10数年前、主人のお供でポルトガルへ行った。滞在地は、リスボンからは車で一時間位の距離にある、古都シントラ。
一週間くらいの滞在中に、色々な場所を案内してもらった印象として、昭和三十年代の日本の環境にも似た、まだ貧しさは残るものの、それなりに落ち着いた街並みに、どこか親近感を抱いたものだった。
代表的なポルトガル音楽であるファドも、遠くへと航海に出た男性達を思う女性達の悲しい歌の様で、日本の演歌にも通じるその暗い音調は、かつて大国であった歴史を抱えるポルトガルの人々の民族性を語る様で、どこか懐かしさも感じられた。
主人が仕事を終えて帰国した後、私は数日居残って、一人旅をした。
一日目は、電車で数時間北上して、ポートワインで有名なポルトへ。たった一人で、言葉もわからない国で電車に乗っているのは、結構刺激的であった。
標識も、英語で表記されている場所は余りなくて、とにかく頼りは、予約したポルト市内のホテルの住所だけだった。
電車は夕方に着いたので、取りあえずホテルにチェックインした後、街中へ散歩に出かけた。まずは、ガイドブックに載っていた、大きな教会へと向かった。
素敵な教会だったので、中に入ってみようとしたら、若い女性に「今は、立ち入り禁止です」と、止められた。
今、って・・?
と、聞き返してみたら、「ちょうど今は、中は貸切にして結婚式をしているのですよ。 もう、10分くらいすれば、終わると思います」という、話だった。
立ち入り禁止告知係だったらしいその女性は、暇だったのか、それとも日本人が珍しかったのか、暫く私の話相手になってくれた。
有名な教会で結婚式を執り行うというのは、何だか素敵だな、そんなことが可能なのか・・。この教会の、信徒なのかしら。
といった、私のロマンチックな疑問に対して、彼女の答えは「いいえ。教会が、時間制で、レンタルしているのです」と、実に現実的なものであった。
どの位の、レンタル料なのですか。 と、訊ねてみた。その頃はまだ、ユーロが導入されていなかったのだが。
「えーと、エスクードを米ドルに換算すると・・・」と、彼女が苦労して計算して、提示してくれた数字を、更に私が円に換算すると、大体二時間700万円位の数字だった。
そして間もなく、式を終えて、教会から新郎新婦と、親族とか、お仲間たちが、ぞろぞろと正面玄関の階段を降りてきた。
どんな人たちの集団なのかしら、と私は暫く眺めていたのだが。
彼らの様子からは、レンタルの数字なんて気にも留めないといった風な、身なりもさることながら、顔立ちや全体の醸し出す雰囲気が、一見にして伝わってくる、選ばれたる者達特有の上品さで、まるで其処だけが違った世界かの様に思われたのだった。
それが、ポルトでの第一日目。
ポルトは、崖の様に切り立った海岸にそって、開けた街らしかった。
高台にあった街並みから、海岸線へと、階段を降りて行ってみた。ポルトガルの代表的な魚料理、イワシの炭焼きのにおいがする、地元のレストランに入ってみた。
皆が、つけっぱなしのテレビを眺めている様子は、まるで、日本のラーメン屋さんの様であった。
そのうちニュースが始まって、アジアの何処かで、大火があったらしく、電信柱や電線が入り組んで、混雑した感じの街並みが映し出されていた。
説明は勿論わからないのだが、映像はその国から送られたものだったらしく、そのうち、「東京、歌舞伎町で出火」 という日本語の文字が画面に現れて、びっくりしてしまった。
日本の街並みを、客観的な視線で見た印象は、何とも悲しかったなあ・・。