed の直訳なんだな・・。


島の高台には、カプリとアナカプリという街があって、其処へはフニクラ、と呼ばれるケーブルカーで昇れるらしく、乗り場には沢山の日本人も並んでいた。


何の目的もない私は、まずは最後尾に並んでみた。


カプリという街は、歴史が古いらしかったが、詳細は忘れてしまった。


堅い岩盤でできた様な島の頂上にある小さな街。


記憶に寄れば、中心に広場があって、そこから環状道路の石造りの道が続いていた様に思う。


その道を歩いていると、だんだん郊外といった雰囲気になってきて、そのうち小学校の横に出た。


宗教画に出てくる天使の様な、巻き毛の可愛い子供たちが校庭で元気に遊んでいた。


観光地で、生活空間に出会うと、その土地にちょっと入り込めた気がして、何となく嬉しい。


もう一つの街、アナカプリという名は、ドビュッシーの前奏曲「アナカプリの丘」というタイトルに使われていて、馴染のある場所の名前である。


是非行ってみたかったのだが、カプリからの連絡バスが一日に数本しかないそうなので、断念した。


朝、主人が仕事に出かけた時には、まだカプリ島へ行く予定はなかったから、もし夜までにソレントへ戻れなかったら、私の所在を知る人は誰もいないのだ・・。


小さなカプリの街で、まずはゆったりとランチで休憩をして、その後ははるか下に見える波の高い紺碧の海を眺めたり、小学校の横で子供達を眺めたり・・。


午後は、少し早目に港のある低地に降りてきて、帰途の船に乗り遅れる事のない様に、乗船場の近くで時間を過ごした。


今度の船は大きくて、フランス語を話す若い団体と一緒になった。


何となく聞こえてくるフランス語の中に、「モントリオール」という単語があったので、もしやと思い「カナダの方ですか?」と訊いてみた。


「以前、オタワに住んでいた事があるので・・」と言うと、ノリの良い彼らはみんなに「ねえ。この人はオタワに住んでたんだって・・」と仲間に紹介。


最近のカナダ人は大体英語と仏語のバイリンガルなので、さっと英語に切り替えた見知らぬカナダの若者たちと、楽しい時間を過ごしながら、私の長い一日は終わったのだった。


法事で、札幌へ行った。


昨年、法事で札幌へ行った時は、一人旅だったので千歳の飛行場で、貝づくしのお鮨を食べた。


あわび、ほっき、ほたて、さざえ、というラインナップ。


北海道ならではの美味しさが忘れられず、数日後主人と帰宅する際にも、又そのお店に寄った。


先日の法事で、札幌へ行った時にも、やはり一人旅だったので、そのお店経由は、もはや既定のコースであった。


演奏会が終わった直後の解放感もあったし、貝づくしのお鮨にビールを注文。


でも、お鮨の一人前というのは、私の様な満足不知にはやや物足りず、「そろそろお椀を、お持ちしましょうか・・?」と訊きにきたタイミングで、もう一人前とビールを追加した。


余り人の居ない時間だったこともあり、板前さんたちが一斉にこちらを眺めているらしい空気は、何となく感じられたけれど・・。


諸事情が重なり、数日後の帰途も、やはり一人だった。


今回は、最初から度胸を決めて、貝づくし二人前に、ビールも大ジョッキを注文した。


この潔さ(?)を、年の功と呼ぶのは、ちょっとおこがましいかな・・。



先日の演奏会でマネージを担当してくれた人が、何と現役のマリンバ奏者だった処から、話は始まった。


もともとは、地元のフィルハーモニーの打楽器奏者だったそうだが、ご主人の仕事の関係で、メキシコやアルゼンチンに長く住む事になって、現地でアルゼンチンタンゴを身につけてきたらしい。


帰国した時には、かつての打楽器奏者の顔とは又異なった、タンゴのスペシャリストとなって再生した、と言えばよいのか・・。


いずれにしろ、演奏会の打ち上げだった筈の会が、次回の演奏会の打ち合わせの会へと、いつの間にか変貌してしまったのだが、正直なところその方がはるかに楽しい。


打ち上げの席で共に居合わせた友人は、ウィーン時代のクラスメイトの一人で、いつも二台ピアノの練習場所を提供してくれる、個人スタジオのオーナーだったものだから、話はとんとん拍子に進んでいった。


二台ピアノの演奏会で一緒に弾いた彼女は、色々情報を持っている人で、数日後、ピアソラの作品の中に、二台ピアノのための「タンガータ」というのがあって、それが一押し、と早速メールをくれたのだった。


さすが、団塊の世代は前向きである。



ここ数日間、法事があって札幌へ行った。


30日は、時間があったので円山公園へ行ってみた。


前日に、札幌では開花宣言があったそうで、温かい日が続いた事もあり一気に咲き始めた印象だった。


到着日に、咲き始めていた近所の梅の木が、帰宅する頃には満開だった。


そうなのだ。札幌では梅の木も桜の木も、5月の始めに一斉に花開く。私が、どうも梅と桜の花の区別が付かないのは、単に植物に弱いというだけではなかったのだ・・。


同時に、梅と桜が鑑賞できるのは、北国の特権とも言えるだろう。


周りには、私たちの様なシニアの夫婦がたくさん散歩していて、さすが団塊の世代である。


元気の良い団塊の世代が、シニア世代になって、日本の老夫婦の印象が大分変化してきたのではないか、という気がする。


かつては、これ程夫婦一緒に出歩く老人を、見かけなかった様に思うが・・。


10数年前、一人でウィーンへ毎年行っていた頃。


シェーンブルン宮殿の長い散歩道を、たくさんの老夫婦(?、多分)が、腕を組んで歩いているのを眺めて、ちょっと羨ましい気がしたものだ。


私達団塊の世代は、若い年代時には、ジーンズを身に着け世界に向かって自分探しの旅をしてみたり、中年の年代になると、仕事一筋というよりは趣味の世界とのバランスをうまく保ったり、シニアになっても好奇心を失う事無く、夫婦という単位を大切にする。


それぞれの年代と共に、世の中の慣習を、少しずつ変えてきている、団塊の世代のパワーは、凄いなあ。