フレンズ・オブ・ミュージック | 還暦過ぎたピアニスト

還暦過ぎたピアニスト

青が好き。色も、響きも、そしてその意味も。若々しい躍動的なイメージがあり、未熟な初々しいイメージもある。「ヨーロッパの赤には、青が一滴」という発想も素敵だと思う。シニアになった今も、できれば青の近くで、楽しみたい・・。

その頃主人と同室だった人は、カリフォルニアの大学から来て、サバティカルで1年間滞在している、見上げる程長身の教授だった。


短期滞在者用の同じアパートに住んでいて、奥さんのヴァイオレットさんが買い物など何かと助けてくれていたので、クリスマス前のある日、「ピアノを聴きに来ませんか」と電話してみた。


海外に住むと、常識という枠がゆるくなって、思わぬ行動力が顕れてくる気がする。


早速遊びに来てくれた彼女は、「是非コンサートをして、他の人達にも聴かせてあげましょうよ。貴女にその気があれば、できる事はお手伝いします」と言ってくれた。


「私に手伝って欲しい事を、リストアップしてご覧なさい」と、てきぱきと協力してくれたのだった。


幸か不幸か、彼らの滞在期間が終わりに近づいていた事もあって、それから急いで情報を集めてくれたらしい。


大学の中に、「フレンズ・オブ・ミュージック」という団体があって、そこが時々、コンサートを主催しているらしい。どうやら年明けに出演者を選ぶオーディションがあるという。


たった一筋ではあったが、音楽を通しての繋がり見えてきて、私はママ友達に協力して貰いながら、練習を始めた。


続けての出産と子育てと引っ越しで、ピアノを弾くゆとりもない生活が続いたので、指先が弱くなっていて、すぐに割れてしまい、バンドエイドを張らなければ、痛くてピアノが弾けない様な状態がずっと続いた。


今までの人生で初めての経験だった。


その大学には、音楽学部があって、オーディションでは、そこの先生たちが5人位並んで審査をしていた。時代別の曲を、4曲くらい弾いたと思う。ウィーン・アカデミーでの入試の感じに似ていた。


弾き終えたら、すぐその場で「私達は、貴女を推薦しますので、帰りに事務担当のところに寄って、演奏会の日どりを決めて行って下さい」という、いともあっさりしたものだった。


担当のおばさんが、「このあたりが、ホールの空いている日ね」と、日程表をみせてくれた。そして、通りがかった審査員の一人を、何かの用事を思い出したのか「ピーター!」と呼び止めたのには、ちょっとびっくりした。


それが、私の見た、フランクそうなアメリカの社会だった。