病気=不幸なこと

というのは幻想です。

 

もちろん

病気はあなたへのメッセージだから。

「そのままでいいの?

そんな生き方でいいの?」

という問いかけが

現象として現れただけ。

 

それからもう一つのケースは

自ら望んで病気になって

病気のままでいたい人。

そんな人もいるんです。

決して少数派ではありません。

 

たいていは

家族の気を引きたくて

病気の自分を選んでいます。

 

子どもちゃんの場合は

お父さんお母さんの気をひくため

 

お年寄りの場合は

子や孫の気をひくため。

 

だから家族の誰かに

健康法や食養生を強要してもムダです。

 

本当に治りたい人は

自分で治そうと模索しますが、

話を聞き入れない人は

治るのが嫌なんです。

 

病気のままでいたいんです。

 

そのほうが相手をしてもらえるから。

 

 

 

病気の家族に愛情があるのなら、

何かを強要するのではなく

よく話を聞いてあげてください。

手を繋いだり

抱きしめたりしてあげてください。

 

病気でいたい人を救うのは

そんな簡単なことかもしれません。

 

 

 

 

 

生き直すと決めた人のための

 

・トウリーディング

 

大阪市住吉区にて対面のみ

 

・人生を変える食習慣指導

 

オンラインコースもあり

 

 

お問い合わせください。

 

 

現代の生きにくさを抱える人たちにとって

「毒親」は重要なキーワード。

 

でもちょっと考えてみた方がいい。

それは本当に毒親のせいなのか?と。

 

 

毒親という概念が一般的になってくると

なんでもかんでも毒親と言いたがる人も出てきます。

 

人生がうまくいかないのは

毒親のせいだと

被害者意識と自己憐憫の道具にしている人も

たくさんおられます。

 

でも、毒親ってそんなもんじゃないんです。

 

 

 

 

本当の毒親育ちさんには

ある印象的な特徴があります。

 

・自分の親が毒親だとなかなか気づかない

・自分の親が毒親と気づくと、それだけで解放される

 

 

自分の親が毒親だと気づいた時点で

生まれた時からの洗脳から解放されるわけですから

恨んだり憎しみを抱くよりも

解放された喜びの方が大きいのです。

 

気づくだけで足かせが外れ

軽やかに歩き出すことができるようになります。

 

一方

毒親を被害者意識と自己憐憫の道具にしている人は

どう見ても不幸のかたまりです。

親を批判しながらも

まだまだ親に依存している状態とも言えるでしょう。

 

どちらにしろ重要なのは

自分の足で立ち、歩き出していけるかどうか。

自己憐憫のかたまりの被害者であり続ける以上、

それは無理なのですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

病気を治そう

なんて考えるからおかしくなる。

 

病気を治そうとする人は

悲壮で苦しそうで不幸そう。

 

病気を治そうとするから

これが悪い、あれが足りない、と

不足ばかりが気にかかり

誰かや何かを憎んでしまう。

 

病気を治そうとするから

あれをしなければならない

これをしてはならない、と

自分をがんじがらめにしてしまう。

 

それが楽しい人はそう生きればいい。

でもそうでない人は

考え方を変えてみた方がいい。

 

「病気は自分へのメッセージ」だと。

 

 

 

全ては

意味があって起こること。

全ての病気には理由がある。

病気ができる場所にもその症状にも。

 

そのメッセージを素直に受け取って

起こった現象に感謝をして

生き直せばいい。

 

そのプロセスは

悲壮でもなく不幸でもなく

喜びに満ちている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャッジを手放す

 

たいていの生きづらさは

ジャッジを手放すことで解消されます。

 

身動きがとれない

なんだか重苦しい、と感じたら

何かをジャッジしていないか

自分に問いかけてみましょう。

 

正しい、間違い、

優れている、みっともない、

豊か、貧しい

尊敬される、侮辱される・・・

 

あなたのそのジャッジが

自分の価値観でなく

誰かの価値観を背負っているためではないかと

自分に問いかけてみましょう。

 

 

 

〇〇に住むこと

〇〇を所有すること

〇〇を人より上手にできること

学歴や職業のステイタス。

それは社会が評価するものであり

親や周囲の人が評価するだけのものかもしれない。

 

あなた自身が

腹の底から望むものかどうか

自分に問いかけてみましょう。

 

もしくは

身近な誰かに常にジャッジされていると感じて

息苦しい思いをしている人もいるでしょう。

そんな時は気づいてください。

自分も、その誰かの価値観に毒されてしまっているから

息苦しくなっていることを。

 

人のジャッジを手放し

自分のジャッジを手放してみましょう。

ジャッジを手放して

自分が腹の底から求めることは何かを

ためらわずに引き出してみましょう。

 

それが本当に生きるということ。

 

本当に生きるための手がかりは

常にあなたの中にあるし、

あなたの中にしかない。

 

 

 

 

 

勤務する診療所で

食事指導を担当し始めた頃は

みなさんの「健康のため」のつもりでした。

 

けれど

クライアントさんの変化を目の当たりにし、

食を変えることは

人生を変えることだと

確信するに至りました。

 

そこでは

何か特別な食事法を押し付けるようなことはしません。

人によって必要な食は違うからです。

 

けれど一つだけ全ての人に

共通してお勧めすることがあります。

それは素材の味を味わうということ。

 

 

簡単で単純なことなんですが

食の知識や料理の腕に

自信がある人ほど

うまくいかなかったりするものなんです。

 

食の知識に自信を持つ人や

特定の食事法に傾倒している人は

自分の信じる食の哲学を

他人にまで押し付けてしまいがちですし、

お料理上手な人は

自慢の技を活かした「味付け」を食べる食事になりがちです。

 

でもね、よく覚えておいてください。

食べることを正しい正しくない、

上手、下手で判断するような人は

他人や自分のことも

正しい、間違い、良い悪いで判断する人なんです。

 

一方で

素材の味を解する人は、

自然の力を解する人。

そんな人は

自分を信じることもできるのです。

そして

素材の味を大切にできる人は

人の素材をも大切にできる人です。

 

素材の味を大事にした食卓で育った子どもは

他人の価値観に左右されることなく

自分の素材や他人の素材を大事にする生き方を実現できます。

それって簡単にいうと

地に足をつけて生きるということ。

 

 

 

このようにして

食は生き方を左右するのです。